癲 -テン-「鬼門参り」

 これは、とある山村で起きた鬼門参りに関する出来事である。




 ザシュ…ビシャ…ザシュ…ビシャ…

 闇夜の中に湿気を帯びた音がこだましていた。

 中秋の月が姿を消し、やがて来る冬を予感させる寒い新月つきなしの夜に立ち込めた雲がもたらした闇が辺りを包み、松明あかり無しでは自らの手を視る事も困難な黒一色の世界では行われていた。


「これでね……ふふふふ……」


 女は静かに呟くと僅かに移動して再びそれを開始した。

 ザシュ…ビシャ…ザシュ…ビシャ…

 再び暗闇の中に湿気を帯びた音がこだました。それと同時に僅かな呻き声が女の手元かられていた。


「んぎゃぁ…」


 ザシュ…ビシャ…


「ぎぁ…」


 ザシュ…ビシャ…


「ぇぁ…」


 女は呻き声が聴こえなくなるまでそれを繰り返した。

 ザシュ…ビシャ…ザシュ…ビシャ…


「ふふふ………あと三体ね……」


 ザシュ…ビシャ…ザシュ…ビシャ…

 ザシュ…ビシャ…ザシュ…ビシャ…

 ザシュ…ビシャ…ザシュ…ビシャ…

 ザシュ…ビシャ…ザシュ…ビシャ…

 ザシュ…ビシャ…ザシュ…ビシャ…

 ザシュ…ビシャ…ザシュ…ビシャ…

 女は同じ事を八度繰り返した。

 そして、八度に渡るその行為を終えた女は黒闇くらやみの中へと姿を消した。

 翌朝、は見つかった。


「いやああああああ!!!!」


「な、なんて事を………捜せ!あの隠女おんめの仕業にちげえねえ!!!」


弥吉やきち!わかったか!これがあの隠女おんめの正体だ!」


「う…うあ…そんな…キヨが…キヨがこんな事をする筈がない……」


「現にあの隠女おんめは姿を消しただろうが!このやしろはあの隠女おんめのために親父が建てた物だ!この場所でが見つかり、ここに居るべき者がここに居ない、それが何よりの証拠だろうが!」


 それは、村外れにある社の側にある木に打ち付けられていた。

 弥吉と呼ばれた若い男はそれを行ったのがキヨと言う名の女であると周りの者達に言われても信じる事が出来なかった。

 キヨは隠女おんめと呼ばれる女であった。

 隠女おんめ…それは隠女かくしめとも呼ばれる男に女である。

 キヨはまだ数え年で十六歳だったが、この村のに囲われていた。その始まりは四年前の冬にキヨの父親が命を落とした事から始まった。

 元々この村での立場が弱かったキヨの家には蓄えはなく、母娘が二人だけで生きていくには他人の力を借りる必要があった。

 父親の突然の死から程なくして、キヨの母親は村の男達の家を夜毎に廻る様になった。キヨの母親もまた現在のキヨと同じ村中の男達の隠女だったのである。

 そして、父親の死から約一年後の冬にキヨの母親がこの世を去った。

 キヨの母親はそれが見つかったこの場所で死んでいた。

 凡そ一年という期間で父親と母親を立て続けに亡くし天涯孤独となったキヨは、母親の埋葬が済んだ日の夜に村長の家に呼ばれ、拒むことも出来ぬままに純潔を失った。その日はキヨの十三歳の誕生日だった。

 それからキヨは村長が用意した家に暮らし、村長の許可なしにそこを出ることを禁じられた。その家には昼夜を問わず毎日の様に村の男達が訪れた。

 親との死別をきっかけとして男達の慰み者となったキヨであったが、この約三年の日々でキヨは一度も身籠ることはなく、その行為をしていた男達だけでなく、それを暗黙の了解として野放しにしていた女達さえもキヨを不気味な存在として忌避し始めた。だが、そんな中でも弥吉だけは四年前にキヨの父親が死ぬ前と全く変わらずキヨに優しかった。

 弥吉は村長の正妻の息子である。

 この村で絶対的な立場であり、キヨを除いても六人の妾を持つ村長が正妻との間に授かった八人の子供、その五番目の子供が弥吉だった。

 弥吉は四男という立場ではあったが、その人柄と聡明さから村人に好かれ、三人の兄もまた弥吉の器量を認めていたため、後々に村長の座を継ぐのは弥吉であると誰もが考えていた。

 しかし、キヨの一件があって以来、弥吉の村での立場は村長の妾の子はおろか、他の村人よりも低くなった。その原因りゆうはキヨである。

 弥吉は自身の二つ年下であるキヨを愛していた。それ故に弥吉は、キヨが純潔を失った次の日にその事実を知った際に父親である村長へ反抗し、その結果として正妻の子でありながら下男へと身を落とした。

 弥吉は何度もキヨを連れて村を出ようとしたが、キヨは捕まった時の弥吉の身を案じて首を縦に振ることはなかった。


「兄貴…違う…キヨがこんな酷い事をする筈がない…いや、キヨにこんな事が出来た筈がないんだ!!」


 そう言うと弥吉は走り出し、何人かの男達が弥吉の後を追った。


「ちっ!馬鹿が!女一人に執着しなければ長男の俺ですら認めざる得ない大器なのになぜ割り切れん…弥吉やきち、この村では父上のやり方に逆らってはいかんのだ……しかし、あの大人しそうな隠女おんめがこんな事をするとはな…おい!誰でもいい、早くこの赤子の死体を片付けろ!」


 弥吉の兄であり村長の長男である男のその言葉でやっと村人が動き出し、村人はその悲惨さに目を背けたくなりながらもそれを片付けた。

 村人により片付けられたのは八体の赤子の遺骸だった。

 その八人の赤子達は、余所者が安易に近付かぬ様に社として建てられたキヨが暮らしていた家の側にある大木たいぼくに、両目、両肘下、両膝上、喉、鳩尾みぞおち、計八ヶ所を釘で打ち貫かれてはりつけにされて死んでいた。

 磔にされて八人の赤子達は皆がこの村に暮らす女達の子であり、赤子の父親達は自身の妻が臨月となっていた頃には皆がキヨの元へ通っていた。

 この日の前日の昼間、八人の赤子が一斉に村から姿を消した。

 ある者は炊事中、ある者は居眠ひるね中、ある者は不定行為中、母親が自らの子から僅かに目を離した隙に赤子が消えたのである。

 まだ人々の暮らしが豊かになる前の出来事とは言え、一つの村から八人もの赤子が一斉に消えるというのは明らかに異常だった。

 その異常事態に対し、冬に備えて食糧と燃料の調達に出ていた男達を呼び戻し、村をあげての大捜索が行われたが、夜が訪れても消えた赤子達は一人として見つかることはなく、捜索は夜が明けてからに持ち越された。

 前日の捜索の際、数人の男達がこの社を訪れていたが、そこには赤子の姿もキヨの姿もなかった。

 赤子と共にキヨが姿を消していたのである。

 その事はすぐに村中の人間へ知らされ、赤子が消えたのはキヨの仕業であると決めつけられた。

 そして、一夜が明けたこの日、赤子達はキヨが暮らしていたこの社の側で無惨な姿となって見つかったのだった。

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