第12話 最善のリード 選抜vs光陵

 一回の表は結果的に三人で終わる。

 打ち取られた当たりではあったものの、一番の夜空がヒットで出塁し、二番の琉華は三振、三番の珠姫がゲッツーで攻撃終了だ。


 そして光陵の攻撃。

 まずは一番の咲良が打席に入る。

 ほとんどが一、二年生の光陵だが、去年は二年生だけで甲子園に行くほどの実力を持っていた。

 それでも琥珀は当然ながら、この咲良と、奏は一年生ながらレギュラーだ。


 打撃中心に考えられたオーダーで一番に入っているというのは、それだけで十分な打力があるという証拠だ。それは二番に入っている奏も同じことが言える。

 三番の流、四番の琥珀、五番の恭子は言わずとも知っている実力のある選手のため、まずは咲良と奏をどう抑えていくかが鍵となる。


 マウンドに立つのは秀。

 秀は引退するまでは水色学園のエースだったため、その実力を疑う余地はない。

 ただ、組むキャッチャーが姉崎榛名さん。初めて組む相手だ。

 榛名さんも十年ほど前に甲子園に行ったこともある明鈴のOGで、当時の正捕手だったため、その実力を疑うはずもないが、ピッチャーの秀の投球も癖もわからないはずだ。

 一体どのようにリードしていくのか。


「落ち着いて一つずつなー」


 榛名さんは全体にそう声をかけ、マスクを被ると座った。

 余裕のある掛け声に、巧はホッとする。

 キャッチャーが小難しく考えていると、どうしてもピッチャーを含めて他の選手も堅くなってしまう。榛名さんの掛け声は、ゆったりとリラックスするもので、選手たちは心なしか動きが軽くなった。


 そして咲良が打席に入りバットを構えたところで、秀が投球動作に入る。

 まずはストレート。咲良は初球にも関わらず、いきなり手を出してきた。


「ファウルボール!」


 振り遅れて三塁側へのファウルだが、しっかりと当ててくる。

 逆に言えば、先頭打者で球筋を見たいにも関わらず、打ちにいったと言うことだ。


 実際、光陵の強さはそこにあった。


 明鈴は大きな歯車と小さな歯車を噛み合わせて上手く回すチームだ。多少の違いがあれど、水色もそうだろう。


 ただ、光陵は異質なチームだ。

 当然チームプレーはでき、連携も上手いのだが、強い『個』と『個』が合わさってチームが成り立っている。

 琥珀という選手を中心に、歯車ではない何かを無理矢理噛み合わせてできているチームが光陵だ。


 一番だから球を見るなんてことはしない。

 ただ打つこと。少なくとも攻撃においてはそのことしか頭にないだろう。


 普通のチームがかけ算なら、光陵は足し算だ。

 シンプルにただ強い。それはつまり、さらに強くなる余地があるということだ。


 咲良は二球目を見送る。カーブが低く外れてワンバウンドした。


 三球目、今度はスライダーだ。

 内角を抉るように変化する球に、咲良はしっかりと踏み込んで対応したが、強い打球はライト側へのファウルとなった。


 これで追い込んだ。


 そして追い込んでからの四球目、高めに浮いた球だ。咲良はその球を無理に当てにいき、ファウルとなった。

 ファウルはバックネットに直撃するもので、タイミングは合っていた。その証拠にほぼ真後ろへの打球だ。


 ただ、この球はただ浮いた球ではないだろう。榛名さんが構えたところを見る限り、わざと高めに……しかしボール球の釣り球だった。

 空振りを期待しての球だっただろうが、咲良は合わせてきた。


 ストレートが合わせられるのであれば、他の球種で戦えばいい。

 五球目、秀が放ったのは外角への球だ。しかしその球は、ミットに向かっている途中でカクンと落ちた。


 外角低めのスプリット。直前の高めの球から、一気に低めに持っていく。高低差を上手く利用した配球だ。


 しかし、咲良のバットはそれを捉えようとしている。

 球がバットに当たった瞬間、巧は動き始めた。


 二遊間後方へとフラフラっと上がった打球。夜空が追いつくかどうかだ。ただそれも確証はない。


「オーライ!」


 巧は声を上げる。

 その声に反応した夜空は打球を追いかける足を緩め、巧に任せた。


 打球の落下地点へと一直線に向かう巧は、その勢いを緩めずにスライディングをしながら落下地点へと入る。

 そして打球は、巧の構えたグラブの中へと吸い込まれていった。


「アウトッ!」


 巧は立ち上がると、そのままグラブトスしてボールを夜空に渡し、守備位置へと戻った。


 センターの方向からであれば、マウンドもホームもよく見える。

 打球が上がった直後の角度や打球の強さによって、落下地点を判断しているため、その動き出しの判断がしやすい。

 その判断に加え、高めの球の次に低めのスプリットを投げられてフォームを崩された咲良が強い打球を打てるとも思えなかった。


 様々な状況や条件から、巧は浅めのフライとなるという判断をした。

 だからこそ、普段よりも打球反応が早くできた。少しでも判断が遅ければ、この打球には追いつけなかっただろう。


 しかし、初見のスプリットに咲良は反応して、上手くセンター前に落とそうとしたのだ。


 以前の合宿もあり、スプリットがあることは頭にあったかもしれない。ただ、一般的に空振りしやすいとされるスプリットを、この日初めて見るにも関わらずに当ててきた。それだけではなく、ヒットにしようとしたのだ。


 対応の早さ。そして恐らく……勘の鋭さか。

 左投げでセカンドをしている時点で思っていたことだが、咲良は圧倒的なまでにセンスで溢れていた。


 そして二番に入っているのは、そんな咲良と同じく一年生ながらレギュラーを掴み取っている乙倉奏だ。

 守備の動きが良いというのはわかっている。それが奏の持ち味だ。

 それでも、二番に入っている時点で、神代先生にそれだけの期待をされている証拠に他ならない。


 咲良と奏。以前神代先生は二人を例に出し、尖った力を持っているため中学まではチームに溶け込めずに弾かれていたと言っていた。

 特筆した何かを、奏は持っているかもしれない。


 そもそもバッテリーはまだ噛み合っているわけではない。手探りの状態だ。

 ストレート、スライダー、カーブ、スプリット。それが秀の持ち玉で、それを全て投げた。……たった五球、咲良の打席だけで四球種の全てを投げた。


 巧は気がついた。それと同時にキャッチャーの榛名さんは、突然タイムを取った。

 そしてこのタイムの意図もわかる。


 咲良の打席、全ての球種を投げることで、榛名さんは秀の特徴を把握しようとしたのだろう。

 ただ、たった五球で把握できるものなのか。そんな疑問もあるが、タイムを終えて榛名さんは守備位置に戻り、早速初球へと移る。


 奏への初球。

 秀の放つ球は甘い真ん中のコース。しかし、そこから一気に低めへと変化すると、その球に奏でのバットは空を切った。


「ストライク!」


 初球からスプリット。先ほど咲良に弾き返された球を、躊躇なく使ってきた。


 そして二球目もスプリットだ。ただそれは低く外れてボール球となる。


 三球目。今度は真ん中付近から外角へと曲がるスライダーだ。

 奏はこの球を見送るが、榛名さんは捕球のタイミングで、構えていたミットを外側から内側に入れるようにしてミットに収めた。


「……ストライク!」


 これは上手い。ボール球を上手くストライクへと見せるようなキャッチングだ。

 司もしている技術ではあるが、榛名さんのものはスムーズで違和感を覚えないほどだ。


 ワンボールツーストライクと追い込んでからの四球目。

 選択したのは……高めのストレートだ。


 ただ、若干高いか。


 バッターの奏もそれを見切って見送った。

 しかし……、


「ストライク! バッターアウト!」


 司のコールが響く。


 明らかな誤審ではないか。そう思って見てみるが、確かに榛名さんのミットはストライクゾーンを捉えていた。

 見ていても気が付かないほど滑らかなフレーミングだ。秀の球はやや高めのボールゾーンギリギリを通過していた。

 それでも、ビタ留めに見えるフレーミングで、榛名さんは強引にストライクゾーンに持っていったのだ。


「ナイスボール!」


 榛名さんは声をかけて秀へと返球する。


 これほどの実力はプロでもそう多くはない。

 それなのに、何故プロになれなかったのか。……いや、ならなかったのか。

 不思議でたまらない。


 安定したリード。

 初めて組むはずのピッチャーとの意思疎通。

 フレーミングの技術。

 ピッチャーの気持ちを盛り立てるようなキャッチングで、ミットの音を気持ちよく響かせている。


 三番の流が打席に入る。

 しかしその流は、ストレートで押し切った直前の奏の打席とは対照的に、初球の外角からやや甘めの真ん中低めへと変化するカーブを打たされ、レフトライナーに倒れた。


 リードは結果論。どれだけ素晴らしいリードでも、セオリー通りのリードでも、打たれれば愚策扱いされる。

 それでも、ピッチャーやバッターの特徴や癖を可能な限り把握し、最善に近いリードをする。

 巧は榛名さんの実力に、脱帽するしかなかった。

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