第9話 覚醒

「ピツ・・・・・  ピツ・・・・・   ピツ・・・・・  」

聞き慣れた心地良い振動が続いていた。それは小鳥のさえずりにも似た、微かな微かな響きで、ヒコノの脳を刺激し続けていた。それは強く、弱く絶え間なく繰り返し、ともすればまどろみの中に留まろうとするヒコノを、責立てるように根気強く続いていた。聞き慣れている筈の振動ではあったがどうもせわしないようだ。

「ピツ・・・・・  ピツ・・・・・   ピツ・・・・・  」

ヒコノは徐々にはっきりしてきた意識を確認しながらも、このまどろみを楽しんでいた。冷たかった手足の感覚も戻り始めたようだった。まだ夢と現実がゴチャ混ぜになっていて、ヒコノはそれを一つ一つ解きほぐさなければならなかった。大概この作業にはかなりの時間が必要であったが、それも好い暇潰しにはなった。頭の中をホームタウンの仲間やビックマザーの言葉などが駆け巡っていたかと思えば、ジルとの楽しい思い出などが走馬燈の様に目まぐるしく走り去って行った。記憶喪失になった様なもどかしさと戦いながら、ヒコノは久しぶりの体の感覚を楽しんでいた。まだ目を開けることはできなかったが、全身を包んでいる暖かい液体の揺らぎの中で、徐々に鮮明さを増して来る記憶を繋ぎ合わせていた。ただ今回は、いつもの痺れが残るような気だるさは感じられず、いつもより意識はクリアーであるような気がした。

”・・・・・・  覚醒からリフレッシュに入ったのは・・・ えーと、何だったっけか?・・・ 確かアーニーと何かを話した後だったな・・・。大事な何かをだ・・・ジルとも関係があった。それだけじゃないぞ・・・。しぶしぶ・・そうだ、しぶしぶリフレッシュに入ったんじゃなかったか?”

「ピツ・・・・・  ピツ・・・・・   ピツ・・・・・  」

いつもよりクリアーに感じられる意識に、単調さを続けるシグナルが苛立ちを感じさせてきていた。何かやらなければならない大きな事が、ヒコノを待っているような気がしていた。覚醒を何百回とこなしているヒコノではあったが、何とも今回のそれはまどろっこしく感じられた。何かが早くこの窮屈な覚醒ケースから飛び出せと言っているようだった。

「おはよう・・・気分はどうだい?だけどまだもう暫くユックリしてくれないかな?覚醒するにはまだ調整とチェックが万全じゃないんだ。チョット気が張りすぎているようだからね・・・」

「アーニー。・・・ アー・・・ ガゴゴゴゴオオオ・・・・・・」

何か喋ろうとして口を開くと、生暖かい粘性の高い液体が口の中に入ってきて、喉を塞いだ。ヒコノは今自分が、人工生体部分の維持液で満たされているケースの中に閉じ込められていることを思い出した。

「ほら、まだ体のコントロールが完全じゃないんだよ・・・ボディーとの接続が馴染んじゃいないじゃないか・・・」

ヒコノは声帯を使用できないことを思い出した。ただ考えれば会話が出来るのだった・・・確かにまだ覚醒には早かったのかも知れない・・・

”・・・アーニー・・ アーニー判った。判ったから、早いところこの喉に詰まった忌々しい液を吸い出しちゃくれないか?気持ち悪くてしょうがないよ。”

「喉の事は心配しなくていいよ。すぐに排出するから・・・いいからもう少し寝てくれないかな?実の所、今回君がコールドスリープから目を覚ますペースが早すぎているんだ。このままではそこから出ても後遺症が残ってしまうよ。いいね、これから安定剤を注入するからね・・・シグナルも落とすから、少し眠くなるけど気にしないでゆっくりしてくれよ。」

アーニーはヒコノの脳につながっていた管から安定剤を投入した。

「焦る必要はないんだ。いいかい、まだ時間は有るんだ。君達は時間を気にする必要の無い存在じゃないか?」

”・・・クソッツ!! このボロコンピューターめ!!”

ヒコノは自由にならない体を何とか動かそうともがいた。

「アーニーはボロコンピューターなんかじゃないわよ!!いい加減にしてアーニーに手間をとらせないで!!!私達は寝ぼけたあんたの相手をして、時間をつぶしている余裕なんて無いんだから!!!」

ヒコノの頭に、凛としたそして冷たい言葉が響きわたった。

「覚醒早々ダダこねて、いい加減にしてちょうだい!!!ただでさえ忙しいってのに、アーニーをてこずらせて私の仕事の邪魔をする様な事は止めなさい!!! いいからあなたは、そこでこの後すぐにでも体を動かせるよう、アーニーが良いというまで自制していなさい!やるべき事は私とアーニーで済ましておくから!!!」

雷鳴の様な声は鳴ったときと同じように突然に止んだ。ヒコノはリフレッシュケースの生理食塩水の中に浮かんで、しばらくの間呆けていた。生身の頭に冷水をブッ掛けられたようだった。ただ一つ分かった事は自分は今、とてつも無く無力であると言うことだった。脱力感がヒコノを襲った。抵抗を止めたヒコノに、アーニーの打った薬が効き始めたようだった。先程の声の主はもう立ち去ったようだった。

”ジルか?・・・ 今のはジルだったのかな・・ アーニー?”

「そうだよ・・・ ヒコノ・・・ 君にとっては余り良くない目覚めになってしまった様だね・・・ だけどもどうだい、今の事でだいぶ落ち着いたようじゃないか・・・」

”落ち着くも何ももう今は冷静そのものさ・・・ 俺は今はお呼びじゃなくって、ただこうして寝ているしかないって事だろ・・・ それに薬が効いてきたみたいだ・・・眠いよ・・・”

「それがいいと思うよ。さっきも言ったようにまだ時間は有るんだよ。」

”そうか・・・ じゃあ、ゆっくりやってくれ・・・ 今度起きる時はいい気分でいられるようにな・・・ ”

「すぐさ、すぐ起きれるようになるさ。それに起きれるようになったら今度は休む暇なんか無くなると思うよ。そして君は思うはずだよ。もう少しゆっくりしときゃ良かったかな?なんてね・・・ 」

”気を使ってくれるのか?・・・ ジルにもそいつを教えてやってくれよ。 ”

「聞こえているわよ!!!」

再度頭の中に雷のような声が響きわたった。その衝撃にヒコノはウッとうめいた。 「いいからアーニーの言う事を聞いておとなしくなさい!!!そして万全の状態になったらすぐにコントロールルームに来なさい!!!」

「・・・同情するよヒコノ・・・  気にしないでいいよ。もうコントロールルームとのコンタクトは切ったから安心してくれ。ジルはもう聞いてはいないよ・・・・・ヒコノ?。 ・・・ ヒコノ?・・・ 」

ヒコノはその時既に浅い眠りについていた。険を大いに含んだ怒鳴り声を子守歌にしながら。不思議と怒りは感じていなかった。ヒコノは消え入って行く意識の中で、その聞き覚えのある声こそが自分が待ち望んでいたものかも知れないと思っていた。

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