第26話

常識的に考えられば六歌仙とは「六人の歌の大名人」の意味であるが、六人を選んだ紀貫之は六人についてどのように批評しているかをみればよく分かる。

六歌仙だけではない。

人々は、権力闘争の虚しさをよく知っていた。知っていながら闘いを続け、その矛盾から日本は世界最初の「長編小説」が生まれたのだ。

その長編小説「源氏物語」は、考えればおかしな物語だ。源氏物語は藤原道長の娘彰子付きの女房、紫式部が書いたものである。紫式部は当然藤原氏から給料を貰っている。今でいえば藤原株式会社のサラリーマンである。

しかし、物語はライバルの源氏が頂点となる内容で藤原氏にとって容認できる話でない。

今でも無理な話であるのに、もっと厳しい中世ではあり得ない出来事といっていい。

平安時代はわずかな告げ口が命さえ奪う時代である。そんな時代に例えばジャイアンツ球団事務所に勤める女性が、光るタイガース物語という小説を書いたとする。小説はペナントレースにおいて「阪神タイガース」が明らかにジャイアンツとしか思えない「東京の球団」をコテンパンにやっつけて日本一になる、という小説だったとする。この女性は球団社員や親会社の社長が褒めて連載を続けさせるだろうか。考えてみても常識的にあり得ない。例え会社が許しても、周りの従業員や世間が許さない。今でさえ首がとぶか、地方に飛ばされるかの話である。 

これと同じことだ。

「源氏物語」は、源氏と明記されている以上言い逃れはできない。誰がよんでもこれは源氏が主人公で悪役は藤原氏という配役で、藤原氏にとって極めて不愉快な物語であるはずである。

それなのに傲慢不遜な道長が、紫式部を処罰するどころかその創作を応援しているのだ。

こんなおかしな話はない。

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