第3話 出発

翌朝は”希望”には珍しく、風も穏やかな快晴であった。雪嵐が止んでいるので、地表は束の間の日の光を受けていた。日の光といっても、黄昏の時を迎えている”希望”の太陽から受けるエネルギーはたかが知れていたのだが・・・・・

それでも日光は”希望”で細々と生きるもの達に活力を与えていた。微弱な日の光が一面の白銀の世界を照らし出し、全てが完全にそして美しく見えていた。こんな日は年に数度しかないが、ツバ族はかえって狩りにはでないことにしていた。なぜなら必ずと言っていいほど、次の日は猛嵐になるからだった。”風の吹かないのは、邪神アガルンが人を誘い込もうとしているからで、一度狩りにでようものなら、アガルンは猛吹雪を起こして狩り人を誘い込み、二度と戻って来れないだろう。”

アガルンは”希望”にいる神々の一人であるが、心がやましかったので、神々が住む[聖地]から追放されてしまったのだ。アガルンは美しい女性神であり、[聖地]では最も男性神の人気の高い神であった。それ故、嫉妬に狂った他の女神達による讒言で[聖地]から追放されたとも言われていた。その姿はハニタ達の住む洞窟の壁に描かれており、白い肌と黄金の髪、そして青い目のアガルンは人々に恐れと共に、強い憧れを持って祭られていた。特に男達にアガルンは人気があった。アガルンの壁画を崇めた後に、部族の女達を見返した時、余りの違いに男達は、落胆の表情を見せてしまうのだった。それを女達は見逃すはずもなかった。確かに厳しい寒さの為に、厚い脂肪と毛皮に覆われ、猫背で不格好の彼女達は美しさとは無縁ではあったが、それは何も彼女達のせいではないのだ。男達とて似たようなものなのだから・・・。 

アガルンの美しさは、どこに行っても争いを生んでしまうようだった。[聖地]はハニタ達の住む”町”の北西10㎞のところにあり、ツバ族の聖地であり、墓場でもあった。人もアガルンと同じく聖地から追放されたのだが、違うところは死ねば必ず[聖地]に戻れるとされていたことだった。どうしても[聖地]に戻りたいアガルンは、死んだ人に付いて行けば道が開けると信じて、こうして人を誘っているのだという。知らず知らずの内に[聖地]近くまで導かれ、狩人を凍えつかせるのだ。そしてその時に開からかれる[聖地]の扉に滑り込もうとしているのだと言う。しかし何度試みてみても、アガルンだけは[聖地]に入れることはできなかった。それでも諦めきれないアガルンは、チャンスを狙っている。これは2日と晴天の続かない”希望”においては、無闇に晴れているからといって狩りにでるな、という戒めの言葉に過ぎなかったが、長い間これを破るものはいなかった。アガルンは信じられていたのだ・・・・・・  

いま”町”の前でハニタとイワニは昨夜の興奮を若干残しながらも、狩り支度を整え、皆の見送りを受けていた。手に石斧を持ち、背中にはラルの骨を削って作ったブーメランをくくり付けた、ツバ族特有の狩り支度を2人はしていた。日の光を浴びながら、ハニタは満足気にイワニを、そして部族のものを見渡した。たった2人だけの出陣式であるということも気にならなかった。不安そうにハニタの顔色を伺う、イワニのことも気にはならなかった。まるで日の光までもが、自分を祝っているかの様に感じていたのだからだ。イワニはというと昨日の興奮も醒め、いよいよ今日が自分の初めての狩りとなったところで不安になってきた。それどころかアガルンの戒めを破ってまで狩りに出ようとするハニタが考え直すことを願っていた。しかし、自分から言い出す勇気はなかった。イワニの親であり、前族長であるギルは姿を現さないし、部族の皆の顔を見ても生気のないことに気付いたからでもあった。

”なぜ親父はたった一人残った息子である俺の晴れの出陣を祝ってくれないのか?兄貴達の出陣の時は必ず言葉をかけていたのに、やはり俺は愛されてはいないのか?”

イワニはいつもと全く違う出陣の雰囲気におびえているかのようだった。そう、敢えてハニタは言伝えを破って狩りに出ようとしていた。なにも特別快晴の日に出発しようとした訳ではなく、ただ族長になった次の日に狩りに出るつもりでいただけだった。その日が快晴になったからといって、言伝えに恐れをなして、出発の日を代えるのはハニタにとって我慢のならないことだった。まずハニタの考えたことは、皆のために主食となったラビを狩ることではなく、鼻っからラルを狩ることだった。つまり先日ギル達を散々な目に合わせ、ハアシュ達を帰らぬ者にしたラルへに復讐をすることだった。ハニタの3代前の族長の頃、流れてきたこの数頭のラル達は、ツバ族を恐れないばかりか、ツバ族の猟場を徐々に荒し、今では殆ど我がもの顔でうろつき回っていた。いまや、ラルはツバ族を恐れない・・・これはツバ族にとってゆゆしき事態だった。過去数千年の間、狩られ続けてきたラルは、もはや獲物ではなく、天敵としてツバ族の前に、立ちはだかってきたと言うことだった。”希望”に最も順応し、最も強大な力をもつことになったラルが、自分の力を認識する様になったのである。ツバ族に対する恐怖の念が、復讐へと変わったとき、恐怖が長く、そして大きかっただけに復讐は苛烈を極めた。自分達の力で容易にツバ族をねじ伏せられると知った今、ラルは逆にツバ族を見ると襲うようにすらなった。いや、好んで襲うようになったといって良かった。それ故、ギル達は今では、狩りの前に神に”狩りの間中どうかラルに会いませんように・・・・・・・”と祈りを捧げてから、狩りに出かけるようになってすらいた。そんなギル達をハニタは苦々しく思っていた。

”ラルが何だと言うのだ。いるなら出て来い! このハニタが蹴袈散らしてやる!! ”

ハニタは今までの3回の狩猟経験の中で、不幸なことにラルには出くわした事がなかった。3回が3回ともほぼ順調な狩りであった。未熟者のハニタですらラビを1頭狩ることが出来た。それは多分にハアシュの卓越した引率と、狩のセンスに導かれたものであったことにハニタは気付いていなかった。それ故に、なぜそれ程皆がラルを恐れているのか、不思議でならなかった。ラルや、晴天さえも恐れるのは、単に皆が臆病だからだと思っていたのだ。出発の日が快晴となったことを、ハニタは良い兆しと採った。もちろん祈りなど捧げはしない。

”これからのツバ族の未来は俺が切り開く。 ” そう思っているハニタは、昔の言伝えなど馬鹿にしていた。失敗を知らぬ”新”族長ハニタが、恐れなど感じるはずもなかった。

”ウーーー     ウーーーーーーー   ガアーーー   ”

ハニタは吠えた。皆の顔を見渡しながら、低く止めどもなく吠えた。ハニタのうなり声は燐と澄み切った”希望”の大地に流れていった。誇り高いツバ族の族長として初の出陣であった。退化しつつあるツバ族の目には、まぶしい日の光が雪に反射していた。ハニタは目を細めながら、北の山の方を見ていた。そこは長い間ツバ族の狩場であり、またラル達の新たな住処となった山なみであった。ツバ族は幾世代にも渡って、あの山でラルやラビを狩ってきた。山は彼らにとって庭のようなものだったのだ。ハニタにとって族長になった今、そこは自分のものであった。

”あの山にラルがいる・・・聞こえるかラルどもめ!!! 今から山の本当の主が行ってやるからな! 一体誰が一番なのかを思い知らせてやる!!!” ハニタは長いうなり声をいきなりやめると、北を目指して歩き始めた。イワニはハニタが何も言わずに歩き出したので、慌てて後を追った。後ろを振り返り、振り返り、イワニはハニタの後を追った。住み慣れた”町”のある平野に覆いかぶさる様にそびえ立っている山なみは、今日は特別の顔を見せていた。 一人ドンドン先を行くハニタの向かう山からイワニは、いい知れぬ威圧感を感じていた。ハニタを追えばいやでも山が目にはいる。その山は大きく、そして恐ろしく見えた。いつもは単なる風景の一部であった山は、今イワニにとっていきなりラルがいる悪魔の住む山と変わってしまった。恐くなって振り返れば、住み慣れた洞窟に仲間が立っているのが見えた。昨晩一緒になって騒いだ1~2才の子供達が手を振っているのが見えた。他の大人達(殆ど老人だけだが)は無表情に唯つっ立っていた。もはや、引き返すことはできない状態ではあったが、イワニは誰かが後ろから呼び止めてくれはしないかと、絶えず後ろを振り返っていた。しかし、いくら振り返っても誰も声すらも掛けず、イワニの親であるギルなどは姿さえ見せなかった。そのうち一人減り、二人減り、全員が洞窟の中に入ってしまうとイワニは、自分がハニタに付いて行くしかないことと、ハニタと1キロ近く離れてしまったことに気が付いた。脇目も振らずに歩き続けたハニタは、遥か彼方に見える小さな点になっていた。そうすると急に一人になってしまったようで、イワニは恐くなってハニタに向かって走りだした。

”ハニタ!  ハニタ!!!   待ってくれよ!!  ハニタ!!”

イワニは半分泣いていた。ハニタはそんなイワニに気付いていたが、決して歩速を緩めたりはしなかった。内心かなりホッとしたのを、気付かれないようにするのに苦労していたのだった。ツバ族は発声能力が衰えた分だけ、微弱なテレパシーを発達させていたので、ハニタにはイワニの不安な気持ちは全て伝わっていたのだった。実際ハニタも一人では心細いので、もしこのままイワニが恐れをなして帰ってしまったらどうしようか、と思っていたのだった。それでもイワニと同じように、振り返って強制しようとは思わなかった。それはプライドが許さなかった。振り向きたい気持ちがより歩速を速めさせていた。だからイワニが渋々でも付いてきた時には、かなり嬉しかったのだった。 

”ハニタ!なんだよ!少しは待ってくれてもいいじゃないか!!! 俺を置いていくつもりなのかい?  あんまりじゃないか!?”

イワニはやっとハニタに追いつくと、息を切らせながら食ってかかった。自分を一人にしたハニタに、何かしら文句をいいたい気分だったからだ。

”どういうつもりなのかって?  俺はてっきり怖気ずいて、帰っちまったのかとおもったよ!”

”・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・”

余りに図星だったので、イワニは思わず言葉を失って立ち止まってしまった。

そんなイワニに構わずにハニタは歩み続けた。ハニタもまた若かったのだ。初陣のイワニの不安を思いやる余裕もなく、唯はっきりしないイワニに苛立ちを感じていた。ハニタとて同じ経験をしているはずなのに、それを生かすには若過ぎ、またそれを補佐する者もいなかったのはイワニにとって不幸だった。 気負っているハニタには薄雲りの空から、強くなった風と共に雪が降りてきているのにも気付かなかった。イワニはまださっきの場所に立ち尽くしていた。ハニタに言われた一言は、この若者の心に一気に冷や水をかけてしまった。もう浮かれた気分は失せ、ハニタに対する怒りが込み上げてきていた。

”少しは俺のことも考えてくれてもいいじゃないか!!! 俺はまだ一回も狩りに出たことがないんだぞ!!!  ”

極めてもっともなその考えも、どうやらハニタには受け入れられそうになかった。いま一度イワニは後ろを振り返った。”町”へと帰ろうかと思って・・

”ヒュウ・・・・・・・ヒュウ・・・・・・・”

一陣の風が、突然振り向いたイワニの目を襲った。天候は急変していた。後ろから吹き付ける風は強く、イワニを”町”から引き離そうとしているかのようだった。空を見上げたイワニの目には、ついさっきまでの晴れ渡った空とうって変わった早い雲の流れが写っていた。目を凝らしてみても、”町”は正面から吹き付ける雪風で、霞んで見えはしなかった。しかし逆に、先を行くハニタはあれほど離れてしまった今も、なぜかよく見えていた。イワニはもう”町”には帰れない気がした。あれほど厳しく感じていた父親ギルすら、もう優しく思えていた。母親を早くに亡くしたイワニを可愛がってくれた、ばあちゃんのことが浮かんでは消えた。その暖かいはずの”町”から吹き付ける雪風は、イワニを拒んでいるかのように強く吹き続けた。立ちすくむイワニは長いこと考えていた。そして今一度、”町”を振り返った後、もう豆粒にしか見えないハニタを目指して駆け始めた。進んでのことではなく、もはやイワニにはそれしか道は残されていなかったからだった。イワニは最後に”町”を振り返ったときに、風が止んだ。ギルが洞窟の入口に姿を見せたような気がしたが、すぐに雪風にその姿はかき消されてしまった。イワニはそれを幻と思った。ギルが出てくる訳などないではないか!?そう言い聞かせてイワニは走った。しかしそれは錯覚ではなかった。ギルは姿を現していたのだ。もう完全に部族のことを諦めてはいたものの、やはり我が子イワニのことが心配だったから。”町”の前の高台の上に杖を付きながら、ギルは目で2頭を追っていた。今や天候は、ギルの長年の経験から、嵐になることを示していた。風が”町”から北の山脈に向かって吹き上げている。雲がすごい勢いで流れて行った。ギルの表情は、悲しみと安堵の入り交じったなんとも言えないものだった。

”おお・・・アガルンよ!? あなたなのか!?  もういい、もういいんじゃ・・もはやあなたに任せよう・・・・・つれて行っても構わない・・あの子達を・・・ツバ族最後の族長と戦士達ですじゃ・・・ あの薄汚いラルの手に掛かるぐらいなら、美しいあなたに召された方がよっぽど誇りある最後と言えるでしょう。まもなくわれわれツバ族はこの地上から消え去るだろうが、[聖地]に入ることを許されるだろう・・・  もう十分に罪は償ったはずだ・・・  アガルンよ、あなたもきっと許されるであろう・・・

わが子と族長ハニタを、ラル共に無惨に殺させる前に、あなたが召されるのなら、私が[聖地]の主に全ツバ族の族長と共に嘆願しよう。もうあなたも十分罪を償ったと・・・・・ だからお願いですじゃ・・・  どうか、誇りあるツバ族の戦士として死なせてやってください・・・・・”

ギルの目には涙が光っていた。ますます風は強くなっていった。アガルンがギルの願いを聞き入れたかのようだった。強くなる風の中一人、ギルは北の山を向き立ち尽くしていた・・・・・

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