第8話 第2章 解脱者

1.夢想

「ツーーー・・・・  ツ・ツーーー・・・・・・   」

一面に様々な輝きを放つ星々に囲まれながら、彼の意識はさまよっていた。時たま遠くの星系が一瞬だが華々しい光を発してくれるが、それ位しかここ暫く彼の退屈を紛らわしてくれるものはなかった。そんな時、当てもなく漂う彼は、その一点を目指して自分を飛ばしてみたりするのだが、いつもありきたりのクエーサーだとかで、決して彼の好奇心は満たされることはなかった。

”実際そんな事も滅多に起こらない退屈なこの空間に、一体どのくらい漂っているのかしら?”

時間の存在を超越してしまった彼にとって、それは何の意味も持たなかったが、その問いはこの状態がこれからも、ずっと続くだろう事を思い起こさせ、彼を憂欝にした。今の彼は、前方に密集して輝く銀河の中心に向かって、ゆっくりと近づきつつあった。そして同じ速度で、星々の疎らな後方の赤く光る星系から離れつつあった。その赤く光る星系こそ、彼がずっと昔に飛び立った母星であった。故郷を離れてから僅かだが、いくつか彼の興味を引く星系があった。彼は過去の記憶を辿り、その数少ない体験の内、生命を有する星へと意識を飛ばしてみた。まずは全惑星が海に占められていた、美しい惑星 式別NO.M51200ー1の王者M51200ー1ー1のその後に付いて興味が涌いた。M51200ー1ー1は巨大な魚類で、全長500m程もある浮かぶ島のような生物だった。体の構造こそ稚だったが、M51200ー1の激しい生存競争に勝ち名乗りを上げた彼らは、この世の春を謳歌していた。滑らかなゲル状のエイの様な体を波に漂わせ、むさぼるように食べ続ける。数百年に及ぶ闘争の末、彼らが勝ち取ったものは、その巨大な体と共食いと言う悲惨な結末だった。ライバルを蹴散らし、好きなだけその旺盛な食欲を満せるようになった彼らは、その新しい環境に自らを合わせることを怠ってしまったのだ。彼らの生殖本能は萎えることを知らず、結果子供を生む側から仲間が、そして自らが食べてしまわなければならなくなってしまった。何故なら彼らの寿命は必要以上に長く、また繁殖力が強かった。餌である小魚、M51200ー1ー101や、プランクトンの一種であるM51200ー1ー501を根こそぎ食い尽し、増え続ける。もはや彼らには、間引きしか残されてはいなかった。これといった武器(角や鋭い牙など)もなく、動きの鈍い彼らが互いを攻撃する様は迫力なく、ただその大きな体をぶつけ合うだけだった。 それを延々繰り返す。相手が弱って動けなくなるまで、求愛にも似た行為を繰り返していた。体の割に、脳の割合の少ない彼らに感情があるとは思われなかったが、一度試しに、自分の子供を食べまくっている一個体の感情を、探ってみたことがあった。驚いたことに、彼女は自らを呪い、泣き叫んでいた。何故こんな事になったのか?何故悲しいのかも分からず、自らの存在を悲しみ、ただ本能にしたがって生きていた。恒星M51200の豊富な日差しの中、平和にただ漂っているように見えた生物が、張り裂けそうな悲しみに包まれていることを知った時、もうこの星への興味は失せていた。退屈は嫌だが、他者の強烈な感情の起伏を受け入れるのはもっと嫌だった。精神の高みを目指し、自らをより高度な存在にする為に旅立ったのだ。常に平静でなくてはならない心を、乱されたくはなかった。愚かだとは思ったが、滅ぼすほど悪でもなく、手を差し伸べるほど価値のある生物とも思わなかった。

原子的な進化の過程にある種族には、良くある事なのだ。驚くほどの生への執着により、こうした試行錯誤を繰り返して、最も適した生態系を確立して行くのだ。何も不思議なことではない。その過程で絶滅してしまうもの(M51200ー1ー1の様にその狭間にいるもの)、なんとかうまく適応して生き残ってくもの様々だ。問題はいかに自分の生への執着心を制御できるかに掛かっていた。制御でいないものは滅び、新たなる覇者が現れる。その繰り返しだ。幾度となく目にしてきた光景の1つに過ぎなかった。あの時は生物を有する惑星を、連続して訪れることが出来たので、通り一遍の調査を終えるとすぐ立ち去ってしまった。

「いたたまれず、調査半ばで切り上げたと言うのが本当だったな・・・」

「あれからもう105年が過ぎているよ。」

「観察衛星は残してきたんだろ。繋いでもらえないか?」

「了解。観察衛星との調整に少し時間をもらうよ。」

ヒコノが頼むとアーニーが答えた。

「観察衛星とのハイパー通信確立できたよ。良好。以前とあまり変わっていないね。画像をM51200ー1に合わせるね。M51200ー1と咸臨丸の直線上に来るよう制御しているから、星の片面だけしか見れないけれどね。」

通り過ぎてきた星系がすぐ脇をかすめて行く。目指すM51200に近づいてきたところでスピードが落ちた。アーニーの演出だ。まだ100年ほどしか経っていないので、恒星M51200の表情にこれといった変化はみられず、まだ若い恒星らしくその膨大なエネルギーを惜しげもなく、辺りに蒔散らしていた。第1惑星であるM51200ー1は、母星からの光を受けて、昼の部分は青色に光輝いていた。あらゆる角度から観察は出来ないが、自転軸は恒星に対して約32度傾斜している。解析能力を最大にまで挙げて画像を修正する。余計な磁場が邪魔して若干の歪みが出ているが、問題はないだろう。水に覆われた直径20,000㎞程の円が、視界を埋め尽くした。洋上に漂う全長500mのM51200ー1ー1は、すぐにも見つかるはずだった。

いない・・・そんなばかな・・・あの時は簡単に識別できたM51200ー1ー1の姿がまるっきり見当たらなかった。倍率を上げエリアごとに注意深く調べてみる。いない・・・M51200ー1ー1の餌だった小魚のM51200ー1ー101の群れが回遊しているのがせいぜいだ。彼らはその数を増しているようだった。あの時M51200ー1ー1の食欲の前に、絶滅寸前にまで追い込まれていた小魚達だった。どうやら惑星M51200ー1は、自分に寄生する生物の新しい王者に、この子魚達を選んだ様だった。他にも数を増やしている生物がいるようだったが、小さすぎて正確にその姿を観察することはできなかった。惑星に満ちていた、すさまじいばかりの生存競争は一段落して、皆力を蓄えるために休息を取っているように見えた。

「つまらん・・・  また、一から出直すんだな・・・

次の覇者がうまいこと進化できて、俺達のレベルにまで登って来るのに、何100万年掛かることやら・・・。  時間を超越し、知識や思いを共有できるような知的生物は他にはいないのかなあ・・・」

孤独であることを認めたくはなかった。そんな陳気な感情を抱いてしまうことは許されなかった。宇宙の深淵を覗き、更なる高みを目指しているのだ。何物にも動じず、終わりのない「生と死のサイクル」からの逸脱を果たしたと自負していた。悲しみとか喜び、苦痛、ましてや孤独などもっての他だった。気を取り直して、目指す相手を捜し出すことに再挑戦した。M51200ー1が2回程も自転しただろうか。変わりばえのしない光景に、そろそろ飽きてきたところだった。それまでのんびりと回遊していた、小魚M51200ー1ー101群れに、変化があった。何を感知したのだろうか?。規則正しく群れを作っていた彼らの隊列に、パニックが走った。皆狂った様に東へと逃げだし始めていた。昼と夜の境目、西の端に画像を移してみると、何かの影が現れていた。青く輝く皿の上に汚い液体をこぼした様に、染みが広がっていた。それは天空に浮かぶM51200ー1の衛星のものではなかった。そして全惑星を覆う海の青さを、汚すようなドス黒い色だった。

「M51200ー1ー1だ!!!」

間違いはなかった。滑らかな曲線を持つ M51200ー1ー1の頭部が現れ始めていた。やはり生き残りはいたのだ。彼らは危機を乗り切ったのか?。新たな進化の道を探り当てたのだろうか?長い時間を掛けて、M51200ー1ー1はその姿を昼の部分へと現した。しかしM51200ー1ー1はその容貌を大きく変えていた。驚いたことに、彼は標準サイズを遥かに超えていた。500m程だった全長が、明らかに700mを超えるほどに巨大化していた。日の光を反射させていた灰色の滑らかな皮膚も、無数の黒い斑点に覆われ、みすぼらしく、かっての王者としての美しさは失われていた。倍率を上げてその体の詳細を探ってみる。黒い斑点部は傷跡だった。大きいものは50mを超え、クレーターのようにえぐられて化膿しているようだ。大きな斑模様の瀕死のエイが、ヨロヨロと漂っている。彼から逃れようと小魚達の群れは散開していた。動きの鈍いM51200ー1ー1は、素早い彼らを殆ど捕らえることはできそうになかった。それどころか小魚達は反撃に出始めていた。反転して、M51200ー1ー1の後ろに回り、この歓迎されない侵入者の下半身に群れを為して突撃を開始した。体当りするもの、食らいつくもの様々だが大した効果はないようだった。M51200ー1ー1は身を震わせて彼らを追い払う。大きな波が起こり、吹き飛ばされるが、小魚達は諦めない。延々とその静かな戦いは繰り返されていた。やがてM51200ー1ー1はその向きを元の夜の部分へと変えた。姿を現した時と同じようにゆっくりと、元の暗黒部へと戻って行った。小魚達の勝利の様だった。侵入者を撃退した彼らも元の生活に戻って行った。アーニーが語りかけてくる迄、M51200ー1ー1の擦り切れた100mを越す尻尾が夜の部分に隠れてしまうのを、ヒコノは呆気た様に眺め続けていた。

「観測個体が惑星M51200ー1に生き残った、最後のM51200ー1ー1である可能性はほぼ100%・・・・・・・。老年であり、健康状態も非常に悪く、全身の小さな傷は化膿している為、数年以内に死亡すると推定・・・・・・・。  M51200ー1ー101の攻撃によると思われる、千を超える下腹部の損傷は、観測個体の生殖機能を損なっており、M51200ー1ー1は絶滅種と認定・・・・。第1個体数激減推定理由。前回探索時にみられた同一種による相互攻撃行動・・・・・・。 100を超える大型裂傷は、M51200ー1ー101によるものではなく、同一種によるものと推定・・・・・。 発生した相互攻撃本能が鎮静化せず、残1頭となった模様・・・・・。 惑星M51200の昼の部分への侵入は、M51200ー1ー101によって阻まれており、現在主に夜の部分にて生活・・・・・・・ ってところだよ。」

やはり駄目だったのか・・・何故にうまく適応できなかったのか・・・・・。この空間の中でいい知れぬ孤独を感じていた。生き残ったM51200ー1ー1はどんな気持ちでいるのだろうか?。仲間すらいなく、ただ1人傷ついた体で闇をさまよい歩く。まるで今の自分のように思えた。確たる当てもなく、暗黒の宇宙をさまよい歩いている自分。違うことと言ったら、自分には永遠が保証されていることくらいではないか?・・・。それすら、死という解放が待っているM51200ー1ー1の方が、まだましかもしれなかった。いや違う!。このような感情を捨て払って、更なる高みを目指しているのだ。乱れる心の動きを抑えるため、ビジョンシステムも解除した。暗闇が体を包んだ。自分の存在を押しつぶそうとするかの様な、虚無に暫く耐えていたが、自分もM51200ー1ー1と変わらないと言う概念を、振り払うことが出来なかった。

「もういい・・・明りを付けてくれアーニー・・・・・  」

ゆっくりと手を伸ばし、頭部に付けた情報伝達用のコンタクトプラグを外した。先程まで虚無の宇宙空間に浮かんでいた体に五感が戻り、徐々に明るくなって行く、ヒコノの居住部屋の輪郭が浮かび上がってきた。座っている椅子以外、何もない広大な半円状の部屋が柔らかく暖かい光で満たされきる迄眺めていた。椅子に座ったまま自分の体を見る。白い薄絹をまとい、足にはサンダルを引っかけている自分の体が、微かに搖れるのが見えた。接続を切って、1年間動かしていない手足に、力を入れてみた。腕を覆っていた布がずれ、透き通るような白い合成皮膚の下で、人工の筋肉が収縮するのが見える。やはりぎこちない。脳を船の観測装置につないで、体とのコンタクトを永く切りすぎていたからだ。動かす度に、体全体からきしむような音がする。身長2m程の彼の体は永い眠りから起こされ、機能を回復しようと必死のようだった。自由に動けるようになる為には、この機械仕掛の体にもチョットしたリハビリが必要だろう。それだけではない。はっきりとは判らないが、覚醒の期間が長すぎたようだった。意識の方も靄の掛かったようなぼんやりとした感じがまだ残っていた。暫くして、この飾り気のない半径20m程の部屋が、鮮明に見えるようになった頃、アーニーが語りかけてきた。

「気分はどうだい? 随分と長いトリップだったから、すぐにもリフレッシュが必要ですよ。それにだいぶショックを受けたようだね?・・・。 君があの魚にそれほど入れ込んでいるとは思わなかったよ。ヒコノ」

”いつもそうだ、人が感傷にふけっていまいとお構いなしにズケズケと入り込んで来やがる・・・ ”

まだ椅子に座ったままでいたかったが、アーニーのおしゃべりはそれを許してくれそうになかった。こいつとは簡単にコンタクトを切れないのだ。まだぎこちなさは残るが無理に、首を振ってみる。関節がきしむ。確かにトリップが長すぎたようだ。脳も体の調子が悪い。ヒコノはもううんざりだと言う表情を作ろうとしたが、顔が引き吊ってどうもうまく行かないので止めた。アーニーはヒコノと同じ物を見ていたし、同時に俺もモニターしていた。何か考えを見透かされているような気がして、話題を変える事にした。

「そうでもないさ・・・ 随分と退屈なものばかり見てきたんで、そろそろ飽きてきただけさ。それよりも何か変わった事はなかったか?」

「航行はきわめて良好。船にはなんの問題もないよ。君が自室にこもって約1年経ったけど、航行ルートの近くには、君の興味を引くようなグラマラスな太陽系はなかったな。最もそれは君が1番良く知ってるんじゃないの?。この1年間、船の高感度望遠装置と過去調査した星系データを独り占めして、空想にふけっていたじゃないか・・・ あちこち対象を変えたもんだからこの後、高感度望遠装置はメンテナンスさせてもらうよ。それより僕らの進行方向からちょっと気になる電波を受信したから報告したいんだ。」  

「ほう。気になる電波ねぇ…。ああ、いいよ、アーニー!。 コントロールルームで説明を聞こう。またこの前のようなメタンだか窒素で一杯の、クソ面白くない星と同じじゃなければ、いいがな。昔そんな星を見つけた時、”この星には10万年程前までは生物がいた痕跡がある”っていうお前の話に乗せられて、俺とジルが掘り出した物と言ったら、とっくに死滅したバクテリアの化石がいくつかだけだった!。 おかげでジルはコールドスリープに入っちまうし、俺は長々とマザータウンへの報告をしなけりゃならなくなるわで!・・・」

「ねえ、ヒコノ・・退屈は分かるけどあんまり無理は言わないでよ。 あの時 ”なんでもいい!たとえどんなに可能性が低くてもいいから、何か面白そうな惑星を捜し出せ!!”って指示を出したのは君だよ?」

「違うジルだ!!」

「あなたですよ・・・」

「俺がトリップしている間に回線がショートしちまったのか! このボロコンピューター!!!」

ヒコノは言い放つと立ち上がり、無理して作った引き吊った怒りの表情のままで、正面の壁に向かって歩き始めた。右足の具合いが悪い・・・。転びそうになるのを必死で堪えて足を踏みならした。本当は自分が言ったことを思い出していたのだが、引っ込みが着かなかった。アーニーの言う通り、あの時も退屈しきっていて生物のいそうな惑星に、コースを変更して向かったのだった。大抵結果は絶滅した低級生物の化石か、生物発生の条件を満たしてはいるのだが、自らの意志を持った生命体を持たない惑星を見つけるのが関の山だった。M51200ー1の様に、ある程度まで進化した生物を持つ惑星など、本当に例外だった。生物とは本当に偶然に発生し、すぐに滅亡してしまう、大宇宙の気まぐれでしかないと言うことを再認識させられるだけだった。その度にヒコノは、いらついたジルを宥めなければならなかったし、自らの心を保つ為にこうやって、自室に閉じ込もらねばならなかった。アーニーはこの不安定な2人の主人の精神を保つ為に、いろいろ気を使ってくれてはいるのだが、それでも時々鼻に付いてしまう。ヒコノは不機嫌を現そうとわざと足音を立てて正面の壁に近づき、手前2m程で立ち止まった。その地点で自動的に前方の壁が開くはずであった。しかしヒコノが立ち止まってから暫くの間、壁に変化はなかった。立ち位置には間違いはないはずであった。

「アーニー!!!  」

ヒコノは宙に向かって叫んだ。

「あなたですよ・・・」  「いい加減にしろ!!!!!」

言い放つと、ヒコノは床をドンと踏みならした。ようやく前方の壁が円形状に発光して開いた。ヒコノは躊躇なく歩き出した。壁を突き抜けると、ヒコノの体は空間に投げ出された。高さ20m程の高さを、ゆっくりと下降して行く。

久しぶりの光景だ。幅50m長さ100mの長方形の庭園が眼下にあった。マザータウンのもの、立ち寄ったいくつかの惑星から持ち出したもの、様々な植物が植えられている。自然界には有り得ない光景だが、それぞれ磁気フイールドで遮断されているので、熱帯植物の隣に零下30℃で生育する寒冷樹が並んでいたりしていた。庭園はよく整備されており、アーニーが怠けていないことを伺わせた。乗組員の気持ちを和らげる為に、船の中央部に設置されたこの庭園も、今のヒコノには役に立たなかった。前方20m先の中央部にあるドーム状の建物がこの船のコントロールルームであり、そしてアーニーがいる。庭園を挟んで右側にジルの居住区、左側にヒコノの居住区がそれぞれ独立してあった。彼らは庭園やコントロールルームなど共通の施設以外は、互いのプライバシーを完全に分離していた。だから例え互いに覚醒していても、その気になりさえすれば2人は、この船の中で顔を合わせずに済んだ。実際ヒコノはジルの顔をここの所見ていない。ヒコノは降り立つと、庭園を貫きコントロールルームへと続くうねった小道を踏み鳴らして進んで行った。小道は先程までいた部屋と同じ材質でできており、それ自体淡い青みがかった光を発していた。ヒコノはお気に入りの熱帯植物の脇を通り過ぎたが、彼らが華やかな花を咲かせているのも目に入らなかった。アーニーが話しかけてこないので、ヒコノは増々不機嫌になった。

”アーニーは俺達の従僕ではないか! それが主人である俺の言うことを全く聞かないのは一体どういう事なのか? 謝ったらどうなんだ!!”

「アーニー!!!」前方の壁に向かって叫ぶ。

「気に入らないのでしたら、答えてもいいですよ・・・・指示を出したのはジルでした。・ってね・・・でもそれはジルが瞑想から蘇生して、同意してからでも遅くはないでしょ・・・」  

庭園にアーニーの声が響く。

「アーニー、ここらで一つはっきりさせよう・・・一体おまえは俺の何だ!」

ヒコノは立ち止まり、表情の出にくい造り物の顔に、再度怒りを現そうとしてみた。さっきよりは旨く行ったようだ。

”さっきは判らなかったのかも知れないが、今度は理解しただろう!。この俺がどれだけ腹を立てているのかを!!!”

「あなたはこの船の意志決定者の一人であり、私はその僕べですよ。」

「そうだっ! 船長の言うことをクルーが聞かないでどうするっ!!!」

「長期の航海には、冷静な補佐役が必要でしょ? だからあなた方は・安全な航行上必要な場合には、意志決定者に対して自制を求めることを許す・・・ってプログラミングしたんじゃないですか・・・」

「これのどこが・安全な航行・の妨げになるんだっ?!」

「だって、あなた方はこういう事を認めれば、エスカレートしてどんどん我儘になって行く。その内とんでもない事まで言い出すようになりますよ。あなた方が永遠の命を手にしてから、何百という船がマザータウンを発ちましたが、大抵当初の高尚な精神が崩れて行って、・征服・とか・破壊・とかに・・・。」

「ああ、もういいっ!! 俺もコールドスリープに入るから、規定限界時間まで絶対に起こすなよっ!」

いい放つとヒコノは踵を返して、コントロールルームではなく、元来た道を戻りだした。前にも増して、足を踏み鳴らしながら・・・ ヒコノはアーニーに痛いところを突かれて、グウの音もでなかったのだ。確かに自分のした事は大人げないようだった。こんな事を続けていればいずれ、マザータウンに残っている大宇宙の支配者を気取って好き勝手をしている奴らと、同じになってしまうだろう。いくら寝起きのような状態とはいえ、日頃彼らを愚か者共と馬鹿にしていたヒコノには、今の指摘はショックだった。足音を響かせながらも、心は次第に落ち着き始めていた。            

”やはりコールドスリープに入る必要があるな・・・つまらん事で我を忘れちまうとは・・アーニーの言う通りかもしれん・・・ ”

そうなるとアーニーへの怒りは潮が引くように消え、残ったのは自己嫌悪と早く一人になって、心を練りたいという思いだけだった。引っ込みが付かないまま足を踏み鳴らすヒコノに、アーニーが恐る恐る話しかけてきた。

「ねえ、ヒコノ・・・やっぱりさっき話した電波の報告を聞いて欲しいんだ。後で説明しとけば良かったってならないようにね。」

「ふぅ… いいだろう。」

ヒコノは先程の事は後悔していたし、アーニーが低姿勢で尋ねてきたこともあって、話を聞く準備ができた。ヒコノは立ち止まると、見えないアーニーに振り返って、それでもぶっきらぼうに答えた。本当はすぐにでもコールドスリープに入りたかったのだが、アーニーのせっかくの申し入れを断わっては、それこそ我儘だ。“何か興味を引きそうな事があったら最優先で知らせろ”という優先順位を決めたのは、他ならぬ自分だった事を思い出していた。アーニーは予想外の返事に戸惑ったのか、”了解”とだけ言って話しかけてこなかった。アーニーには悪いことをしたのかも知れない・・・。コンピューターだがその能力はすばらしいし、感情回路もある。ある意味ではヒコノ達の目指す精神の高みを、アーニーは既に具現化しているのかも知れなかった。このままでは本当に、マザータウンの連中と何ら変わらないし、瞑想中のジルが目覚めて、今の一件を知ることになったらそれこそ事だ ・・・。ジルの蘇生を心待にしているヒコノに取って、それは耐えがたいことだった。今来た道を引き換えしながら、ヒコノはアーニーへの次の第一声はできるだけ冷静を装おうと思った。気持ちを整理する為と、さっきから違和感を感じている人造右足の関節の為に、ゆっくりと庭園を散策することにした。

“1年間のトリップは長すぎたな…アーニーにコールドスリープ中にメンテナンスしてもらわなければなるまい・・・・・・。”

さっきは気付かなかった花にも気が付いた。立ち止まって眺めていると、手に触れたい衝動に狩られたが、それには磁気フイールドを切らねばならなかった。アーニーに頼もうかとも思ったが止めることにした。自分には有り余る程の時間があるのだ。今はアーニーを待たせるべきではない。再び歩き出したヒコノはコントロールルームを目指した。小道の先の壁には既に、ヒコノが通れるくらいの孔が開いており、その向こうに人影が見えた。ヒコノと同じように薄絹をまとった2m程のヒューマノイドが、両手を胸の前に合わせて頭を下げていた。サブアーニーだった。アーニーはこの船のコントロールルームの大部分を占めるメインコンピューターの名前であり、目の前にかしずいているヒューマノイドはその分身だった。ヒコノ達にとっても話相手が壁や、目に見えない空間であるよりも、自分達と同じ姿をしている方が気が休まるので、世話用アンドロイドとして分身を置いていたのだった。分身のアーニーはヒコノより少しだけ背が低い以外、遠目にはまるっきり見分けが付かなかった。

 「お久しぶりです・・・。起き抜け早々不愉快な思いをさせて申し訳有りませんでした・・・。報告する情報は既にまとめ上げています・・・どうぞ御入り下さい・・・」

顔を上げたアーニーの表情は若干こわばって見えた。主人であるヒコノを怒らしてしまったので、かなり萎縮しているようであった。いやそういう風に装っているだけなのかも知れなかったが・・・。 アーニーは物腰、仕草共に申し分無かった。口調が丁寧な分、ヒコノに取っては気まずかった。

「いいんだ、アーニー・・さっきは済まなかったな・・・。口調も元に戻してくれ。それよりさっき言っていた興味のある通信っていうのを聞かせてくれよ。」

ヒコノは気まずさを隠す為に、アーニーの脇を通り抜けると、コントロールルームの奥へと進んだ。脇を擦り抜ける時に、アーニーが微笑んだ様に思えたが、気付かない振りをすることにした。

「こん畜生!・・・」ヒコノは心の中で言うにとどめた。非の打ちどころの無い聖人を相手に弱みを見せてしまったのだ・・・。それも相手は自分の従者だ。コントロールルーム内には、これと言った計器類は一切置かれておらず、正面の壁を覆い尽くすスクリーンと、中央部に3次元天体儀が映し出されているだけだった。航行や船内管理、全てはメインコンピューターであるアーニーが、行っているのだ。 ヒコノやジルは、必要に応じてアーニーに指示をするか、聞くかすれば事は足りた。今天体儀には、咸臨丸の進行方向である、銀河の中心部が映し出されていた。ヒコノは天体儀を見上げ、一際輝いている白色恒星の後方に、赤く点滅している別の恒星があるのに気が付いた。

「そう、分かり易い様に点滅させているあの恒星の第2惑星から、奇妙な電波が発信されているんだ。あの恒星は現在位置から95光年ほどの距離、しかもこの船の進行コースから30光分しか、離れていないところに有るんだ。」

アーニーがすぐ横に立っていた。いつもの事ながら、アーニーは物音を立てない。ヒコノと並んで、天体儀を眺めながら説明し始めた。

「画面をこの銀河系全体を示す天体図に変えるよ。ほらここがマザータウン・・・そしてこの線が、かん臨丸の現在位置・・・。 問題の恒星がこの位置・・・もう目と鼻の位置さ。ここから気になる電波が発せられているんだ。」

ヒコノは、立体的に映し出される天体図を、眺めながら思いにふけっていた。

「気になる電波?95光年まで近づいて突然受信したっていうのか? 」

「ヒコノ、実はかなり前から受信していたんだけども、ノイズとして気にも留めていなかったんだ。現在手前にある白色恒星なんだけど、見ての通り、こいつが館臨丸のコースの真正面にデンと居座っていたんだ。今の咸臨丸からの距離は10光年。こいつが妙な電磁波を出していてね。そのまま行けば、当然衝突しちまうから、ほんの少しコースをずらして暫くしたら、問題の星からの電波に規則性があるかもしれない可能性が出てきたんだ。以前としてただのノイズの可能性は高いけど、あの白色恒星をやり過ごしたら、明らかになると思ったんでね。今咸臨丸はエネルギー節約のため、ハイパージャンプじゃなくて亜光速で航行しているから船内時間で14年後、外の時間で20年後位には横を通り抜けてハッキリすると思う。」

「・・・・・ノイズでない可能性は?」

「1%位かな。今までも似たような電波はたくさん受信していたからね。今回は白色恒星の影響変化を計算しての可能性さ。」

「まあいい。14年待てばハッキリするんだろ。久しぶりに異種知的生物との接触が期待出来るわけだ・・・。ジルは知っているのか?」

ヒコノはパートナーであり、ここ100年位顔を合わせていないジルの事を思い出した。

「予定では後5年後に覚醒予定だよ。君にはトリップから帰ってきたから伝えたけど、起こした方がいいかな?」

「そうか…ならそのまま寝かしておいた方が良さそうだな。俺もコールドスリープに入るよ。もしただのノイズだったら、そうだな50年位寝かせてくれ。もし何か判明した場合はすぐに俺を起してくれ。」

「了解した。まずは君の生身の脳のリフレッシュかな。なにせ君は、ここ20年間も覚醒しっぱなしなんだよ。その人造ボディーは元より、生身のその脳髄も、リフレッシュが必要だ。もし仮にあそこに生物がいて、さあこれからって時に眠りに着かないと、どうしようもない状態になっちまってもいいんなら別だけどね・・」

「20年だって? もうそんなに経ったのか?どうりで調子が悪いわけだ。」

「ヒコノ。まだ14年あるんだ。その間は大した事はできない。1年のオリジナル脳の休養リフレッシュと13年のコールドスリープでどうだい。」

「そうだな。そうしてくれ。それと問題の星だが、名前を付けておこう。“希望”ってのはどうだ?ジルが何というかだが…」

「いいじゃないですか・・・ ジルが覚醒したら相談しておきますよ。」


ヒコノはアーニーに背を向けると、自分の居住区へと続く道を戻り始めた。先程とは違い、きしむ足をいたわりながらそして若干穏やかな目で・・・。 コントロールルームを出ると庭園を横切って自分の居住区に入った。ヒコノは1度ならずバランスを崩して転びかけながらも、何とかリフレッシュルームに辿り着けることが出来た。ガタがきているのは、この機械と有機細胞を混ぜ合わせた体だけではない事をヒコノははっきりと認識していた。脳細胞の反応速度がかなり低下しているらしい。やっとの事で瞑想用のキャビンに身を横たえると、頭の方から蛇の用にうねった管が5本程出てきて、ヒコノの頭部に張り付いてきた。借り物の体と意識をアーニーが切り放しに掛かっているな・・。ヒコノがそう感じた時に声がした。

「ヒコノ、良い夢を・・・ 」

「目覚めた時のよい知らせを祈るよ・・・・・」

遠退いて行く意識の中でヒコノは呟くように言った。

「そうさ、きっとね・・・。 ジルと一緒に思いっきり満喫できるさ・・・。」

ヒコノはもうアーニーのその言葉を聞いていなかった。長すぎた覚醒からくる疲労の為に、深い眠りの中に埋没していた。ヒコノのコクピットは次第に明るさを失い、ただ頭部に張り付いた装置の作動音だけが暗闇の中ささやき続けていた。アーニーは自分の分身アンドロイドをヒコノのボデイーメンテナンスの為に向かわせたのと同時に、ある計算を終了させていた。「問題の電波に意味があって、咸臨丸が到着時に、未知生物が生存している可能性は0.009%未満か・・・。」

アーニーの倫理回路はヒコノに対する罪悪感を示していたが、感情回路がそれを打ち消してくれた。”これで良かったのだ”と・・・

若干の速度補正を行ないながら、主の眠っている咸臨丸は亜光速で“希望”を目指して突き進んで行った。

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