第十二話 思い出

「ううっ……うっ……ううっ」


 母さんがその場に崩れるように顔を伏せて泣いていた。

 目の前に見えるのは瓦礫の山……そこは元々僕の実家が建っていた場所である。

 蓮華が母さんを勇気づけようと肩を持って慰めているが、僕はその場で何も出来ずに立ち尽くすしかなかった。


 辺りの家も同様に瓦礫と化していて、記憶にある様な街並みは残っていなかったのである。

 あの日、異界の門が初めて出現した日……死傷者一万人以上を記録した大災害の傷跡はとても大きかった。

 世間では怪獣が出現しただの世界の終わりだの騒がれているが、どうも他人事のようなメディアの伝え方に腹が立つ。それは八つ当たりか。

 何も出来なかった自分に対しての腹立たしさのほうが数倍上だった。


「お兄ちゃん……」


 心配そうに蓮華が僕を見つめていたことに気付いた僕は、慌てて二人に駆け寄って肩を抱く。


「二人が無事でよかった」


 これは本心だった。家がこんな状況で二人が無事だったのは奇跡に近い。

 あの日から一か月が経過し、ようやく規制された区域の一部の立ち入りが許可された。

 辺りは瓦礫の撤去作業に奔走する業者が目立つが、中には近所の方の親族らしき人が花を持って訪れ、その場で手を合わせて震えているのが見えた。


 無論、僕たちも同じだ。母さんが白と黄色で彩られた花束を実家の入り口があった場所にお供えし、手を合わせている。

 この祈りは父に対してだった。教師をしていた父は勤め先の子供たちを助けるために必死で外に誘導し、崩れた校舎の下敷きになって亡くなったと聞いている。

 外に避難して助かった者も多い、もしそのまま逃げていたら助かっていた可能性もある。しかし、父はその身を犠牲にし、子供たちが避難することを優先した。


「ねぇお母さん、お兄ちゃん。私、ヒーローになろうと思う」


 蓮華がポツリと呟いた。僕は妹の発言にぎょっと目を見開く。

 泣いていた母さんも目を見開いて妹を見つめた。


 あの日、特殊能力に目覚めた人間がムカデの化け物を倒したことでヒーロー旋風が巻き起こった。

 ヒーローは実在した! 次もこんな事があるかもしれない! その時はヒーローに頼むべきだ!

 そこに目をつけた多くの大手企業が提携し、ヒーローを支援する会社、ヒーローカンパニーを設立。政府とも手を組んで瞬く間にヒーローと言う存在が普及した。

 元々映画などでヒーローを知っていた日本人からすると世間から受け入れられるのには時間がかからなかった。ここ数日、各地で発生した犯罪をヒーローが解決することがメディアに取り上げられ、好意的な視線が向けられていた。


「ダメ、ダメよ! 蓮華が危険なことに巻き込まれるなんて私、耐えきれないわ。それにまだ小学生じゃない」

「年齢は関係ないよお母さん。あの日、私も特殊能力に目覚めた」

「確かにその力のお陰で私は蓮華に助けられた! けど、危険なことを貴方がする必要は無いの!」

「だけどお父さんを助けられなかった! 他の人だって! もしかしたらお父さんみたいに多くの人を助けられたかも知れないのに!」


 今までここ一か月、涙を見せなかった蓮華の目から雫が流れた。

 蓮華はあの日のことをずっと後悔していたようだった。

 表情を見て、何も言えなくなった母さんが口をぱくぱくしながら僕を見つめる。何か言え、とのことらしい。


 僕は小さく咳払いすると、出来るだけ優しく、蓮華に尋ねた。


「なぁ蓮華。人を助けるって難しいことだ。そんな難しいことを何でやりたいって思ったんだ?」

「私はお父さんみたいになりたいの。お父さんのように他人を思いやれる人に。お兄ちゃんだってそうでしょ?」

「……あぁ」

「私も同じ。この力を他の人の為に使いたい。人を助けるために使いたいの」


 蓮華は僕を見透かしているように言葉を返した。僕も父さんに憧れたからこそ教師を目指している。

 そんな僕と方向性は違えど、同じ道に進みたいのだと主張する。僕に、妹を止める権利何て無い。蓮華を止めることは僕自身の信念を否定することになるからだ。

 小学生に負かされてしまったらしい。まったく……小学生は最高だぜ! 何て誰が言ったか。


 蓮華は僕には見えないビジョンを見ているようだった。


「母さん、僕にも蓮華を止められない。蓮華にはヒーローの素質があるのかも知れない」

「……そうよね。お母さんもそう思うわ。蓮華は一度言ったことを曲げないもの。まったく誰に似たんだか」


 そう言って苦笑する母さんを横目に、僕は蓮華を見た。

 現実は蓮華の思う以上に甘くないことは大学生になってから徐々に分かってきた。

 誰しもが助けを求めている。それはいい人だって、悪い人だって平等に。蓮華はちゃんと取捨選択出来るのだろうか。

 もしかしたら蓮華もいつか悩みと言う壁にぶつかるのかもしれない。その壁を乗り越えた時こそ人は成長する。蓮華の運命がどう転ぶかは分からないが出来るだけ見守ってやることくらいは出来る。


「いいか、蓮華。力があっても、人に暴力を振るったところで何も産まれない。だが、守るために使うことが出来れば、正しい道からは外れないのだ、と父さんが言っていた。生徒同士で喧嘩した時にそう怒ってたんだって」

「うん、私も知ってる。この力は人を守るために使うよ」

「僕も蓮華に弱い者虐めするような姿を見せてほしくない。だけどね、それは強い人に言う言葉なんじゃないかと思うんだ。蓮華は強くなったとは言えまだ小学生、力が強くなったって、悪い人の中には力だけじゃなくて、知識とか……精神とか、強い人は沢山居るんだ。そんな人が立ち塞がってきたらどうするの? もし蓮華より強い人が現れたら……」

「私は絶対に負けないよ! 守るために他も強くなってその人の上に行く。だけど、もし私より強い人が現れたとしても、私はね―――」



 ***



 走馬燈なのか、妹がヒーローとして決意した瞬間を思い出していた。

 まだ小学生だった妹が人を助けるために目覚めた能力を使うことを決意した日のこと。


「――諦めない。か」


 諦めない、私が諦めたら守ると決めた人も守れなくなるから。

 蓮華はそう決意して五年もヒーローを続けてきた。そうだ。僕が諦めたら次は鹿島や中山を襲うだろう。

 僕は何のために来た? そうだ、生徒を救うためだ。僕が出来ること、それは時間稼ぎだよな。


「僕だって、諦めるもんか!!」


 ゴブリンの棍棒が僕の脳天に向けて振り下ろされているのが確認出来た。

 軌道も見える、朝も味わった感覚。スローに見えるけど、体は動く。ゴブリンの動き自体単調な物だ。その軌道を避けるように体を逸らす!!

 まさに一瞬の出来事だった。避けた場所に棍棒が振り下ろされ、壁を破壊して突き刺さる。

 コンクリートの砂煙が舞い、その威力が露わになった。


「あっぶな!! なんちゅう威力だ!!」


 ゴブリンから距離を取る。

 やはりコイツは普通のゴブリンとは一味違う、あの攻撃を喰らったら最後、僕の頭は確実に潰れていた。


『グギャアアアアア!! グギギギィィィィィ!!!』


 棍棒が壁に貫通したことで抜けづらくなったらしい、棍棒を引っ張るも簡単に抜ける気配は無い。ゴブリンは避けた僕を目視しながら怒りを表現するかのような声を放つ。

 その声に合わせて三階から複数匹の小型のゴブリンが顔を見せた。


「やばっ……」


 仲間を呼んだらしい。卑怯な奴だ!!

 武器だったバールは既に折れてて使い物にならない。今僕が出来ることと言えば……。


「シェルターに行く!!」


 逃げるのみ!! 棍棒を抜こうとするゴブリンを傍に、二階へと階段を駆け下りる。シェルターまではあと少し、という所で一階と二階の間の踊り場に二匹のゴブリンの姿を捉えた。

 ゴブリンは降りてきた僕を見つけると獲物が来たと笑うように鳴き声をあげながら、階段を昇る。


「なっ、鹿島と中山! 無事か!?」


 大声で呼びかけるが返事は無かった。

 二人が逃げた先にもゴブリンが居たのだろうか。

 イヤホンが壊れて状況を把握出来ないため、無事にシェルターに避難出来たのか分からず、不安が募る。


「クソッ!!」


 武器の無い僕にこの階段を突破することは不可能だ。小型だとしてもモンスター相手に素手で挑むのは分が悪い。

 僕は二階の廊下を進むことでゴブリンへの接触を避けて別ルートから階段を降りることを決める。

 しかし、階段には複数匹のゴブリンがスタンバイしていて、別の階段を使用することが出来なかった。

 いつあの大きいゴブリンが追いついてくるか分からない。


『『グゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲ』』


 後ろから複数のゴブリンの鳴き声が聞こえる。

 僕を襲おうとするゴブリンの数は少なくなるどころか多くなっているようだ。


「渡り廊下は……!」


 別校舎へと繋がる渡り廊下を窓越しに目視するがゴブリンの姿は確認できなかった。

 残されたルートはそこしかない。誘導されているようで癪に触るが、進むべき道はそこしか無かった。

 渡り廊下から別校舎に渡る。次に何処に逃げればいいのだろうか。シェルターに繋がる通路は閉鎖されている為避難は出来ないし、外にもゴブリンが多くいるため脱出は不可能。シェルターに繋がる秘密の通路だって校長室にあるので戻らなければいけない。しかし、あそこは多くのゴブリンが占拠しているわけで。


 避難場所を考えている最中、ふとズボンのポケットの重みに気付いた。


「……屋上か」


 今、手元にあるのは屋上の鍵だ。ここの校舎の屋上であればまだゴブリンは居ない筈だし、ジッとしていれば気付かれないのでは無いだろうか。


「よし!」


 意を決して屋上まで上がる。幸い、ペースが乱れることなく屋上へと辿りついた。

 別校舎の屋上の扉は鹿島と中山が壊していないお陰で綺麗そのものだ。窓から見るにゴブリンも居ないし、もしかしたら隠れてやり過ごすことが出来るかもしれない。

 ただ、扉には鍵がかかっているため持っていた屋上の鍵を差し込んだ。


「あ、あれ?」


 しかし、奥まで刺さらない。

 もしかして、校舎別に違う鍵なのか!? 知らない。屋上の鍵は今持っているこの鍵しか知らないぞ!?


『グギャギャギャ―――!!!』


 下からゴブリンの鳴き声が聞こえた。どうやら直ぐ近くまでゴブリンが追ってきたらしい。

 扉が開かない。ここだと見つかれば袋小路だ。どうすればいい……? 扉の窓ガラスを見つめる。

 この窓から屋上へ逃げるしか選択肢は無い。


 扉のガラスは壊れるのだろうか? もしここの校舎の扉の窓ガラスが強化ガラスで補強されていたら? そもそも屋上に逃げて何になる?

 ごくりと息を呑んだ。


「ええい! 自問するのが僕の悪い癖だ! 南無三!!」


 僕は扉から距離を取る。そしてそのまま窓に向かって飛んだ。

 体が軽い、本当に飛んだように一瞬心地よくなる。しかしそれもほんの一瞬。

 肩近い腕が窓ガラスに触れた瞬間、薄い氷を踏んだ時のように簡単に亀裂が入る。そのまま大きな音を立ててガラスが割れた。

 勢いのままに腕から着地し、屋上へ転がり出ると体勢を立て直せるように膝をつく。


 腕が痛い。映画のようにはいかない。


 小さいガラスの破片が突き刺さって、そこから血の玉が浮き出た。

 僕は付着する欠片を払いながら痛みを紛らわせるように腕を擦る。


「逃げ場所はもう無いぞ……」

『グギャアアアアアアアアアアアアアア!!』


 直ぐ近くで鳴き声が上がったのに気付く。

 もうここまで来ていたのか!! 割れた窓越しに大きなゴブリンが僕をジッと見つめていた。

 にちゃあと汚らしく笑みを浮かべる。


『グギャアアアアア!!』


 割れた窓ガラスから入ってくる様子は無く、手に持つ棍棒を振りかざし、窓を含めた扉自体にぶつける。

 屋上の扉は鉄製の物を使用しているからか、頑丈なのが幸いし壊れる気配は無かった。しかし、大きな音を発し、窓に残るガラスの破片が崩れ落ちる。

 ガシャン!! ガシャン!! と何度も棍棒で殴りつける。徐々に扉の形が歪んでいるのが見えた。


「な、何してるんだ……」


 直ぐに屋上に入って来ない。

 まるで恐怖する僕の反応を楽しんでいるみたいだ。


「はぁ、はぁ、クソッ!!」


 息を切らしながらそのまま立ち上がると、どこか逃げ場所はないか探してみる。

 見知らぬプレハブ小屋がある。隠れる場所にうってつけだが、入り口は南京錠のようなもので封されている。鍵が無いと開けることは出来ないだろう。

 だとすれば……屋上の塔屋の影に体育座りの姿勢で体を小さくして身を隠す。

 ヤバい、マズい。これ以上時間稼ぎは出来ない。ヒーローはまだ来ないのか? と焦りが募る。


 痛みで涙が出そうだ。歯を食いしばり、そのままジッと耐える。


「クソッ……誰か……助けて」


 万事休すか。

 祈るように呟く。その呟きに応えるかのように、聞き覚えのある声が僕の耳に入って来た。


「まったく、情けない主よの」

「ご主人様、お助け致しますわ」


 その声の主は。


「ノム……ベル……?」


 二人が僕をじっと笑顔で見つめていたのであった。

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