第28話はぐれた二人
三人はこの屋敷を拠点にする為にひとまずメインホールを探索していた。何年、何十年――もしくは何百年も来訪者が居なかったであろう床には埃が絨毯みたいに厚く積もっていて。一歩進む事に雪道を歩くように足跡を付けた。足跡を爪先で踏み潰しながらカミーリャは日記帳で辺りの情報を収集する。ざっと見渡してみる内装の正確な建造年は不明。日記帳に書かれた情報はそれだけだ。別の世界から転移してきた為か正確な製造年を割り出すのはちょっと手が掛かりそうだ。部屋の地図を魔力から調べてみたいが内部で魔力達が乱反射をしているらしく調査は足で各部屋を直接回った方が早そうだとカミーリャは判断した。
「皆さん――」
そう決めて二人に振り返ろうとした刹那。メインホールの魔力が渦巻き暴風が発生する。
「くぅっ!!」
あまりに激しい魔力の流動にカミーリャは片手で顔を覆い収まる迄待った。暴力的な魔力の流動が収まった頃、顔を上げたカミーリャの前には何事も無かったように変わらない先程と同じ光景のメインホールのが有った。
ただ――
「ニノ様? ジスト様?」
二人の姿だけが、消えていたのだ。周囲に二人が居ないか見回しカミーリャは日記帳に情報を割り出させる。乱反射する魔力の中で調べるのは困難を極めたが……ある程度の予測は割り出せた。二人はメインホールに集束した魔力と屋敷中に張り巡らされた魔導陣の干渉でばらばらに飛ばされたらしい。
そこまで読んで二人の飛ばされた予想位置を特定しつつカミーリャは訝しむ。確かにここは魔力過剰で乱反射している為情報のみの調査は難しいだろう。
しかし通常の乱反射と違い作為的な意図を読み取れたのだ。まるで情報を隠そうとしている防御機構や魔力妨害が有るような気がしてならない。そうでなければすぐに二人の位置を特定出来ている筈だ。カミーリャは防御の可能性を考慮して日記帳を増やし情報を洗い出す。だが簡単には割り出せない。この屋敷、魔力に対する機構がしっかり敷設されている。
(さすがは魔獣達が守護したいと思っている場所なだけありますね)
感心している場合ではないのだが、カミーリャは素直にこの屋敷の防御設計を認めた。
「ではひとまず捜しませんとね。お二人方、無事なら良いのですが……」
日記帳の羽根ペンで書かれる情報を元に何とか二人を捜すカミーリャは、まずメインホール左側の扉を開けて入っていった。
◇◇◇
「……ここ、いったいどこでしょうか?」
メインホールからいきなり廊下のような場所に変わり、ニノはしきりに辺りを見回していた。恐慌にならなかったのはアバスを通じて付近の存在から励ましが有ったからだ。『私達が居るよ、大丈夫』と言いたげに少量の光の粒子が降ってきて、慰めるように小さく大気が緩やかに自分を包んでくれた。ニノは屋敷に満ちる寂寥感に負けないように、胸元で拳を握って歩き出してゆく。負ける訳にはいかない。だって自分が最初に調査を申し出たのだ。領民や難民の事も含めて挫けてはいけないのだ。
「どなたかいらっしゃいますか?」
ニノは右手の『翼ある太陽』の痣を輝かせてアバスを発動する。ここに存在する魔力はおおよそが私達に敵対しているのは知っている。今まで魔獣達はここを防衛する為に襲撃してきたのだし、ついさっきの魔力だって屋敷を守る為に動いたのだろうというのは見てとれた。
しかし。自分を慰めたように協力してくれる魔力も居るには居るようだ。捜せばきっとまだ居る筈だと、先程自分を慰めてくれた魔力達に感謝しながらアバスの力で周囲に語りかける。暴力的で攻撃的に唸るぐちゃぐちゃな魔力達の叫びを一言一言聴きながら、
(……ここの魔力達に協力を申し込むのはあまり期待出来ないかも知れませんね)
ニノは双眸を細めた。この屋敷に満ちている魔力はほぼ制御下にありこちらに協力してくれる絶対数は少ないだろう。
(ならば)
ニノは決断を下す。対話して協力を仰ぐのは屋敷の『魔力』ではなく『屋敷内の空間』にしようと。右手の甲にある痣を輝かせて空間そのものに『お願い力を貸して下さい』と語りかける。
手応えは有った。空間の方はこちらを味方と認識して力を貸そうとしてきた。
瞬間。自分の真後ろに無音で魔獣が出現した。魔力達がその事を告げてニノが察知したのも敵魔獣から気取られた。何十本もある植物の
「お願い助けて下さい!」
ニノの要求に空間が応えて歪んでいき、彼女を他の場所に転移させる。勿論、空間と魔力達に「ありがとうございました」と感謝を忘れないニノである。
彼女が着いたのは先程の廊下とはうって変わった――言うなれば図書室だ。
「すっごい蔵書ですね……!」
はー、と感嘆の声を洩らすニノ。そこに有るのは見渡す限りの本棚とぎっしり詰められた書籍の数々。かなり貴重な物も有りそうだと、ニノは自分に協力してくれる魔力達や空間と一緒に警戒しながら本棚から凄く薄く紐で留められた紙束を引き抜いて見る。
「……読めない」
むむむ……とニノは眉根を寄せる。手にした紙束の題名は見た事無い文字で書かれていたからだ。空間や魔力達に協力を仰いでも困惑の気配しか返らない。この紙束は自分達の文化圏の物では無いかも知れないなとニノは感じた。そして読めないのは承知の上で紙束を開いてみる。
内容は題名と同じく解らない記号の羅列だ。多分文字だと思うのだが……アバスを用いても自分には理解出来ないなとかぶりを振りながら、恐る恐る頁を捲る。
――『五人の少女』と女性達とたくさんの科学者達はどんな願いも叶えてくれるシステムを造り出そうと考えました――
「やっぱり読めないなぁ……」
ニノは嘆息しながら次の行を読んでゆく。
――しかしそんな理想はどこにも在りません。そこで科学者達は考えました。『そうだ、その理想を発見出来る存在を先に造ろう』と。そうすればどんな願いも叶えるシステムをそいつが造り出せるはずだ。科学者達の言葉に五人の少女と女性達は全員喜びました――
「うーん、解らないなぁ……でも何かの昔話? みたいだね?」
ニノは更に次の行を読む。
――そうしてまずは『理想を叶える為だけの子供――デザイナーチャイルド』を造り出した科学者達は、その子供の超越した頭脳と数多のスーパーコンピュータを組み合わせて何度も何度も計算と実験を繰り返しました。そうすればきっと、どんな願いも叶えられるシステムが完成するはずだから――
(何か、背筋がぞわぞわするなぁ……)
ニノはぶるりと背中を小さく震わせた。内容は全く解らないのに何故か文字の並びが恐い……不可解過ぎる感覚が彼女の根源的な恐怖心を刺激してくるのだ。
――やがて科学者達はそのデザイナーチャイルドと一緒にエネルギーだけが存在する奇妙な領域を発見しました。そこに在るエネルギーは純粋であるのが不安定では有りましたが他の物質と融合すれば凄まじい力を発揮してこの世界ではあり得ないような奇跡をたくさん起こしました。科学者達はこれを奇跡の力、『魔力』と名付けこの領域を『聖域』と呼ぶようにしました――
「……」
双眸を細め、更に行を読み進めてゆくニノだ。
――そして研究している間にエネルギーはこの世界に在る日本のとある地方都市の森に入口を創り出し、侵食を始めて来ました。初めは木々や微生物、小型の草食肉食動物が。やがて大型の獣や人間にまでも融合して見た目こそ同じだが奇跡の力を発揮する新しい存在へと変化していきました。特に少年や男性への融合は早く、色んな力を発現していきました――
「……」
もうニノは動かなかった。
――この事実に誰よりも五人の少女と女性達が怒りました。『自分達の方が社会的弱者だから頼んだのに!!』と。彼女達は徒党を組んで科学者達を脅し悪者に仕立て上げ権利を剥奪し飼い殺しにして、聖域を発見したデザイナーチャイルドを騙して魔力と融合させ自分達にも使えるようにしたのです。そうして彼女達は自らを『魔法少女』と名乗るようになりました。特に五人の少女達の力は凄まじく、世界を思い通りにねじ曲げる事が出来るようになり『女神』と呼ばれるようになりました――
――でも彼女達が力を手にしたのもつかの間。この世界で見た事も無いような生物が出現し始めました。強くとても狂暴なそれらを人々は『魔獣』と命名しました。何故このような生物が出てきたのかは全く不明。魔法少女達は皆で科学者達を罵りながら理由解明に勤めさせましたがやっぱり不明。その内どんどん魔獣は勢力を増してゆき少年や男性達は対処し続け多くの命を落としてゆきました――
見たらいけない内容な気がするけど。ニノは目を離せなかった。
――魔獣達が世界中を蹂躙するのに進退窮まった女神と魔法少女達は『それらを退治出来て世界を絶対的に安全に出来る存在』を残った科学者達に造るように罵倒し、科学者達は命を掛けてスーパーコンピュータと共に導き出していきました。やがてその中でも『一人の天才少年科学者』が魔獣の発生条件を突き止めそして『終焉の魔獣王』が出現する可能性が在る事を示唆しました。少年科学者はそれに対抗すべく聖域を利用しての『対抗策』を確立させました。そうしてまずは聖域を利用する為にデザイナーチャイルドの少女を造り出し『身体に更なる非人道的な改造』を施して……――
「あれ? 内容、ここで途切れてる……」
ニノは不思議そうに紙束を見やる。そう、頁はここで終わったいたのだ。取り敢えず読破したなら良いやとニノは本棚に戻そうとして、
「わ、何々!? 君たちどうしたのっっ?!」
協力してくれていた魔力達と空間に邪魔されたのだ。光の粒子は視界を阻み大気の魔力は身体を揺さぶり空間は圧縮して強固な壁になる。
「君たち、これ持って行ってって言っているの……?」
アバスを輝かせて尋ねるニノに光の粒子も大気も空間も肯定するように大人しくなる。どうやら自分の想像は正しそうだとニノは判断をして。マントの下に仕舞おうとした。
「あ!」
その瞬間。紙切れが一枚ひらりと床に落ちたのだ。多分これも大切だろうと魔力達や空間が教えてくれたのでニノは慌てて拾う。
「表面も裏面もつるつるの変わった紙だね?」
珍しそうに彼女はその紙切れを眺めた。大きさは栞の三倍は有る代物で表には人の姿が写っていた。
「すっごい緻密な絵画。まるで風景を切り取ったみたい」
はー……とまたしても感嘆の声を洩らすニノ。
そう。そこに写された『黒髪黒目の中性的な麗人』と背景はまるで鋏で切り取ったような雰囲気で鮮明に描かれていたのだ。どんな宮廷絵師でもこんな生き写しの如き技術は苦労しただろうし、ましてやこの大きさに描くのは時間を掛けただろうなとニノは感心した。気になったニノは裏面を捲ると、
――若干十五歳の天才少年科学者。遺伝子・エネルギー工学主任研究員『スバル』――
という文字が刻まれていた。
「何か書いているけどやっぱり読めないなぁ」
ニノは嘆息すると紙束と一緒にマントに仕舞い、図書室の出口を目指して歩いていった。
◇◇◇
カミーリャとニノとはぐれたジストは大広間に居た。奇しくもそこはあの魔獣リオンの絵画が掛けられていた部屋だった。リオンは気づかないまま出ていったがここには長方形のテーブルとその中心に紫水晶――『アメジスト』が飾られている。
そして。何故かジストは慌てる事無く
「……」
腰に手を当てたまま深い慈愛の眼差しで額縁を見上げるジスト。その首から提げられたフォルスタァ教のシンボルである『八方向に輝く一等星』の銀細工ペンダントも窓から射し込む夕日を受けて静かに光っていた。
「面影は残ってますが……かなり荒れてしまいましたね」
ぽつり。ジストは虚空に呟く。
「まさか私が一番乗りとは思わなかったよ」
ジストはそっと瞳を閉じて。ペンダントを握ってしばらく祈る。その姿は敬遠な信者そのものでとても絵になる構図だった。
不意に風が吹き込み、ジストの灰色の髪を揺らした。気づいたジストは瞳を開けて辺りを見回す。
窓が一つ。開いていた。ジストは知らないがそこはリオンが飛び出した時の窓だった。ジストは窓を閉めようと近寄ろうとしたその時、視界の隅にノートが一冊入り込む。
「……」
テーブルの上にあったそれを愛おしげに持ち上げ頁を捲るジスト。ノートは端がもうボロボロだけど中は無事なようだ。
――◎●▲◆§*■○○――
――あー、この交換日記? お互いやるのもーちょっと早かったんじゃないか?――
ノートの最初の頁に書かれていたのはミミズが這ったような意味不明な模様と下手な文字だった。
「……」
そんな文字列を。微笑みを浮かべて更に頁を捲るジスト。
――@●▲■◆アアリスネ――
――あぁ本当に今日は良い天気だったな。……で、合ってるかな? 少しは文字を憶えてくれて嬉しいぜ――
――ネエネエ、ニホンゴッテコレデヨイカナ? ボクツカエテルカナ? キョウノナベゴハンオイシカッタヨ!――
――おお、文字を憶えるのが早いな。君はやっぱり凄い生き物だな。あのごちゃ混ぜ鍋がねぇ、そう言って貰えたら嬉しいよ――
――ネエネエ、ボクヲナンデヒロッタノサ? ニンゲンハコワガルッテキイタヨ?――
――そりゃ俺がコンビニ帰り雨の中で見つけたお前さんが困っていたからさ――
――こレナぁに?――
――プレゼントさ。銀細工のペンダント。特注品の品物さ――
「……」
ぱらぱらと頁を捲り、時折双眸から流れ落ちる輝きを拭うジスト。
そんなジストの真後ろで、音も無くひっそりと魔力達が集束し始める。気配すら全く出さない魔力達は静かに融合と分離を繰り返し姿を整えてゆく。
魔獣が。出現しつつあった。
「か~ごめかごめ~。かごのなかのとりは~。い~ついつでや~る~」
読みながら不意に歌い出すジスト。そんなジストに対して静かにゆっくりと、生まれてきた蛇の魔獣は大地の裂け目みたいな大口を開きジストを飲み込もうとする。
「よ~あ~けの~ば~んに~♪ つ~るとか~めがす~べ~った~♪」
それでも呑気に歌うジスト。大蛇姿の魔獣は窓から射し込む夕日に牙を煌めかせ、ジストの背後に迫っていた。酸性の毒が有るのか大口から垂れ落ちる滴が床を溶かす。
もう一瞬で丸呑み出来る。誰が見てもそうだし魔獣自身もそう確信していた筈だ。
「うしろのしょうめんだぁれ?」
だが。魔獣の方が倒れた。魔獣には何故自分が床に倒れ行動不能なのか判らなかった。
そして。その大口の中には鋭い輝きのナイフが刺さっていた。護身用のただのナイフだが深々と刺さっていて、容易に引き抜く事は出来ない。
最早ジストを食べる事も忘れた魔獣が見たのは彼の右手。右手だけが何かを後ろに放り投げたような形になっていた。
後ろ手に。ジストがナイフを投げつけたのだ。
そのまま魔獣は消滅し。ナイフだけが乾いた音を立てて床に落ちる。
「せっかく何だから感傷に浸らせて下さいよ」
ノートを持ったまま片手でナイフを回収するとジストは鞘に収めノートも閉じようとする。
閉じようとした刹那。一番最後の頁が光を見る。
――ボクは『終焉の魔獣王』だけど君という人間の事が大好きなんだ。絶対に助けてみせる! どんな奇跡を起こしても、どんな対価を支払っても絶対に!!――
そこには片方は何も書かれていないがもう片方には流暢な日本語で滲んだ文字が書かれていた。それも僅かな時間だけ。もう閉じられてジストのジャケットに仕舞われて。彼はそのまま間取りに慣れているように退室する。
彼の首から提げられた銀細工の一等星は、きらりと輝いていた。
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