第25話

ところが鎌倉時代初期に当時第一の歌人であった藤原定家が百人一首を選んだ時、他の五人の歌仙は入選したのに黒主の歌だけ選ばれなかったのである。

「ベスト6」に入りそれ以外の人々は「批評の対称外」であると言われるほどの「名人」が「ベスト100」にも入らない、などということは西洋合理主義の世界では絶対あり得ない。

定家は、貫之の六歌仙選定のいきさつをしっていて黒主が六仙人でないことをわかって黒主を百人一首に選らばなった理由の可能性も否定できない。 

六歌仙のうち二人、小町と在原業平は美男美女とされた。

彼らは政局で敗北したため、日本人特有の判官びいきで美化されたのだ。

貫之は六仙人が考えた徳政を実行できなかったことが、朝廷が日本人を統治するシステムを失った最大の原因だと考えていた。彼は今の朝廷は日本を統治する組織ではなく、ただ儀式や慣習を滞りなく行うだけの場所に成り果てたと考えていた。

朝廷は日本を管理すらできず、誰も日本の政治や危機管理をするものはいない。問題は先送りされ続け、日本の政治は腐りはてた。

日本は何もしない、何もできない国になってしまっていた。文徳天皇が崩御して以降朝廷は庶民を顧みることができなくなった。

それからは権力者どおしの争いが政治の中心となり門閥や閨閥が重視され、普段は儀式が滞りなくできるかが最大の関心事となった。

貴族と庶民の間の隔離が激しくなり、庶民は自分の生活を自分達で守るしかなくなった。

こうして武士がおこり、後に貴族は彼らに監視されるまでに落ちぶれるようになる。結局貴族は庶民を捨て、逆に庶民から逆襲されたのだ。

小野小町は貴族からは落ちぶれたが、朝廷の為に果敢に闘った気高い美人として日本人の心のなかに残ることになった。 

月日が流れれば、人々は六仙人の事を忘れてしまう。そんな中古今集の序文の筆者と考えられる紀貫之は、この六仙人を永遠に忘れない方法を考えていた。 彼は六仙人を六歌仙としてこの六人を選び、後世にその名をとどめさせよとした。

こうして歌の名人でもない六人が六歌仙として、今日まで忘れられることなく伝わることになった。

その昔悪政を正そうと立ち上がり、気高さを失わず宮中を去った人達がいたことを無論当時の人々は知っていた。権力争いに明け暮れる貴族に対し、人々は批判の意味を込めて六歌仙の名を忘れることなく伝えてゆくことになる。 

その為六歌仙は、単純に歌の優越で選ばれたものではない。

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