第21話

仁徳だけは普通の幸せな人生を送ったが、それはただ本来の徳がかぶっただけで、六人のカモフラージュなのだ。

こうしてみれば文徳天皇の死も怪しくなる。まだ若い文徳は生きていれば、政治の実権を藤原氏にやすやすと奪われることはなかったであろう。

しかし、文徳はあっという間に急死した。良房はこの文徳の急死によって天皇家が造った鉄壁の城壁を打ち破り、藤原摂関政治への道を切り開いたのである。巻き返しを図っていた文徳派は文徳の急死によってあえなく破れ去った。

小野小町は宮中を去り、紀選之は出家して喜選法師となり、良岑宗貞も後を追った。文屋康秀は左遷され、在原業平は沈黙した。

しかし業平はあきらめず、その後清和天皇の皇后になる藤原高子を五節舞で誘惑し、高子の推薦で高子の息子、陽成天皇の蔵人頭に抜擢され、子孫は高階家として公家で残した。

伴善男は、応天門の変で失脚した。

志し半ばで破れた六人を、人々は密かに六仙人と呼ぶようになった。仙という字には「仙人」「世俗を離れた人」という意味がある。賢人でありながらどろどろとした政局に破れ、世を捨てた六人が中国の仙人とかぶったのだ。 

小野小町は宮中を去ったが、藤原氏は小野小町の女房としての実力は認めた。藤原良房は天皇をかどわかした能力に感心し、後の藤原氏の妃には優秀な女房をつけることになった。

小野小町の功績のおかげで、清小納言や紫式部が女房として宮中に昇るかことができたのだ。この結果、華やかな宮中文化は一層の彩りを加えることなる。

惟喬親王は惟仁との後継者争いに破れた後、失意のうちに都を去るがやがて病をえたため出家し素覚法師を名乗って隠棲する。

その隠棲した場所が、小野の里であった。ここは小野氏本領の地で小野妹子の墓や小野の長老小野を祀った神社もある。人間は病で気が弱くなるとできるだけ安心できるところを求めるのは今も昔も変わらない。

惟喬は、乳母であった小野小町を慕っていた。彼女のせいで彼が皇太子になれなかったとしても彼女は優しく自分を可愛がってくれたのを覚えていた。そして彼女が行っていたことが、正しかったと考えるようになっていた。

宮中は綺麗で多くの美しい女房が待っていても、中身はどろどろで汚い陰謀が渦巻いている。惟喬は今の朝廷は民のことを試みず私服を肥やして出世し、ただ贅沢したい貴族の集まりだと感じていた。

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