第32話 十五の夜

「透さん、わたし間違ってたかしら」



 時を同じくしてリビング、粗方の家事を終えた亜妃乃はほろ酔い気分でテレビを眺める大黒柱の隣に腰を下ろす。

「そりゃまぁ、柚香ちゃんには話してなかったんだろ?」

 亜妃乃は再婚を決める前に何度か葵とは会っていた。

 食事をしていく内に彼自身も柚香と反発はしなさそうだから、そういうところも決め手になっていたのだが、親としては全く最低だし娘からすればいきなり母親に再婚を強行されたんだ、家族の縁を切られたっておかしい話ではなかった。

「しかもそのことについてちゃんと話してないし、やっぱり最初は合わせてくれてたんでしょうね」

 柚香は母親の目から見ても大人びた性格だった。

 いや、それはただ抱いているイメージにしか過ぎないかもしれないが、少なくとも再婚に反対されなかったのは彼女の性格を鑑みてだから、間違っていなかったのかもしれない。

 けれどやはり一ヶ月近く経つと、共同生活に於けるストレスが活発になるのかもしれない。朝になると気怠そうに朝食にありつく姿もここ数日は多くなっていた。

「母親失格ね」

 自分勝手に幸せを掴み取ろうとして娘に無理させた。いい親とは言えないだろう。

「そんなことないさ、ちゃんと話せばあの子もわかってくれるし、俺と葵とも仲良くやっているじゃないか」

 亜妃乃が運んできてくれたコップの水に口を付け慰める透。

 前の妻は我が強く弱音を吐くことはなかったから、こういう場面で気が利いた言葉を言えないのは辛い。

「そう思う?でも今日だって見たでしょ?柚香の態度」

「あれは仕方がないよ。俺だって学生の頃にこうなったら拗ねる自信はある」

「亜妃乃だってそうだろ?」

「そうねぇ」

 思い悩む様子の亜妃乃に残り少ない日本酒を勧める透。

「もう少し落ち着いたら、家族四人で遊びに行こう」

「きっと二人は上手くいくよ」

 親の心子知らず、子供の心親知らず、それでも家庭は廻っていく。

「透さん・・・」

 亜妃乃は心配気に暗闇が広がる階段の向こうを見遣るが、自分がウジウジしていたら娘に悪いと開き直りお猪口を一気に飲み干す。

「明日は俺も休みだから、とことん付き合うよ」

 透はいそいそと立ち上がりキッチンからもう一つ切子細工のお猪口と一升瓶を持ち出すと、亜妃乃に手渡し縁一杯まで注いであげた。

「そうね!こんな時は飲むしかないわ!」

 亜妃乃は家事で疲れた体にガソリンを注入する。

 頭上の部屋でナニが行われているのかも知らずに・・・。


 ♦♦♦♦


 目を瞑って全神経を唇に集中させる。


 幸いキスをする瞬間のブス顔を見られてはいないし、無事お互いの唇を重ね合わせることができた。

 春先らしい乾燥が広がる男子の部屋はなんだかとてもチリチリしていて、喉奥から口腔を潤そうと唾液が溜まりに溜まっていた。

 それを飲み込むと緊張してるんじゃないかって思われるのがダサくて、口をモゴモゴさせ少しづつ体の内側に押し戻していく。


(・・・甘い・・・のかな)


 軽く触れただけだからよくわからない。

 受け手は人形のように固まっており、私が積極的になるしかない。


「もうちょっとだけ」


 名残惜しく離された唇から最小限のボリュームで呟く。

 伏し目がちな瞳を肯定と受け取りもう一度キス。

 それから何度も音を鳴らし柔らかさや形を確かめるように啄んだ。


 そうして時が経ってまるで新幹線のアイスクリームのように堅固だった彼の盛り上がりは熱と滑らかさを帯び、その隙間にね蛞蝓みたいな紅い舌を捻じ込んだ。


「んぷっ!?」


 最初こそ驚いたのか逃げ場のない状況で顎を引いた葵。

 しかし柚香は両手でガッチリと彼の両頬を捉え、クレーン車みたく巧みな体遣いで何度も意中の口腔を味わう。


 恋愛とはもっとプラトニックで、初めてはもっと大事にお淑やかにするべきものだと信じてた。


 だがしかし人は獣。男女関係なく刹那的な快楽に突き動かされ番が欲しくなってしまう。


 彼女は初キスの余韻も文学的な感想も味わうことがなく一心不乱に貪った。


 全身に力を入れ腹筋を支点とし快楽に悶え苦しむ思春期を掴んで離さない。


 いやいや逃げようとしていた葵の舌先も気が付けば彼女のねっとり厚みを帯びた果肉に絡まっており、行き場がなくぴくぴくしていた両手は腰付近のスカートが捲れ上がった臀部に置かれていた。

 余裕の出てきた柚香は薄目を開けいつまでも目を瞑り押し寄せる舌遣いに耐え忍ぶ葵を愛おしく心に刻み付ける。

 数ヶ月前はすれ違ったこともない他人で、今だって恋人同士でもない。

 けれど様々な目に見えないモノが溜まった彼女にはもうどうでもよいことだ。


 唾液がつーっと糸のように垂れ下がり、月光に反射して艶めかしく瞳を照らす。

 脱ぎかけのブラウスのボタンを思い出したかのように外し、遂に浅褐色の健康的な体付きが披露されることに。


「それ以上は、本当に―――」


 ここまできて尻込みする葵。

 私はそんなに魅力がないのだろうか?初めての相手としては不服だろうか?

 不安と不満が頭を擡げる。

「どうして、私じゃ駄目?」

「そうじゃないよ?ただやっぱり初めては、お互いの気持ちが大事だと思うんだ」

 どこまでも純心で煩わしい生娘のような考えを持つ葵に柚香は涙が出そうになった。

 だってここまできたのに叶わないんだ。

 さんざ我慢してきた彼女にとって一つの我儘は許されるべきだ、そう今しがた考えていた。けれど葵は慮ってくれない。それとも男としての矜持があるのか?

 憶測を巡らせても目の前の現実は『キス以上のことをしない』だった。

 こちらは覚悟をしているのに。

「いつならいい?」

「いつでも」

「でも目の前にいるのが愛内さんか他の子なら、いいって言うんでしょ?」

「だから梨華ちゃんは―――」

 ズキリと胸が痛む。

 彼女には歩み寄ろうとして、見せつけてくるくせに、私はいつまで経っても他人行儀で余所余所しい。

 剰えこの状況下に置かれても二の足を踏まれてしまっている。



 ぽたっ、ぽたっ・・・



「え―――」

 葵は自分の顔に小雨が降っているのに気が付いた。

 出処に目を遣ると悔しそうに、苦しそうに涙を零す彼女がいた。

 次の瞬間、最も深い口づけに襲われた。

「っぷゅ!!」

「んふっぅ!!」

 ほんのり塩味がかった口づけだった。

 粘膜の交わりから立ち昇る雌臭さが鼻腔を突き抜け催淫剤のように少年の脳内を蝕んでいく。

 かつて夢見ていた崇高で神聖な儀式はあっさりと、義姉に奪われてしまった。

 しかし何より落胆したのは、純文学よりも官能小説に程近いこの一場面。

 低俗とは言わないがあくまで性欲を満たし発散するだけの性描写が先に訪れてしまっている。

 そして欲に負け、受け入れてしまった。

 事実は小説通りにはいかない。

 葵にも退くことのできない一線があって、そこで必死に踏みとどまっていたのに、気がないとは言えない少女にここまでされたらもう辛抱堪らなかった。


(耐えなきゃっ!)


 初めてはきっと愛内梨華だと思っていた。

 葵はもちろん彼女を嫌っているわけがない。しかし自己肯定感の低さや卑下、彼女が眩しすぎる存在だから理由を付けて敬遠していた節がある。

 それでもいつかは手を重ね唇を重ね体を重ねると思っていた。

 青春の真骨頂である高校という時代ではなく、ピークを過ぎた成人になり自分自身に納得できるようになってその時にまだ彼女が自分を見てくれているのなら、それに応えたいと考えていた。

 他人からすれば傲慢だ何様だと思われるかもしれない。

 しかしお互いが好きである限り二人の仲は丁度よかった(尤も、梨華は既成事実を造りたいと思っているのだが)。



 横槍が入らない限り・・・。



「あおいっ、あおいっ!」

 廊下飛び越え下の階にまで響いてしまいそうな愛を求める声が蕩けかけた脳内に木霊する。

 初めて触れてしまった禁断の蜜は彼の矜持を砕くのに最適だった。

 例えばこれが何も知らない女子ならば彼だって抵抗はできた。

 けれど受け入れたのはやはりそういうことなんだろう。


 獣みたいに口の中を犯されて、溢れた唾液が頬を伝ってゆく。

 汗ばんだインナーが更に濡れる。寝間着のトランクスを吹き飛ばしたい。

 薄明りに君臨するの眼光。

 柚香は芋虫のように葵の胸元に頭を当てると、蜘蛛の如くに両腕を背中に回し控えめな色合いにデザインのブラのホックに指をかけた。

 まるで節足動物が獲物を狙う時みたく、葵よりも若干太い腕が蠢く。肩甲骨の流動に目を奪われ、我慢できない荒い呼吸をするたびに背面全部が胎動していた。


「―――恥ずかしいけどさ」


 ぬるりと上体を起こし馬乗りの体勢で見下される。片手で押さえていた頼りない下着は今か今かと脱ぎ捨てられる瞬間を待っている。


「もう全部、葵の好きなようにしていいから、なんでもしていい」


 はらりと床に捨てられると、あの日洗面所で見た輪郭に何もかもがピッタリと、嵌め込まれた。

 下敷きの少年は観念したように両の手を臀部からくびれて深く刻まれた腹筋を撫で上げ、遂にたわわな果実を手中に収めた。

 外見からではわからないが柚香も多分、同年代よりいいものを持っている。

 それでいて梨華ほどアピールはされていないから逆にそこに唆られた。

 どちらかというと同性にモテそうな、羨望の眼差しを向けられそうな機能美に満ちた肉体。男を惑わさない、行動と乖離した肉付きなのに火照っていて、求めている。

 葵はずるりと腰を引き起き上がろうとするとつっかえていたものが彼女の下腹部に擦れ、お互い小さく息を吐いた。

 後ろ手をつき眼前に迫った秘所地を視覚いっぱい心行くまで堪能する。

 彼女は恥ずかしさに目を背けていたがさっきまで強気だったのに今は恥辱に塗れしおらしくなっていて、奥手な葵も応えられずにはいられなかった。


「あっ」


 上目遣いで二人にしかわからない会話を交わし、今度は別の味わいに舌先を這わせる。



 これを皮切りに、十五歳、初めての長い長い夜の鐘が鳴らされた。



 音を立てず侮蔑の言葉を自らに浴びせながら、裏路地で怯えるドブネズミみたいに、最低で最高な恋に身を売ったんだ。

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昨日は他人、今日から家族、いつかは彼女。~再婚相手には私と同い年の息子がいた。ただの家族のはずなのに次第に惹かれ合ってしまい・・・駄目とわかっていても止められない青春譚~ 佐伯春 @SAEKIHARU

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