第11話 思春期

「なんかさ、懐かしいよね」



 カラスが鳴く準備を始めた茜色の空。

 街路樹がざわざわと葉を揺らし放課後の切なさを鼻先に運んでくる。

 葵の通っていた中学の周辺はノスタルジーを感じさせる精肉店やスーパーが並んでいて、商店街とはまた違う賑やかさに包まれていた。


「前崎の方はあんま来たことないけど、いい感じだね」

「そう思うよね?僕も通ってた時はただの通学路にしか思えなかったんだけどさ」

 フェンス越しに望む広い校庭、端には桜並木が並んでいるがもう緑の葉の方が多かった。

 眩しいくらいに輝き続ける西日に瞼を閉じつつ葵の話に耳を傾ける。


「卒業したら何か、寂しさが残ったっていうか―――」

「こうして眺めてると喜びだとか胸にくるものがひとしおなんだよね」

「ひとしおって、ついこないだ卒業したばっかじゃん」

「私なんてまだそんな気分になれないのに、葵は大人ですな~」

 両手を頭の後ろに組んで薄っすら浮かび始めた一番星を見つめる。

 葵は厭世的とまではいかないが、感性がとても大人びていた。


「中学も・・・何だかんだで悪くはなかった」

「早く卒業したいなって思ってたけどいざ卒業しちゃうとね」

 錆びたフェンスに指をかけ、校庭の奥に広がった学び舎を見渡す葵。


「・・・その時のこと教えてよ」

 彼の隣に並び立って、悴む手先を上着に突っ込む。

 私はそれとなく件のメッセージの女子について聞き出そうとしていた。


「うーん、何の面白みもなかったよ?ずっと窓際で読書してたし」

「でも皆優しくてさ、行事終わったあととかは打ち上げに誘ってくれたんだよね」

「それは―――普通じゃない?」

「普通じゃないよ!こんなド陰キャ誘うなんてどうかしてるって!」

「自分で言っちゃう」

 自己卑下というか、ここまで開き直っているといっそ清々しい。

 でも確かに葵の言い分もわかる。

 女子だって反りが合わないグループは誘わないしあまり関わることもしない。

 たまにどの面子にも馴染める子はいるが、それだってごく一部だ。


「で?行ったの?」

「一応ね?社交辞令として・・・全然出しゃばろうとは思わなかったけど」

「そういうとこ!変えてこ!」

「んで、女の子の方はどうだったの?」

 夜も近づき冷えてきたので足を動かしながらフェンス沿いを進む。

 静寂に包まれている中学校を横目にすると自分達が大人になったように感じられた。


「言ったじゃん、僕はそういうの―――縁がなかったって」

「ホント?私が葵の同級生だったら放っておかないけどな~」

「買い被り過ぎだよ」

「じゃあもし高校で中学の同級生に会って仲良くしよって言われたらする?」

「そりゃまぁ、するはするけど・・・」

「その子が実は葵の隠れファンで、ずっと好きでしたって言ってきたら?」

 歩みが止まる。

 この道は人通りもなく遠くに灯った街灯だけが薄っすら見えるくらい。

 柚香はしまったと思った。


「好きとか彼女とか、よくわかんないや」

 その発言の真意はただ人見知りからくるものなのか、母親という存在に全ての異性を当て嵌めてしまったのか、トラウマを抱えているのか・・・。


「ならもし、私が付き合おうって言ったら?」

 別に深い意味はない。

 ただちょっと、他人から自分の評価を聞きたかっただけだ。


 葵はぽけっと目を見開いたあと、前に向き直り遠い眼差しのまま口角を上げた。


「どうだろうね?気持ちは嬉しいけど恋だとかは―――お話の中のものだと思ってる」


 言葉に色々な感情が混じっていた。

 確実に言えるのは、彼は私みたいに特定の人物に対し一定以上の感情を抱いたことはないということ。

 じゃなかったらこんな穏やかで達観したような雰囲気は出せまい。


 葵は夜空で一番強く輝きを放つ一等星に手を伸ばした。


「僕って実は、結構面倒臭いんだよ?」


 手の平を覗きクシャっと笑みをこぼすと、くるりと体の向きを変えた。


「もう帰ろうか?」

「・・・そうだね」

 答えだとか結論だとか、そこら辺のことははぐらかされた感じはするがこれ以上ここで話合ってもしょうがないので来た道を戻ることにした。


「いつかさ、見つかるといいね」

 彼の斜め後ろでそんな無責任なことを言ってしまう。

 同級生なら気の利いた言葉の一つや二つ、或いは沈黙を答えとすることができるが、高遠葵が所属する手合いの扱いには慣れていないもので、ついつい嫌なところを突いてしまったのではないか?と慌てて口を噤む。


「それは柚香さんもでしょ?」

 ハンチングの隙間から覗かせる瞳は憐れんでいるように見えた。


「須崎さんだっけ?高校でも一緒なんだよね?」

「・・・」

「昔からの友達なら、辛いかもしれないけど邪険にしちゃ駄目だよ?」

「多分きっと、親友の縁ってのは簡単に切れないものだろうから」

 自分にないものに羨望を乗せたような一言。

 私はズキッと、触れられたくない部分を抉られた気がした。


(わかってるよ)


 言われなくたって自分が一番わかっている。

 入学までにはキッパリと、この淡い期待を断ち切ってあいつに依存しないように惑わされないようにしなければいけないことを。

 けれど長く付き合い過ぎた私の心はまだ整理しきれていなかった。

 きっと一物抱えたまま話してしまう。

 だからといって関わらないのはダサい。


 先程まで上を向いていたはずなのに、いつの間にか下を見ながら帰路に就いている。

 その間口数は減っていき、玄関をくぐるまで軽い会話の一つもなくなっていた。



 今日の散歩は、とてもな散歩であった。



 ♦♦♦♦


「どうしたの黙っちゃったりなんかして」


 無言の時間は夕飯にまで縺れ込んでいた。

 とはいっても喧嘩したとかじゃない、何となくお互いの会話の線が断たれたような状態で、小学生の頃に見られた拗ねた状態と同じだった。


「喧嘩でもした?」

「してないっ!」

 わかっていることを問われ思わず語気が強くなり、亜妃乃と透は吃驚したように私を見る。

 その視線が痛くて痛くて堪らない、何も問題なんてないのに。


「ごめんなさい」

「いやいいんだけどさ、何か悩み事かい?パパでよければ相談に乗るけど・・・」

「ありがと、気遣いだけで充分」

 ついつい言い方が刺々しくなる。


「そっか、それならまぁ」

 透はバツが悪そうに亜妃乃の横顔に目を向ける。

 彼女も理由がわからないので困った様子だった。


 カチャカチャ響く食器のぶつかる音が苦痛になってしまった。

 テレビも消していたので気まずい静かさが食卓に並び、それを認めると余計惨めになってくる。


「葵はどうだった?」

「ん?楽しかったよ!柚香さんと前崎中の方まで散歩したんだ」

「葵くんあっちの方だものねぇ。地元同じでも学校が違うと全然会わないのって不思議」

「ですね、僕が部活やってたり交友関係が広ければまだわからなかったかもしれませんが」

 一方の葵は矢張りというか、受け答えが私なんかよりもうまい。

 彼からすれば同年代は皆子供のように思えてしまい話すのが億劫になってしまったのかななんて邪推してしまう。

 そして葵が笑って対面の二人と話す度、自分の矮小な矜持というか、何かが傷ついていく。


(なんて自惚れんなっての)


「ごちそうさま」

「あら、もういいの?おかわりは?」

「今日はいい」

 手早く食器をまとめシンクの中に放り、水に浸けておく。

 冷蔵庫から水を取って三人を一瞥もせず自室に急ぐ柚香。


「どうしたのかしら?」

「まぁ色々と・・・あるんじゃないか?葵、喧嘩したとかじゃないんだよな?」

「うん・・・」

 葵の視線は去っていく背に向けられたままで父の質問にも空返事で答えてしまう。



 彼は柚香の態度がわからないまま内心心配はしているが、両親を不安にさせないよう努めた。



 そしてどうすればいいかわからぬまま、夜は更けていく。

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