第18話 それは帰り道での事だったのです 本文編集

「ありがとね。紫ちゃんに友達作ってくれて」






 「別にお礼言われるような事はしてないよ。阿武川さんは元々アイツに興味もってて、きっかけが無かっただけみたいだし」






 「圭吾クンも千歳ちゃんみたいに、紫ちゃんへ興味持ってくれていいんだよ? この由良お姉さんが許そうじゃないか。私の心は寛大だからね。ハハハ」






 「いや、アイツは別にいいです。無理です。勘弁してください」






 市川スワローでの時間が終わった後、何故か圭吾は由良を病院まで送り届ける事になっていた。


 帰る際に、圭吾は紫から上着の裾を引っ張られ、突然「アンタがお姉ちゃんを連れて帰って」と言われたのだ。




 圭吾は言われた意味が全くわからず「え? なんでオレ?」と聞き返えすも、紫は聞く耳を持たず、それ以上追求する暇もなく、由良を押しつけるようにして消えてしまった。






 (何なんだアイツは…………謎行動すぎるぞ…………)






 まあ、圭吾にとって由良と二人きりになるシチュエーションは歓迎だ。疑問はあっても否定する気にはならない。紫の意図は読めないが、とりあえず今は感謝しておく事にする。




そこが不気味ではあるのだが。由良は患者なのに家族である紫がいないという事も含めて。






 (しかし…………どうなんだ? オレはするべきなのか? ど、どうなんだッ!?)






 由良は患者である。何度でも繰り返すが病気を患っているのだ。外出できる許可をもらえても、先の短い生命しかないのは事実。そのため、由良に気遣いは必須である。






 「最近ね、紫ちゃんってば千歳ちゃんの事を色々話すんだよ。千歳ちゃんは料理が得意らしくて、こんど教えてもらいに行くとか、移動教室でよく隣同士になるとか、昼休み一緒にいる事が多くなったとかさ」






 なので、スワローから病院までの帰り道。圭吾は道路側に由良を歩かせるような事はしないし、前方に危険な障害物や、曲がり角から人や車や物が飛び出さないかの注意もしている。




歩幅も由良に合うよう調節しているし、会話に変な間が空かないよう話し方にも気を配って(つか、由良は結構しゃべるのであまり気にしなくてよさそう)いる。






 「友達の話なんて全然なかったからさ。今でも結構驚いているよ。うんうん、紫ちゃんは千歳ちゃんが大好きなんだね。思いがいっぱい伝わってくるよ」






 だが、もう一つ。




 最後の砦(?)である、その行為を圭吾は実行していない。






 「あ、奈菜瀬ちゃんには内緒ね。もしかすると、千歳ちゃんに嫉妬しちゃうかもだから。ここだけの秘密だよ?」






 そう、圭吾は由良の手を握るという行為をしていない。




 普通なら許される行為ではない。手を握る事を許されるのは恋人の関係を持つ者だけであり、そうでない場合は気味悪がられるが「キモ!」と言われて終わりである。修復不能の関係になってしまうだろう。




 異性の手を握るなんてのは、一度しか抜く事を許されない聖剣の前に立つようなモノだ。選ばれなければ全てがご破算である。そして確率は超低い。






 「千歳ちゃんは格闘ゲームに興味あるみたいだけど、プレイしてるのかな? 紫ちゃんは千歳ちゃんの趣味や特技に興味を持ってるみたいだけど………………というか、こう語ると紫ちゃんって友達に好奇心旺盛だよね? やるときはやる実行力乙女って感じ? 姉も気づかなかった新たな一面だなー」






 だが、それは普通だったらの場合で、それが由良に当てはまるのかと言われると微妙な所である。


何故なら由良は患者なため、手を握る事は至って自然な行為かもしれないのだ。




 それに今は手を握らずとも問題ないが、もしかしたら由良がフラついて倒れる、なんて事もあるかもしれない。




圭吾がいくら注意しようと、由良は何かに躓いてこけるかもしれないし、人にぶつかってしまうかもしれない。何かしら道端でピタゴラスイッチ的なモノが働き、その最後に由良がアスファルトの地面に倒れてしまうかもしれない。






 「いつも紫ちゃんって口を開けば私の事ばかりだったからなぁ。この変化は嬉しいよ。うん、やっぱり圭吾クンのおかげだね」






 そう、だから由良と手を繋ぐべき。由良と手を繋ぐ事は自然であり当たり前であり然るべき行為で行動なのだ。やましい気持ちで握りたいワケではなく、由良の安全を思うからこそ手を握るのである。






 「あ、だからかな? 最近、紫ちゃんが圭吾クンに借りを返さなきゃって言ってるんだよ。これってお礼したいって事だよね? 眉間にしわ寄せながら言ってたのが気になるけど…………いや、これはいつも通りか。うーん、紫ちゃんってば千歳ちゃんや奈菜瀬ちゃんの話だと決まって笑顔なのに、圭吾クンの話題になると顔がなぁ………………あ、でも良い傾向なんだよ? 以前なら男子の話なんて絶対にしようとしなかったから。圭吾クンの事は嫌な顔はしても、話を打ち切ろうとはしないんだ」






 圭吾は覚悟を決める。由良の安全の為に手を握ると。






 そう、安全のため。安全のためだ。






 決してチャンスとか、二人きりで隣同士出歩いているからとか、そういう雰囲気だからとか、握りたくてしょうがないと思っているからとか、姉ちゃんも察しているに違いないとか、イチャつきレベルを上げたいからとか、このくらいしてもバチは当たらないだろうとか、いやらしい思いがあるとか、ひょっとしたらその先もとか、そんな諸々の事が先に来ての行動では無い。






 「あ……………………」






 「う…………」






 両者から吐息のような声が漏れる。




 圭吾にとっては覚悟の行為であり、由良にとっては突然の行為。




 圭吾は由良の手を握り、その手から感じる暖かさは脳と心臓をあっという間に浸食していった。






 (こ、これは思った以上に…………)






 由良の手は暴力的すぎる暖かさに満ちていた。油断すると、この温もりに全てを投げ出したくなるという、謎のレッドゾーンに突入してしまう。




 このレッドゾーンは危険だ。そんな事になってはいけない。何かが目覚めて、してはいけないやってはいけない起こってはいけない何かを始めてしまう。中学生と言えど行ってしまう。






 (思った以上にッ…………や、柔らかいッ…………)






 母親や妹以外の手を初めて触ったが――――――――――その感動や諸々の何々は想像以上だ。その想像以上に感じたモノが全て由良の手の温もりに凝縮されており、理性も気もしっかりと保っていないと、圭吾の方がアスファルトに倒れてしまう。




 ある意味、由良の手は圭吾を色々と殺しにかかっている。生クリームをずっと喉に詰め込み続けるような、そんな自覚無き終焉を圭吾に迎えさせようとしてくる。






 (ま、負けん…………負けんぞッ! 負けるワケにはッ!)






 だが、そんなザマになるワケにはいかない。男の子として由良にかっこ悪い姿を見せるワケにはいかない。由良に心配されるような事になってはならない。






 (今日のルークだ…………今日のオレのルークを思い出せ! マリアンヌを圧殺した、あのルークのように勝ってやるのだッ!)






 謎の鼓舞で圭吾はギクシャクしそうになる身体を懸命に制御し、乱れそうになる息のリズムを無理矢理整え、虹のように煌めき溢れ出そうになる感情にどうにか蓋をする。






 (………………耐えた…………オレは耐えている! 凌いだりッ!)






 圭吾の精神内では、サンタ・バーバラ北の孤島で起こった第三次大戦並に激しいドンパチが行われていたが、そのドンパチは圭吾が勝利した。精神のドンパチ具合が身体に出る事はなく、至って冷静を保てているのがその証拠である。




 これなら何も心配(何の?)する事なく由良を病院へ連れて帰る事ができるだろう。




 圭吾は内心ホッと安堵して由良の手を引っ張ろうとするが――――――――――――――――そこで思わぬ不意打ちが来た。




 由良が一言。ポツリと妖精の囁きのように呟いたのだ。






 「…………嬉しい」






 ザアッ、と激しい風が巻き起こったたような錯覚が圭吾を襲った。




 そう、錯覚だ。今この現実で風なんか巻き起こってはいない。だが、圭吾にとってはこの時、アレやソレな感情や思考を吹き飛ばす突風が一撃必殺の威力で発生したのだ。




 道路を走る車の音や、たまに通り過ぎる誰かの話し声、街の明かりで星が確認しにくい夜空、随分と暖かくなった外気、淡々と色を変えるだけの信号機、遠くから聞こえる電車の警笛。




 風が起こったこの瞬間、これら全ては由良を引き立てるための舞台装置になっていた。




 全ては先程の由良の発言ために存在する、世界の有り様。




 心という地面にくっきりと刻み込まれた感情の形。






 圭吾にはそう思えるくらいの衝撃が、由良の三文字にはあった。






 「フフフフ、こういうのいいよね。一度やってみたかったんだ」






 本当は圭吾がエスコートするはずだったのに、由良の足が先に出ている。牛歩のようになってしまった圭吾を引っ張るように歩き、でも繋いだ手は決して離そうとせず、由良は眩しい笑顔を圭吾に向けていた。






 「…………………………」






 だが、手を繋いだ当の圭吾は由良の衝撃から抜ける事ができず、ずっと顔を伏せている。そのため圭吾が話す時、由良を見る事はなく、目を合わせる事もなく、顔を上げる事も無い。




 今、由良を見ればみっともない顔を晒す事になるし、どんな感情がわき上がっているか不明状況にもなっている。由良を意識しすぎて息も何処か過呼吸気味になっているし、もう全てがわからず心地よい。




 この、圭吾にとって“未知の危機”とでもいうべき状態は自我や思考や精神を穴だらけにしており、今起こっている認識もあやふやにしている。






 「姉ちゃん…………」






 さっきの由良の発言で圭吾は原因不明の自身制御不全に陥った。今言った由良への発言も何処か現実感が無い状態だ。






 「ん?」






 だが、対する由良は何とも思っていないのか、圭吾とは対照的に何の変化も無い。




 手を異性に握られて「嬉しい」なんて発言をしたのに、さっきまでと態度が変わっていないのだ。




 表情には余裕があり、圭吾に話しかける声も至って普通だ。当然、握っている手が震えたりなんかする事もなく、言うならば“年上”というモノを圭吾に見せつけて(圭吾にそれを確認する余裕は無いが)いた。






 「…………ズルい」






 だが、圭吾はそんな由良を見る事ができなくても握っている手で察する事はできる。その“年上”というモノを本能で感じ取る事はできる。




 本能で感じたから――――――――ただ素直に発言できる。






 「えー? そうかなー? こんなのズルさには入らないと思うけどなー」






 圭吾の言った事も、圭吾の今現在の状態も察しているのか、少し意地悪に由良は言葉を返した。


 小悪魔の笑みと無邪気な子供の笑みを同居させながら圭吾の手を引き、からかいながら歩いて行くその姿は何処か――――――――――――そう、言うならば何処か嬉しそうだった。






 「お? なんなのなんの? もしかして私に期待してたのかな? モジモジと恥じらうお姉さんが見たかったのかな? でも、残念でした。私は今みたいな圭吾クンが見れて満足満足だけどね」






 「ぐ…………」






 何か言い返したかったが、由良に対して圭吾は黙る他無い。由良を見る余裕すら無いのだ。手だけは懸命に握っているものの、それ以外は完全に腑抜けている。こんな状態で強い台詞を吐いても、からかうネタにされて終わりだろう。いや、黙っていてもからかうネタにされるだろうが。




 由良にイジられつつ、普通に話もしつつ、でも顔を上げる事はできず、簡単な返事しかできず――――――――――――――――そんなこんなで時間が経ち病院までやってきた。






 「…………………………」






 「…………………………」






 終了一分前くらいから二人は話すことなく、手を握って歩くだけとなった。




 それで圭吾と由良の二人きりの時間は終わり。ここでお別れだ。紫から無理矢理与えられた貴重な時間だったので、もうこんな時間は過ごせないだろう。




 まあ、紫が今回のように気まぐれを起こせば別だが――――――――――おそらくそれは切り株にウサギがぶつかって死ぬくらいの確立に等しい。






 「じゃあね圭吾クン。また」






 圭吾の手から由良の手が離れる。




 正直、圭吾としてはずっと感じていたい由良の手の感触と体温だったが、さすがにゴールである病院についてからも握りたいとは思わない。いや、もの凄く握りたいと思っているが、そんなただのワガママを通すワケにはいかない。






 「うん、またね姉ちゃん」






 由良の手を離したため、圭吾の色々な内部は正常に戻っている。




 あの心地よい感覚はまた経験したいが、望むのはあまりに贅沢すぎるだろう。由良を独占したいと思う事に等しいのだから。






 「ねぇ、圭吾クン…………私頑張るからさ。私、何があっても絶対に頑張ってみせるから…………最後まで対戦してね」






 それは自身を祈っての事だったのかもしれない。






 「絶対に…………最後まで…………さ」






 由良の言葉は約束というより願望や懇願と言うべきモノで、圭吾に言う事で何かしらのジンクスにしているようだった。何があるかわからない自分が、大事な所で失敗しないようにと念じている。


 圭吾が大切にしている――――――――――――――由良も大切にしている――――――――――その約束が反故されないように。






 「もちろん」






 当然のように圭吾は返事をする。




 由良との約束は何よりも固く、絶対に破る事の無い、破るワケがない、圭吾の意思そのものだからだ。






 「あとね…………私…………スーパーアーサースラッシュ楽しみにしてるから」






 圭吾のそばから離れ、病院の中へ戻ろうとした由良が不意にそんな事を言い放つ。






 「私が言うのも変だけど…………決めてほしいな。期待してるよ」






 圭吾の健闘を祈っての言葉だったのだろう。暗がりで由良の顔は見えなかったが、声の雰囲気でそれはわかった。






 ――――――まあ、それにしては由良の声が高揚しすぎているような気がするが、気にしても仕方ないだろう。別にバカにされたワケではないし、そもそも由良はそんな事をする人物ではない。






 「明日頑張らないとな」






 由良が病院内へ戻ったのを確認して、しばらくしてから圭吾は病院を後にした。




 帰る際にスマホを開くと、紫からラインが届いていた。圭吾が教えた記憶は無いので、きっと奈菜瀬から聞いたのだろう。奈菜瀬とはラインのIDを交換している。




 紫からのラインを開くと、こんな文字が並んでいた。






 「手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。手を握ったくらいで調子にのんな。」






 「ヒエッ…………」






 どうやら、紫は後ろからつけていたらしい。まあ、普通に考えて完全に圭吾へ由良を任せる方がおかしい。尾行して当然と言うべきだろう。




 なので、バッチリ圭吾と由良のイチャイチャっぷりを見ていたようだ。おそらく、最初から最後まで。由良が病院内に戻るその瞬間まで。今この時も。






 「怖ッ! ど、何処で見てたんだよ! つか、暗いのになんでオレと姉ちゃんのやりとり確認できてるんだよ!?」






 尾行していて、なおかつこんな怨嗟のようなラインを送ったのにここへ姿を見せないのは、何らかの温情によるためなのか。






 「そう離れてない場所にいるはずなのにわからん…………アイツ何処でオレと姉ちゃんを見てたんだ………………それに、気になるなら紫も一緒に三人で病院に帰ればよかっただろうに…………」






 とにかく紫は今日の事を知っている。圭吾と由良が病院まで帰る際に起こった出来事を、バッチリしっかり間違いなく確認している。






 「…………明日以降のしごきが怖い」






 今日色々と沸き起こったであろう紫の鬱憤は、きっと練習の際にぶつけられるに違いないと思いながら、圭吾は家へと帰った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る