第21話 放課後の過ごし方③

 ある日の平日、入学式が始まる前、宮村親子は区役所に訪れていた。

 それはとてもとても重要な手続きで、母娘にとって少し面倒臭いこと。

 娘は書類をどんどん埋めて、母に手渡す。


「今日から高遠になるんだね」


 実感が湧かない名字の変更。高校は宮村で受験したのでそのままらしいが、それ以外は全て高遠で話が進む。

「パパの名字なんだっけ?」

「田島」

「そっか」

 覚えていたが、どうしてか無性に尋ねたくなってしまった。

「離婚したらまた宮村に戻るの?」

「縁起でもないこと言わないでちょうだい」

「一応高校の方には相談して宮村のままにしてるけど、変える?その方がウチとしても都合がいいというか―――」

「うーん、そんなすぐ変えられるの?」

「春休み中にはって」

 区役所はクーラーが効いているが少し暑くて、この静けさが混じる空間が妙に柚香を落ち着かせない。

「・・・いいよ、変えたって」

「わかった。じゃあ先生にはそう言っておくわね」

 そして自己紹介。出席名簿にはまだ宮村と残っていた。私も宮村柚香ですって挨拶をした。

 だって、最後になるかもしれない『宮村柚香』に、高校の景色ってものを見せておきたかったから。


 ♦♦♦♦


「宮村さん、中学の時は彼氏いなかったよね?」

「高遠さんとはどこで知り合ったの?」

 デリカシーというよりも知りたいことを知りたがる性格なのだろう。冬海は捲くし立てるように私と葵を交互に見遣る。

「あー・・・」

 葵は捨てられた子犬のような眼差しで柚香に助けを求めている。経験上彼女みたいなタイプに嘘をつくのは悪手だし、逆に他人に言いふらさないと知っていた柚香は正直に答えることにした。

「誰にも言わないって約束できる?」

「ええ」

「えっとね、私中二の時に両親が離婚して母親と二人暮らしになったの」

「それでつい最近、中学を卒業してからあるお話がトントン拍子に進んだ」

「・・・なんとなく察しがついたわ」

「うん、そうなんだよね。私と葵は姉弟なの。義理だけど」

 両腕を太ももに真っ直ぐに置き、肩を縮こまらせ居心地悪そうにしている葵。きっとこんなこと初めてだから奇異な目で見られるとか、今後の学校生活に支障をきたすんじゃないかってまだ信頼しきれてないんだ。

 逆に柚香はテーブルに身を乗り出して堂々としている。

「そう・・・なの。それは・・・すごいことね」

 冬海の両親仲は悪いとも良いとも言えない。ただ子は鎹とはよく言ったもので、一人っ子の愛娘は両親の期待とこれからの希望を背負わされていた。でもそれは両親がいるから耐えられることなのに、この多感な時期に血の繋がった家族が減って、見知らぬ誰かと同居するだなんてとても冬海には考えられないというかなんというか。


 そして葵は―――同い年の男の子だ。


 柚香は比較的男子慣れしてそうだが、見た感じ葵にはなさそう。

 外野にとってはとても気になってしまう二人の秘密だが、もしこのことが知れ渡れば高校生活はまず間違いなく平穏なものではなくなると、その考えに至ることができた冬海。

「私達家族になったんだ」

「んでやっぱ、こういうのって噂されると面倒じゃん?悪いとは思ってるんだけどなるべく人に言わないようにしたいんだよね。どうせすぐバレるかもしれないけど」

「え?」

 疑問の声を上げたのは葵だった。

「こんな感じなんだけどさ、冬海にも理解して付き合ってもらえると嬉しいなって」

「葵いい奴だし、私も学校では家族としてじゃなくて、友達として振舞うから。だから冬海も・・・ね?」

 空になったグラスの中は無色透明で、濁りは少しも残っていなかった。


「いいけど・・・本当に彼氏とかじゃないのね?」


 何故か念を押され尋ねられる。


「違うって!私、高校ではそういうの諦めようと思ってるし」

「へぇ、あれだけ男子を虜にしてきたアナタがそれ言っちゃう?私そういうところも参考にしたいって思ってたんだけど」

「残念だったね」

「でも聞けてよかった。改めて高遠さん、仲良くしてください」

 懇切丁寧に頭を下げる冬海にあたふたと、

「僕の方こそ!同じ学年なんだし畏まらないでください!」

 真面目な対応に戸惑っているよう。

「あっ、それで先程の話の続きなんですが―――小説だと海外のものをよく読むんです」

 話題の切り替えが変化球並だが、呆気にとられた葵も会話を弾ませる。

 目の前で楽しく話す二人をどこか遠くの視点で眺める柚香。大体誰かといる時は自分も会話に混ざっていたが、この疎外感は新鮮で楽で、居心地がいいものだ。

「あっ、冬海時間大丈夫?」

「んっ、そろそろ行かないと」

 今時珍しい革ベルトのシンプルな腕時計に目を遣った冬海は学校カバンを肩に掛け席を立つ。

「今日は誘ってもらったし、私が出すわ」

「いやいやそれは無理。私あんまし貸し借り作りたくない人」

「僕もちょっと」

 冬海はお金の使い方が下手で、財布の中には十代とは思えない金額を潜ませている。けれどそんなことは露知らず、対等な関係でありたいと願う友人はあっさりと断りレジに向かって行った。


「・・・ありがとね、急だったのに」

「私こそ。このあと習い事あるのにごめんね」

 振り向く柚香は矢張り屈託のない、友達としての笑顔で侘びを入れる。


 最初はただ憧れていた。


 冬海は人見知りではなく人嫌いな面を持ち合わせていたが、それは同時に興味があるということ。侮蔑の念を抱きながらチャラチャラした上級生から下級生までを見定めて、観察していた。


 そんな時、バスケ部に雲のように自由に漂う女生徒を発見する。


 一目見た時からフィーリングというか、何かが共鳴して私の胸の中にぽつりと、その存在が投げ込まれた。

 心の中の四角い空間にブラックホールがあって、吸収した同級生の一から十を一通り咀嚼し学習したあと穴に吐き出していたのに、それだけは空間の隅に、まるで忘れ去られたかのようにぽてっと置かれていた。

 中二の夏休み明け、たまたま廊下ですれ違って雰囲気が変わっているのに気が付いた。近づけば全てを傷付ける剃刀みたいな鋭さを持った彼女、けれど何があったかなんて聞けるわけない。


 今日、謎が解けた。


 そして冬海にとっての憧れが現実に、友として現れた。


 まだまだ人付き合いが浅く苦手な彼女は、頑張ってこの関係を続けようと心に決めたのであった。

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