第20話 文徳の死と六歌仙

源氏の大臣が乗り気でないので、徳政の話はなかなか進まない。文徳は、大臣の一人である良房に相談した。良房は、文徳に源氏の大臣の説得を心よく引き受けた。

文徳は、良房に期待するようになった。文徳は、明子の元に定期的に訪れるようになった。明子邸では文徳はいつも大歓迎で迎えられ、文徳は明子邸で皇太子の惟仁と三人幸せに過ごしていた。

まさか良房が、恐ろしい計画を企んでいるとは夢にも思っていなかった。良房にとって文徳は、既に邪魔な存在でしかなくなっていた。文徳さえいなくなれば、自分は幼い天皇の後見人になって権力を握ることができる。源氏の大臣が自分のいいなりになっている今、それは十分可能だった。いずれ自分が徳政を影で妨害していることは文徳にばれるだろう。ばれる前に文徳を始末しなければならない。

藤原家には、代々病死を装おい人を殺める秘伝の毒薬があった。彼は、それを文徳の料理にまぜた。文徳は、疑いがなかった。彼は発病し、四日後呆気なく

亡くなった。

良房は、なんのためらいもなかった。なんの証拠も残さない、実に見事な暗殺であった。


六歌仙 天皇の諡号は基本死後に贈れるものである。

生前につけられたのは、後醍醐や明治天皇以降などごく限られている。諡号は何らかの意図で贈られる神武、崇神、応神の神の字は三人が何らかの意味で、

初めての天皇であったと言われている。

そして崇徳、崇峻天皇などは祟りが関わっているといわれいる。それと同様に徳も何らかの意図で贈られている。

徳の字がある天皇は七人いる。仁徳天皇、孝徳天皇、称徳天皇、文徳天皇、安徳天皇、順徳天皇である。

そのうち六人の天皇たちを考察すれば、彼ら六人ともまともな死に方をしていないのが分かる。

まず孝徳は、皇太子(中大兄皇子)に最愛の妻を奪われ旧都に置き去りにされ孤独死。称徳は、弓削道鏡を天皇にしようとして果たせずこれもまた孤独死。文徳は、発病後わずか四日で急死。祟徳は、保元の乱を起こすが敗北し讃岐へ流罪、後憤死。安徳、はわずか八歳で源氏に追われ一族もろとも滅亡。順徳は、武家政権を打倒するため父、後鳥羽上皇と共に挙兵するが佐渡へ流罪となり憤死。六人共に非業の死であった。

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