魔王イオス が あらわれた!

 とても長い遠回りをしてしまったけれど、シーンは冒頭に戻る


「わーーーわーーー! 魔王なんて! ウソでしょ! そんなの認めない!!」

 衝撃の事実を認めたくなくて、無駄な抵抗と分かっていながらも、耳を塞いだ。

 

「……証明してやろう」

 魔王を名乗った異形が、ふと、長い爪の人差し指を上にもちあげた。

(!?)

 にわかにシュィインと、歯科医師が使うドリルのような高い音が響いた。その太い指先に、高温の炎のような青白い光が集まってゆくのを、他人事のように呆けて見ていると、遅れて、ゴッと風が部屋中央に吹き込んだ。ろうそくが吹き消え、闇に落ちた部屋は、指先の青白い光によって眩しい程煌々と照らされる。机の日誌がバサバサとめくれ上がり、ペン立てが大きな音を立て倒れ、床に転げ落ちた。わたしは暴れる風に髪の毛とローブのフードを慌てて抑え込む。


「ちょ……ちょっと……! ウソぉ!?」

(魔法を撃つ気だ!)


 そう分かった瞬間、背筋が凍った。それを放たれたら、自分も王宮も、ただでは済まない。

「ちょ、何! やめてください!」

 こうして慌てている間にも、魔力が風となってみるみる魔王の指先にあつまっていく。台風並みの暴風にふっ飛ばされそうになって思わず柱を掴んだ。信じられないことに、足元がふわりと浮いた。こんな表現、ギャグ漫画でしかみたことがない。


「ぎゃーーーーーーーーーーー!!」


 いよいよ死を実感した。これ、絶対だめなやつ! 絶対終わるやつ!

「や、やめて! やめてください!!」

 轟々と耳元で風を切る音がうるさくて、噛み付くように叫んだ。

「魔王の魔王たる所以を、見せてやろう」

「自己紹介が物騒すぎます! 名刺交換とか、もっと他にあるでしょ!」

「訳のわからないことを、抜かすな」

 その通りだ。魔王が鎧の内ポケットに名刺を忍ばせているわけがない。

「分かった! 十分魔王だってわかりましたから!! 魔法、やめてください!!」

「…………」

 魔王は黒い顔をこちらに向けて、わたしの表情をさぐるように黙った。

「ほ、本当です! 完全に信じました! あなたはイオス! 魔王イオスその人!」

 しかし、魔王は魔力を止めようとはしない。

「〜〜〜〜このままわたしを殺したら、分かるものも分からなくなりますよ!! そんなの嫌でしょう!? も、もう手が限界です〜〜〜〜!! たすけて〜〜〜〜!!」

 わたしは頭に思い浮かぶ限りの、ありとあらゆる口実を叫んだ。

「…………」

 魔王は、不服そうな長い沈黙の後、爪の長すぎる人差し指をスッと降ろした。

 緩やかに光と風は静まって、代わりに嵐の後のようなぬるく湿気った空気が部屋の中を満たした。高く長く続いた音も、電源プラグを突然抜かれた掃除機のように、にわかに失速して、やがて止まった。


「…………」

「…………」


(あ、……危なかった……!)

 ドッと汗が吹き出た。

 あれが本当に放たれたらと思うと、一体どうなっていたか。

(絶対いま、一回死んでたよ……!)

 魔法に詳しくないわたしだけれど、そういうことだけは、本能で分かる。胸が早鐘を打ち鳴らして痛いくらいだ。

(ほんとに……、ほんとにほんとに本当の魔王……)

 ほんの少し、異形は軽く指を持ち上げただけだった。濃厚でけぶるような魔力が、あの黒い爪先一点に集まった。稲光のような青白い光。あんな凄そうな魔法、先鋭たちが集う黒魔道士隊の演習でも見たこと無い。

(信じたくないけど、信じたくないけど……!)

 冷や汗が、背中を冷たくじっとりと濡らした。

 わたしは本当に、本当の本当に、やらかしてしまったようだ。


(勇者を召喚するつもりが、〈魔王〉を召喚してしまった―――!!)





 ……などと、脳内でムンクの叫びをあげている暇も無い。ピンチは目の前で、事件は現場で起きているのだ。

 魔王がガシャンと鎧を揺らして、更にこちらに一歩近づいて来たのだ。

「ぎゃーーーーー! こ、こっちこないでください!!!」


(逃げなきゃ!)


 魔王と対峙して、勝算などある訳がない。自分はスキルなしの〈ハズレ異世界人〉で〈ハズレ召喚士〉だ。対抗できるスキルも、自身の代わりに戦ってくれる召喚獣もない。たたかう・しょうかん・どうぐ・にげるの選択肢があるなら、「にげる」の一択、十六連射だ。

 シャカシャカと昆虫のように手足を動かして地面を這い、この部屋唯一の出入り口である扉の方に向かう。しかし、逃げるわたしを大きな黒い手が追い捕まえた。


「いやーーーーーーっ!!!」

「話す、だけだ」

「グエッ」


 魔王が、召還着のフードをヒョイと指先にひっかけて引っ張ったのだ。わたしの体は小さな猫のように簡単に持ちあがってしまった。引っ張られたローブで襟ぐりで喉が締め付けられる。苦しさに目を白黒させている間にも、眼前にのっぺりとした黒い顔が近づいた。自分の表情を探るように、深淵がこちらを覗き込んでいる。


「静かにしろ」


 ゆっくりと、静かな声で魔王は言った。


「大人しくすれば、危害は加えん」


(信じられるかーーーー!)

 直前まで目一杯危害を加えておいて、どの口が言うのだ! 口、ないけど!

(せめてもっと善いモンのキャラデザをしてから交渉をしてほしい!)

 黒と赤の威圧的な鎧をチョイスした時点で、善いキャラであるはずがないのだ。〈世界の理〉を騙せても、日本からの転移者の目は誤魔化せない。こちとら離乳食より先に二次元を摂取して育っている。キャラデザの要素なんてものは、息をするように読み解けるというもの!


 わたしはこれ以上首が締まらないように襟元を手で抑え、足をバタバタと動かして抵抗した。しかし、魔王の腕は丸太のように太く、びくともしない。


「離して……ッ! 離してください!!」

「俺に、一体何をした」


 魔王の鎧はまたガシャリと大きな音を立てて、わたしをさらに高く吊し上げた。ぐんと視野が変わる。下を見ると、自分の革のブーツの足の向こうに、遠く離れた石床が見える。


(ひ……!)

 ゾッとした。落とされたら、擦り傷では済まない高さだ。

(やっぱ、……危害……っ、加える気、あるじゃん……っ!)

 脅しの意図を汲み取って、いよいよわたしは縮み上がる。


「や、や、やだ、やだ!」

「話せば、放してやる」

「〜〜〜〜〜っ」


 話せと言われても、こんな状況では頭もろくに回転しない。わたしは頭に浮かぶ単語をでたらめに繋いだ。


「わ、わたし……―――あっあっ、あなたを、召喚魔法で、召喚したのは、わたし……っ、また失敗しちゃったけど……! でも、喚んじゃったのは、取り消せない!」

「……『召喚魔法』……?」

 魔王が、物憂げな声色でオウム返しした。


「……『召喚院』、『召喚士』、『召喚魔法』……。なるほど、非力な人族が、他者を使役するために使う『召喚』とかいう、他力本願の術式のことだな」

 わたしは吊るし上げられたまま、コクコクと頷いてみせた。

「詳しく話せ」

「〜〜〜〜っ」

 宙に吊るされたまま、話せるわけがない。降ろしてほしくて、足をばたつかせ、体を捻る。余計に喉元に重さが掛かり、苦しい。

「…………」

 それを見てか、魔王は伸ばした腕をゆっくりと下げ、わたしを地面へと降ろしてくれた。革のブーツの底がコトリと音を立て地面にあたる感触がすると、どっとへたり込んだ。酸素を貪りそこねて咳がこみ上げ、苦しさに涙が浮かんだ。


 魔王は、そんな座り込んだわたしのそばに、ガシャリと膝をついた。

「人族の召喚術には、拘束力があると聞いている」

「…………」

「拘束とは何だ。具体的に話せ」

 黒い首だけをぬうと伸ばし、黒い角の頭が近づいた。

「…………っ」

 目をそらしても、現実逃避しても、この眼の前の魔王は、自分の我を通すつもりだろう。わたしは恐怖でわななく口元を両手で必死に抑えて、震えながら声を絞り出した。


「……こ、こっ……〈ことわり〉の力……」

「〈理〉?」

「せ、……せ、〈世界の理〉の拘束を……受けます……っ。呼び出した人があるじ、になって……、ええと、危害を……、召喚獣は、主に危害を与えることができない……」

「アルジ……?」

 いかにも不服そうな、低い声色だ。

「わっ、わっ、わたしのせいじゃないです! 文句は〈理〉に言って!」

「…………」

 黒い顔面の顎に長い指をかけて、思案に耽るようなポーズをした。

「……ふたつめは……、えっと、〈使命〉、です。召喚獣は召喚士に与えられた〈命令〉を果たすまで……、元の場所に還ることができないって……いう拘束があります」

「還れない……それも〈理〉か」

「…………」

 

 魔王はふいと闇色の顔をそらした。

 横顔はまるで、平たい黒いお面でも付けているようで、その黒いだけの相貌からは、まるで表情が読み取れない。


(……黙っちゃった……)


 沈黙する横顔は、先の事を思案しているようにも見えたし、状況にショックを受けているようにも見えた。もちろん、光を吸い込み凹凸すらも判別できない顔からは、感情らしきものは計れない。しかし、一度ショックを受けているように見えてしまえば、魔王の横顔は、酷く沈痛な面持ちに見えてくる。

 もちろん、真意はわからないけれど……。


(ま、魔王も……、国に帰りたいって思うのかな……)


 魔国ゲヘナがどんな国なのか、自分はなにも知らない。魔王がそこに何を残してきたかなんて、想像することもできない。

(魔王にも帰りたいお家があるのかな……)

 誰だってみんな、故郷から無理やり引き剥がされるような真似をされたくないだろう。スライムだって、魔王だって、自分の家が恋しいはずだ。

(少なくとも自分は、そう思ったし……)

 異世界転移の初日は混乱して取り乱して、泣けて泣けて仕方なかった。とてもすぐには、残酷な事実を受け止めきれなかった。

(この、魔王サンも……同じ状況に……)

 目の前の異形を、自分と同じ「帰れない」という境遇に落としてしまったと思うと、少し胸が痛んだ。もちろん魔王の事は恐ろしい。人国と敵対している王だし、きっと、安く同情を向けるべき相手ではない。

 けれど、自分の失敗のせいで、〈理〉の鎖で縛り付けてしまったと思えば、どうしても申し訳ないという気持ちが湧いてきてしまう。

(わたしのせいで……)

 そうして沈黙を共にすごすうちに、ひとつのことに思い当たった。

(そうだ、わたしが召喚したんだから……召喚獣……)


 自分が召喚してこの魔方陣を経由した以上、あらゆる魔物が下僕しもべとなる。スライムだろうが、ゴブリンだろうが、――それらの全ての魔物を統べる魔王だろうが、〈理〉という無情な運命の鎖にしばられて、使命を果たすように強要されるのだ。

 そして、召喚獣はみな、あるじである自分を害することはできなくなる。スライムがわたしに噛み付くことがないように、魔王だって……、同じはず。


 今一度、改めて魔王を名乗る異形を見た。相変わらず、のっぺりとした顔面から何を考えているか分からない。けれど、殺そうと思えばいつでもわたしを殺せたはずだ。逃げようと思えば、部屋の壁を魔法で爆破して、いつでも去れた。それなのに、今も静かにわたしの隣で膝をついたままである。


(……)


 ひょっとして、目の前のこの大きな異形は、腰を抜かす程恐ろしい存在ではないのかもしれない。特に、召喚したわたしにとっては。


「おい」

「ぅはああイ!!!」

 長い長い沈黙を破って急に話しかけてくるから、驚いて変な声が出てしまった。魔王はそんなこちらの事情を全く無視して、続けた。

「俺に何を願った」

「?」

「俺に課した、〈使命〉の条文はなんだ」

「じょ、条文?」

「この魔法陣」

 魔王は部屋中央の魔法陣を不気味に長い指で指した。

「この術式の一部は、契約魔法の陣に似ている。しかし、肝心の対象指定の記述も、〈使命〉の記述も、まるごと抜け落ちている。それなのに術は成立し、あろうことかこの『俺』を魔国ゲヘナから喚び出している。――ありえないことに成功している。だとしたら、お前が個別に何らかの術式を持っていて、穴を埋めたとしか考えられん。何をした」

「え? ちょっと何を言っているのかわかんないです」

「…………」

 魔王は、再び黙り込む。流れる沈黙は先程よりもずっと気まずく、暗い室内をますます陰気にするようだった。わたしはなんとなく、思い当たることを小さく口にした。


「……わたしはただ、『平和をもたらす勇者さま来て〜!』と大声で叫んだだけで……」

「…………」

「…………」

「俺は、魔王だ」

「ええと……ハイ……知ってます」

「俺は、魔王、だ!」

「ぎゃーーーーやめてください!! 頭をぎゅって掴むのやめてください!」

「勇者を喚ぶつもりだっただと!?」

「ええと」

「まさかと思うが、失敗した結果がコレか!!?」

「ええと、ええと」

「しかも何だ、『平和をもたらす』!? まさかそれが俺への〈使命〉じゃないだろうな!!」

「ええと、ええと!」

 どうしよう、怖い。いくら〈理〉の支配下で危害がないと分かっていても、魔王に恫喝されれば当然恐怖だ。今すぐ「違います」と返答したい。

 頭を高速回転させ、召喚したときの記憶をキュルキュルと巻き戻す。しかし、セピア色な記憶の中で、自分は確かに高揚して様子でこう言っていた。


 ――――「あなたに世界を平和にして頂きたくてお喚びしました! どうかわたしにお力を貸してください!!」と ――――


(あ……あああ!)

 

 しかも、自分のセリフの直後、ご丁寧に魔法陣が光っていた。温かい太陽の光みたいな光だった。まるで、スライムにお仕事を言い渡す最終工程の時のように。了承したと言わんばかりに……ピカーーーって。


(召喚獣・魔王イオスへの〈使命〉は、『世界を平和にする』ことになっちゃってる!?)


 そう考えると、色々と、辻褄があってしまう。

 「世界を平和に」って。まさか。御冗談でしょう、魔王を相手に!


 わたしは、汗を滝のように流しながら、こわばる笑顔で言った。

「あ、あれえ……? おおお、おかしいな……。そんなつもりなかったんだけど、ひょっとして、確かに〈使命〉、『世界平和』になっちゃったみたい……」

「…………」

 表情がない魔王だけれど、この沈黙の意味だけは分かる気がした。怒っているのだ。


「……ハハ〜。魔王に『世界平和』とか、笑えますよねえ〜」

「笑えるか!!」

 頭に乗せられていた魔王の大きな手の平が、ズシンと重くなった。

「この始末、どうしてくれる!!」

「ぎゃーーーー! ご、ごめんなさいーーー!!」

 わたしは魔王にこめかみをグイグイと責められ、涙をうかべた。



 わたしは、この先ずっと自分は「その他大勢」で終わるとと思っていた。どこに行っても、――たとえそれが異世界の人国ヴァルハラであっても、「その他大勢」の人生を送ると思っていた。カラッポで、語る武勇伝も持たず、抜きん出た何かも無く、凡庸に暮らすのだと。それなのに。それなのに。


 わたしは魔王を倒さないと帰れない。

 魔王は召喚獣として〈使命〉を果たさないと帰れない。

 おおよそ凡庸とはいえない運命が、突然回り始めてしまった。


(ど……どうしよう……!!)


 始末書には書くことが出来ない物語は、まだまだ今後も続きそうだ。


《2話続く》

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ハズレ召喚士の始末書日誌〜勇者と間違えて魔王を召喚してしまいました〜 @chimomomo

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