第9話 初めての

「ふぅ」



 ふかふかのベッドに体を放るとぼふんと音が立ち内部のスプリングが軋む。

 そのあとに訪れた静寂。

 壁一枚挟んだ向こうに柚香がいるはずなのに物音一つしない。


 僕は月明かりが差し込む窓に手をかけスライドさせる。

 昼とは違う丁度よい夜風が尋ねてきてくれて、風呂上がりの火照った体を急速に冷やしていく。


 スッ


 手に馴染むスマホを覗き、愛内梨華アイウチリカのトーク画面を開く。


 彼女は中学から一緒になった女の子で図書委員で一緒になったんだ。

 どういうわけか五クラスもあったのに三年間ずっと同じクラスで同じ委員、彼女も僕と同じで人付き合いは苦手らしく何かにつけて高遠葵という人物を頼っていた。

 大人しそうで育ちがよさそうなお嬢様。

 だからクラスメイトは声をかけるのを敬遠していたのかもしれない。

 それでも僕は自分と似たような生活にシンパシーを感じちょくちょく遊ぶことはあった。

 他人とはいえ友達は友達で、あっちも余所余所しいから話す度いちいち挙動不審になったのは今思えば恥ずかしい限りだけど、それでも趣味の話題に熱が入れば饒舌になっていった。



 僕は梨華のことを好きだとかそういう目では見ていない。

 等身大で付き合えるかけがえのない友達だとしか認識していなかったから。



 でも彼女は違うのかもしれない。



 葵は指先で画面を上に上にスクロールする。


「はぁ」


 溜息が漏れてしまうほどの山のようなメッセージ。

 中二の冬頃からこうなり始めた。

 最初こそもっと仲良くしたいからかと思っていたがどうにも違うようで、学校がある以外の日にも今日は遊べないかだとかお茶しようだとか散々誘われていた。

 あまりにも急に、人が変わったかのようにこられたから僕が萎縮してしまい距離を置こうとしたが駄目だった。

 そして帰り道も反対方向なのにわざわざ家の前まで見送ってくれたり興味以上の感情があるのだろうか?


(だって・・・彼女だとかそういうのじゃないんだよ?)


 現に向こうも告白やそういう気を引くような行動はとっていない。

 だがしかし、高校に入ってもあの感じは変わらないだろう。


「っ」


 指先がある画像で止まる。

 つい先日ハワイ旅行に行ったというその写真は南国の太陽に照らされた絹肌が露になっていて、次の一枚は家族と海ではしゃいでいるであろう水着姿の画像。

 わざわざ両親か誰かに撮らせて僕に送ってくるだなんて、全くけしからんというか大丈夫なのか?


 それから葵はスマホ内の写真フォルダを眺め、頭に上った血を鎮めるためもう寝ることにした。


「ふぅ・・・」


 寝返りを打ってお気に入りの体勢で枕に頭を埋める。



「・・・」



 抑えきれない興奮を水底に沈めながらいつも同じことを考えてしまう。



 愛内梨華は、僕にとって気心の知れた友人だが、



 とてもよくない魅力を孕んでいる―――と。



 ♦♦♦♦


 見知らぬ、天井。


 瞼に当たる柔らかな朝陽に起こされたのか、まだ静かな時間に目を覚ましてしまった。


「んんっ」


 小鳥の囀りが外で聞こえている。

 昨夜は窓を開けっぱなしにしていたからか喉がひりついており、眠さが抜けきっていない体をむくりと起こしリビングに渇きを癒しに行く。

 廊下は日当たりの関係かまだ薄暗くて家族を起こさないよう摺足で階段を下りる。

 もうここは自分の城でもあるんだから勝手知ったようにキッチンの冷蔵庫を開けて中のペットボトルを持ち出した。


「・・・」


 部屋に持っていこうと三階に上がった時、ふと隣の部屋が気になった。

 自室に飲み物を置き葵の部屋のドアに力を込めると、



 キィ―――



 鍵がかかっていなかったので失礼させていただく。

 水滴がついた指先を拭いてから部屋に入ると、得も言われぬ感覚が胸の奥から喉元にせり上がってきた。

 彼は意外にも寝相が悪く非常口のようなポーズで寝息を立てながら睡眠を貪っていて、こちらに向いた寝顔は昨日の出来事を思い返させてしまう。



 スッ



 ゆっくりと豹のような抜き足差し足で近づき、見下ろす。



(やっぱ、いいよなぁ)



 彼が弟になるというのは女子的に言えばいいことづくめであった。

 悲しい話だがこれが全然乙女の琴線に触れないようなダサい感じだとかゴリラみたいなむさ苦しい奴、ガキみたいな破廉恥なタイプだったら全然コミュニケーションをとりあわないか、割り切った冷たい態度をとっていたと思う。

 でも葵は正直全然イケる。

 寧ろご褒美くらいの感覚で、いきなりアラブの富豪の家に住むことになってしかも人懐っこい熊がついてきた気分。

 熊扱いは酷い話だが私にとってはそのくらい棚から牡丹餅案件だったのだ。


(・・・)


 柚香だって態度で表すことは少ないが可愛いものやロマンチックなものに惹かれる年相応の女の子だ。

 眠れる森の美女とは言わないが目の前にこんな少年がいたらちょっかいだってかけたくなってしまう。



 昨日の今日と同じように膝立ちになり、彼の寝顔を目に焼き付ける。



 美少年というのはいつ何時に何時間見ていても飽きないもの。

 男だってそうだろう?

 だが同時にもし目の前の人物が想い人なら?と重ねてみてしまう。


 ないとは思うが彼女と一緒の部屋で寝たことはあるのだろうか?

 末崎美橙スエザキミカンは悠馬の寝顔にどんな想いを馳せているのだろうか?



 そして―――無防備な瞬間にどのようなことをしているのだろうか?



「///」

 昨今の中学生は子供と呼んでいいのか、耳年増が多い。

 便利なネットで何でも知った気になれるし、ネットで恋のあれこれを楽しんでいる先輩なんかもいた。


 私もその一員だ。


 少女漫画は少年漫画と違い過激なシーンも多く、気になって単語などを調べると泥沼に嵌ってしまう。

 そして憧れの、好きな、愛おしい誰かで妄想に耽け、ただじっくり運命の瞬間を待つ。


 私はロマンチストな一面があるから初めては初恋の人がいいだなんて、そんな無茶なことを夢に見ていた。


 いや、無茶ではなかったかもしれないが勝利の女神は微笑んでくれなかった。


 これから訪れるのは全て妥協?

 そう考えると全部が虚しく思えて中学生活は擦れた態度を露にしていた。



(でも―――)



 葵は妥協のグループに含まれるのか?


 多分違うかもしれない、けれどそんな枠組みを超えた場所に舞い降りていた。



(そうだよね、こんなキモチ持っちゃ駄目だし―――)



 柚香は刹那的な空白を埋めたくて、耳年増の妄想を現実に変えたくて、



 ただ―――ただ単純に興味があって、



 やりたいことをやろうとしてしまう。



 さらっと垂れ下がった横毛を耳の曲線にかけて毛先が彼の頬に触れないようにする。



 一向に目覚めない寝顔に鼻息を吹きかけないよう慎重に寄っていく。



 心臓の鼓動は一周回って凪のように穏やかで、覚悟が決まったことを確信させた。



 一ミリ一ミリ、気を配りながら近づいてゆく。



 本当にお互いの鼻先が、睫毛が当たるんじゃないかってところまできてしまったが、



 ここで柚香、二の足を踏んで躊躇ってしまう。



 理性がいきなり割り込んで待ったをかけてきたのだ。



 そうしてそのまま歪な体勢を保ったまま、



 まるで石像みたいに、葵の唇を前にして動かなくなってしまった。

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