箱庭サティスファクション

sin30°

箱庭サティスファクション

「ねえ、今日告白されたってホント?」


 学校からの帰りの電車の中、隣に座っている万理華が深刻そうな面持ちでそう切り出した。上目遣いの瞳は揺れており、手は不安げに胸元で組まれている。

「いや、まあ、うん」

 できるだけなんでもない事のように返したつもりだったが、それでも万理華の体に力が入ったのが分かった。

「普通に断ったけどね」

 すぐにそう付け加えると、万理華は大きくため息をついてぐったりとこちらに寄り掛かってきた。右半身に女の子一人分の重みを感じる。


 よく分からない鳴き声みたいな音を出しながら体を起こした万理華は、さっきと同じ上目遣いで、さっきとは違う強い視線をこちらに向けていた。

「もう、なんでゆうくんはそんなにモテるの……」

 そう言うと万理華は体をひねって窓の外を眺めて、小さな、けれどかなりの質量を持った声で「――ゆうくんは私のなのに」と呟いた。

 その不満げな表情を見て、告白された直後に俺を囲んだクラスメイトたちの顔が頭の中に浮かんだ。


 なんで断ったんだ。また断ったのかよ。あの子めっちゃ可愛かったじゃん。絶対上野よりあの子の方がいいって。まだ間に合うぞ。あんな束縛魔とは早く別れろよ。せっかくイケメンなのにもったいねえよ。絶対乗り換えた方がいいって。なんであんなやつと付き合ってんだよ。思い直せ。意味わかんねえよ。

「あ」

 と、何かを思い出したように、万理華が声を出した。その声で、思い出していた光景が泡のように弾ける。


「そういえばさ、今日カスミがね――」

 万理華はパッと表情を明るくして、今日あったことの報告を始めた。帰りの電車の中でこれを聞くのがもはや習慣となっている。

 よくもまあ毎日こんなに報告することがあるもんだと思うが、それを言うと無駄にむくれさせてしまうだけなので水筒の麦茶と一緒に飲み込んだ。

 楽しそうに今日の思い出を語る万理華を見て、自然と告白された後の会話が頭の中でまた再生され始めた。


 確かに万理華はめちゃくちゃ可愛いわけではない。目もそんなに大きくないし、鼻が高いわけでもない。バランスは悪くないと個人的には思うけれど。ブサイクと言われれば反論するが、贔屓目込みでもさっき告白してくれた子の方が可愛いと思う。

 なら性格がいいのかと聞かれれば、これも悪くないという程度。少なくともすげえいい人ではない。そこがいいと言えないこともないけれど。ただ束縛は相当激しい。位置情報を共有するアプリを入れろと言われたときは流石に戸惑った。

 あんなやつとは早く別れろよ、というクラスメイトの声が蘇った。別の子に乗り換えればいいじゃんと、彼らは言う。

 他人の事を思ってここまで言えるのは素直にすごいと思うし、その点については彼らに感謝している。ただ、それが正しいとは俺には思えなかった。


 どうして今の状況を捨てたらより良い未来が待っていると思えるのだろうか。

 確かに万理華は最高の彼女ではないだろう。特別顔が可愛いわけでもないし、束縛はきついし、よくヒステリックに怒るし、きっとこれ以上の女の子は存在すると思う。


 ただ、今俺は幸せじゃないのかと言われれば、答えはノーだ。付き合っててしんどかったならばとっくに別れている。万理華の欠点を挙げたが、俺は大きな不満もなければ不幸でもない。むしろ幸せと言っても差し支えないレベルだ。

 言うなれば、トランプのブラックジャックで十五くらいの手を持っているような感じ。これ以上を望んでバーストしてしまうくらいなら、今のままでいい。心からそう思う。

 さしたる不満もない現状を変えてまで高望みする意味が分からない。身の丈に合わない幸せを求めてもダメになるだけだ。ギリシャ神話がそう言ってるんだから間違いない。

 コマーシャル曰く、家にうまい醤油があるだけで幸せなのだ。どうしてより大きな幸せを求める必要があるのだろうか。


 俺が幸せかどうかは俺が決める。現状を変えるも変えないも俺の勝手。お前らに幸せにしてもらわなくたって結構だ。俺は勝手に幸せになる。まあもう十分幸せなんだけど。

 彼女がどうだから不幸だの、もっと大きな幸せがあるだの知ったことか。俺以外のやつが俺の幸せを語るんじゃねえよ、馬鹿野郎。

 脳内で再生され続けるクラスメイト達の声を、さらに大きな声でかき消す。それでも高らかに反論を続ける脳内クラスメイト達に、「余計なお世話だ」という爆音ボイスを叩きつけて目を閉じた。



「――ね、面白いでしょー?」

 思考を遮るように声が聞こえてきて、咄嗟にうんうんと頷くと万理華は満足したようにニッコリ笑ってスマホをいじりだした。

 電車が大きく揺れて、もうそろそろ降りる駅だな、と顔を上げると、でかでかと文字が書かれた中吊り広告が目に入った。


 『あなたはそれで満足ですか?』という文字の隣に写る、胡散臭い笑顔を浮かべたビジネスマン風のおじさんの顔が、やたらと大きく見えた。

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