曙光きたり



総萩そうしゅう藩、那賀斗。

北海と御津おづ内海に面し、諸外国との戦の守り、指揮を司る軍都である。

統合観閲式二日目の午後、風祭と桔梗は一日の遅れを持って那賀斗に入った。

玄嶽と環太積の大隊に警護されている統合幕僚長も同時である。

軍本営発表を明日に控え、玉杉蔭隆幕僚長は多忙を極め、面会は叶わぬまま

不知火の二名は環太積の巡洋艦「つしま」より下船した。


すでに花は散り、新緑の桜並木に藤棚がしつらわれ鮮やかな紫の花が

連なっている。

市内中央の小高い丘にある小那賀城へ石畳の道が続く。

辺りには陣幕と兵舎が立ち並び、本閥の旗が連なっている。

幕僚高官は東の幡殖、南の須鶯それぞれの宿場に宿をとっているが、

兵卒は城廻りに駐屯している。

桔梗は白地に黒の炎の紋章の旗印をいち早く見つけた。


不知火の陣幕内では、総務財務課の植松小五郎とその配下が書付を

行っていた。五十を超えた丸顔に明るい笑顔を浮かべ立ち上がる。

「これは、副長、玉杉中尉。無事のご到着お待ちしておりました。」

「小五郎のその顔は揉め事のようじゃの。」

風祭は苦笑いしながら外套を脱いだ。

「それが、いま藩の御蔵係りとの打ち合わせでして。どうも費用持ちに

行き違いが。」

「なんだそれは。」

「藩では国衙こくがの補填前提と思っているらしく……。」

国衙とは幕僚が諸国に設立した軍事運営団体である。

「今から総萩の者が面会か。」

「はい。今朝、刑部殿がご到着されて、お頭と共に小那賀城で作議ゆえ

拙者に話をつけろ、と。」

風祭は眉間にしわを寄せていらいらとした様子で考え込む。

問題が大きい程、笑顔を浮かべて解決にあたる植松は、黙々と

書付を続ける。各隊士より提出された遠征費の覚書を精査している。

「よし、私も話そう。……しかし藩は何を」

「態度が大きいと聞いていましたが、本当のようですな。」

「向こうもそう思っておろうな。」


陣幕に風祭を残し、桔梗は浴衣姿で城下に出た。

先ほど植松より隊士達が夕食に連れ立ったのを聞き、合流する

つもりである。

到着後、任務の完遂を刑部に報告する業務があったのだが、

本人が不在では致し方ない。

内心、仲間達の無事を確かめたい気持ちがあった。


こじんまりとした城下町は、まるで東京の番町とみまごうばかりに、

本閥の侍達で賑わっている。

桔梗は隊士達が大箱の料理屋にでも入っているのだろうと見当をつけ、

あたりを見回しながら歩む。

薄浅葱うすあさぎに白の花びらの飛び模様の浴衣は爽やかで、涼し気な目元の

桔梗によく似合っている。厳めしい本閥隊士が多く行き交う大通りでは

ひと際目を引く。

大きな提灯の下がった居酒屋の戸を開き、見知った顔を探したがいない。

扉を閉じようとした時、それを止めて桔梗の前に二人の男が立った。

ボタンをあけた白の詰襟、もう一方は目の覚めるような紺碧の羽織。

環太積の隊士であった。

二人とも若く、前髪を下した役者風ですらりと背が高い。にっこり笑いながら

桔梗の足元から顔まで見回している。酔っているようであった。

「お嬢さん、だれか探してるの? 」

「船乗りって興味ある? 」

桔梗は一瞥して無視し、歩き出そうとするが、その眼前に二人は回り込んだ。

「どけ、邪魔だ。」

桔梗の言葉に二人は顔を見合わせ、大声で笑っている。

「俺は気の強い娘は嫌いではないな。」

「お主は別嬪なら何でもよいではないか。」

さらに桔梗は歩き出そうとするが、その肩を詰襟が抑えた。

「待てというに。町娘が無礼であろう。」

桔梗が目を細め、その手首を掴もうとした刹那、その手はゆっくりと離れた。

環太積の二人の視線が桔梗の背後にくぎ付けになっている。

「播磨、少佐殿。」


「お晩方。」

ごく当たり前に挨拶をした悪兵衛がその背後に立っていた。

「その方は我が隊の玉杉桔梗中尉である。」

悪兵衛の言葉を聞き、二人は気まずい表情で改めて桔梗を見、思い出した

ように敬礼した。

「大変、失礼いたしました。」

「藤木、沢田、少尉か。名札をぶら下げて狼藉とはな。」

「本閥の名折れである。両名報告の上、追所が相当だ。」

桔梗の氷のような言葉に、環太積の二人は顔を強張らせる。

「まあまあ、二人とも酒は気をつけよ。桔梗ももうよかろう。」

美浪がにこやかに間に入った。桔梗が振り返ると十字朗、バルザック、

橘川兄弟、そして悪兵衛が笑って並んでいる。

「みんな。」

桔梗が破顔する間に美浪は環太積に退去を促し、頭を下げた二名は

逃げるように去った。

再会に沸く隊士達は互いの任務を簡単に語りあったが、橘川兄弟が

早く食事にいかねば空腹で倒れるという文句で動き出した。


桔梗は悪兵衛の顔を覗き込む。日に焼け、やや頬骨が浮いて、精悍な印象を

受けた。黒い瞳が強い力を放っている。

ひと月ぶりではあったが、何か大きく変わったように見えた。

「悪兵衛。」

「はあ。」

「朧丸と試合をしたぞ。」

「なんと。」

悪兵衛が立ち止まり目をむいて声を上げる。

「いかがでござった。」

「勝った。腕十字だ。」

「ううむ、さすが玉杉殿。」

瞠目し、考え込む悪兵衛。頭の中でその試合の内容を構築する。

「蹴り足を取って引き倒し、腹にひざで腕取りでござるか。」

「いや、破双でとびついた。」

「なんと。」

「悪兵衛、早く来い。晩飯がなくなるぞ。」

往来の真ん中で考え込む悪兵衛に美浪が笑い声をかけた。





陽の落ちた水平線が、赤黒く染まっている。

不気味なほど凪いだ海は波音も沈黙しているかのようだった。

海岸に向かって本閥の陣幕が覆う中、白木の社が建立されている。

かがり火が燃え盛る舞台の中央、三名の神主が修祓しゅばつと呼ばれる清めの儀式を

行い、そこに関係幕僚の者たちが列席する。

黒々した建物が社とともにあり、炎に照らされる。

篝火を照り返す黒光りする柱、しめ縄のさがる長大な笠木。

巨大な鳥居であった。

その手前の社にて、竣建の儀がとり行われている。


陣幕の陰に、浪華技研所属の技術士官、暮林儀久少佐の姿がある。

肩までの総髪に丸眼鏡、幽鬼のように骨ばった体つきに、技官の羽織を

纏っている。此度の発表する新型魁音兵装の主任担当であった。

厳かに式を執り行う神主と、それに向かう幕僚高官の姿に侮蔑の表情を

浮かべ、眺めている。

徒爾とじな事を。神仏に頼らずとも。」

暮林の背後の女が寄り添うようにし、舞台を覗き込む。

頭巾を目深にかぶり、細身の紫の小袖に、緩く波うった髪が濡れた光を

放っている。

「あなた様にはそんなもの、必要ありませぬ。」

女はすきま風のような掠れた声で囁く。

暮林は笑みを浮かべ、女の腰を抱いた。


*


あけ放たれた障子に下がる縄のれんを開き、十字朗が店内を見渡す。

「ここも一杯だなあ。」

悪兵衛も顔をいれる。広めの居酒の店は客で賑わっている。

「本閥の者ばかりだな。」

苦笑いしながら店の奥まで見たが、小上がりまでびっしりで、座敷の

ような洒落たものはいかにも無さそうである。

ざわめいていた店内がやがて静まった。

視線が悪兵衛に集まっている。


禿頭に鉢巻姿の店主が十字朗に人数を訪ねる。その答えに反応するように

小上がりの客達が立ち上がった。

坊主頭の巨漢ばかりである。

「お、なんだ。入れそうだぞ。」

一圓がうきうきした声を上げた。

男達は店先の悪兵衛の前で一礼する。

「播磨少佐殿、御前試合ではお見事でござった。」

「恐縮至極。」

悪兵衛が答えると男達は退出していく。

「あの人達玄嶽でしょう。悪兵衛知ってるの? 」

桔梗が訪ねるが、悪兵衛は首を振る。

ほかの隊士達はにやにやと笑っている。


「ふぐ鍋は頼むから、皆それぞれ好きな物を頼んでくれ。」

美浪の声に、見惚れていた注文聞きの女が我に返った。

「俺は冷や奴。生姜多めで。」

美浪の注文を頬を赤らめ、にっこりと笑いながら書き留める。

「茶碗蒸しと温麺。一真もだろ」

「うん。茶碗蒸しは銀杏抜き。」

「あ、俺もだ。銀杏抜き。」

「ガイジンにお酒ください。中抜きを燗で。」

「こっちも酒。ひや。」

十字朗が頼むと壁の品書きを見ていた悪兵衛も声を上げる。

「飯と煮物。」

「ほうれん草のおひたしとご飯とお味噌汁ください。」

最後の桔梗の注文を取ると、女はすぐに酒の用意を始めた。

「悪兵衛、煮物は何が入ってるの? 」

悪兵衛は隣の小上がりの客の鉢を一瞬見た。

ぶりとれんこんと人参みたいですな。」

「すこしちょうだい。」


「……お断り、もうしあげる。」

意を決して断った悪兵衛の口の端から涎があふれる。

桔梗は大笑いしながら手拭いで悪兵衛の口もとをおさえた。


*


城下の外れ、小体な立ち飲みの店の奥、着流し姿の老侍が二人で

盃を傾けている。

店は男達の他に、居眠りしている注文聞きの老婆と店主だけであった。

「へい、からあげおまちどう。」

皿に盛られた鶏肉の盛りがよく、総髪の侍が笑い声を上げた。

「主人、すだちはないか。」

「金柑ならありますぜ。」

「かけて食う。切ってくれ。」

男の声に傍らの侍が目をむく。

「おい誓野、全部にかけるなよ。俺はいらんぞ。」

「やかましい。俺が全部食うわ。」

環太積隊長、誓野総士郎と不知火隊長、伊庭辰之進の両名であった。

「ここの払いはお主だからな。」

「わかっておる。しかし、賭けで負けたのは何年ぶりか。」

伊庭は誓野の言葉に笑って盃をあけた。

「播磨悪兵衛、か。見違えた。掴んだな。」

「うむ。」

酒を注ぎながら伊庭は物思いにとらわれる。


「思うに」

「闘いに身をひさぐものが、闘いで何かを掴むとは……。」

やいばに囚われ、愛されている者ではないか。」

伊庭の問いに誓野は間髪入れず答えた。

「そうだ。そしてすべからく刃と共に滅ぶ。」





陣幕に戻った桔梗は、同じく作議より戻った織田刑部に、護衛任務の

詳細を綴った顛末を提出すると共に、口頭での報告を行った。

詳細まで確認し、一息つく。


「刑部殿、お伺いしたい事が。」

「なにか。」

「観閲式後に、試合のような物が行われたのでしょうか? 」

桔梗は市中で会った本閥隊士達の悪兵衛に対する態度が気になっていた。

「ああ。軍本営発表予定の本閥の施設の除幕という事でな。その場で決まった。

四軍から代表を出してその場で模擬試合を行うというものだ。」

「では、我らからは悪兵衛が。」

「そうだ。志願した。」

刑部は思い出し、苦笑を浮かべる。

「本人曰く、先日の神前試合で後れを取った、自分一人で他三軍の代表を

相手にするといってな。」

「そんな無茶です。」

「不知火頭目として、白兵の技量を観閲してもらわねば面目立たず、

と言い出した。お頭は好きにさせろ、と。」

「結果は聞いているな? 」

「いいえ。」

「環太積の上条、玄嶽の東堂、暁輝の剱崎をことごとく倒した。すべて

十手以内であった。」

刑部は書類を整理しながら、事も無げに言った。

「そこまで悪兵衛は……。」

「うむ。強い。元々強かった。が、磨き上げたな。」


桔梗は悪兵衛を想起している。言動に変わりは無かったが、腕や足の

生傷に体全体の張り、漲る闘志と生気を感じた。

「それで他本閥隊士が悪兵衛の事を」

「ああ。三軍に知れ渡ったな。」

「……当然であろう。我々は白兵を旨とする部隊なのだ。」

「その頭目が最強でなくてどうする。申し送りは以上である。休め。」

粛々と残務を処理する刑部を陣幕に残し、桔梗は退出した。

冷たい色の三日月が雲間から見え隠れしている。

篝火がたかれた兵舎の間を歩みながら、悪兵衛を想った。


*


翌朝。

灰色の雲が陽を遮り、冷たい海風が吹く。

本閥の旗が夜露に濡れている。

昨日、統合観閲式初日は小那賀城内で執り行われた。

四軍への幕僚高官の訓示、玄嶽による行進、暁輝の観閲飛行など、

つつがなく終えた。その後に上覧試合が行われた。

最終日である本日は、軍本営発表が城下の砂浜に面した演習場で

行われる。

すでに会場は本閥の陣幕で囲われ、その入場を待つ四軍が時間を区切られ

待機していた。


先陣は無論、不知火である。

あとに環太積が続く。悪兵衛は背後の団体の一角で、見知った顔と声を

見つけた。同期入隊の久世春之丞達である。

にこやかに話している相手は見慣れない紫の羽織の女性隊員であった。

新型魁音兵装の専門要員として移管した吉房七重と気づく。

他の環太積隊員も七重とにこやかに話しているのは、隊異動後、

挨拶にでもきたのであろう。

遠目に見る七重の表情はどこか陰があり、あの溌溂とした雰囲気が

失われている事が悪兵衛は気にかかった。


地響きのような陣太鼓が響き、幕があくと同時に不知火隊士が伊庭を

筆頭に入場する。

切り立った崖の前に真新しい社が建立され、幕僚高官が列席している。

やしろの手前、そびえ立つ巨大な鳥居が目に入る。

漆のようにぬらりと光る黒色の柱、中心の額柄には本閥の紋章が

掲げられている。

隊士達は皆顔を見合わせ、無言でその建造物を訝しむ。

バルザックが目で背後の海を示した。

社から参道のように一直線に桟橋が伸びており、

海まで続いている。その先には社の鳥居の鏡写しのように

同様の黒色の鳥居が海上に屹立している。

異様な光景であった。

(なんだ、この場は。)

悪兵衛は不吉な予感が拭えない。が、隣の桔梗にはその様子をみせず、

彼女の不安げな眼差しにゆっくり頷いて答えた。


不知火に引き続き、環太積、暁輝、玄嶽と隊士が入場するが、

皆無言の中にその光景に固唾を飲んでいるのがわかる。

本閥隊士がすべて着座した後、紫の羽織の四十名程の者達が

最後に陣幕に入り、鳥居の上座に用意された位置に列していく。

中に、吉房七重の姿もあった。


統合幕僚長、玉杉蔭隆の開催の言葉と共に式が始まる。

まず、新型魁音兵装を装備した部隊、通称「御門みかど」が発表された。

紫の羽織の者達が一斉に立ち上がる。

その手にはそれぞれ笛、太鼓、筝をもち、構成する者達の

年齢、役職などはばらばらに見えた。やや、女性が多い。

新型の詳細を説明する為、浪華技研代表の笹森吉右衛門中佐が

壇上に立った。

風と共に暗い海の波が高くなる。





新型魁音兵装特殊支援部隊、「御門」は支援武装の魁音撃発現を媒介とし、

この事象門に位相転移道を出力する特殊移動支援隊である、と笹森からの

説明があった。

専門的な語句は伏せ、認識しやすいことばであったのは想像がつく。が、

やはり本閥隊士達の理解は追いつかなかった。静まり返っていた隊士達から

ざわめきが漏れる。

「本日只今より、実地試験稼働を行う。」

笹森の言葉を合図に、玄嶽より完全武装の一小隊が舞台の袖に待機する。

率いるのは後藤安俊大尉であった。

「御門」隊士達は、座したまま夫々の楽器を用意し、不協和音を奏ではじめる。

やがてその音色が混じり高まるように音量を上げると、合わせて太鼓が

打たれる。楽曲ではないが、異音でもない不可思議な音が響く。

衝撃を発生しない魁音撃ともいうべき現象であった。

やがて、その音曲にこたえるかのように、背後の鳥居が低く、厚い振動音を

発し始めた。

桔梗が目をつぶり、額を抑えてふらつく。悪兵衛はその肩をしっかりと

支え、鳥居を見上げた。

御門部隊の楽曲に共鳴する鳥居の振動が、心身を蝕む錯覚に捉えられる。


「事象門」と呼ばれた鳥居は振動の高まりと共に、鋳鉄のように赤熱化して

いった。今やその高温は、頬にその熱を感じる程である。

額柄の本閥紋に火があがり、一瞬で燃え尽きた。

後藤大尉の号令と共に、玄嶽小隊が二列縦隊で鳥居に進む。

その前方、異変が生じている。

鳥居に囲まれた空間が歪み、ねじれてゆっくりと渦を巻き、

明らかに周囲とは様相が異なっている。鳥居はさらに朱に輝き、玄嶽小隊は

その熱で生きたまま燃え上がる想像が頭を掠める。

臆することなく、小隊はそのまま前進した。

鳥居の暗黒に後藤大尉が吸い込まれるように消えると、後の者達も

続いた。

小隊はその場から消失してしまった。


本閥隊士達のざわめきと悲鳴、怒号が徐々に高まる。

やがて口伝えにもう一方の鳥居という言葉が広がっていく。

振り返ると、海上に屹立していた鳥居が振動音を発し、赤く発光している。

その柱が海面と接触している藁座と呼ばれる部分からは、もうもうと白煙が

上がる。耐え難い程の衝撃音を海面の鳥居が発し、先程と同様にその中心が

ねじれた空間に変わり、光が消失していく。


全本閥隊士の視線が集中するなか、暗黒より後藤大尉率いる

玄嶽一小隊が現れた。

社前まで行進し、全隊止まると後藤大尉が敬礼する。

「玄嶽第四小隊、御門実地試験稼働の状況終わります。」

続き小隊全員が敬礼した。それぞれの腕は震え、蒼白な表情では

あったが、命に別状はない。本閥隊士達はあまりの事に、絶句する。

会場は静まり返っていた。


かつて、神尾山地下大空洞での弥者との全面対決があった。

そこに参戦した隊士達、不知火、玄嶽の侍達は当時の光景を想起する。

暗黒の空間に現れた光と黄金の鳥居。そこに消えていく弥者達。

と同じものを、人間は作り上げたというのか。」

バルザックが呻くように言った。

壇上で悲鳴があがる。

振り返ると、「御門」の者達が何人かその場に倒れている。

全身を震わせているもの、鼻孔から出血している者、意識不明とみられ

まったく動かない者。そこに医療団があたる。

「あの対応、早すぎる。ああなるのを見越していたな。」

十字朗が苦い表情で言った。

吉房七重が蒼白な表情のまま、笛を胸に抱えて前方を見据えている。

その憔悴は尋常のものとは思えなかった。


恐怖のざわめきが広がる中、玉杉幕僚長が演壇に上がる。

やがて、場内は静まっていった。


「御門を用い、敵生息地へ本閥を派兵する。七十日後、全面決戦に入る。」

静かに発した言が、雷のように伝播していった。





午後。軍本営発表を受け、不知火陣幕に負傷者以外の全隊士が招集された。

神棚のもと、伊庭が静かに座し、刑部と風祭が控えている。


伊庭より幕僚の指示のもと、決戦に向けての準備とそれまでの

内偵業務、個々人の時期をずらした約三週間の休暇が指示された。

今後の細かい日取りの調整は灰音と美浪が行う。

あらかたの説明が終わると、バルザックが発言の許可を申し出た。

「御門部隊は、我が命を擦り減らして業務を行っているように見えました。

人死にが出てもおかしくありませぬ。お頭はご存じでしたか。」

「聞いていた。この目で見たのは初めてであったが。」

「また、開発実験中に命を落とした隊士も一人や二人ではない。」

伊庭の言葉は不知火隊士達に重い沈黙を与えた。

バルザックはうつむき、沈思黙考している。

刑部が静かに口を開いた。

「バルザック中佐の義憤は理解できる。しかしその人間性は我々には必要ない。」

「我等は人たりえる以前に、もののふなのだ。戦勝こそが生きる目的である。」

刑部の言は静かに重く隊士達にのしかかり、それぞれの胸中に問いを浮かべた。

悪兵衛は平然と聞いている。ふと、隣の桔梗の横顔を見つめる。

緩やかな鼻梁、赤らんだ頬、震える唇。かすかに触れ合った肘の暖かさに、

鋼のような自らの心根が解けるような気がして、目を逸らした。

「バルザック。隊士達の命と国民を護る為、お前の命が必要になったとき

どうする? 」

「差し出します。」

「御門に選抜された隊士達の思いも同じだ。」


*


不知火隊士達は陣幕と兵舎を引き払い、帰所する。

環太積、暁輝の仮本部に設定された航空母艦「ざおう」に全員搭乗した。

技研の松橋中佐と御津菱の竜井主任が艦で待っていた。

次期主力装備の鬼門甲の試験装備を行う事が決定した為、急ぎ先行して

不知火隊士分を用意するとの事であった。

男女に分けられ、それぞれの体躯の詳細な採寸が行われる。

首や腕回り、胸と腹など立体的な裁断で構成される鬼門甲には必要な

作業であったが、今回は腰や足回りまで、より精密な測定が行われる。

「皆が揃ってる事は中々ないですからね。」

「誰かはいませんね。」

「環太積と暁輝の隊士も集まることは初めてだよ。」

松橋と竜井はきびきびと技術者達に指導している。


「採寸後、新技術を投入した装備の製作にかかるのですが、おそらく三度みたび

三度は作り直しを考えています。」

「そこで、都度の装備試験を行いたいのですが、皆、お休みらしいですね。」

松橋の言葉に胸を撫でおろしている隊士が何人かいる。

「松橋殿、拙者は休暇はとりませぬ。」

悪兵衛が一歩進み出た。

「あ、そうなの? じゃあ悪兵衛君、装備試験に協力してくれるかな。」

「承知しました。」

「おい、休みを取らずに屯所に詰めるのか?」

一圓の言葉に悪兵衛はうなずいた。

「リンドウを置いておけぬしな。」

「確かに、あれは毎日お前の帰りを待っているね。」

一真の言葉に悪兵衛は微笑む。

心に期するものがあった。

日々の過酷な訓練が結果に結びついていない焦りがある。

悪兵衛を待つ人々の面影に心が揺れる。暖かい笑顔が浮かんだ。

だが、今はのんびりと帰省している時ではない。

たとえ二度と会えぬとしても。


二日の航海の後、大輪泊おおわどまりより上陸、三日目に隊士達は帰所を果たす。

差し迫った内偵業務の指示は無かった。

悪兵衛はその間も休むことなく灰音の設定した鍛錬を行い続けた。

強度の高い運動に体が慣れてきている。

走り、投げ、押し、引く。

上る縄を掴む手の皮が剥け、草履を履きつぶす。

飽くことなくけもののように動き続け、沈む陽に力を求め琿青を振り抜く。

左利きでの木剣での試合にて、初めて十字朗に一本を取った。

次の段階の訓練が必要な事を感じる。

帰所後にその試合を見取った灰音もまた、同様の思いを抱く。


屯所での最後の手習いの日、教養一般の師である曽我部天源より、

遠征中の自己学習の手引きを配られた。また、試験も刑部が引き継ぎ行う事が

告げられる。学徒でもある隊士達はうんざり顔で受け取った。

授業の終わりと共に、悪兵衛は灰音の自室に呼ばれる。


「魁音撃の訓練は地力が七、士魂が三と言われています。しかし、士魂は

あなたもご存じの通り、個々人で様々な性質を持ち、それに沿った魁音撃

が顕現します。」

灰音の静かな言葉を、栗の入ったようかんを咀嚼しながら悪兵衛は聞く。

「地力の訓練は私も指導が可能です。しかし、士魂はあなたの剣質を完全に

理解しその方向性まで指示できる別の手が必要と考えました。」

悪兵衛はごくり、と飲み込み息をつく。

「章さん以外に教えを乞うという事か。十字朗か? 」

「いいえ、あなたを完全に理解と申しましたのは、同一に近い士魂の

性質を持つ方ではなければなりません。」

「そんな方が本閥にいるのであろうか。」

「悪兵衛殿が使役するまで、旭光は「唯技」として認定されていました。

二千の本閥隊士の中で使える者は一人だったのです。」

「誓野、隊長。」

「そうです。環太積隊長、誓野総士郎中将です。」

「誓野隊長に教えを乞う、と? 」

「はい。すでに刑部殿を通じて環太積にお願いをお送りしておりました。

その承諾のお返事を本日、頂きました。」

灰音は懐より、環太積の印の入った封書取り出して置いた。

「明日、洲干大港に発ちます。よろしいか。」

「今すぐでもいい。」

血を上らせて赤面し、鼻息荒い悪兵衛に灰音は笑って羊羹のお代わりを

差し出した。





翌、早暁に悪兵衛と灰音は屯所を発った。

「訓練の為、隊士と行動を共にする」という外出の許可を得たリンドウを

連れ、昼過ぎに洲干大港に到着する。

少数である不知火隊士の面々はすでに詰め所の衛士にも知られている。

この港から幾度となく内偵に赴き、また帰ってきた。


二人を迎えに現れたのは、旧知の環太積隊士、久世春之丞であった。

敬礼を交わし、笑い合う。

悪兵衛の脚の間から顔だけだして伺っているリンドウに久世は気が付いた。

「悪の字、以前話していた随獣がこやつか。」

「うむ。リンドウ、挨拶せよ。」

リンドウは匂いを嗅いで脚の間から出てこない。春之丞は苦笑して

立ち上がった。

「中佐、団長ですが、本日東京より帰所の予定でしたが、遅れております。

恐縮ですが今しばらくお待ち頂けますか。」

「わかりました。……どうでしょう。悪兵衛殿、久世殿に案内して頂いては。」

「春之丞、いいか。」

「うむ。まず、控え所にて荷を下ろそう。」


本州から南にせり出した景雲半島、湾を挟んだ東京よりの東側に環太積および

日の本の軍港と周辺施設があり、それらすべてが洲干大港と呼ばれている。

玄嶽本部の番町が宿場町とすれば、城下町程の広大な規模で、司令部の他、兵站、

造船、在外公館が立ち並ぶ。

初夏の空の下、輝く港湾に海鳥が飛んでいる。

軍港の一部しか利用の経験がなかった悪兵衛には初めての景観であった。

リンドウは声をかけて遊んでくれる春之丞に慣れてきている。


「御門、どう思う。」

港湾に向かう石畳を歩きながら春之丞は言った。

「本閥ははらわたを傷つけながら戦うつもりなのだろう。」

「やはり決戦という事か。」

厳しい表情で悪兵衛は頷いた。灰音は黙している。

「中佐、弥者の本拠への遠征に何故環太積で進軍せぬのでしょう。奇襲戦と

いう事でありますか。」

「恐らくですが、敵本拠は日の本の版図を大きく逸脱しており、艦船での

移動が不可能な距離であると考えられます。」

「そんな遠くに」

悪兵衛と春之丞は絶句した。

(日の本の戦力の拠り所である、環太積の艦船、玄嶽の兵団。この二つを

もってして弥者との全面戦争に拮抗できず、という予測も立つ。)

灰音は心のうちを若い二人に告げなかった。

(それ故に不知火が戦旗を担い、敵陣の本丸に電撃のように切り込む

算段ではないのだろうか。しかし、敵本拠の情報が全く無い。)


築地ついじ塀と呼ばれる壁の内部に瓦が練りこまれた無骨な城壁が続き、

幾たびも石階段を上ったその先、大門が見える。重なり合う瓦には環太積の紋章である波の文様が描かれている。

門を潜り跳ね橋を渡る。屋外であるのにも関わらず、板張りの敷地になっており

小山のような無骨な天守が見える。その周りに防壁で囲われた

弓座が並び、行き交う隊士の数も多い。

「あれが本部か。」

「そうだ。」

「戦の為の城だな。章さん、本丸の周囲を隊士の詰め所と弓所で固めて

いるのは、本土決戦に備えてだろうか。」

「すこし、違います。」

「中佐は本部をご存じでしたか。」

「何度か伺った事があります。」

中天の陽に輝く天守閣を三名は見上げた。

「悪兵衛殿、日の本、本閥含めて最強最大の兵器をご存じですか。」

「知っている。環太積の戦艦だ。名はふがく。」

「その通りです。いま目の前にあるのがそうです。」

悪兵衛は言葉を失い、改めて辺りを見回す。

板張りの敷地は広大な甲板であり、かなたに確かに艦首が見える。

天守閣の向こうは暁輝の発着場があり、その先はよく見えない。

想像を絶する巨大さに悪兵衛は茫然としている。

「環太積本拠、嶽級戦艦「ふがく」だ。」

目を丸くしている悪兵衛に笑いながら春之丞がいった。

「驚いた。しかし春之丞、帆柱が無いぞ。それで船とはわからなかった。」

「必要ないんだ。また、後で見せよう。」

「こんな物を作るなんて、人の力は凄いな。」

「いま二番艦が建造されている。……口を閉じろ。」

灰音が二人の会話をにこやかに聞いている。


「ふがく」内部を春之丞に案内してもらい、感心し、驚き、悪兵衛は

忙しい。艦内食堂で名物のまぐろ丼まで食した。

醤油に漬けたまぐろの赤身が、甘味の強い酢飯が見えないほど乗せられ、

山のように手もみの海苔がかかっている。

灰音と春之丞が談笑している間、悪兵衛は二杯平らげた。

やがて、隊長付の小者が誓野の到着を告げる。


*


「ふがく」艦長室、環太積隊長の執務室を兼ねる部屋は、西日の差す十畳程の

小体な間であった。

簡素で虚飾の無い雰囲気が伊庭隊長に通じる。

正面に机、その奥に膝を崩した紺碧の陣羽織姿の誓野総士郎中将。

背後には青龍の掛け軸と、本柴の鮮やかな鞘に伽羅色の美しい握りの

魁音刀がかけられている。


「不知火、灰音章雪中佐です。」

「同じく播磨悪兵衛少佐であります。」

廃寺で初めて会った時のような砕けた雰囲気はない。

白の総髪に猛禽のような眼差し。厳しい表情の環太積隊長の前で

悪兵衛は萎縮した。

「誓野だ。」

「見せる。第二修練場に来い。暗い方がよかろう。」

それだけをいい、後事を春之丞に指示した。

宵までの休息を告げられ三人は一旦退室する。

宛がわれた宿舎の客間に戻った。


「章さん、誓野隊長が見せるというのは」

「恐らくですが、魁音撃の試射を行って頂けるのではないでしょうか。」

二人の会話に春之丞は頷いた。

「第一、第二は屋外の道場です。魁音撃の射出も行える設備です。また、

その準備をするようにとの指示を受けました。」

陽は出津半島の先に没し、薄紫の空に白い月が浮かんでいる。

発光する性質を持つ魁音撃は、日没後の方がその形状を捉えやすい。

誓野の短い言葉を思い出し、悪兵衛は固唾を飲んだ。





戌の刻(午後八時)を超えた頃、悪兵衛と灰音は「ふがく」外縁の

修練場に招かれた。

天を焼くほどの篝火が無数に焚かれ、環太積隊士達が居並ぶ。

その中央に衝撃反応装布で覆われた人型が立っている。

「こちらで待たれよ。」

環太積隊士が二人を誘った。

直立不動の隊士達は咳払い一つせず、沈黙を保っている。

緊張と期待で頬を紅潮させているのが見て取れる。

やがて、着流しに陣羽織の誓野が現れた。

その手には魁音刀が握られている。

ゆっくりと歩む誓野に、環太積隊士達が敬礼する。

沈黙の中にするどい衣擦れと、誓野の足音だけが鳴っている。

艦長室でも見た魁音刀が目に入った。

「章さん、誓野隊長の刀。御頭のに似ている。」

凄戔嗚すさのうです。御頭の久些那岐くさなぎと同時期に打たれた兄弟剣と

言われています。」


誓野は刀を差すと、腰を落とし、無造作に抜いた。

鮮やかな紫の火花が飛び、地面に落ちて爆ぜる。

「灰音、播磨。よいか。」

「は。」

誓野の呼びかけに二人は応えた。

誓野は上段にゆっくりと構えていく。その刀身が振りあがる間に、

あたりが振動するほどの士魂の収束を感じる。激烈な力であった。

刀身が夜空に向かって直立し、時が止まる。


「旭光」

静かに言い放った直後、白刃が煌めく。

爆壁が炸裂した。直後夜空を突き刺すような魁音撃が噴き上がる。

光烈に遅れて爆音が響きわたり、振動が地を揺らした。

目に焼き付けるようにしていた悪兵衛は、自らが被弾した旭光が、

その半ば以下の威力しかなかった事を感じる。


標的となった人型は消失していた。

気が付くと誓野は静かに納刀している。やがて、魁音刀の振動も

静まっていった。

上空より土台だけになった人型が落下してくる。

地面に激突した物は白煙を上げ、原型をとどめていなかった。

二人と環太積隊士達が辞宜する中、誓野は去った。

沈黙が場を満たしている。

やがて、隊士達の騒めきが大きくなっていった。

悪兵衛は大きく目を見開き、握った拳が震えている。


*


人気がなくなった修練場に海風が吹く。

その片隅に悪兵衛、灰音、春之丞の姿があった。

「あの瞬間で学べという事であろうか。」

悪兵衛が落胆しつつ漏らした。

「如何でした? 」

「まったくわからない。まず、俺の旭光よりずっと鋭く早かった。」

「久世殿は?」

「初見でした。あの威力に怖気ました。」

「そうだ。威力が違う。俺は訓練用の人型を粉々にした事はない。」

「……あの鋭い輝きに目が奪われた。」

灰音は微笑みながら頷き、頭を抱えている悪兵衛に寄り添う。

「つまり、どういう事ですか?」

「つまり……俺の旭光とは別の技のようだった。」


「悪兵衛殿の旭光の魁音撃としての認定は先達の物と同様であるからです。」

「誓野隊長の旭光も、編み出された当時は貴方の物と同じだったのです。」

「では、今は形を変えて強化されていると? 」

「誓野隊長は、伊庭隊長と並び、神代の剣を使役すると言われています。

全本閥隊士中二名しか顕現する事の出来ない魁音撃です。それは旭光の強化に

取り組む中で生み出されたそうです。」

灰音の言葉に悪兵衛と春之丞は沈黙した。

「輝いた、といいましたね。それは何故でしょう。」

「それは、射出した後に爆壁の閃光が目に残ったからだと思う。」

「悪兵衛殿の旭光は?」

「俺の旭光は発光しながら上昇……」

悪兵衛は自らの「気付き」に拳を握り、顔を上げた。

「そうか。誓野隊長の旭光は射出した刹那、滞空している。」

「では、あなたの魁音撃との違いは。」

「射出後、滞空し、鋭く、早く、威力が強い。」

「成程。では明日からそのように旭光の強化に努めましょう。」

「うむ。」

悪兵衛は頬を紅潮させ、立ち上がった。


灰音は未だ白煙を上げる人型と爆壁痕を細かく調べている。

春之丞が悪兵衛の肩に手を置いた。

「悪の字、良い上司に巡り合えたのだな。」

「あの方がおらねば、今の自分は無かった。」

灰音の背を見つめ、悪兵衛は頭を下げた。





厚く、黒々とした雲間から幾本かの光がさしている。

不知火屯所、作議室にて織田刑部が作戦報告書に目を通していた。

やがて、裃姿の伊庭が現れ、刑部は首を垂れる。

「人が、おらんの。」

「はい。傷病者の他、環太積への戦闘訓練出張に二名、市中見回り二名、

それ以外は皆休暇でございます。」

「幕僚向きの補正予算の提出があった。新卒の装備と訓練。進めねば

ならぬ。」

「すでに時期は待てませぬな。章雪を呼び戻します。」

「バルザックの件、伺いました。御頭のお考えは。」

刑部の言を聞きつつ伊庭は障子を開け、淀んだ空を仰ぎ見た。

に任せた。此度の出征後、結論を出すそうだ。」

「然様ですか。」

刑部は筆を置き、向き直って伊庭と共に空を見上げる。

「悪兵衛が単独で訓練を続ける事になるな。」

「はい。章雪よりの指示があると思います。」

「……誓野がな、あれが剣に愛された者であるならば、それと共に

滅ぶと申しおった。」


「私はこれまでの生活の中で、そこまで剣に偏重した思いはありませぬ。

それ故、お頭や誓野隊長のようなお心に至らず。」

伊庭は刑部の実直で明瞭な物言いに満足げに微笑んだ。

「傷病者はどうだ。」

「玄真は共に発ちます。仁悟朗は今しばらく療養が必要との事。」

「そうか。どれ、様子でも見てくるか。」

伊庭は気軽な物言いで作議室より退出した。


刑部は手元の報告書に目を落とす。

内偵探査報告。須鶯宿、地頭宅にて尊級他二名の弥者との戦闘。

播磨悪兵衛少佐、深町仁悟朗大尉両名が参加。とある。

刑部はその個所を何度も読み返していた。

(魁音撃、野火と旭光によってスバルノミコトの剣はその方向にぶれが

生じた。が、旭光の爆風の中、魁音撃射出後の悪兵衛が狙撃されたのを、

仁悟朗が庇い、胸部に飛来した刃が刺突。負傷……。)

伊庭の入室前から刑部が考えていた事である。

(仁悟朗を攻撃後、配下の進言により、スバルノミコトは撤退している。

悪兵衛を討つ好機であったはず。なぜ、対戦を避ける。)

また、それに合わせて自身のスバルノミコトとの邂逅を想起する。

東京の五条邸での戦闘であった。

薄闇の中、御簾を両断して立ち上がるスバルノミコト。

七つの宝玉が光を放っていた。

直後、行燈の灯が消え、突風と共に無数の刃が刑部を襲う。

(なんだ。何か違和感を感じる。何を見落としている。)


*


環太積本部、第一修練場は広大な運動場で、あちらこちらに訓練に勤しむ

隊士達が固まっている。

その最奥に魁音刀を持った悪兵衛、灰音が向かい合っていた。

不安げな表情の春之丞が立ち合い、リンドウだけが機嫌よくその周辺で走り回る。

草木の匂いを嗅ぎ、何が気に入ったのか、転げまわって土だらけの姿を悪兵衛に

得意げに見せに来た。


「おさらいです。旭光を滞空させその威力を増大させる為に、同一の性能で

ある基本の魁音撃、定璧の強化を目指します。」

「なぜなら、魁音撃を射出後、固定する訓練がもっとも合理的に進められる

からです。」

灰音の言葉に悪兵衛は引き締まった表情で頷く。

士魂を完全に燃焼し、強大な威力を生む旭光は日に三度まで、体力がある

時しか射出できない。対して本閥隊士達がまず最初にみにつける基本の技の

うち、定璧は十回程の試射に耐えられる。

悪兵衛ならば、さらに回数が増える。

灰音は悪兵衛と訓練の内容を確認すると、春之丞に頷き、距離を測りながら

歩みだした。

「こんな訓練聞いた事が無い。本気か、悪の字。」

「うむ。以前別の戦技を習得する為に、章さんの蹴破を何度も食らった

事がある。それに似たような物だ。」


距離をとった両名は同時に魁音刀を抜く。白と青の火花が舞い散る。

互いに正眼に構え、集中する。

「無茶だ。」

春之丞は冷や汗を浮かべて悪兵衛を見つめている。


一拍の間を置いて、灰音が魁音刀を振り抜いた。

魁音撃が線のような土煙を上げ、悪兵衛を狙い撃つ。

鋭く狙い確かな射刃であった。

灰音と同時に悪兵衛も琿青を薙ぎ、定璧を撃つ。魁音が収束し、楕円を

かたどる。

射刃が定璧に炸裂し、減衰しながら悪兵衛の上半身を打った。

悪兵衛は吹き飛んで転がり、地面に伏す。

春之丞が駆け寄った。リンドウは恐れの表情を浮かべ耳を畳んで遠巻きに

見ている。

「悪の字。」

「大丈夫だ。」

悪兵衛は全身を苛む苦痛に顔を顰めている。口中の土を吐き出した。

「悪兵衛殿、立ってください。久世殿、芯中ほんあてが得意と聞きました。もし、

悪兵衛殿の心臓が止まったら蘇生してください。」

灰音の冷徹な言葉が降る。

悪兵衛は春之丞に手を貸されてよろよろと立ち上がり、また魁音刀を

握りなおした。

「良い上司といったが、あれは間違いだった。」

「間違いではない。……ただ、章さんは時々とても怖い人になるだけだ。」

春之丞は首を振りながら悪兵衛から離れた。





向かい合い、射刃を定璧で受けるという危険な訓練は四日続いた。

その間、悪兵衛は二度魁音撃を直接被弾し、春之丞に蘇生された。

二人の噂を聞いた環太積隊士は代わる代わるその様子を見に訪れたが、

鬼気迫る訓練に皆、恐れ慄いた。

心身の疲弊を見てとった灰音は、一日を通常の鍛錬にあて、一日を

休息としたが、悪兵衛は休むことを拒み、走り込んだ。


六日目の朝、宿舎の食堂にて二人は朝食を摂っている。

かますの焼き物にかぶの梅漬け、たっぷりとわかめの入った汁物に、

山のように釜揚げしらすの乗せた飯を悪兵衛はにこやかに頬張っている。

額や首筋に黒ずんだ痣と擦り傷が痛々しいが、その表情は明るく

精気が漲っている。

飯を三度もお代わりした悪兵衛に灰音は笑っていたが、やがて改めた

口調で切り出した。

「屯所からの呼び出しがありました。本日帰所いたします。」

悪兵衛も箸を置いた。

「では、帰所してから訓練の続きを行うという事か。」

「いいえ、あなたはここで一人で訓練を行ってください。」

「屯所には人がおりません。私も調整作業に追われます。」

悪兵衛の不安を灰音はすぐに読み取る。

「道筋はあるのです。あとはあなたが掴むだけです。」

灰音の瞳をみつめ、悪兵衛は奥歯を噛みながら頷いた。


*


第一修練場。悪兵衛が鉢巻をきつく縛っていると、春之丞が現れた。

いつもの丁服に軽衫ではなく、詰襟に羽織であった。

もうすっかりリンドウも心を許し、腰まで飛び上がっている。

「春之丞、その姿は」

「任務だ。海戦があったのだがその掃海だ。」

「そうか。」

悪兵衛は灰音の帰所を告げ、春之丞の任務の内訳を聞いた。しばらくは

本部に戻れぬように思われた。

「一人では訓練の続きは出来まい。どうする? 」

「なんとかする。章さんは俺一人でもといった。」

二人は互いの肩に手を置き、敬礼の後に別れた。

修練場の外周を走り込む若い環太積隊士が見える。

一人佇む悪兵衛を海風が撫でる。

琿青を握り、その柄を額にあてた。

リンドウが不安気に見上げている。


その後二日を素振りと走り込み、定璧の試射で費やした。

単独での訓練の答えは見つからない。

三日目の朝、琿青を背に負い、走り込みの為の足回りを固めている

悪兵衛の前に環太積隊士が立った。

精悍な表情に大柄、一目でわかる白兵であった。

「失礼いたします。播磨少佐。自分は第一機動歩兵隊、加藤允義中尉であります。」

敬礼を返した悪兵衛はその部隊名を想起した。

「第一……。では、幡殖宿での。」

「は。従軍させて頂きました。」

「雷光に立ち向かい、ただ一人で幡殖平野を睥睨した少佐が目に焼き付いて

おります。」

「あれは、連続で撃てるかどうか確かめただけだ。陣に帰ると膝がこのような。」

悪兵衛はがくがくと脚を震わせて笑った。加藤は微笑んだが熱い視線を悪兵衛に

注ぎ続けている。

「久世に、訓練の事を聞きました。自分らにお手伝いできるでしょうか。」

その言葉と共に十名程の第一機動歩兵隊士が駆け寄ってきた。

確かに、見知った顔がある。どうやら、加藤が受け入れられたら

皆悪兵衛の元に集まる算段であったらしい。

敬礼する環太積隊士達の表情はまっすぐに悪兵衛を見つめている。

「助けていただけるか。」

答礼した悪兵衛は心中に熱く噴き上がるものを感じた。

不安を吹き飛ばし、全身に力が漲ってきている。


悪兵衛から訓練のあらましを聞いた隊士達は皆顔を見合わせ、

あまりの危険な行いに表情を曇らせる。

「少佐、本気ですか。無謀です。」

「悪兵衛でいい。本気だ。もし、俺の心の臓が止まったら、

芯中で蘇生を頼む。」

言いながら大き目な手ぬぐいを重ね、眼窩を覆うように巻いた。

灰音の去り際の言葉を思い出す。

「悪兵衛殿、あなたは相手の動作のを目で見、音を聞き、

無意識に自らの身体で反応しています。私の射刃に対して意図的に定璧を

撃ったのは初撃のみ。あとは私の動作を読み、定璧を射刃にぶつけています。」

「それでは訓練の意味は薄まってしまいます。あらかじめ定璧を放ち、保つ

のが目的なのです。」

「無意識……。たしかに章さんの射刃に合わせて勝手に身体が動いていた

気がする。」

「動体に対する眼力と反射。あなたの抜きんでた能力の一つですが、訓練では

不必要です。久世殿の射刃を受ける場合、目隠しをして臨んで下さい。」


視力を潰した悪兵衛は琿青を手に立ち上がった。

「では、頼む。」

盲目の状態で魁音撃を受けるという常軌を逸した訓練ではあったが、

その意図を聞き、環太積隊士達は意を決して刀を持った。

医療班より蘇生用の人員がかけつけたと報告を受け、悪兵衛は頷く。

仄明るい日光、海風、潮を含んだ土の匂いを感じる。

騒めいていた環太積隊士達がみな、沈黙した。

一人の足音が灰音の立っていた位置に移動している。

悪兵衛は琿青を抜いた。静かに金属音が滾る。

相手の魁音刀の抜刀が聞こえた。

脚を踏み込み、刀を構えた気配。同時に悪兵衛も正眼に構える。

「いざ。」

一拍の呼吸を置き、見えぬ相手は剣を振り抜いたように思える。

空を裂く金属音、収束した士魂の放出を身体の前面で受けた悪兵衛は

渾身の定璧を撃った。

射刃は太く、大きく、悪兵衛の定璧の盾を砕いて悪兵衛に

炸裂した。減衰してのこの威力は強すぎる。

悪兵衛は吹き飛びながら意識が遠のき、地に激突して何度も転がった。


「なんだ、こやつ。受けられぬではないか。」

「ばか、上条。本気で撃つ奴があるか。」

「俺から一本取った時の気迫が失せておる。」

「栗本殿、蘇生を頼む。」

「心の臓を止めたか。これはまずいな、阿波野。」

「まったくお前は。」

悪兵衛は薄れゆく意識の中で、覚えのある声を聴いた。





大居藩東側の沿岸、いくつかの漁村からの通報を受け、環太積第一機動歩兵隊は

現れた狗族と交戦した。狗族は弥者の使役によるものではなく、

単純な捕食活動に人間に接触したと考えられ、魚人の群れの中核を討伐した

第一隊は本部、洲干大港へ帰着したばかりであった。


上条源之助の激烈な射刃を受けた悪兵衛はすぐに意識を取り戻したが、

身体は悲鳴を上げ、その日は休息するしかなかった。

起き上がった悪兵衛から、訓練とその目的を聞いた上条、阿波野両名は

改めて第一機動歩兵隊と共に協力を申し出た。

翌日より、環太積の剛者達との厳しい訓練の日々が始まった。

早暁からの走り込み、自重を用いた筋力の増強、組打ち、素振り、水を被って

からの朝食に、昼までを木剣試合。午後からは定璧による魁音撃の防御。

あまりの激しい鍛錬に第一隊の侍達も膝をついて動けぬ程であった。

が、悪兵衛は夕日を背に、単独で左に持った琿青を振り抜く。

体力の限界を超えた時に剣と体が一つに溶け合い、全身全霊を込めて

素振りをする瞬間に何もかも忘れていた。


十四日を数えた。

その間第一隊の出撃もなく、凝縮された日々を過ごす。

木剣での鍔迫合の後、不意に引かれた剣に態勢を崩した悪兵衛が、上条の

足払いと受けて派手に転ぶ。が、自らの身体が地面に激突した反発を利用

して起き上がり、炎のような気迫で上条に迫る。環太積隊士達はその度、

感嘆の声を漏らし、二人に声援を送る。

阿波野は見所の奥からその二人を見つめていた。

やがて、その背後に誓野が現れる。

阿波野は居住まいを正し、敬礼した。

「団長、播磨を上条の元に置けぬでしょうか。」

「敬次郎の言葉とは思えぬな。何故だ。」

「思うに剣で身を立てる者は孤立しがちです。のような。」

阿波野は先ほどの技を悪兵衛に大声で伝え、何度も投げ飛ばしている

上条の背を見つめた。

「播磨は根本で仲間と共に過ごす事を良しとしている。ああいった侍には

珍しい気質です。上条とも気心を通じています。」

「我が隊の大幅な戦力の増強を見込めます。」

懐手の誓野に向き直った。

しばし目を細めて試合を見ていた誓野は、やがて口を開く。

「播磨悪兵衛。あれは伊庭が此度の遠征の不知火の中核としている。」

来る決戦を想い、阿波野は唇をかみしめた。

「戦は、我々の勝ちだ。だが不知火は壊滅するだろう。」

「播磨。あれも例外ではない。命を落とす。」

重い言葉を残し、誓野は去った。

「阿波野、来てくれ。何度言ってもこやつに通じぬ。」

上条の声に阿波野は手を上げて応えた。


さらに七日。過酷な訓練の毎日が続いた。

環太積本拠での生活にひと月近く。遠征の出立日を翌々週に控えていた。

第一機動歩兵隊全員の射刃を定璧で受けきるようになった悪兵衛は、

上条の全力での魁音撃も防いで見せる。

死と隣り合わせの訓練であるからこその成果であった。

その日の午後の演習を終え、膝をついた環太積隊士達と後目に、

悪兵衛は木刀に切り替えて定法を行っている。

いくつかの型をゆっくりと丁寧になぞる悪兵衛を上条が見つめる。

阿波野が声をかけた。

「悪兵衛。上条、来てくれ。」


「来週、第一隊は遠征前の沿岸警備を命じられた。共に訓練を行うのは

これで打ち切らねばならぬ。」

「そうか。任務か。」

阿波野と上条の言葉を悪兵衛はうつむきがちに聞き、顔を上げると

深く礼をした。

「悪兵衛。訓練の成果を確かめようと思うが、どうか。」

「は。是非にも。」

「上条の魁音撃を旭光で受けよ。その際、旭光の射出後に上条は

攻撃する。が無ければ直撃するであろう。」

「承った。皆さまの協力の成果をお見せする。」

「よし。支度をして青場だ。」

屋外の第二修練場を環太積隊士は青場という通称で呼んだ。

阿波野の言葉に頷いた悪兵衛は、琿青を手に、各隊士達に礼をしている。

「上条。」

阿波野に頷いた上条は共に道場を出た。

「何か、考えがあるのか。阿波野。」

「うむ。逸穿いっせんで撃て。」

「何。」

阿波野が口にした技は、上条が得意とする魁音撃である。

その威力は射刃十度を一か所に集弾したのと同一か、それ以上であった。

護りを旨とする玄嶽隊士の劫壁は定璧の数倍上の防御性能だが、それでも

相殺できるかどうかと言われている。

「わかった。悪兵衛には逸穿を撃つ事は告げるぞ。奴にも覚悟をもたせる。」

「そうだな。右肩、脇腹、腿のいずこかを撃て。」

「防げなければ負傷は免れず、命までは取らずという事か。」

「ああ。死んでしまっては元も子もない。」

「よし。」

意思を強く固め、奥歯を食いしばる上条の横顔を阿波野は見つめる。

(起き上がれない程の負傷をさせれば、此度の遠征には組み込まれない。

それが結果的に奴の命を救う事になる。)

目を伏せ誓野の言葉を思い出しながら、海風の強い渡り廊下を歩む。

鍛えに鍛えた上条の岩のような背を見つめ思う。

(不知火亡き後、の右腕は悪兵衛だ。)


篝火の並ぶ第二修練場には、第一機動歩兵隊以外の環太積隊士達も

集まっていた。

日はすでに暮れ、厚い雲で星々が隠されている。

悪兵衛は炎の長着姿に鉢巻、手甲と不知火の正式とされる姿、対する

上条も戦陣羽織である。その手には環太積正式採用の魁音刀、「伊真いさな」が

握られている。

阿波野の合図を二人が待っていると、詰襟に羽織姿の誓野総士郎が現れた。

隊士達は皆、敬礼で出迎える。

設えてあった床几に腰かけ、阿波野に頷く。

吠えるような風を裂いて、阿波野が声を上げた。

「両名、よろしいか。」



十一



上条は射るように悪兵衛を見据えている。

その姿を視界から外し、大きく息を吐く。

わが手の琿青に波のように士魂が伝わり、断続的な金属音が鳴っている。

控えの間での言葉が脳裏に蘇る。


「悪兵衛。俺は逸穿を使うぞ。」

「逸穿。源之助殿の魁音撃でござるな。」

「知っておろうな。」

悪兵衛の表情を見て取り、話し出そうとする上条を悪兵衛は手で止めた。

「弥者は、前もって攻撃手段を伝えたりはしませぬ。」

「うむ。」

「悪兵衛、すべてを賭けて止めろ。意識を失う所では済まぬぞ。」

「はい。」

決意の微笑みを浮かべる悪兵衛の肩を、上条は強く掴み、頷いた。

悪兵衛の眼差しを想い、上条は目をつぶった。

二人の姿を阿波野は交互に見つめる。

(逸穿は旭光で減衰したとしても、肉をえぐり、骨を砕く。)

(悪兵衛、お前は戦で命を落としてはならぬ。本当の闘いは、斃れて後已むもの

では決してない。)

海風を裂いて、金属の炸裂音が鳴った。

抜刀の鮮烈な青と緑の光が舞う。

琿青を引き抜いた悪兵衛はゆっくりと変形上段に構える。

対する上条はひたり、と正眼をとった。

互いに微動だにしない。悪兵衛の鉢巻が風に舞った。

阿波野と共に環太積隊士達は固唾を飲んで見つめる。

誓野は、上条から悪兵衛に視線を移した。


「旭光」

「逸穿」

収束した士魂が破裂したかのように爆壁が生成される。

閃光があたりを照らした。


*


不知火屯所、診療所。

二階は深手を負った隊士達の為の個室になっている。

陽光のさしこむ二人部屋、盤面に駒の音が鳴った。

右手を包帯で吊った伊駒玄真、胸と左腕を固く固定され、束帯で巻かれた

深町仁悟朗であった。

たがいに自由な手で将棋を指している。

「ううむ。」

「同じ手にかかりおって。」

やや仁悟朗よりは上手うわてな玄真が笑いながら茶をすすった。

ぞりぞりと顎の無精ひげをさする仁悟朗の手が止まる。

階段をあがり廊下を歩む強い足音が聞こえる。

やがて、障子が勢いよく開かれた。

「仁悟、玄真殿。」

日に焼け、傷痕残る顔を綻ばせた悪兵衛であった。

「帰ったか。おいおい、包帯まみれではないか。」

「仁悟朗、そりゃ我々もだ。」

玄真の言葉に明るい笑い声が響いた。


「俺はみての通りだ。」

玄真は包帯から腕を抜いて振って見せた。

「本日から訓練も開始する。あとは仁悟朗だな。」

「仁悟、どうなのだ。」

悪兵衛の言葉をうけて仁悟朗は右腕で左肩を掴むように、身体を

たわませる。ぱき、ぱきと乾いた音が鳴った。

「白組の奴の唾液は、外傷の治りと共に剥がれていく。身体内部では溶けて

いるそうだ。」

「身体は動くが、心臓付近は確認できぬ。大事をとってまだ安静と言われてな、

三日に一度は検査を受けている。」

仁悟朗の報告を聞き、悪兵衛は胸をなでおろした。

「そういえば、あの忍び、葛之介といったか。技研に招聘されたのだが、

霧丸が頑として断ったそうだ。本人が望んではいないとな。」

「そうか。首代も仲間を想うのだな。」

「さあな、忍びの身体の秘匿を公にするわけにはいかんのかもしれぬ。」

霧丸の厳しい相貌を想起する。朧丸の言によれば、次期月光首領は

あの男であるという。然もありなん、悪兵衛は思った。


「聞いたぞ。魁音撃鑑別試射を行ったそうだな。」

「うむ。環太積本部から願書は提出された。今はその結果を待っている。」

「どうなのだ。その「旭光改」は。」

「正直、自分でもよくわからない部分がある。試射の結果も不安定であった。」

新たな魁音撃を身に着けた場合、本閥による認可の裁定が必要となる。

佐官三名以上により、その攻撃の威力、形態、弾数、被射人の身体への影響を

細かく調査され、幕僚へ提出される。

幕僚および本閥より認可されなければ、それを使用する事は許されない。


新たな魁音撃。悪兵衛のは、上条源之助の強力な技、逸穿を完全に防ぎ

きった時、顕現した。

環太積第二修練場に於いて、悪兵衛の「旭光改」は環太積隊士達はもとより、

隊長、誓野総士郎も目撃している。

顕現の翌日より三日に及ぶ試射を行った。

悪兵衛は当日に灰音にその便りを出し、屯所に伝わっている。

不知火に帰所したのは、昨日の夜半である。

翌週末に控えた出征に、間に合った。

「いけるか。」

「うむ。」

仁悟朗の問いに、悪兵衛は力強く頷いた。

「よくぞ編み出した。共に発てぬのが口惜しい。」

拳を握った仁悟朗が将棋の盤面をたたいた。駒が飛び散る。

「ああっ、ずるいぞ仁悟朗。お前が負けてたであろうが。」

「玄真殿、わざとではござらぬ。」

舌を出した仁悟朗を見て、悪兵衛は笑った。



十二



照りつける白い陽を遮り、目に染みるような緑の楓の葉が揺れている。

柵明荘の空き部屋に個人の荷を放置していた者は、すべて引き払うよう

達しが出ていた。

着の身着のままと琿青、形見の脇差ししかない悪兵衛は、仁悟朗と士道の

荷運びを手伝っている。

起き上がる事が出来ない仁悟朗の分は別として、厄介なのは畦倉士道の

私物であった。刺股、鎖鎌、長刀に大弓と物騒極まりない。

「一人で戦をやるつもりか。」

笑いながら声をかける美浪を一瞥して、乱雑に数本の打ち刀をまとめる。

「士道、どうする。部屋に入らぬぞ。」

悪兵衛が戦太鼓を下ろした。

「致し方ない。処分するか。」

「新人が部屋に入るのだろう?進呈してはどうだ。」

「おお、それは良いな。」

「これ士道、悪兵衛。」

いつの間にか織田刑部が立っている。苦笑を隠しながら見回した。

「新人がそんな物欲しがるか。表に運べ。終えたら作議室だぞ。」


表の石畳に各々が不要とした書物や防具、衣服が積まれている。

悪兵衛と士道もようやくすべて運び終え、汗を拭った。

「悪兵衛。遺書を改めるなら本日までだぞ。」

「ああ。俺は改訂はない。」

「そうか。」

隊士達はあらかじめ遺書を用意し本部に届けているが、今回の出征に関して

改める事が許されていた。

二十名程の不知火は、一番旗を担ったとて、初戦が前面対決であるなら

まず壊滅するのは間違いないものとして見られている。

隊士達もそれは認識していた。

荷物の整理の後、作議室に全隊士が集まり、刑部より来週の出立までの

予定を伝えられた。

本閥他三軍は盛大に出征式と執り行うとの事であったが、

不知火は行わない。また今日以降の外出を禁ずるという話に隊士達は騒めく。

この後に何人かにわけて伊庭から個別に指令が下るという事であった。

入道雲がわきあがる夏空。クマゼミの声が響く。

悪兵衛はなにか、不穏な空気を感じる。

一旦解散となり、あとは各々に連絡の後招集される。

悪兵衛が立ち上がると、灰音に声をかけられる。

その足で小体な面談室に二人は向かった。


文机を挟んで差し向かえに座った灰音は、懐より二通の封書を

取り出し、悪兵衛の眼前に置いた。

一通は魁音撃鑑別報告書、もう一通は魁音撃認可証とある。

「これは。」

「おめでとうございます。悪兵衛殿。認可がおりました。」

悪兵衛は二通を手に取った。やや、指先が震えている。

「章さん、間違えないか。」

「はい。不認可であった場合、鑑別報告書しか届きません。」

悪兵衛は封書を机に置き、座布団より下りて手をついた。

「章さん、大変、世話になりました。かたじけない。」

頭を下げる悪兵衛を灰音は微笑んで見つめる。

「さあ、頭を上げて。認可証をあらためましょう。」


鑑別報告書は、試射の結果とそれに対する技研の見解、攻撃種や範囲の

規定に沿った分別と、威力の査定等が詳しく記されている。

またそれを検証した者の氏名と印、提出した者の記名があった。

提出者の筆頭には誓野総士郎の名がある。

「これだけ早く認可が下りたのも、誓野隊長が直々に試射を見、

その結果を意見して頂いたのが大きいですね。」

「そうか。だからこの期間で返答が来たのか。」

「魁音撃に関して、誓野隊長に異を唱える事が出来るのは、本閥全体でも

お頭しかおりませぬ。」

大量の書簡である鑑別報告書に対して、認可証は簡易な一枚紙であった。

認可番号、本文、認可者の氏名と印しかない。

悪兵衛はそのうちの主文を黙読し、次に声に出して読み上げた。


「剣先又は剣中央部より攻撃時に爆壁を生成、一秒半の間、収縮。後に

前方四十五度から二百七十度の内角に十六の榴撃を発生。複数の攻撃目標を

持つ。貫通する指向性と高威力の殺傷能力。」

「海面より現れ、曙光を放つ日に因み、命名する。」

「爆壁魁榴弾、旭日。」

灰音は聞きながら頷く。

「旭日。尊い名を付けられましたね。」

昇る陽の名を持つ二つの魁音撃。それは絶望的ないくさに

差し込んだ光に思えた。





曙光きたり 了  

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不知火戦奇 @tsuruhiroki

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