第36話 新たなる挑戦 合宿一回戦
アップをとった後、午前九時。
光陵の第一グラウンドには明鈴と鳳凰の二校が並んでいた。
「礼!」
この試合で主審を務める水色学園元主将の天野晴の声により、両校とも一斉に挨拶をし、それぞれ散らばった。
鳳凰の選手は把握できていないが、数人は元々の知り合いだ。それに加えて昨日の練習の際にも、多少の情報は仕入れてあった。
一番キャッチャー
二番ピッチャー三好夜狐
三番ショート白夜楓
四番サード
五番センター
六番ライト
七番レフト
八番セカンド
九番ファースト
渡されているスターティングメンバー表を見てもさっぱりわからない。
キャッチャーに入っている紗枝は小柄で、どちらかと言えば小回りの効くため外野の方が向いている気がする。元々セカンドのため、どちらかと言えば内野の方が向いていると思うが。
五番の舞のバッティングセンスはわからないが、ショートで足の速いタイプだった。打順も上位で良いのではないだろうか。
昨日の練習で少し見ただけのため、特にセンスの光った二人にしか注目できなかった。巧が考える打順はもう少し違ったものになるが、鳳凰の選手全員の能力を把握できているわけではない。
しかし監督を務める琉華には当然考えはあるだろう。未知だからこそ怖さもあるが、ミーティングで話していた通り、色々と試していきたい。
「プレイボール!」
主審の声によって試合が始まる。
この試合の審判は、明鈴と水色の三年生たち六人と、四校の中で人数が多い光陵から二人が務めている。
二試合が同時に行われているため、水色と光陵の試合はどうなるのだろうか。そう気になるところでもあるが、巧は自分たちの試合に意識を集中させていた。
先頭打者の陽依が打席に入る。
鳳凰の先発は夜狐。つまりメインでピッチャーをしている選手だ。
明鈴は煌を先発としているため、リリーフとしてメインでピッチャーをしている選手を投入する形だ。最後をしっかりと締めるという試合展開にしたいため、今回のような起用をしていた。
それとは対照的に、鳳凰が先発にピッチャーをメインとしている夜狐を起用しているということは、序盤を締めて勢いをつけたいというところだろう。
真逆の戦術をとっている両チーム。そもそも特殊な試合形式なだけあって、どちらが正しいとも言えない。
相対する両チームの開戦となる初球。
マウンド上の夜狐には『様子見』というものはなかった。
「ファウルボール!」
えげつないコース。左打席に立つ陽依に対し、いきなり内角低めの際どいコースへと夜狐は投げ込んだ。
そしてその球を陽依はカットした。見送っても良い初回の先頭打者への初球だが、あえてそれを
お互いにプレッシャーを掛け合っている。その打席の決着がついたのは、六球目のことだった。
「センター!」
二遊間を破る綺麗なヒット。
センターの舞が捕球する様子を見ながら陽依は軽くオーバーランするが、もたつくことなく捕球したのを見た一塁へと戻った。
「ナイスバッティング!」
先頭打者の出塁……しかも球数を投げさせた上での幸先の良いヒットに、明鈴ベンチは盛り上がる。
今までは上位打線が安定していたからこそ、この陽依を下位打線に回すことができ、それが打線の厚みを増す要因ともなっていた。
たった一打席とはいえ、一番打者の役割をしっかりとできている。下位打線に眠らせたままはもったいないとも思えた。
由真に代わる一番打者の有力候補は光だが、タイプは違えど打順もポジションもライバルの位置にいるのが陽依だ。お互いに高め合う存在であってほしい。
特別ルールのため、夜狐は一イニング限りでマウンドを降りることを考えると勢いづくテンポの良いヒットの方が良いのかもしれない。しかし、相手のリズムを崩す嫌なヒットには変わりない。
まだ新チームとなって起用も安定してはいない。
この試合で新たなポジションへと挑戦し、この合宿で新たなことに挑戦しながら実力を磨く。それと同時に巧も、この試合で新たな起用法を取り入れ、この合宿で新たな戦術を吸収しなくてはいけない。
楽しみでありながらも、プレッシャーを感じていた。
試合は進む。
二番の白雪は一二塁間への進塁打となり、ワンアウトとなったもののチャンスを作る上々の試合展開だ。
しかし三番の伊澄は、セカンドランナーの陽依が動けないサードゴロとなり、チャンスながらもツーアウトとなった。
そして四番の司は……、
「ショート!」
二球で追い込まれた後の決め球……ナックルを上手く掬い上げる。
打球はショート後方、レフトとセンターとショートの間への絶妙な当たりだ。レフトの都とセンターの舞は若干反応が遅れて届かないと判断したのか、バックアップに回る。ショートを守る楓だけが打球を追っていた。
セカンドランナーの陽依は三塁を大きく回り、本塁へと突入する体勢だ。この打球が落ちれば確実に一点。ただ、楓は砂埃を上げながら打球に向かって滑り込んだ。
その砂埃が晴れると、打球を掴んでグラブを掲げる楓が姿を現す。
「……アウト!」
ヒットゾーンに落とすような惜しい当たりではあったが、楓の好プレーによって阻まれた。
だが、相手が夜狐ということを考えれば想定内の展開でもあった。
「……よし、行ってこい」
巧は選手たちを鼓舞し、初めてマウンドに上がる煌の背中を押す。緊張が伝わってくる背中だ。
後ろが守ってくれる。
そう言いたいところだが、それも今回ばかりは言い切れない。
キャッチャーやファーストのように専門のミットがあるポジションを守る選手であれば、どのポジションも守れるオールグラウンドのグラブを持っている人も多いだろう。明鈴だと司がそうだ。そして陽依のように全ポジションを守ったり、亜澄や瑞歩のようにファーストや内野、外野をも守る選手であれば各ポジション適したグラブを持っている。
しかし、それ以外の選手のほとんどは、内野手用のグラブで外野を、外野手用のグラブで内野を守ることとなる。キャッチャーとファーストは部内に共用のミットはあるが、慣れないポジションということと適していないグラブということで守備に関しては巧も自信を持てなかった。
それは鳳凰も同じことではあり、さらには左利きの伊奈梨がサードを守っている。それだけ身体能力が高いということでもあるが、守備は不安定。
どのチームも同じ条件とはいえ、応援以外に巧が鼓舞する術がない。
しかし、この試合のキャッチャーであり、チームの副キャプテンでもある七海は違った。
「煌もそうだけど、私も、他のみんなも慣れてないポジションなんだよ。私たちが支えていこう」
七海も自分のことで手一杯だろう。それでもチームを気にかけながら煌を鼓舞する。短い期間でも、チームの最上級生として、副キャプテンとして少なからず成長を実感していた。
鳳凰の上位打線は強力だ。
一番の紗枝はわからないが、二番の夜狐、三番の楓はバッティングセンスに溢れており、四番の伊奈梨は投打ともにチームの主力だ。
伊奈梨はピッチングが一番の魅力ではあるが、細身の体から放たれる打球は鋭い。飛距離も十分ホームランを狙えるほど。力で飛ばす亜澄や瑞歩をパワーヒッターと呼ぶなら、伊奈梨は技術で飛ばすアーチストだ。そのスタイルは琥珀と似ている。
そしてもう一つすごいところを挙げるなら、出身がシニアではなく中学の硬式野球部でありながら、三年生次には日本代表に選ばれているということだ。
そんな伊奈梨と相対しているということに、マウンドに立つ煌以上に巧は緊張しているかもしれない。
一番の紗枝が打席に入る。初球から徹底的に粘っていく打撃だ。
しかし、煌も負けていない。
その持ち前の肩から繰り出される球は、軟投派……変化球を中心とするピッチングスタイルとはいえ伊澄と同じくらいか、もしかしたらそれ以上の球速を誇っていた。
また、要求通りの低めのコースに決めている。そのコントロールは、フォームが違うとはいえ、送球で培った力かもしれない。
変化球はない。ストレートで押すことが、今の煌に唯一できることだ。
それにバッターの紗枝もくらいつく。丁寧に低めを突く球を完璧には捉えられないものの、ストライクはカットし、ボールは見送る。
煌の球自体は良い。ただ、機械的に低めを突くだけの配球に、終わりの見えない打席だ。
しかし、ツーボールツーストライクとなった五球目、今までの四球とは全く違う球を煌は放った。
「ストライク! バッターアウト!」
紗枝のバットは空を切る。そして七海の構えたミットは……高め。そこに白球が収まっていた。
「ワンナウト、ワンナウトー!」
低めから高めという単純な配球。それでもストレートの球速を利用し、さらには
よほどストレートに自信がない限りは、普通なら球種が読まれていることを考えれば高めなど投げられない。見せ球すら投げないことで、相手にも
博打のように思えるが、考えている七海の強気のリードに、巧はベンチで息を呑んでいた。
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