校長先生の肘にはLightningコネクタの穴がある

あq

校長先生の肘にはLightningコネクタの穴がある

これはこないだ立ち飲み屋でおっさんから聞いた話だが、ほとんどすべての校長先生は電気で動いており、校長室で自分を充電している。校長先生とは、生まれつき充電しないとまともに活動できない、そういう体質のひとたちが就く役職なのだ。

校長先生は基礎代謝がずば抜けて高く、その割に消化吸収能力が非常に低いので食べ物だけでは並の人間程度に活動できず、生物としてはとても弱い。ナマケモノとかコアラとかに並ぶ。その代わりというわけではないが、生まれつきLightningケーブルの端子を挿す穴が両肘に空いている。

こういう体質の人を、"Lightning"というらしい。それを聞いたときなんて安直な、と思ったが、そうでは無いらしい。Lightningが先にいて、Lightningケーブルがあとに開発されたのだ。

そもそも、太古において人間はLightningコネクタを持つ方が多数派だった。先にも言ったように彼らは生物として非常に弱いので、まあ細々と生き延びていた。しかしいわゆる"人間の歴史"の始まりにおいて、Lightningコネクタを持たない、食事だけで盛んな活動を行うことの出来る人々が生まれた。彼らの繁栄の勢いは我々の知るように目覚ましいもので、あっという間にLightningは淘汰され、数を減らした。仕方のない話だ。

気持ちの良い話ではないが、近代と呼ばれる時代になってからは、公共福祉の観点で多くの資金がLightningの支援に利用されてきたことに対する反発が拡大した。彼らに言わせれば、「俺たちが汗水を垂らして稼いだお金を、なぜ食って寝るだけのような"動物"に渡さねばならないのか」ということだった。

しかしそうは言っても、Lightningに発達した資本主義社会の中で自ら生きていくだけの能力がないことは誰の目から見ても明らかであったし、Lightningは肘のコネクタを除けば同じ人間であるから近代国家としては完全に見捨てる訳にはいかなかった。だから、例えば日本においては特定の部落に集められ、生産性の低い仕事を与えることで批判を躱し国家としての体裁を保つなど、Lightning側からの社会貢献を提示することで公共の福祉の対象として相応しいと根拠付けようとした。しかしこれは根本的な解決になっていなかった。Lightningは資本主義に、さらに言えばその底辺に無理やり組み込まれたのだ。この流れで寧ろ部落差別の問題としてLightningはさらに過酷な差別対象となってしまった。Lightningは各国において、国から与えられた仕事を淡々と行って提出し、差別を受けながら滅びを待つだけの存在となった。多くの個人や組織がこの事態に対抗しようとしたが、根本的な解決策は見つけられなかった。

そこで一役買ったのがAppleである。彼らはiPhone5の開発と同時にLightningを生物学的見地において一から研究し直し、ついにiPhoneとLightning両方の充電が可能であるLightning端子の開発に成功した。LightningはLightningケーブルで充電することにより、人並みかそれ以上の活動を行うことができるようになったのである。

コネクタが肘にあるという物理的な要因により彼らが就ける仕事はまだ少ないが、それでも彼らには自分の職業を選ぶことが出来るという喜ばしい文化が与えられた。その象徴が校長先生である。校長先生はきっと基本的には大変な仕事がないだろうし、自分だけの部屋が与えられているから他人の目を気にすることなく充電できる。それに社会的地位も高いので、Lightningの社会進出の一歩としてはこれ以上ないほど有用だったのだろう。


私は「しかし、何故これほどまでに重要なことを誰も教えてくれなかったのだろう」とおっさんに聞いた。おっさんは、「私はずっと全校集会で話しているんだが、校長先生の話なんて誰も聞いていないからね」と答えた。

差別はこうやってなくなっていくんだろう。

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