男の娘は少女の欲望を垣間見る

 スタッフの若手妖怪たちは雉鶏精一派の関係者とそうでない日雇いの妖怪たちの大きく二つのグループに分かれていたが、どちらのグループも源吾郎の存在が気になるらしく、裏方で小休止している間にあれこれと噂していた。

 不思議な事に、源吾郎に対する評価は彼女らの所属する立場によってガラリと変わるのだ。

 雉鶏精一派の末端にいる妖怪たちは、源吾郎が狂暴な色狂いだと信じて疑わず、彼を疎み、出来るだけ接触したくないと思っているようだった。

 日雇いの、大阪郊外や尼崎などの会場近辺からやって来た妖怪たちは、源吾郎を血統と妖力に優れ、しかも向上心のある新鋭の妖怪だと見做し、媚を売ったり誘惑したりしてお近づきになりたいと考えているようだった。

 全くもって真逆の意見なのだが、それはある意味水と油のように交わらぬ彼女らの関係性を暗に示しているようでもある。無論表立った対立は無いが、スタッフと言えども雉鶏精一派由来のスタッフと日雇いスタッフが互いに距離を置いている雰囲気は源吾郎も感じ取っていた。

 いずれにせよ、源吾郎は自分が思っていた以上にその名が知られているのだと驚くほかなかった。嬉しいという感情は無かった。日雇いの、いわば外様の妖怪娘たちは源吾郎にすり寄りたいと思っているが、彼自身はそういうものは望んでいないのだ。源吾郎はもちろん多くの女子(できれば美少女)と深い仲になる事を望んでいる。しかしその結びつきは欲望や打算などではなく、互いの愛情に裏打ちされたものであってほしいのだ。

……深く考えずとも、何かをこじらせた男子の、他愛のない幻想なのかもしれないけれど。



 腕で支え持つ丸いトレイの上で、飲み物の水面が揺れるのを源吾郎は見た。レモン酎ハイの場所はあそこだったか……そう思って進もうとしたが、前進できなかった。何かが源吾郎の肩をしっかと掴み、動きを阻害していたのだ。


「場所が違うわよ、宮坂さん」


 声の主は一人の若い女狐だった。若いと言っても源吾郎よりは明らかに年上である。人間に換算すれば二十は超えているであろう。オレンジに近い艶やかな金髪を肩の中ほどまで伸ばし、うなじのあたりできっちりとリボンで結んでいる。面立ちそのものは日本的なのだが、上瞼の縁に沿って孔雀色のアイシャドウを施しているあたり、中々にくっきりとしたメイクである。金髪は妖狐としての彼女の本来の髪色毛色に過ぎないのだろうが、メイクの濃さも相まってギャルっぽさを醸し出していた。無論彼女は単なるギャル妖狐などではないが。

 源吾郎がへどもどして間の抜けた返事をすると、彼女は表情をほとんど変えずに短く告げる。


「そのレモン酎ハイは十七番の、あっちのテーブルのオーダーでしょ。

 宮坂さん、あなたちょっとぼやぼやしてるみたいだから、気を付けなさいね」

「解りました、リーダー」


 かすれ声で応じると、源吾郎は足早に彼女が指し示した方角へと歩を進めていった。頭数が多いので全員の顔や名前は一致しないし、彼女の名前もまだ知らない。しかし所謂バイトリーダーという立場であると見做され、配膳を行うスタッフたちからは一目を置かれ少し畏れられていた。物言いはきついが指摘内容自体は的を射たものであるからだ。ついでに言えば、彼女が玉藻御前の末裔を堂々と名乗っている所も起因するのかもしれない。



「やっと……やっとお昼か」


 昼休憩の旨をシェフから言い渡されたのは昼過ぎの事だった。宮坂京子として働く源吾郎にとって一番のお楽しみの瞬間が訪れたのも同義である。実を申せば生誕祭で出される料理が楽しみで、今朝の朝食は量を控えていたのだ。立ち働くのに忙しかったのでしばしの間空腹を忘れていたが、女性スタッフは休憩という通達で、今一度空腹を思い出した次第である。

 休憩場所は別の一室が宛がわれていた。中央よりやや部屋の前方に長いテーブルが三台縦長に配置され、その上に皿に盛られた各種の料理と、綺麗な皿やボウル、そしてそれらを載せる四角いトレイなどが置かれてある。

 生誕祭の会場同様、スタッフの昼食も所謂バイキング形式だった。料理は生誕祭用に多めに作っていた物であろう。バイキング形式の方が準備や片づけが楽だからなのか、或いはスタッフにも祝いの席の楽しみを体験してもらおうという粋な計らいなのか。このような形で昼食が用意されている意図は定かではない。

 しかし源吾郎にしてみればそれらの事柄は些末な話だ。生誕祭で供されている料理が、一部とはいえ自分も味わえる。その事こそが大切なのだ。しかも好きなおかずを取り分ける事が出来るから、好きな物ばかり選んでもばちは当たらないだろう。量も多そうだしくいっぱぐれる事もあるまい。源吾郎は呑気にそう思っていたのである。

 料理はいずれも見映え良く、尚且つ美味しそうだった。見た事もないが高級そうな料理もあったし、ボリュームのありそうな肉料理もある。サンドイッチなどと言った見慣れた物も具に趣向を凝らしているようだし……切り分けられたパイや手の平大の小さなパンケーキなどのデザートもある。

 おっしゃとばかりに源吾郎も食器を取り、バイキング会場に向かったのだった。


――こんなはずじゃなかったのに……

 数分後。他のスタッフたちが座っていないテーブルを見つけ出し、源吾郎は静かに腰を下ろした。昼食の期待に火照っていたはずの頬は色を失い、若干青白く見える。尻尾は妖術できちんと隠しているのだが、もし顕現していたら死んだ蛇のようにだらりと垂れていただろう。

 源吾郎は無言で戦利品を見た。唐揚げの隅に添えものとして敷かれていたキャベツ。輪切りにされたゆで卵の白身の部分。ほとんど人気が無いらしく、割合手付かずだった冷製サラダ……彼が自分の昼食に調達できた物品である。

 バイキングだから好きな物をゲットできる。この考えは全くの幻想だった。現実には集まっている他のスタッフたちの圧におののき、まともに希望のおかずを取る事すらままならなかったのである。

 いや、実際には一度パイを確保する事は出来た。しかし直後に他のスタッフ――言うまでもなく少女なのだが――が源吾郎に詰め寄り、後生だからそのパイを譲ってくれないかと懇願されたのだ。その様子が切実であまりにも可哀想だったから源吾郎は言葉通りパイを譲った。少女はめっちゃ喜んでくれたし代わりに焼いた厚揚げを譲ってくれたから結果オーライだと思った。「新顔の宮坂さんってチョロいわ」と、パイを受け取った少女が他の仲間に言いふらすのを耳にするまでは。


「はぁ……」


 楽しみだったはずの昼食の、何と貧相な事であろうか。そんな事を思ったが、その原因はおのれのふがいなさにあるのだから余計にやりきれない。自分でマトモなおかずを調達できなかったのは、料理を選ぶ他のスタッフにしり込みし、ついで体よく利用された為である。おのれの間抜けさ加減は深く考えずとも解り切っていた。玉藻御前の末裔なのに。

――いやいや、休憩時間なのに景気の悪い事を考えてもまずいよな。ショボいものしか無くても、多分美味しいんだよ。それに、お肉とか甘いものとかカロリーの高いものばっかり食べてても太るし。うん、ヘルシーな奴を俺は選んだんだ。

 こじつけめいて無理やり感はあるが、源吾郎はあれこれと自問自答し、テンションを上げようと奮起していた。単純なもので、そうやって考えを巡らせていると今の状況もまんざら悪くないと思えるほどにはなっていた。


「――宮坂さん。隣構わないかしら」


 金髪のバイトリーダーが源吾郎の許にやって来たのは丁度その時だった。スタッフの非公式ヒエラルキーの中で上位に君臨する彼女は、様々な料理をそのトレイにこんもりと乗せていたのである。

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