海に飛べ

忍野木しか

海に飛べ

 

 砂浜に打ち寄せる波の音。陽射しに煌めく海岸線。

 青いラベルに浮かぶ水滴を撫でるように、一之瀬純夏は冷たいアクエリアスの表面を頬に当てた。白い雲を背景に何処までも広がる海。陽光の跳ねる乾いた砂が、彼女の白い足を焦がす。

「あ、来たんだ」

「お前が来いって言ったんだろ」

 海岸線を見下ろす道の上。制服姿の久野湊人は、海の向こうの入道雲に目を細めた。額に当てた手の影。潮風に揺れる白いシャツを見上げて微笑んだ純夏は、ペットボトルを投げて渡す。

「そうでした」

 何処か寂しげな彼女の笑顔。アクエリアスを受け取った湊人は、やれやれと肩をすくめる。青いキャップの外れる音。海辺に鳴る甘い水の波。

 熱い砂の上に飛び降りた湊人。純夏の横を走り抜けた彼は、青い海に飛び込んだ。制服を呑み込む冷たい海水。呆気に取られる純夏。水の滴る短い髪を青空に振った湊人は、砂浜に立つ純夏に振り返った。

「お前も来いよ、気持ちいいぜ?」

「遠慮します」

 呆れたように腰に手を当てる純夏。湊人の陽気な笑い声が浜辺に響く。

 海水に濡れた青いペットボトルを、彼女に投げ返した湊人は、濡れた制服を引き摺るようにして砂浜に上がった。アクエリアスを手に白い浜辺に腰掛ける純夏。その隣に座った湊人は、彼女の膝に巻かれた包帯を横目に見つめる。

「びしょびしょだね」

 純夏は、半袖から伸びる小麦色の二の腕に頬を重ねると、彼の濡れた髪に視線を送った。にっと笑う湊人。視界の隅に揺れる蜃気楼。海水に重くなった制服は、徐々に、夏の日差しに乾かされていく。

「せっかく海に来たんだから、泳がねーと」

「制服のままなのは、どうでしょう?」

「明日は学校サボるからさ、別にいいんだよ」

「こら」

 やっと白い歯を見せた純夏の手に、湊人はそっと手を重ねた。摩擦する熱い皮膚の感触。純夏の心臓が大きく跳ね上がる。

「あ、の……君、どうしたの?」

 固まったまま視線を外せなくなった純夏は、彼の黒い瞳に映る自分の目を見つめた。砂と肌に挟まれた逃げ場のない熱。鼓膜を揺らす心臓の鼓動が、血管を流れて指の先を震わせる。

「乾いてるだろ」

「……何が?」

「手だよ、俺の手」

「手?」

 純夏はやっと視線を落とすと、自分の手に重なる彼の手を見つめた。白い肌に光る水滴。頭の働かなくなった彼女は、もぞもぞと指先を動かしながら、微かに首を傾げる。

「……えっと、乾いてるのかな?」

「乾いてんだよ、ほら、制服も乾いてきただろ?」

「うーん」

「だからさ、時間が経てば、絶対、元通りになるんだよ」

「……え、海水だよ? 君、制服はちゃんと洗わないとダメだよ?」

「うるせーな! お前も、またすぐに走れるようになるさ、って話してんの!」

 純夏の細い手をぎゅっと握りしめる彼。口を開いて微笑んだ湊人は、水平線の彼方を見つめた。

 緊張と困惑。長距離を走った後のように、頬を真っ赤に染める純夏の視線の先。清々しく笑う湊人の横顔に込み上げてくる想い。

「馬鹿」

 腹を抱えて笑った純夏は、湊人の濡れた制服に抱きついた。

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