第10話戦いの終わり

「やぁカミィ。勝って来る事は確信していたよ」



 太陽が沈む少し前。敗れたレイを山頂で治療していたルーティスは、気絶したイリステアを横抱きに抱えて着地するカミーリャに微笑みかけた。



「ありがとう。こちらもルゥの勝ちは確信していたわ」



 ふわりと右の爪先から静かに降りるカミーリャ。イリステアを抱えてもなお重力すら、空気の揺らぎすら感じさせないその動きはさらながら天空に舞う妖精のようだった。



「彼女を治療してあげて欲しいの。私も応急処置はしたのだけど得意じゃないから不安なの」



 ゆっくりイリステアを横たえ心配な表情で覗き込んで顔色を窺うカミーリャ。彼女は戦った相手を尊敬して気にしているのだろう。彼女の心をくみ取りルーティスはイリステアの治療に乗り出した。


 ルーティスが一見する限り外傷は無いように見えた。



「異なる世界異なる者よ。互いの意思を互いの内に。開け扉よ『重なる世界』」



 しかし身体の内部には傷があるのかも知れない。そう判断したルーティスは森羅万象と話せる魔法を唱え、イリステアの体内を探る。瞳を閉じると波紋が広がるように意識がさざ波となって広がり。体内を循環する魔力を通じて彼女の体内を隅々から瞼の裏に映す。


 外傷は治療済み。内臓系統……異常無し。鼓動に脈拍も問題は無い。


 ただ――



「右足の怪我、これはカミーリャを思い切り蹴ったのが原因だね? 骨が傷んでるよ」



 ただ一つ。右足の骨格部を見ていた時に波紋が止まり。彼女に問い返した。そこは酷い骨折箇所で、彼女が原初の焔で治療した跡が見つかったが……それでも何とか後遺症が無いぐらいに回復したというぐらいだ。これから彼女は暫くは歩きにくいだろう。



「ごめんなさい。接近を許して蹴られたわ」



 発見と同時に回復魔法を行使しているルーティスに。右の前腕を軽く撫でながらカミーリャは申し訳なさそうに謝罪した。



「それは仕方ないよ。彼女もカミィも悪くはない。――二人共後もう少しで目を覚ますよ」



 ルーティスの予想通りに横たえられたレイとイリステアはうっすらと双眸を開きつつあった。


◇◇◇


 イリステアの意識は春先のような穏やかさに包まれて闇の中に横たわっていた。

 

 世界の原初とは何も無かったと聞いた事がある。世界は無から生まれたのだとある者は言っていた。確かにそうかもと、イリステアは感じていた。ここには自分の意識しか無く外界には全てを呑み込む闇しかない。


 そんな時すら呑み込みそうな暗闇の中で、淡い輝きが粉雪みたいに降り注ぐ。不思議と懐かしい暖かさを体感しながらイリステアは意識をそちらへ向かわせてゆく。



「――」


(……?)



 その瞬間声も降りてくる。誰か傍に居るのだろうか? イリステアの意識がそこにたどり着き。ぼやけて繋がる世界に白い髪が映る。



「――二人共後もう少しで目を覚ますよ」



 聞き覚えある声にはっとなるイリステア。その瑞々しい声は間違いなくルーティス・アブサラストその人だから。目が覚めるよりも早く原初の焔が敵意に応え槍の形に変貌し。彼女が起き上がった時には槍をルーティスの首筋に突きつけていた。



「あぁ良かった無事で何よりだよ!」



 剣呑な状況にも関わらず。ルーティスは安堵の声を無垢な笑顔に乗せた。



「……何故、回復させた?」



 イリステアの問いに、



「え? あのまま放置したらそれは駄目でしょう? カミィも心配していましたから」



 そんなの当たり前だと言わんばかりに小首を傾げるルーティスだ。



「……気が削げる奴じゃの」



 それを聞いたイリステアも肩を落として焔を散らせる。もう戦意は底辺だった。



「それより怪我はもう大丈夫ですか?」


「思い切り蹴りつけた脚がまだ痛いぐらいじゃ。……そなたら本当に人間か?」



 鈍い痛みを押さえるイリステアに、



「人間ではありますね。……多分」



 ルーティスとカミーリャは、お互い寂しそうに顔を伏せるばかりだ。イリステアはそれを不思議に感じながらも……



「それで? 妾に何用か?」



 きっ! と双眸を細め威嚇するイリステア。自身が守護していた神殿は陥落された。己は盟友たる女神シィラ・ウェルネンスト・カスタルに合わせる顔が無い……。その気持ちが彼女の胸中を満たしていた。勝てずとも刺し違えて――そんな気持ちも過るぐらいに。



「そんなに気持ちを昂らせないで下さい。彼も回復したらちょっと頼みたい事があるだけですから」



 そう返すと仰向けに横たわるレイへ回復の輝きを向けるルーティス。警戒されていないところから見て、どうやらこちらに仕掛けるつもりはないらしい。



(それはそれで、不愉快じゃの)



 つまるところこちらは警戒する程の相手ではないのだと宣告されているような雰囲気に駆られて、イリステアは歯噛みした。しかしどうしようもならない。気配を完全に消した不意打ちでもルーティスを倒すなど現時点で不可能だというのはまざまざと理解出来る。ルーティス・アブサラスト、伝説の還流の勇者。世界最強の戦士にして全てを救う救世主。まとう魔力も風格もそれに相応しいものだ。とても八歳位の子供とは思えないとイリステアは悟るばかりだ。


 もうレイ・グレック少年の怪我は完全に癒えて損傷は存在しなかったかのように消失しており。失われた血液や骨折箇所、衣服の破れた部分も元通りになっていた。後は意識が戻るだけだろう。



「やり過ぎちゃったからなぁ……まだ時間かかるかな?」



 ため息をついて再度魔法をかけようとした瞬間。


 飛び上がったレイが風の槍を突き付けたのだ。



「あーうん、君もかー……」



 深々と魂が出そうなため息をついたルーティスと。



「当たり……前だろ! まだおれは魔法の技術じゃ、負けてねぇ……ぞ!」



 体力はまだ回復していないのか、絶え絶えの息で何とか返すレイ。



「まだ動けるようになっただけじゃないか……仕方ないな」



 ルーティスは風槍の穂先に、優しく指先を触れさせる。


 ただの仕草。何気無い仕草。愛おしく草花を撫でるような、ただの仕草だ。


 だが。



「僕は攻撃の魔法なんて持っていないんだけどね……」



 ルーティスの指先が這われた風の槍はレイの手元を離れ新たな魔法へと変貌してゆく。



「――?!」


「発生した魔法を別の効果に書き換えるなんてのなら出来るんだよ」



 絶句し飛び退いたレイ。そこには彼の創り出した風の槍は無く、複雑に逆巻き変化しルーティスの元に集束してゆく大気達があった。


 もう一度呪文を唱えてレイは立ち向かおうとする。


 しかし……



「はい、残念」



 レイより早く風で出来た乙女達が。レイの首に無数の剣を突きつけていた。



「ごめんね。魔法の腕前はこんなものでどうかな?」



 立ち上がり後ろに手を組んで。にっこりと無邪気な笑顔を浮かべるルーティス君。首を傾げる仕草といい笑顔といい、八歳位の子供に良く似合うものだ……


 だが。だがレイの頬から冷や汗が一滴溢れ落ちた。目の前にいるのが自分と同じ年頃とは到底思えないからだ。自分が起こした魔法を書き換え我が物としやり返すこの手腕に心底レイは怯えていた。それがせめて名状し難い化物なら多少は理解出来た。しかし目前に居るのは無邪気な笑顔の子供なのだ。これが恐怖と言わずに何と言うべきか。理解は難しいだろう。



魔神アバルテス……!」



 何気無くレイの口から名前が溢れ落ちた。アバルテス。魔法使い達の伝承に登場する有名な魔神の名前。全ての魔法を創り出し魔法を飲み干し我が物とした伝説の存在。その名前が、不意に出たのだ。



「あぁ、僕は確かにアバルテスだとも呼ばれたかな」



 ルーティスはそれを聞き漏らさずに苦笑で返し、



「懐かしいね。まだその伝承は伝わっていたんだ……」



 優しく双眸を細めたのだ。



「参った。おれの負けでいいぜ」



 魔法の腕でもルーティスに勝てる処がないと理解して、両手を挙げて降伏をするレイ・グレック。



「賢明だね」



 そんな彼にルーティスはにぱっと笑いながら指を鳴らし、魔法を霧散させる。まるで存在しない白昼夢のように乙女達は消え失せていた。



「くっそー! 負けた!!」



 悔しい気持ちを叩きつけるように、背中から倒れて寝転がるレイ。彼は黒魔術士として才能に溢れた少年だったがたった今敗れた。それも自分の全ての才能を叩きつけて負けたのだ。戦いの技でも、魔法の腕でも。



「おれに何か願いでもあるか?」



 だから。だからこそ。晴れやかな顔でレイはルーティスに問いかけられた。全力でぶつかって満足な負けだったから、後悔は無かった。



「レイ・グレックだよね? 改めて僕の友達にならないかな?」



 そんなレイに。ルーティスはにっこりと笑顔で顔を覗き込んだ。春の昼時みたいに温かな笑顔。どんな凍りついた心も優しく溶けていく、そんな笑顔だった。



「……友達って事はおれは何するんだ? お前が伝承通りの還流の勇者なら世界の敵である魔王と戦うんだろ?」


「あはは。僕は確かに世界の敵とは戦うけど、それが魔王という『役』とは限らないよ。僕が戦うのは『世界の敵』。君がそれに参加して戦いたいなら良いけど、無理強いはしないよ」



 レイの質問に笑って答えるルーティス。その言葉にまとう感情とまっすぐに見つめる目線を見てこいつ嘘はついていないなと。レイは確信した。



「戦力として考慮してねーなら何で友達になりたかった理由は?」


「君の風魔法」



 ルーティスはくるくると愉快そうに人差し指を回す。



「ん?」



 理解出来ずに顔をしかめるレイ。



「君の風魔法には攻撃や滅び以外のイメージも織り込めれていた。かなり高位の黒魔術士だと感じたからね。それが楽しそうだったからだよ」



 これも嘘じゃないなとレイは悟る。ルーティスの心の底での目的は自分を友達にしたいという一点に尽きるのだろう。


 改めて上体を起こしてルーティスをまっすぐ見上げるレイ。澄んだ闇色の眸。透き通った夜空とでも言えば良いのか、心の内にある星々の輝きを遮らない、そんな眼差しだ。



「おれは強い相手と戦いてーんだ。お前の旅は強い敵たくさん出てくるよな?」


「もちろんだよ。それもたくさん。君は戦いたいのかな?」


「戦いてぇよ。色んな相手と。誰よりも強くなりたいんだよ」


「じゃあ僕の戦争に参加しない? 僕にはたくさん強過ぎる敵が来るんだから」



 まっすぐにルーティス・アブサラストから手を差し伸べられた時、陽光が止まり風が凪いで世界が静止した。



「良いだろう。お前とおれは友達だ」



 レイ・グレックが手を握り返す。無限の未来がある子供特有の力強い握り方で。瞬間そよ風が世界に戻ってきた。



「そうだね友達だ。そしていつかは親友さ」



 体重を掛けてレイを引き上げて起こし、ルーティスは笑った。



「言うねぇ」



 ふんと鼻を鳴らすとレイはルーティスの差し出された掌を叩く。それを見てルーティスも綻んで両手を挙げ大喜び。お互いにハイタッチ等している。



(この子供は何じゃ……?)



 イリステアはルーティスのそんな様子を見つめながら背筋がぞわぞわしていた。彼女の見ている限りあの子供は先程まで鬼神か何かのような気迫を見せていた。そして今はこの無邪気な喜び様である。レイ程ではないが目の前で喜ぶ子供の底が見えないのが恐ろしいのだ。


 もちろんそれを考えても出ないのは判っている。彼は自分ではないのだから……。だが、だがそれでも。その子供を理解したいという気持ちはイリステアにもあった。何故かは判らないが別の意味で放置したくない、そんな感情も沸き上がる。


 ふとその時正面に自分より小さな影が伸びた。誰かが目の前にいる。自分より小さい誰か。それは三人いるが二人は遊んでいるのだ、必然と一人に絞られた。


 イリステアが視線を向けた先にはカミーリャが静かに立っていた。まるで影のように、静かに。



「なんじゃ?」


「良い戦いでした。私からもご挨拶をしたいと思いまして」



 問いかけるイリステアに対してそっと右手を差し出すカミーリャ。黄昏時のような微笑みが重なりとても美しかった。


 彼女は全力で戦った自分に偽りなく敬意を払っているんだろうとイリステアはまざまざと感じた。この神殿を攻略するのはあくまでもやらなければならない事で、自分達を傷つけ支配するつもりなんてなかった。そう戦い自らの意志を示した。自分達と本気で戦い本気で挑んだのだ、と。



「良かろう。妾も礼節を欠くのは嫌じゃしのぅ」



 人の姿のイリステアは躊躇い無くカミーリャの右手を握り返す。



「良き戦いであった。魔法少女よ」



 文字通り陽光のように暖かい笑顔で、イリステアは告げたのだ。



「あ、カミィ! 僕も挨拶したいな!!」



 そんな時。ルーティスが気づいてやって来た。ぱちくりとなるイリステアを放って、



「イリステア様。どうしても必要な事とはいえ此度は神殿を解放して申し訳ありませんでした。還流の勇者ルーティス・アブサラスト。我が全てに変えても世界の敵を倒します」



 静かに一礼するルーティス。その様子を見ていたイリステアは、ルーティスが嘘などついていないというのは見抜けた。


 だが。ルーティスの、還流の勇者が戦う人類の敵というのが何なのか判らなかった。



「世界の敵とは魔物か? それとも魔獣か?」



 イリステアの問いに、



「どちらでもありませんね。魔獣は性質上仕方ないから手加減しないで倒しますが、魔物達は今現在倒す必要は感じていません」



 穏やかに返すルーティスだ。



「……その中には我が主の、シィラ・ウェルネンスト・カスタル様もあるか?」



 原初の焔を滾らせながら。イリステアは詰問した。



「彼女が世界との約束を違えれば」



 ルーティスの返答に、イリステアの周囲が歪む。原初の焔が世界に影響を及ぼしていた。敷き詰められた石がじわりと溶けて揮発し、発生した球電が地面に直撃する。それは殺意の籠る彼女の怒りに原初の焔――アバスが応えているようだ。


 しかし……



「そうならぬように。我が主には告げよう」



 嘆息すると彼女は焔で出来た翼をはためかせ上空へと舞い上がると、



「……次にまた、の」



 そのまま不死鳥の姿へと変わり飛び去ってゆく。



「これは仕方ない、か」



 頭をかくルーティスに、



「そうね、こればっかりはね」



 カミーリャも嘆息した。



「さて。改めてよろしくねレイ・グレック。僕らには見ての通り強敵がいっぱいだ。……もう一度聞こう。それでも戦場に立つか?」



 ルーティスが振り向いて尋ねると、



「何度でも言うぜ。当然だろ。戦わせろよ」



 レイ・グレックはにやりと答えを返す。


 それを受けたルーティスも黄昏の輝きの中で満足げに微笑んでいたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る