一緒に朝食

 制服に着替え、一階に降りて顔を洗うと、そのままリビングで待ってくれているであろう紅葉の下に向かった。

 一人っ子で、両親共働きの俺にとっては、漫画やドラマで起こるような洗面所争奪戦は起こるはずもなく、それがどこか寂しく思ってしまった。


「お待たせー」


 リビングに来ると、いつも座っているであろうテーブル前のソファーには紅葉の姿は見えなかった。

 返事もすぐに返ってこないので、少しばかり辺りを見渡す。


 だけど、すぐさまその姿は見つかった。


「あ、早かったですね!」


 キッチンのカウンター前。

 制服の上からエプロンを身に着け、これから配膳をしようとしている紅葉。

 ……その姿は、新婚の奥さんにしか見えなった。


 若くしてこんな気持ちを味わうとはなぁ。

 そろそろ幸せ税を払った方がいいのかもしれない。


「母さんは?」


「先ほどまでいたんですけど、私が戻ってくるなり「あとはよろしくね、紅葉ちゃん!」って言ってお仕事に行かれました」


「よその家の子に息子を頼むなよ……」


 いつも母さんが朝食を作っているのだが、その姿は見えない。

 家族ぐるみの付き合いだから紅葉のことは信用しているのだろうが……どうにも複雑な気分だ。


「ふふっ、大丈夫ですよ。私的にはこれから一生よろしくされたいって思っているので」


「……気が早くて反応に困る」


 悪い気はしない。

 悪い気はしないのだが……いささか早急な気がせんこともない。

 だから、思わず苦笑いしか浮かんでこなかった。


「ま、それは置いておいて――――改めてすまんな、起こしに来てくれただけじゃなくて、こうして朝食まで作ってもらってさ」


「私がしたいからしてることなので、気にしないでください。それに、私もタダでしてるってわけじゃないんですよ?」


「そりゃそうだ」


 いくら深い関係だろうと無償というのはあり得ない。

 片方がよくても片方が気にしてしまう。紅葉は、おそらくそうした気の負担を気にしてそんなことを口にしてくれたのだろう。


「俺にできることなら、朝食分ぐらいはなんでもするよ」


 よくできた女の子だよな、と。

 どこか他人事のようなことを思いながらテーブル前の椅子に腰を下ろす。


 すると、タイミングを見計らったかのように紅葉がテーブルの前に配膳を始めた。

 朝食は、サラダにトーストといったシンプルなもの。

 時間もなかったし、朝食ぐらいはこれぐらいお手軽な方がありがたい。


「じゃあ、一緒に食べましょうか」


「紅葉も食ってなかった系?」


「は、春斗に早く会いたくて……」


 頬を染めながら、隣に座った紅葉がもじもじと恥ずかしそうに口にした。

 その姿を見て、付き合い始めて半年が経った俺の顔が真っ赤になってしまう。


(あぁ……くそっ、慣れねぇ)


 こういった些細なことでもドキッとさせられる。

 嫌な気は一切しないのだが、どこか負けた気になってしまうのもなんか悔しい。


(それだけ可愛いってことなんだろうが……)


 でも、もっと見てみたい。

 だからこそ、どうしても学校でも甘えてほしいと思ってしまうのだ。


「……さっそくいただくとするか」


「そうですね」


 いただきます、と。互いに手を合わせて同じようにフォークを手に取る。

 先にサラダからいただく―――そんな小さなことでも同じ考えなんだということが、少し嬉しく思った。


 そして―――


「春斗……あーん、してください!」


 口を小さく開けて要求してくる紅葉を見て、同じ考えではないんだなぁと悲しくなった。


「……サラダを?」


「サラダを、ですっ!」


「……そうか」


 甘やかしたい。

 そんな気持ちはある。

 だからこそ、この要求を断るわけにもいかない。

 いかないのだが―――


「箸ならともかく、フォークは危ないだろ」


「そんなことないですよ?」


「残念ながら、そんなことがあっちゃうんだよなぁー」


 俺も決して器用ってわけじゃないし、箸よりも尖っているフォークを紅葉の口の中に入れたいと思えない。

 口の中が傷ついたら困るし、こんな小さなことで紅葉を傷つけたくないし。


 リスクが多いと感じてしまえば、止めておくのがベストだろう。


「甘やかしたいし、朝食作ってもらったお礼をしてあげたいところだが……俺が紅葉にしてあげるんだろ? 慣れてないし、傷つけたくないから今回は遠慮させてくれ」


「あぅ……サラダにしたのが間違いでした」


 そう言って、紅葉はあからさまにしょんぼりしたまま自分でサラダを頬張る。

 悪いことをしたな、と思いつつも流石にしたくないことは遠慮させてもらう。


 その代わり―――


「紅葉ってさ、なんか欲しいものとかある?」


「ふぇっ? どうしたんですか、春斗?」


「いや、今回のお詫びとお礼も兼ねて何か買ってあげようかなって」


 埋め合わせぐらいは、させてもらうとしよう。

 その方が、俺も気兼ねないってものだ。


「いいんですか!?」


「おう……っていうか、何か欲しいものでもあるのか?」


 そんなに食い気味に反応されたら、どこか身構えてしまう。

 頼むから、高校生の懐事情を鑑みた要求をしてほしい。


「いえっ、ないです!」


 ドヤ、と。そんな顔をしながら大きく胸を張る紅葉。


「なんじゃそりゃ」


「でも、一緒にお買い物をしながら欲しいものを見つけには行きたいです!」


「つまり、紅葉はデートをご所望で?」


「その通りですっ!」


 ふむ、なるほど……。

 デートをしながら欲しいものを買ってもらう。

 俺は、デートをしながらプレゼントを買てあげる。


 そういうことなのだろう。

 一つに二度美味しい。そんなことを言っているように聞こえた。

 だから―――


「じゃあ、週末どっかに行くか」


「はいっ!」


 満面の笑みを向けてくる紅葉を見て、思わずつられて笑ってしまった。

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