梓弓

イキシチニサンタマリア

梓弓

「梓弓」




 *宮仕 正 *新田 千代 *新田 勉 

 *新田 勇


 一幕




 1950年代後半、初夏。音楽。流行歌がラジオから流れている。


 明転。


 勉、勤め先から帰ってきたばかりの様。千代、夕食の支度。

 勉、ラジオから流れる流行歌を口ずさむ




千代「あら、今日は何だか上機嫌じゃありませ んか」


 勉「そう見えるか」


 千代「ええ、いつもより楽しそうですわ」


 勉「それじゃあ、まるで私がいつも不機嫌みたいじゃないか」


 千代「そうですよ。もっと、私といるときも明るい顔してほしいものです」


 勉「いってくれるな」


 二人じゃれついている。


 勉「今日は魚か」


 千代「ええ、アジが安かったので。あと、トマトとお味噌汁と白米です」


 勉「いいねぇ、白米と魚でしっかりと食べられるっていうのはいいね。配給じゃこうは行かなかったよ。」


 千代「そうですね。お腹いっぱい食べてしっかりと稼いでいただかなくちゃ」


 勉「昔、とある判事が闇市を止めるために「配給を守ろう、闇市はよくない」と言って、配給のみで生活してみんなに判を示そうとした結果、餓死してしまったなんてことがあったんだからね」


 千代「なんです、今日はそういう話ばかりで」


 勉「今日役所に帝国軍人が来たんだ」


 千代「今頃軍人さんだなんて、一体何の話です」


 勉「終戦の時大陸にいた帝国軍人が、シベリアに抑留者としてとらえられていたんだが、それがこの間の条約で帰郷することができたんだ」


 千代「この間といったって、去年の話じゃないですか」


 勉「ああ、ここまで来るのに一年近くかかってしまったみたいだ。十年ぶりの帰国だそうだ」


 千代「へぇ、めでたい話じゃないですか。もしかして、今日機嫌がいいのって」


 勉「そういうことかもな」




 勉、着替えしに去る


 正、登場。服装はぼろぼろである。呼び鈴を鳴らす。




 千代「はーい」




 千代、夕食の支度をやめ、ラジオを消して扉を開ける


 正「千代さん」


 千代「はい、え?」


 正「御久しぶりです…無事で何よりでした。」                    千代「正さん」


 正「よかった、この10年あなたのことを想って…それだけが…やっと会えました。ソ連から帰国してからこの千葉まで、辛いことばかりの長い道のりでしたが…私は十年たってもあなたを愛しています」


 千代「私は…何よりも御無事で何よりでした。あの戦争から助かったんですね」


 正「あなたにもう一度会いたい、ただそれだけを一心に」


 千代「私も、もう一度あなたに会えて嬉しうございます。もう二度と会えないものだと思っていましたから」


 正「ええ、私もそう思っていた時期もありました」


 千代「沢山の方がなくなりましたから」


 正「沢山の友が戦場に散りました。戦場とは面白いもので、心根の良い者から命を落としていくんです。そう考えると私は生にしがみついた極悪人ですよ」


 千代「そんなことございません。生きていることが悪いなんて、そんなおかしな話ありませんよ」


 正「そうですか。そう言ってもらえると生きてきたかいがありますね」


 千代「どうしたんですか。何だか弱気じゃないですか」


 正「命なんか軽いものですから」


 千代「そういうのはやめてください、飢え死にする人だって多かったのに、よく生きて」


 正「色々なものを食べましたよ。蛙、蛇、セミ、等々」


 千代「やめてください、聞きたくありませんよ」


 正「ですよね」


 千代「此方まではどのようにしてお越しになったんですか」


 正「日雇いをしたり、中期的に雇ってくれる肉体労働で稼いで電車や、車に乗せて頂いたりして」


 千代「そうでしたか、それは本当に長い旅路でした」


 正「長くなんてないですよ。あのシベリアを耐えたんですから」


 千代「ソ連はいかがでしたか」


 正「あそこは地上の地獄ですね、戦前の日本がよく見えるほどでした。共産主義とは何なんですかね」


 千代「そういうことを言うのはやめてください。なんだか、今日はどこもかしこも政治の話ばかりですよ」


 正「どこもかしこも?そうでしたか、それで、両親は元気に過ごしてますか?」


 千代「正さんが旅立った後一刻も早く帰国時に会えるようにって、九州に向かいました。その後のことは…」






 勉、戻ってくる




 勉「おまえ、誰か来たのか」


 千代「あなた」


 正「あ、」


 勉「君は、今日役所に来た」


 正「はい。宮仕正です」


 勉「新田勉です」


 正「もしかして」


 勉「ええ、私の家内です。お知り合いだったんですか」


 正「はい…千代さんとは古い知り合いで」


 勉「そうですか、頼るところがあってよかったです。何なら今日寄っていきませんか」


 正「いえ、他にもよるところもありますから」


 勉「そうですか。ぜひまた寄って行ってください」


 正「はい、また。千代さんも」


 千代「ええ、お元気で」




 勇、奥から出てくる




 勇「お母さんご飯まだ」


 千代「勇」


 勉「少し待ちなさい」


 正「勇…」


 勉「息子の勇です」


 正「そうでうすか。元気そうでなによりです」


 勉「元気すぎて困っているくらいですよ」


 正「親御さんの、育て方がいいからですよ」


 勉「そうですか?そう言っていただけると、うれしいものですね」


 正「では、私はこれで失礼します」


 勉「ええ、ご達者で」




 正、去る




 勉「そろそろ、飯の準備も終わったか?」


 千代「はい。では、ご飯にしましょう。」


 勇「はーい」




 夕食。




 勇「僕だけ、お魚丸ごと食べちゃっていいの?」


 勉「父さん達はそんなに食えないんだよ。私たちは仲良しだからな、二人で一つさ」


 千代「あなた、よしてください」


 勉「なんだ、恥ずかしがっているのか」


 千代「違いますよ、勇の前ですから」


 勉「成程な」


 勇「お父さん、なんかしたの?」


 勉「何でだ?」


 勇「お母さんがしおらしいから」


 勉「してないぞ、多分…」


 千代「何ですか、私は元々しおらしい大和なでしこですよ」


 勉「よく言うもんだよ、普段の自分を見てないからそういうことを言えるんだ」


 千代「あら、あたりまえじゃありませんか。自分のことを外から見れる人なんていませんよ。それに、あなたが私に婚約する時淑やかで美しい女性と仰ったじゃありませんか」


 勉「ふむ、言ったかな」


 千代「仰いましたよ。女は褒められたことは忘れません」


 勇「よそのお家は、お父さんの方がもっと引っ張ってるってみんな言ってるよ」


 千代「他所は他所、家は家ですよ」


 勇「そういうものなの?」


 勉「いや、家だって俺が引っ張ってるだろ」


 千代「そうですよ、私はこの人を尊敬しておりますから」


 勇「そうはみえない」


 勉「何を言うんだ!たまたま、お前の前だとそういうところが見え易いだけだ」


 勇「本当?」


 勉「おう」


 千代「勇、あまり他所様にうちの話をするもんじゃありませんよ」


 勉「そうだぞ。それと、他所の話を家でもするんじゃない」


 勇「なんで?」


 勉「羨ましいだろ」


 千代「惚れたものの弱みですよ」


 勉「勇、いいか。結婚する時は相手を惚れさせて、最後に自分から思いを伝えるんだぞ。父さんが教えられるのはそれだけだ」


 勇「うん、わかった」


 千代「二人ともなんですの」




 笑い




 勉「そういえば、正君は、どこに向かったのかな」


 千代「気にかかりますか」


 勉「そりゃあそうだ、泊まるところだってないだろうに」


 千代「あ、」


 勉「あじゃないよ。まあ、他のところも回ると言っていたし な。大丈夫だろうけど」


 千代「そう」


 勇「さっきの男の人誰だったの」


 勉「母さんの古い知り合いらしいんだよ。軍人さんだったんだぞ」


 勇「軍人か。」


 勉「どうした?」


 勇「軍人って悪い人だったんでしょ。たくさんの人を殺したって、学校で習ったよ」


 千代「そんなことありません」


 勇「でも、先生が」


 千代「正さんは優しい人です。あんたがそういうこと言っちゃいけません」


 勇「でも…」


 千代「学校の先生が何でも知ってるんですか?じゃあその偉い先生たちは戦中何をなさったんですか。」


 勉「まあまあ、勇もお母さんの知り合いなんだからそういうこと言っちゃだめだぞ」


 勇「ごめんなさい」




 間




 勇「御馳走様でした」


 千代「はい」


 勉「御馳走様」


 千代「お粗末様です」




 勇、去る


 勉、ラジオをつける


 流行歌


 勉、お花摘み


 千代、夕食の片づけをしている


 千代、りんごの唄を口ずさむ。


 勉、も乗っかる




 千代「今日はずいぶんとご機嫌ですね」


 勉「いいだろ、たまには」


 千代「お酒でも召し上がってきたんじゃないでしょうね」


 勉「なわけあるか、そんな金があるなら貯金する」


 千代「堅実ですこと。流石学歴がある人は違いますわ」


 勉「だろ、世の中は無知な者から死んでいく。激動の時代を生き抜くには、賢く生きなくてはな」


 千代「それじゃあ私たち女は、良いように死んでいくんですわね」


 勉「そんなことはないよ。誰だって、何時からでも学び始めることができるんだ。謙虚な気持ちを持っていればだがな」


 千代「じゃあ、あなたには無理ですわ」


 勉「なんでだい」


 千代「謙虚さが足りないんじゃなくて」


 勉「君は本当に意地が悪い」


 千代「そういところが好きなんでしょ」


 勉「私が惚れたときは、もう少し淑やかだった気がするんだがな」


 千代「被ってる面に騙される男が悪いんですよ」


 勉「いうじゃないか」




 片づけが終わり、二人並んで座る




 千代「あなた、最近勇が少し元気すぎる気がしませんか」


 勉「そうだな、でも元気があることは良いじゃないか」


 千代「有り余った勢いで何か問題を起こさないといいんですが」


 勉「問題といったって、子供同士のけんかだろ?それに大人がどうこう言うことじゃないだろ」


 千代「そうは言いますけど、これからのことを考えると何か手を打った方がいいんじゃありませんか?」


 勉「手を打つって、別に今のままでもいいじゃないか」


 千代「この間学校で勇が殴り合いのけんかをしたという話を聞きました」


 勉「ふむ、」


 千代「私は、もう少し人とのかかわり方を勇に知ってい欲しいんです」


 勉「そんなの、少しずつ学校で学んでいけばいいだろ。大人になるにつれてそういう物が分かるようになるんだ。親がどうこう言うことじゃない、自分で経験いて学ぶことだよ」


 千代「あなたはどうやって学んだんです」


 勉「私は、兄弟がたくさんいたからな。お前はどうだったんだ」


 千代「私も、妹がおりましたから」


 勉「勇にも兄弟でもいればいいんだが」


 千代「ええ、」


 勉「そうか…」


 千代「如何ですの?」




 間




 勉「君には本当にかなわんな」


 千代「いやならいいですわ」


 勉「いやじゃないが」


 千代「ならなんです」


 勉「勇一人でも育てるのだって大変だし、簡単には行かないよ」


 千代「打算的に子供を産む人は愚かですわ。あなたはほしくはないんですか」


 勉「それは…」


 千代「それは?」


 勉「頂けるものなら、頂きたいな…」


 千代「うふふ、」


 勉「なんだい」


 千代「貴方真っ赤」


 勉「帰りに、少しひっかけてきたからな」


 千代「やっぱり」


 勉「うるさい。照れ隠しだ」


 千代「あはは!」


 勉「もう勘弁してくれ。どうした、今日はお前もご機嫌じゃないか」


 千代「そんなことありませんよ」


 勉「いつもそのくらい素直だと可愛げもあるんだが」




 間




 千代「ねえ、あなた」


 勉「どうした」


 千代「一寸、お話したいことがあるんですが」


 勉「どうした改まって」


 千代「さっきの正さんのことなのですが」


 勉「ああ、うちに泊めるんだったら別に構わないぞ」


 千代「いえ、そうじゃないんです」


 勉「じゃあなんだ」


 千代「あの人、正さんは…私の婚約者だった人なんです」


 勉「一寸待て、じゃあ」


 千代「ええ、亡くなったと思っていたあの人が還ってきたんで す」






 二幕






 暗転


 から流行歌へ


 明転


 朝。千代、勉、勇、荷支度をしている




 千代「勇、早くしないと学校遅れるわよ」


 勇「わかってるよ、母さんが早く起こしてくれなかったか  ら」


 勉「勇ゆっくり噛んで食べろよ」


 勇「わかってるよ」


 千代「あなたものんびりしてて大丈夫なんですか」


 勉「新聞くらいゆっくり読ませてくれよ、しっかりと世間の情報をつかんでいたいんだ」


 千代「はいはい」




 お茶を入れる




 勉「ありがとう」


 勇「そろそろ行かなきゃ」


 千代「歯。ちゃんと磨いたの」


 勇「わかってるよ」


 勉「ばっちいぞ」




 磨きに行く


 勉新聞を読んでいる




 勉「勇もずぼらだな」


 千代「誰に似たんだか」


 勉「俺だって言いたいのか」


 千代「どうですかね」


 勉「それにしても、きな臭い世の中だな朝鮮戦争から始まってなんともいえないよ」


 千代「何とも言えないなら言わないで頂戴」


 勉「そうはいっても、私たちがしっかりと情勢を見ないと、また日本が滅ぶぞ」


 千代「滅ぶって、アメリカの庇護下の中なんですから、今も滅んでるようなものじゃないですか」


 勉「お前、なんてこと言うんだ」


 千代「あら、おかしなこと言いましたか」


 勉「日米和親で私たちは主権を取り戻したんだぞ。そんなこと軽く言うもんじゃない」


 千代「そうですね、すいません次回から気を付けます」


 勉「軽いな」


 千代「軽いってなんですの」


 勉「浮かれているよ、皆」


 千代「これからの世の中は、危ない政治から離れて楽しく生きなくちゃ駄目ですよ」


 勉「最近は、どいつもこいつも気楽なようで何よりだ」


 千代「気楽って、戦前も皆こんなものでしたよ」


 勉「だからこそ次は、私たちが世界にかんたる日本を守るんだ」


 千代「あなた、正さんが還ってきて、熱くなってんじゃありませんか」


 勉「ふむ…」


 千代「すいません」


 勉「いや、いいんだ。それにしても、日米同盟を結んだと思っ たら、朝鮮戦争、共産主義と自由主義の戦いだと聞いていたら、日ソ共同宣言だ。訳が分からん」


 千代「難しく考えるからダメなんですよ。どうせ自民党に入れとけばいいんですよ」


 勉「お前なあ」


 千代「なんですか」


 勉「権利を得るということは、義務を背負うということなんだぞ」


 千代「難しいことは、よくわかりません。でも、そんなことより毎日鱈腹食べられたらそれで構いません」


 勉「だから私は婦人参政権には反対だったんだ」




 千代「何故ですの?」


 勉「女は自分で頭を使って考えることをせんからな、そんなところに権利を与えても、権利だけ主張して義務を果たさんからな」


 千代「私たちだって日本国民ですよ。自分たちが住んでる土地の偉い人を決めるのに、何で女は駄目なんですの」


 勉「では、赤子にも選挙権を与えなくてはならないじゃないか」


 千代「赤子がどうやって投票するんですの」


 勉「同じことだよ、昔は家族で政治の話をしてその総意を、私たち男が代表して、投票していた。なまじ選挙権を拡大したばかりに、女の増長を招いたんだ」


 千代「私とあなたの間柄は婚姻してから一寸も変わってなんか、いやしませんよ」


 勉「それは家の話だろ、最近の女が『エチケット、エチケット』と言っているのを見ると滑稽で仕方がない」


 千代「あなた方が 時代に乗り遅れているだけじゃありませんか」


 勉「三十路の私も時代遅れか」


 千代「まあ、時代に乗っかられても困りますけど」


 勉「何でだ?」


 千代「他のお相手ができたら困るじゃありませんか」


 勉「おう、」




 勇、準備を整え




 勇「いってきます」


 千代「いってらっしゃい」




 勇、去る




 勉「それじゃあぼちぼち私も行きますか」


 千代「あなた、歯磨いたの」


 強「今磨こうとしてたんだ」


 千代「誰に似たんだか」


 勉「勇が俺に似たんじゃない。俺が勇に似たんだ」


 千代「尚悪いですよ」




 勉、去る


 千代、勉の荷支度をする


 勉、戻ってくる




 千代「ちゃんと磨いたんですか」


 勉「勿論」


 千代「どうぞ(荷物を渡す)」


 勉「ありがとう。行ってくる」


 千代「いってらっしゃい」




 家事をしている千代。(掃除、洗濯、洗い物、縫物、帳簿)




 千代「正さん」




 千代「今更帰ってきても」




 流行歌。千代、りゅこうかを口ずさむ


 お茶を入れ飲む。転寝してしまう




 部屋の奥から、正が出てくる




 正「おい、」


 千代「(目を覚ましながら)なんですか」


 正「なんですかじゃないよ。こんな日に昼寝とは、薄情な奴だな」


 千代「正さん…すいません。つい」


 正「いや、いいよ。大仰に送られても困るからね」


 千代「行ってしまうんですか」


 正「行かなくちゃならないでしょう。戦況も悪いみたいだしね。なんせ、僕みたいな一般人まで行かなくちゃいけないんだから」


 千代「お義母さん達とは挨拶したんですか」


 正「うん、でも見送りはしたくないって」


 千代「そりゃあ、そうですよね。…満州ですか」


 正「ああ。ずっと満州かはわからんが、大陸派遣だ。大陸は地獄らしいからな、志那軍閥による奇襲が横行しているらしい。一人でも多くの人を守らなければならないな」


 千代「米国とは、戦はないんですね」


 正「大きく見れば、国民党軍の後ろにいる英米との戦いだ」


 千代「何で、戦争なんてしなくてはいけないんですか。米国なんて世界の裏側じゃないですか」


 正「それは、僕にはわからない。ただ、勝利を信じて戦うだけだ」


 千代「その結果私は独りぼっちですか」


 正「僕が行ってしまって、生活は大丈夫かな」


 千代「土地から上がってくるお金がありますから。それで、何とかなると思います」


 正「残せるものなんてそのくらいしかないからね」


 千代「そんなことないですよ。お腹の子だっていますし」


 正「そうだね。顔が見たかったな。写真でもあれば戦場で見られたんだが」


 千代「私の写真で我慢してください」


 正「君の写真だけで十分だよ。ただ、死ぬ前に一度顔が見たかったんだが」


 千代「そんなこと言うんじゃありませんよ」


 正「うん。どうも弱気になっているみたいだ。君はいつも強いね」


 千代「そんなことありませんよ。私だって長いこと一人にされてたら、孤独を感じてよその男の元へ嫁いでしまうかもれません」


 正「それは困るな、なんとしても早く帰ってこなければ」


 千代「そうしてください。いつまでも待ってますから」


 正「ああ、」


 千代「子供のことは心配しないでください。お義母様たちがいらっしゃいますし、最悪妹たちにも頼りますから」


 正「大丈夫、そこは心配してませんから」


 千代「そうですか」


 正「そろそろ時間かな」


 千代「一寸でも早く、私から離れたいみたいですね」


 正「そんなことはないよ。ただ、時間が早く流れるものだなって」


 千代「そうですね、私もあなたとの時間が短く感じます」


 正「もう行くよ、長居すると行けなくなってしまうからね」


 千代「ええ、」


 正「それじゃあ。いってきます」


 千代「はい。いってらっしゃい。御武運をお祈りしております」




 正、行ってしまう。千代それを見送る


 先程転寝をしていたところまで戻る、突っ伏し泣いてしまう


 と、勇が学校から帰ってくる




 勇「ただいま」




 千代、起きる




 千代「あら、お帰りなさい」


 勇「お母さんどうしたの」


 千代「ちょっと、懐かしい夢を見たの」


 勇「そう、大丈夫?」


 千代「ええ、大丈夫」


 勇「じゃあ、遊びに行ってくるね」


 千代「いってらっしゃい」




 勇、虫網を持って出かける




 千代「あらこんな時間、お買い物行かないと」




 千代、出かける


 場転


 正、岩に腰掛け水辺を見ている


 そこに勇、登場




 勇「おじさん、なにしてるの」


 正「勇君。水浴びをしていたんだ」


 勇「へえ、じゃあこの辺に泊まってたの?」


 正「うん」


 勇「でも、泊めてもらった家でお風呂借りればよかったのに」


 正「そうだね」


 勇「昨日と同じ服着てるしどうしたの」


 正「実は、昨日は河川敷で野宿したんだ」


 勇「そうなの」


 正「ああ、だから臭くてかなわなくてね。それで、水浴びさ」


 勇「お父さん達が他のお家に行くって言ってたけど、行かなかったの?」


 正「友達がみんな引っ越してたりしてね。迷子になっちゃった」


 勇「じゃあどうするの、お友達探しするの?」


 正「そうするしかないしね」


 勇「この辺にいるの?」


 正「どうかな。取り合えず、九州にいる親に会いに行こうかなと思っているんだ」


 勇「おじさんはどこから来たの?」


 正「ソビエトに捕まっていたんだよ。日ソ共同宣言のおかげで帰国できたんだ」


 勇「すごい、ソ連にいたんだ。学校の先生が、これからはソ連を見習おうって言ってたんだ。なんか、マルクス主義っていうんだって」


 正「そっか、おじさんは捕虜だったからね。辛い面しか知らないな、友達も沢山死んじゃったし」


 勇「何で?」


 正「強制労働をさせられてたんだよ、おじさんたちは」


 勇「働くことはいいことじゃん」


 正「シベリアは本当に寒いんだよ、まともな人間はあそこには住んでいないんだ、政治犯だったりとかおじさん達みたいな捕虜ばかりさ。まあ、シベリア以外にも沢山連れてかれたんだけど」


 勇「どうだった?」


 正「んー、あまり勇君が期待してるような感じではなったかな。でも、皆同じような服着てたりとか戦前の日本も大差なかったかな」


 勇「そうなの?」


 正「うん、なんかどこもかしこも同じようなものなんだなって」


 勇「戦前の日本って、軍部の独裁だったんでしょ、全然違うじゃん」


 正「独裁かはともかく、ソビエトは共産党一党独裁だからね。やっぱ同じようなものだよ」


 勇「よくわかんないな」


 正「おじさんもよくわかんないんだ。多分皆わかんないんだよ」


 勇「おじさんはよく助かったね。そんな辛い生活から」


 正「まあね、」


 勇「体が強いんだ」


 正「体というよりかは、気持ちかな。何があっても生きたいっていう気持ちが、強い人だけが生き残れたんだよ」


 勇「気持ちだけじゃどうにもならないじゃないか」


 正「そんなことないよ、火事場の馬鹿力っていうのは結構大きいものだよ。それに、一番最初に帰国した 人たちは、天皇島に上陸だって言ったらしいよ。本当かどうかわからないけど」


 勇「おじさんは、どうしてそこまで生き残りたかったの?」


 正「会いたい人がいたんだ、その人たちに会うことだけが一心で」


 勇「その人達には会えたの?」


 正「ああ、元気そうでよかった」


 勇「良かったね」


 正「そうだね、本当に会えただけでも、幸せと思わなくちゃな。それより、勇君は何をしているんだい?」


 勇「友達と、すごい虫捕まえた人が勝ちって遊びしてる」


 正「河川敷にはいないんじゃないかな」


 勇「でも、森に一人で行くのは怖くて」


 正「じゃあ、おじさんが付いて行ってあげる」


 勇「本当!」


 正「ああ、」


 勇「じゃあいこう」




 場転


 宮仕家


 千代が夕飯の準備をしている


 勇、正を連れて帰宅




 勇「ただいま」


 千代「おかえりなさい。今日はいつもより遅いんじゃない」


 勇「ごめんなさい、今日は楽しくて時間忘れちゃって」


 千代「わかってるけど、今度からは気おつけなさい」


 勇「あ、おじさんあがっていいよ」


 千代「一寸よそ様に迷惑かけないの。すいません、息子が」


 正「いや、えっと、あの」


 千代「正さん」


 勇「おじさん昨日、野宿したんだって。だから、家に泊まってほしいなって」


 正「勇君、それは聞いてないよ!千代さんすいません、帰りますんで」


 千代「身寄りの方。いらっしゃらなかったんですね」


 正「ええ、」


 千代「すいません」




 勉、帰ってくる




 勉「こんばんは」


 正「こんばんは、お邪魔しております」


 勇「おじさん、昨日野宿したんだって」


 勉「本当ですか!」


 正「ええ」


 勉「身寄りの方がいらっしゃるはずじゃ」


 正「皆引っ越してしまったみたいで、昨日は河川敷で」


 千代「そんなとこに寝泊まりだなんて」


 勇「お父さん、おじさんを泊めてあげて」


 勉「そうだなあ…」


 正「私は大丈夫ですから。両親の行方を捜して会いに行こうと思っていたところですから」


 千代「それはだめです!」


 勉「どうして」


 千代「それは…。昨日の今日で体だって疲れているでしょう    に、急がず今日は是非家に泊まっていってください」


 勉「御両親はどちらにおられるんでしたっけ」


 正「昨日聞いた話だと、九州にいるらしいんです」


 千代「今から九州に行けとも言えませんし」


 勉「ふむ」


 正「大丈夫です、此処に来るまでも野宿で長崎からしのいでき たわけですし。今更、辛いことなんてないですよ」


 勇「お父さん、何がダメなの?」


 勉「ダメというわけじゃない…わかった。正さん、行き先が決まるまで家に泊まっていってください」


 正「いいんですか」


 千代「いいも何も元々は」


 勉「昨日、私が何も気にせず送ってしまったのが悪いんです」


 正「いえいえ、気にしていただいただけでも、ありがたいものです。これから、しばらく厄介になります」


 勇「厄介されます!」


 千代「こら、勇」




 一同に笑い、暖かな空気で夕食の支度、フェイドアウト




 第一部完




 休憩




 第二部       


      


             三幕




 背に赤子を背負い、家事をしている千代。そこに勉が家に入ってくる




 勉「お邪魔します」


 千代「いらっしゃいませ、もうお越しでしたか」


 勉「はい、土地整理は結構性急を要すみたいなので」


 千代「結局、土地は一戸も残らなかったんですね」


 勉「仕方ないですよ、GHQはすべての人が自ら土地を持つことを望んでいる」


 千代「まあ、覚悟していたことですから」


 勉「こちらの用紙に、ハンコを」




 子供が泣き出す




 千代「すいません、少しお待ちください」




 千代一度立ち去る


 勉、それを眺める


 戻ってくる




 千代「すいません、粗相をしてしまったみたいで」


 勉「いえ、大丈夫です。それより、これからの生活は大丈夫ですか」


 千代「土地の上りだけで食べてきましたから、立ち行かなくて。妹がどうにかしてくれているんですが」


 勉「そういえば、最近目にしていませんね」


 千代「ええ、」


 勉「御両親はいかがお過ごしですか」


 千代「実家は少し離れたとこにありまして、体も弱くなってますし来てくれとは言えないんです」


 勉「じゃあそちらに移るということですか」


 千代「ここは、夫の実家ですから動くわけにはいかないんです」


 勉「でも、旦那さんは」


 千代「ええ、」


 勉「では、移り住んだほうがよろしいんじゃないですか」


 千代「それはできません」


 勉「しかし、」


 千代「これしかないんです。この家とこの子しか私に残されたものはないんです」


 勉「わかりました。手続きはこれで終了です」


 千代「ご苦労様です。お世話になりました」




 勉、立ち上がり帰ろうとする




 勉「すいません、これからも此方へ伺ってもよろしいですか」


 千代「え、」


 勉「すいません、迷惑ですよね」


 千代「いえ、迷惑じゃありませんが。どうして?」


 勉「それはその、すいません…」


 千代「うふふ、」


 勉「どうかなさいましたか」


 千代「いえ、新田さん、さっきからすいませんばかりで」


 勉「いやこれは…すいません」




 又笑う


 勉、居心地が悪い


 勉、立ち退こうとする




 千代「是非またお越しください、私も一人では少し寂しいですから」


 勉「はい!」




 玄関まで行き




 勉「お邪魔しました」




 照明変わる


 現代である




 勉「行ってきます」


 千代「いってらっしゃい。貴方」




 間




 勇、


 駆け込んでくる




 正「勇君、ちゃんと磨いてないでしょ」


 勇「磨いたよ」


 正「嘘だ、歯ブラシが濡れていないぞ」


 勇「おじさん汚いよ」


 正「背に腹は代えられないからな」


 勇「かっこよくないから」


 正「いいからこっち来なさい」


 勇「はい」


 千代「学校間に合うの」


 勇「間に合うよ、今まで早めに出てたんだから」


 千代「早くいってきなさい」




 勇、磨きに行く


 勇と正の声が聞こえる


 千代、聞きながら家事をする


 戻ってくる




 勇「行ってきます」


 千代「いってらっしゃい」




 正戻ってくる




 正「元気なものですね」


 千代「親の育て方がよかったんですよ」


 正「そうですね、二人には感謝しかありません」


 千代「あ、すいません…」


 正「敏感になりすぎですよ、気にしないでください」


 千代「お仕事は良いんですか」


 正「今日は、道路の工事なので。人通りが少なくなってからなんです」


 千代「そうですか。お茶でもいかがですか」


 正「いただきます」


 千代「どうですか仕事の調子は」


 正「親方も優しくしてくださいますし、お金も多くはありませんがしっかりといただけているので、しっかりと貯まったら独り立ちしようと思っています」


 千代「なにも、出ていかなくてもいいでしょう。ここは元々あなたのお家なんですから」


 勉「でも、勉さんだって私がいたら居心地が悪いでしょう」


 千代「そんなことありませんよ、勇もあなたになついてますし」


 正「私は、両親に会いに行かなくてはなりません。そのためにも、この間よりも遠い九州まで行かなくてはなりません。また、大変な旅路になりそうですよ」


 千代「まあ、もう少し考えといてください」


 正「長崎あたりにいるんですよね」


 千代「ええ、」


 正「沢山心配もかけましたし、早く顔を見せたいものです」


 千代「本当、もう一度顔を合わせていただきたいものです」




 間




 正「私がこんな話をする理由がわかりますか?」


 千代「いえ、どうしてです」


 正「私の気持ちは、今も昔も変わりはしないからです」


 千代「それは…そんな話はよしましょう」


 正「私は10年かかりました。戦場だろうが、ソビエトでのあの過酷な労働の時も、あなたがいたからこそ踏ん張れたのです」


 千代「遅すぎるんですよ」


 正「…」


 千代「どうして、今なんですか。もっと早く帰ってきてほしかった」


 正「すいません」


 千代「謝らないでください」


 正「はい」


 千代「愛しています。私の心は、誰にひかれようとも変わらず貴方に向いています」


 正「千代さん!」


 千代「でも、もう遅いんです。ここまで来たらどうしようもないのです」


 正「そうですか。そうですね」


 千代「ええ、そうなんです」


 正「近いうちに両親のもとに向かいます」


 千代「それは駄目です」


 正「なぜですか」


 千代「会うことができないからです」


 正「何年かかろうと見つけ出して見せます。10年耐えたんです、死に目には会えるでしょう」


 千代「無理なんです」


 正「どうして?」


 千代「もう、亡くなっているからです」


 正「は、」


 千代「あなたが旅立った後、妹がこっちに来てくれたんです。それで、義父様方はあの日も長崎にいたんです」


 正「そんな、じゃあ」


 千代「いえ、最初は何ともなかったんです。しかし…」


 正「そうですか。あの後遺症ですか」


 千代「はい」


 正「そっか、あはははは」


 千代「如何なさいました」


 正「きついものですよ。じゃあ、私はいったいどこに向かえばいいんだ」


 千代「…」




 間




 正「やはり、近いうちにこの家を出ます」


 千代「でも、」


 正「大丈夫ですよ。もう過去のことを忘れるために、これからの人生を新しく始めるために…いってきます」


 千代「はい、いってらっしゃい」




 照明転換


 勉、焦って帰ってくる




 勉「千代さん」


 千代「如何なさいました」


 勉「今、長崎から電報が来まして」


 千代「長崎?」


 勉「ええ、宮仕さんのご両親です」


 千代「どうして。まさか、夫の身についてですか」


 勉「いえ、ご両親の身についてです」


 千代「義父様達?」


 勉「原子爆弾が投下された時、周辺にいらしたらしくて、今までは何ともなかったのですが…。」


 千代「被爆なさっていたんですか!」


 勉「(頷く)」


 千代「そんな…」




 千代、ふらつく。勉駆け寄って支える


 千代、勉の胸に顔をうずめる




 千代「すいません」


 勉「いいんですよ」


 千代「妹、死んだんですって」


 勉「え、でも。東京に働きに行ったって」


 千代「連合軍の慰安所に行ったんです」


 勉「そんな、何でそんなことに」


 千代「私たちの生活を支えるためにって、勇のためにって…」


 勉「死因は」


 千代「男の人に、勢い余って…」


 勉「ああ、なんてことだ」


 千代「こんな時だけ甘えてしまって、私は本当に我儘な人間ですね」


 勉「良いんですよ」


 千代「でも、」


 勉「いいんです、私がこうしたいのですから」


 千代「この間のお返事もしてないのに、すいません」


 勉「私はいつまでも、お待ちしておりますから」


 千代「いつも、あなたに甘えてばかりでご迷惑もかけっぱなしで。本当にすいません」


 勉「千代さん、先程からすいませんばかりですよ」


 千代「…すいません」


 勉「だから…」


 千代「勉さん」


 勉「はい」


 千代「お受けします」


 勉「え、」


 千代「この間の、お話お受けします」


 勉「それって」


 千代「勇むもあなたに懐いているみたいですし。それに、」


 勉「それに?」


 千代「私も、長い間あなたと過ごすにつれ心境も変化しました」


 勉「それって」


 千代「女という生き物は一人で生きてはいけない弱い生き物なんです」


 勉「そんなことありません、あなたは長い間一人で耐え抜いていたではありませんか」


 千代「あなたの支えがないと、私はもう生きていくことができません」


 勉「千代さん!」




 千代、勉に接吻する




 勉「愛しています」


 千代「ええ、私も」


 勉「住んでいた部屋を引き払わなくちゃな」


 千代「私がそちらに行きますよ」


 勉「いえ、こちらに住みましょう。ここくらいしか、彼を偲べるところはありませんから」


 千代「勉さん」


 勉「まあ、少し男として悶々とする気持ちもありますが、直になれるでしょう」


 千代「これからも、勇と私を末永くよろしくお願いします」


 勉「ええ、任せてください」


 勇「お母さん」




 奥から勇の声




 千代「はい」




 照明転換


 現代


 二人、家に入る




 千代「どうしたのよ」


 勇「下着穴あいた」


 千代「はいはい、ぬっときますから分けて置いておいて」


 勇「はい」


 勉「勇も大きくなったし、新しいの買うか」


 勇「いいの?」


 千代「甘やかさないでください。散在するお金はありません」




 正帰宅




 正「ただいま」


 勇「お帰り」


 千代「お帰り」


 勉「今日は遅かったね」


 正「今日は始めが遅かったので」


 勉「ご苦労様」


 正「お疲れ様です」


 勇「聞いてよおじさん。下着破れたのに、お母さんが買ってくれないの」


 正「わがまま言っちゃだめだぞ。お母さんだって、家のお金を鑑みて言ってるんだから」


 勇「でも、もう小さくなっちゃってるんだよ」


 正「本当か?」


 千代「ええまあ」


 正「わかった。じゃあ俺が買ってやる」


 千代「正さん」


 勇「いいの!」


 正「ああ、だからお母さんたちにわがまま言っちゃだめだぞ」


 勇「うん」


 勉「いいんですか」


 正「いいんですよ、最近はお金が少し貯まってきたんです」




 各々、片付ける


 食事




 正「頂きます」


 勇「頂きます」


 千代「召し上がれ」


 勉「頂きます」


 正「勇君、今日は学校で何を習ったの?」


 勇「色々やったよ」


 千代「その色々を正さんは聞いてるんですよ」


 勇「算数とか歴史とか国語とか」


 正「算術か。おじさんは算術だけは得意だったんだよ」


 勇「僕も、算数だけは得意。国語とかなんて将来何に使うのかな」


 正「おじさんもわかんない」


 千代「何に使うんですかね、国語力って何なんでしょう」


 勇「歴史とかさっぱりわかんないんだ、覚えるだけって性に合わないんだよね」


 正「わかる、理由が見えないと覚えられないよな」


 勇「そうなの。今日、源平合戦を習ったんだけど、この間は藤原氏がどうのって言ってたのに、いきなり平清盛とか、源氏とかどこから出てきたのかさっぱり解らないんだよね」


 正「昔やった気がするんだけどな」


 勇「おじさんもわかんないの」


 正「藤原氏とか貴族の身辺警護をしてた人が、戦えば自分が勝てると言って力を持ち始めるとかだったかな」


 勇「何で、平さんと源さんなの」


 正「さあ、」


 勉「源氏も兵士も元は皇族だったんだ。でも、力をなくした人たちが民間に降りたんだよ」


 勇「民間に降りるって?」


 勉「皇族をやめるってことだよ、今も何家か皇族の方が下りられただろ、昔もあったんだよ」


 正「勉さん流石です、学歴があるというのは良いことですね」


 勉「そうですか」


 千代「難しい話ばかりで退屈じゃないんですか」


 勇「じゃあ、源平合戦って戦前の日本みたいな感じだったの?」


 正「どうして?」


 勇「だって、軍人が力をもって政治を動かすんでしょ」


 正「あっはっは、面白いこと言うな」


 勇「でしょ、おじさんもそう思う?」


 正「面白いとは思うな。でも、違うぞ。戦前だって選挙はしていたし、政党内閣だってあった。軍人のクーデター擬きもあったが、しっかりと防がれている」


 勇「じゃあ、何で東条英機が総理になったの」


 正「国民が期待したんだよ。政治家は何も解決してくれなったからな。軍人、つまり官僚を頼ってしまったんだな」


 勇「じゃあ、天皇はやっぱ他人事?」


 正「勇!天皇陛下。陛下をつけなさい」


 勇「なんで」


 正「陛下は私たちの君主だ、何時の時代だって国民のことを想って俗世をご覧になっている。何時の時代だって、御自身のことを顧みずに私たち国民を守っていただいているそんな方に敬称を付けないなんて無礼なことだぞ」


 勇「でも、人間宣言したんだし同じ人間じゃない」


 正「陛下はそんなこと言っていない。新日本建設の詔書にはそんなこと書いていない」


 千代「まあ、おちついてください。今の時代そんなことを言ったって通らないですよ」


 勇「じゃあ、皆噓をついているの」


 正「ああ、俺も最初聞いた時膝から崩れ落ちた。でも、信じられなくて文書をみたんだ。そうしたら、そんなこと一言も書いてなんていなかった」


 勇「新聞に書いてあるってお父さんが言ってたよ」


 正「いつの時代だって新聞は嘘ばっかりだ」


 千代「そんなこと決めつけじゃないですか」


 正「俺は軍に付いて知った。南京攻略って新聞に出たから、陸軍は南京を落としたらしい」


 千代「そんなことで、戦になったんですか」


 正「ああ、おかしなことだ」


 勉「正くん、落ち着いてくれ。勇、外でそういうことを言うなよ」


 勇「どうして?」


 勉「御近所から変な目で見られるだろう」


 正「すいません。熱くなってしまいました」


 勉「ああ」


 勇「御馳走様」


 千代「はい」


 正「御馳走様です」


 勉「御馳走様」


 千代「お粗末様です」


 勇「お風呂入ってくる」


 千代「はい」




 勇、去る


 食後の片づけ


 先程と皆位置が変わっている




 勉「正君、君の気持ちもわかるが勇にそういうことを教えるのはやめてくれないか」


 正「すいません」


 千代「いいじゃないですか、外に言わなければよいのでしょう」


 勉「これからの時代そんな考えは通じない」


 正「おっしゃる通りです」


 千代「最近何でそんなにぷりぷりしてらっしゃるの。皆気を使いますわ」


 正「そんなこと」


 勉「君は正君が還ってきてくれてはしゃいでるだけだろ」


 千代「あなた、そんな風に思っていたんですの」


 勉「違うというのか。朝も私が仕事に行ってから、三人で楽しそうにしているだろ」


 千代「別に楽しくしてるくらい、いいじゃないですか」


 勉「構わないが、私だけのけ者にされているみたいだ」


 千代「なんですの、子供みたいに拗ねて」


 勉「馬鹿にしてるのか」


 千代「別にそういうわけではありませんよ」


 勉「どうかね」


 正「すいません、私も帰国ができて少しはしゃいでしまっていたようです。今後気お付けます」


 勉「わかればよろしい」


 千代「なんですか、言葉使いがいちいち刺々しいじゃありませんか」


 勉「そんなことはない」


 千代「ありますよ。上から目線じゃありませんか」


 勉「私の方が年上だ、何が悪いんだ」


 千代「最初は敬意をもっていたじゃないですか、今じゃあ、邪魔ものみたいな扱いをして」


 勉「そんなことしていない」


 千代「どうですかね」


 正「私は、そんな風に思ったことありませんよ」


 勉「そうだろ」


 千代「正さんが良いなら良いですけど」


 勉「結局君はまだ、正君に思いを寄せているんだろ」


 千代「そんな風に見ていたんですか」


 勉「そうにしか見えないじゃないか」


 千代「そんなこと言ってないじゃありませんか」


 勉「言われなくたって分かることがある」


 正「勉さん、一回落ち着いてください」


 勉「君のせいなのに何でそんなに落ち着いているんだ」


 千代「正さんに当たるのはやめてください」


 勉「君はそっちの味方か」


 千代「貴方はただ、勇が正さんに懐いているのが気に入らないだけでしょう」


 勉「違う!」


 千代「当たり前ですよ。だって、勇は正さんの子供なんですから」


 正「千代!」




 勇入ってくる




 千代「勇…」


 勇「どういうこと」


 勉「どこから聞いてた」


 勇「お風呂入ろうとしたら、すごい声聞こえたから」


 勉「どこから聞いてた」


 勇「僕が、お父さんの子じゃないって」


 正「違う、君は勉さんの子だ」


 勇「おかしいと思ってたんだ、家の表札『宮仕』なのに、僕たちのみよじが新田なのかって」


 千代「そうよ、あなたは私と正さんの間に生まれた子よ」




 勇走って出てく




 正「勇!」




 正追って出ていく


 二人残る


 暗転




            第四幕




 河川敷


 明転




 勇、泣いている




 正「勇君」


 勇「何で、言ってくれなかったの」


 正「いや、言うつもりでいたんだけど」


 勇「嘘」


 正「でも、知らなかったら、知らない方が良かったろう」


 勇「そんなことないよ。自分の親が誰かも知らないなんて、そんなの…そんなのってないよ」


 正「言う機会がなかったんだ。最初に会ったとき僕もいろいろと戸惑っていたから」


 勇「そんなの、大人の勝手だ」


 正「大人だって、同じように傷ついているんだよ」


 勇「わがままだよ」


 正「そうだね」




 正、勇に近づく




 勇「こないで」


 正「でも」


 勇「こないでよ」


 正「わかった、でもこれだけ言わせてほしい。君のお父さんは勉さんだ」


 勇「でも、お母さんが」


 正「あれも本当だ」


 勇「じゃあ」


 正「でも、僕は君たちが辛いとき何もしてあげられなかった」


 勇「かんけいないよ」


 正「関係ある!」


 勇「でも…」


 正「今までの辛い時代、子供を育てるのがどれだけ大変だったか。君にわかるか?」


 勇「僕は生きていて辛い思いなんてしたことない」


 正「それがどれだけ幸せなことか、君はわからないのか」


 勇「でも、」


 正「何人もの子供が死んだ、赤ちゃんのまま、君と同い年も、年上も年下も、沢山の人が死んだ。君は生きてる。どれだけ、二人がたいへんだったかきみにわかるか」


 勇「…」


 正「僕は何もできなかった。シベリアで労働をさせられながら、ただ自分の無力を感じた」




 間




 勇「おじさんは、どうして戦争に行ったの」


 正「御国の為だ!…なんて言えたらいいんだけどね」


 勇「違うの?」


 正「違わない。御国の為、陛下の為それは嘘じゃない。でも、一番は家族の為だ」


 勇「家族の為」


 正「天皇陛下のおわす、祖国日本そのために戦った。でも、それ以上に千代や勇が生きていけるように両親が生きていけるように、これから生まれてくる子供たちが生きていけるように、戦った。僕たちが負けたせいで、日本は占領された」




 間




 勇「おじさんは、人、殺したの?」


 正「ああ…」


 勇「どうして」


 正「僕が引き金を引かなかったとしたら、僕の友人が死んだ」


 勇「でも、それじゃあ相手だって」


 正「ああ、僕が引き金を引いたから、敵も引き金を引いた。結局友人は死んだ、相手も死んだ沢山死んだ。」


 勇「おじさんは」


 正「奇跡的に僕は生きている。沢山の屍の上に生きている、申し訳ない」


 勇「申し訳なくなんてない!おじさんが生きてくれて僕はうれしい」


 正「ありがとう。…誰だって人なんか殺したくないんだ」


 勇「うん」


 正「でも、やらなきゃ家族を守れなかったんだ」


 勇「…」


 正「シベリアに連れてかれたとき、罰が当たったと思った。でも、きっとソ連にも、中国にもアメリカだってイギリスだって、何時か罰が当たる」


 勇「うん」


 正「申し訳ない」




 間




 勇「おじさんは、僕のこと好き?」


 正「うん」


 勇「お母さんのことも?」


 正「うん。勇は?お父さんとお母さん好き?」


 勇「うん」


 正「そっか」


 勇「でも、二人は違うのかな」


 正「そんなことないよ」


 勇「でも、」


 正「そんなことない」


 勇「最近仲良くしているのを見なくなったんだ。もうダメなのかな」


 正「ここまで、二人で…いや、三人で暮らしてきたんだ。そう簡単に別れたりはしないよ」


 勇「でも、おじさんは?おじさんはどうするの」


 正「僕は、両親のもとに行くよ」


 勇「そうなの?」


 正「ああ」


 勇「いつ?」


 正「明日」


 勇「明日」


 正「うん、明日」


 勇「また来るよね」


 正「うん」




 間




 勇「帰る」


 正「うん」




 場転


 勉と千代




 勉「どうしてあんなことを言った」


 千代「その通りじゃありませんか」


 勉「君たちが私をのけ者にするからだろう。私が勇に何か買い与えようとするといつも君は止める、しかし、正君が言うと何でも言う通りじゃないか。私は馬鹿にされているようだ」


 千代「そんな風に思っていたんですか」


 勉「違うか?」


 千代「違いますよ。ただ、」


 勉「ただ?」


 千代「あの人にして頂けることは、断りづらいじゃありませんか」


 勉「何故だ」


 千代「何故でしょう?」


 勉「君はとことんまで私を馬鹿にしているんだな!」


 千代「馬鹿になんてしてないですよ。ただ、私にもわからないだけです」


 勉「君はまだ彼を愛しているんだろう」


 千代「それの何が悪いんですか」


 勉「勇にも聞かれて、これからどうやって暮らしていくというんだ。私はもう、勇の中では父親ではないんだぞ」


 千代「それは、」


 勉「どうするんだ」


 千代「どうしようもないですよ」


 勉「女心と秋の空とはよく言ったもんだ」


 千代「あなた!」


 勉「何が違うんだ!」


 千代「私だって、気が動転してどうしたらいいかわからないんです。どうしたらいいんですか。死んだと思っていたあの人が、一度も忘れることのできなかったあの人が…やっと会えたんです。」


 勉「私と暮らしていながら、ずっとそんな風に思っていたのか」


 千代「あなたが、此処に住むって言ったからでしょう。こんなところに住むって言ったからでしょう。どこを見たって、あの人の顔が浮かんでくる。思い出はそう簡単には消せないんです」


 勉「君は、私を愛してはいなかったのか」


 千代「愛しています。愛しているからこそ罪を感じて苦しかったんです。忘れようとしても忘れられない。やっと、やっと薄まったと思ったら、彼が還ってきたんです。私はどうしたらいいんですか」


 勉「…」


 千代「この間、正さんに愛しているといいました」


 勉「おまえ」


 千代「でも、そんなことは許されません。貴方への愛が消えたわけではないんですから」




 間




 勉「私は正直、寂しかったんだ。勇がどんどん私から離れて行って、君も彼と楽しそうに話している。まるで私が邪魔ものみたいだ」


 千代「私も怖かったんです。勇と正さんがどんどん似てくるんです。血を感じてしまって」


 勉「父親であることを取られてしまったと思ったんだ」


 千代「そんなことはできませんよ、ここまで私たちを養ってくれたのはあなたですから。勇だってわかってくれると思いますよ」


 勉「そうかな」


 千代「自信を持ってくださいよ、あなた」


 勉「悪かった」


 千代「謝らないでください。私が悪いんです」


 勉「違う。誰も悪くなんてないんだ」




 間




 千代「しばらくしたら、正さんはこの家を出ていくといっていました」


 勉「本当か」


 千代「ええ、この間話したんです」


 勉「そうか」


 千代「ええ、」




 正、勇帰ってくる




 勇「ただいま」


 千代「お帰りなさい」


 勉「すまなかった。」


 勇「謝らないでよ、お父さん。」


 勉「勇、ありがとう」


 千代「私も御免なさい」


 勇「いいんだよ。誰も悪くなんてないんだ」


 千代「ありがとう。さあ、お風呂に入りましょう明日も早いんですから」


 勉「ああ、正君も、申し訳なかった」


 正「いえ、私も勉さんのことを考えずに自分勝手になっていましたから」


 勉「それでも、言って良いことと悪いことがあった」


 正「気にしてませんよ。それに、二人を生活させてくれていたんです。感謝はすれども悪意なんてわきもしません」


 勉「本当か?」


 正「はい」


 千代「二人共何やってるんですか、早く上がってください」


 勉「ああ、行こうか」


 正「ええ、」




 フェイドアウト


 フェイドイン


 正、一人で手紙を書いている


 勉が入ってくる




 勉「正君、まだ起きていたのか」


 正「ええ、千代さんに借りて知り合いに手紙を書いているんです」


 勉「ああ、このうちを離れるらしいね」


 正「はい。今までお世話になりました」


 勉「いや、私は迷惑ばかりかけていた気がするよ」


 正「そんなことありません。勉さんには、感謝の気持ちしかありません」


 勉「いやあ、」


 正「これからも二人をお願いします」


 勉「はい」


 正「勉さんは何を」


 勉「水を飲みに来たんだ」




 水を飲む




 勉「おやすみ」


 正「お休みなさい」




 正一人で黙々と書いている


 明けの明星、正家を出る


 フェイドアウト




 朝


 千代起きる




 千代「あれ、正さんどこにもいないわ」




 朝食を作る




 勉「おはよう。正君がいないんだが」


 千代「ええ、もしかしてお仕事に行かれたんじゃないでしょうか」


 勉「そんなことあるか」


 千代「貴方何か聞いてない」


 勉「いや、何も。そういえば昨日夜に手紙を書いていたな」


 千代「紙とペンを貸してくれって」


 勉「手紙でも出してんじゃないか」


 千代「そんなことありますか」


 勉「それか、出発したんじゃないか」


 千代「どちらに」


 勉「昨日言ってただろ、このうちを離れるって」


 千代「じゃあ…」


 勉「粋な方じゃないか」


 千代「そうですね」




 勇、起きてくる




 勇「おはよおう」


 千代「おはよう」


 勇「おじさんいないね」


 勉「家を離れたらしい」


 勇「そっか、そうなんだ。また会えるよね」


 勉「うん、また会えるよ」


 千代「ご飯にしましょう」


 勇「うん」




 黙々と朝食を食べる


 準備をし、出発




 勇「いってきます」


 千代「今日は早いのね」


 勇「前と同じだよ」


 千代「行ってらっしゃい」


 勇「行ってきます!」


 勉「いってらっしゃい」


 千代「あなたもそろそろじゃないですか」


 勉「そうせかさなくてもいいだろ」


 千代「せかしてませんよ」


 勉「いいのか、挨拶もできずに」


 千代「二回もお別れをするのもつらいですし。これくらいがちょうどいいんじゃないですか」


 勉「そういうもんか」


 千代「ええ」




 二人お茶を飲む




 勉「そろそろ、行くよ」


 千代「歯、磨きましたか」


 勉「磨いたよ、おまえは妻というより母親だよ」


 千代「こんな大きい子供いりません。勇だけで手いっぱいです」 


 勉「俺の立場も考えてほしいな」


 千代「考えてますよ。私の大切な夫です」


 勉「おまえ、いきなりしおらしいな」


 千代「お慕いしております」


 勉「…行ってくる」


 千代「なんですか、無視して」


 勉「三十路にもなって、照れくさいじゃないか」


 千代「まあ」




 接吻




 勉「いってきます」


 千代「行ってらっしゃい」




 間


 千代家事をしている


 勉が慌てて戻ってくる




 千代「一体どうしたんですか」


 勉「家を出て少ししたら、男の人が走ってきて、手紙を渡されたんだ」


 千代「何の話です?」


 勉「正君が…亡くなったんだ」


 千代「え?」




 千代、手紙を読む




 千代「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。私にはもう、生きることが重すぎます。申し訳ございません」




 正、現れる




 正「私は、人を殺しました。殺した人の顔も覚えています。毎晩夢に出てくるのです。私の友人が沢山死にました。毎晩夢に見ます。私には耐えられません。『すべての事象は歴史的遠近法の中で、古典となってゆく』とある人は言います。私には、そうは思えないのです。時間がたつにつれ、重みは日に日に増していきます。


 私は、祖国のために戦いました。天皇陛下の為に。しかし、帰ってきてみれば私たちは、悪者でした。誰もが、陛下に無礼を働いています。私には耐えられません、私の敬愛する方がここまで侮辱されていることが。


 私は、家族を守るために戦いました。愛する人に生きていてほしい、愛する人にもう一度会いたい。それだけのために、引き金を引きました。でも、帰ってきてみれば、私の居場所はありませんでした。


 私は、自害します。沢山の日本臣民がそうしたように。この時代に、私の生きる場所はありません。あの辛い戦場を生き抜いた意味は何だったのでしょう。あの過酷な労度を生き抜いた意義はいったい何だったのでしょう。


 私は、あなたを愛しています。そして勇も。勉さんはとても、素晴らしい方だと思います。自分の子供でもない、勇をあそこまでしっかりと育て頂けるなんて感謝以外に贈る言葉はありません。これは、千代さんも勇も勉さんだって悪くはありません。私が悪いのです。沢山の屍の上に生き抜いた、私が。私は救われることはないのです。さようなら。


 最後に、この歌を送りたいと思います。




 君が代は 千代に八千代に さざれ石の


      巌となりて  苔の蒸すまで


                           」




 正、頭に銃を突きつけ引き金を引く








                          完

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梓弓 イキシチニサンタマリア @ikisitinihimiirii

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