第36話

試合の第一ゲームを奪い、なおも展開を有利に進める『円弧の魔術師』山中アヒト。第二ゲームもその通り名を体現する回転を活かした円を描く打球を駆使し、得点板に数字を重ねて行く。このラリーでもきわどいコースにショットを落とすとグッと拳を握り締めて得点を確信し、吠えた。ぼくは腰を落としてゆっくりと回転を続けるボールを手に摘まんで顔を上げた。


「どぉしたぁ!キャロル・マンジェキッチの息子!そんなモンかよ、このままじゃ『回転』の打ち方も分からないまま負けちまうぞ、本気出せや、オラぁ!」


試合前の気障キザで優男然とした緩やかな雰囲気は消え、アヒトの顔には闘技者の気迫が滾っている。体つきからして、ぼくより三つ以上年上にもかかわらずアヒトはこの勝負、一切の妥協なく、キワキワにボールを打ち込んでくる。ぼくは得点板の数字に目を落として息を吐いた。……アヒトによる『指導』を楽しんでいる場合じゃない。大会ルールは2ゲーム先取で決まる。この第二ゲームを落としたら彼女のいすずをこいつに取られてしまう。それだけは避けなければならない!ぼくはアヒトのサーブに対して前に出てラケットを払った。


「チキータだ!」

「本田の奴、戦い方を変えてきたぞ!」


ぼくの十八番、チキータを見て観客達が色めきだつ。逆転の雰囲気をはらんだ一打だったが、アヒトが長い腕を伸ばして急展開の打球に追いつく。そのままラケットを擦り上げるとバックスピンの掛かったロングショットがコートに返ってくる。


「今度は縦回転かよ!……くそっ」


ぼくのリターンショットがネットを超えず腰に手を置くとアヒトが拳を二回、握った。得点板の数字は4-8。あと3点アヒトが加点すればこの勝負は決まる。アヒトがぼくを見下ろすようにしてくっくと笑った。


「お前の噂を聞いてどんなウデの持ち主かと思ってこんな片田舎まで来てみたらとんだ期待外れだぜ。人がせっかく『回転』のヒントを与えてるのにチキータでゴリ押しかよ。こっちが『回転』で来てるんだから、おまえもそれで受けるのが道理だろうが」


サーブ権が移り変わり、アヒトが台越しにピン球を投げて渡す。会場の空気がアヒトの勝利を確信したものに変わり、フェンスの後ろ側でいすずが「くっ」っと息を呑む声が聞こえた。……大丈夫。ぼくは顔を上げてゆっくりとサーブを打ち込んだ。


二秒後、会場の空気がざわっと少し上に跳ねた。アヒトがぼくのサーブに対して空振りをかましたのだ。しかしこのようなミスは試合ではひとつは起こるのが卓球の常だ。ピン球を握り、続けてサーブを打ち込む。すると同じようにアヒトがそれを空振り。周りの空気が明らかに大きくざわついた。


「お前、オレに何した?」


アヒトが頬に脂汗を浮かべてぼくに訊ねた。カマをかけるように含みを籠めてぼくは彼に言葉を返す。


「何したって。まるで中二病の台詞だな。ただ普通に、なんの変哲もないサーブを打ち込んでいるだけじゃないか」

「とぼけんなよ!オレがこんな凡ミス2回もやる訳ないじゃねぇか!」


取り乱すアヒトを見てぼくはふっと息を吐いた。荒れた呼吸でアヒトがサーブを打ち込んでくる。流れを取り返そうとする強い打球。しかしそのコースはぼくの目にはっきりと映っていた。


「あんたは俺と違って現役の中学生じゃない。だから」


言葉を浮かべながらぼくはサーブをロビングでやり過ごす。相手の利き手側に出した絶好球だ。まさかこの打球も……?スマッシュの態勢を取るアヒトを見届けていた観客達が「あっ」と声を出した。てん、てんと二度、床を跳ねるピン球を急いで掴み上げるとアヒトは凄い剣幕でぼくに向って吼えた。


「なにしたぁああ!!」

「そんな大声で叫ぶなよ。ミスを誤魔化そうとするのは見苦しいぞ」


余裕のある仕草でぼくがラケットで顔を扇ぐとアヒトが台に拳を突いて声を荒げた。


「このガキ、オレにどんなトリックを使いやがった!?」

「特別な事は何もしてないさ。ただ」


ぼくはアヒトを見据えてゆっくりと問いただした。


「中学プロのトガリ・ロンを知っているか?」


――トガリ・ロン。ぼくと同い年の中学二年生で既に現役プロとして活躍する卓球界の神童ワンダーボーイ。彼がぼくと手合わせした際に見せてくれた究極のチェンジオブペーステクニックである『白日』。ぼくはこの技術を試合開始から用意周到に仕掛け、アヒトをその術中に堕とす事に成功した。もちろんぶっつけ本番だったし、トガリ君の師である斑猫はんみょうさんからは「危険な技だから使わないように」と釘を刺されていたのだが、相手はぼくより年上で体格差のある相手。それに自分が受けたワザをいつか誰かに掛けてみたい欲求もあった。その機会が、この技を披露する場面が、この舞台でやってきた。


「山中アヒト、オーストラリア出身のあんたは知らないかも知れないけど、日本の現役プロには相手の身体技術を操作し、意のままに自由を奪う奇術師のような選手が存在する。俺は彼の模倣であんたにそれを仕掛けただけの事だ」


ぐっと奥歯を噛みしめてサーブを打ち込むアヒトとそれをいなすぼくを見て観客達の声が熱を持ち始めるのを感じる。気づけば得点板の数字は逆転し、この第二ゲームをぼくがゲット。勝負の第三ゲーム、ぼくがリードを持って試合を運ぶが、アヒトが本来のチカラを取り返し試合序盤で見せていた『円弧の回転』で追いかけてきた。さあ、ここからが本番だ!ぼくは体を屈め、ピン球を目の位置に置き、トスを上げるとじっくりと回転を付与してピン球を押し出した。放たれた打球の動きを見てアヒトがニィと大きな口を横に開いて笑う。回転による相手の出し抜き合いが始まった。


「山中、本田の逆を取った!」

「いや、本田も追いついたぞ!チキータ、いやバックハンドでの横回転!」

「負けないで!モリア君!そんないけ好かない男、ギッタンギッタンにしてやって!」


ぼくらの打ち合いに歓声が飛び、その中をひときわ高い声でいすずの声援が通り抜けていく。ぼくは彼との打ち合いで『本当の回転』による卓球が少しづつ分かってきた。今は勝負の中で体験しているだけで、まだ言語化できずにいるけどいつかこの卓球でトガリ君のようなトッププレーヤーと競い合っていけると思うと胸が震えた。でも今は目の前のアヒトとの闘いだ。得点板の数字が10に点る。あと一点、ぼくがアヒトから得点を奪えば勝負が決まる。そんなラリーの途中だった。


「くらえ!これが最大入射角による円弧の極みだ!!」


台にラケットをこすりつけるような低さから天井に引き上げるように打球を放ったアヒトが会心のショットに声を張った。ロブ気味にクロスに上がった打球は台をオーバーする手前で急速に逆回転が掛かり、エッジ直前で強烈な音を立てて落ちた。公式戦でこんな完璧なショットを打たれてしまったら少しの間、軌道の残像が残ってしまうようなスーパープレイだが、ぼくはその軌道に惑わされる事なく打球をラケットの芯に捉えた。長い距離を飛ばしただけあってピン球からは回転は抜けている。これならこっちが掛けた回転が直にピン球に伝えられる。踏み込んで腕を振り上げてクロス方向にピン球を捻る様に突き出す。ネットを超え、ミドルで一度ピン球が跳ねるとアヒトは大きな体からがくんと力が抜けたように項垂れた。バックスピンの掛かった打球がクロスへ向かわず短く中央で跳ねるとぼくの勝利を告げる審判のコールが響いた。


「やった!やったよモリア君!……勝ったのはモリア君ですっ!私のカレシが勝ちましたっ!」


フェンスを飛び越え、いすずがぼくの元へ駆け寄ってきた。対面するアヒトはラケットを台に置くと銀色の前髪をかき上げてぼくに声を向けた。


「まさか、最後の最後にオーダーメイドの回転とはな。試合中の無礼を詫びるよモリア。どうやらキミはオレが思っていた通りの果敢で勉強熱心なプレーヤーだったようだ」

「あ、まだ勝負は終わってませんよ、このナンパ男!試合前、モリア君と約束した約束を果たしてもらいますからねっ!さぁ、犬の真似でもしてくださいっ!今すぐに!」

「おいおい、不意打ちでキス未遂されたのは許せないだろうけど、これだけの大人数でそんな事やらせるのは酷だ」


ぼくはいきり立ついすずを落ち着かせ、カバンの中から手に取ったハーモニカをアヒトに向けた。「何?」嫌な予感がよぎっているであろうアヒトにぼくは不敵な笑みを浮かべてこう告げた。


「ぼくの彼女であるいすずの口唇を奪い、他県のこの大会にぼくらを連れ出して振り回し、ぼくに夏の大会用の必殺技をこれだけの観衆の目の中で使わせた罪は重い。よって、あんたには『大口にハーモニカを収めて演奏してもらう』の刑に処す。そのスティーブン・タイラーみたいな大きな口を見てずっと思っていた。その口だったらこれだけ大きいハーモニカも口に入るんじゃないかってね」


中学生らしい、荒唐無稽な子供っぽい提案。しかし、アヒトは試合に負けて吹っ切れていた部分があったのか、意外にもこの提案を受け入れ、ぼくから受け取ったハーモニカを口に含み、ひとつ、ひとつ、吐息で音を出して言った。ハンサムな顔を歪め、彼が一音ずつ紡ぎ出した曲は『聖者の行進』だった。俯く女性客と笑いをこらえる学生たち。なんとも言えないシニカルな笑いが会場を包み込んだ。


「おーぅ、モリアくん!Aブロック勝ち抜きおめでとう!社会人相手に試合をひっくり返すなんてさすがじゃん。それでこそ俺の決勝の相手に相応しい!」


ぼくらの前に拍手を鳴らしながらひとりの男が歩み寄ってきた。彼の名は右曲中の藤原。彼もぼくと同じようにCブロックを勝ち抜き、準決勝にあがってきたらしい。彼も相当の使い手に違いない。でもぼくにはもう、ここでの彼との闘いに価値を見出せなくなっていた。自分の口調に酔っているような口ぶりで藤原がぼくに話しかけてくる。


「俺の流れるような柔のチキータとキミの突き刺すような豪のチキータによる、同世代最強のチキータ使いを決める対決。この滾る闘いがこの後待っているなんてなぁ!今から胸の鼓動が鳴りやまないよ!なんなら決勝とまで言わずに今ここでキミとの決着をつけても良いって俺は考えている!」

「いすず、ちょっと」

「あっ、モリア君、なにを?……ひんっ!」


口上を並べる藤原を横目にぼくはいすずをお姫様だっこで抱えると卓球ウェアのまま体育館から駆けだした。


「逃げよ♪」


ぼくはいすずを抱えたまま、会場を後にし日曜日の午後の時間をデパートでのウィンドウショッピングに映画鑑賞、カフェでの感想会といったデートの時間に充てた。アヒトとの決着という目的は果たしたし、あれ以上、敵の陣営で自分の卓力たくぢからを晒す必要はないと考えたからだ。夕方5時のチャイムが鳴ると田舎道を歩きながらいすずはぼくに声を向けた。


「いやー、今日は楽しかった!モリア君がわたしの為に戦ってくれて、卓球で勝って、そして貴重な時間をデートに充ててくれるなんて!わたしは向陽町いちの幸せ者ですっ!」

「ははは、なら良かった。それで、俺のわがままにも付き合ってもらいたいんだけど」

「ええ、良いですよ!って……やっぱりそうだよね。たはは」


目の前に見えた勤労体育館を見て田中はポニーテールの結び目を指で掻いた。そう、ぼくにはアヒトとの闘いで体験した回転の感覚を確かめておく必要があった。試合後の復習と反復練習。今後ぼくが公式戦に復帰して戦っていくにあたって必要な努力だと考えていたからだった。いすずに球出しを手伝って貰っていると背後からガラッと扉が開く音が響いた。


「あーあ、なっちゃいないね。オレとのバトルでやった事、全然身に付いてない。それじゃ全国区の選手とは戦えないね」


振り返るとそこにはアヒトの姿があった。アヒトはぼくらの元に歩み寄るとぼくといすずを見てこう言った。


「モリア。キミとの闘いで気が変わった。オレがキミの専属コーチとして立候補してやる。……そんなに驚くなよ。この一週間でこの町が少し気に入ったんだ。それにオーストラリアの大学は今やリモートが主流なんだ。世界中どこでだって勉強ができる。中学生ひとりの個人指導ぐらい訳ないさ」

「昨日の敵は今日の師か。てかあんた、大学生だったのか」

「ああ、あの戦いで俺の中で火が着いた。夏の最後の大会まで俺がバッチリ仕込んでやる。覚悟しとけよ。キャロル・マンジェキッチの息子、本田モリア!」


こうしてぼくとアヒトの奇妙な交流が始まった。毎日放課後に勤体でアヒトから回転の技術を学び、ぼくはひとつずつ彼から卓球を学んでいった。練習中、彼が自分の素性やプライベートを明かすような事はほとんどなかったと思う。いすずとはその後もひそやかに交際を続け、ぼくたちは貴重な青春の時間を感染症に奪われながらも日々を過ごし...


そしてぼくは中学三年生になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

モリ卓!!~ホモ疑惑のぼくがシングルス最強を目指して奮闘したり仲間と団体戦全国制覇を目指したりする話 そのⅢ章~ まじろ @maji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ