第7話 共同生活に於ける弊害、即ち入浴

「あっ、それはこの辺りで大丈夫です」



 榛摺色のフローリングが施された室内は綺麗に掃除されており裳抜けの殻の如く埃一つ落ちていなかった。

 そこにどんどんと運び込まれる段ボールの山。

 大きな棚はこないだのインテリアショップで買うとして、捨てきれなかった洋服や勉強机、ベッドなんかは適当な位置に置いてもらう。

 自室にはクローゼットもあり収納には困らなさそうだ。


「いやーいい暮らしになりそうですな~」


 二方向についた窓を開け空気を入れ替えると控えめな春風が抜けていく。


「荷物に漏れとかないよね?」


 母がひょっこり尋ねてくるが全然大丈夫そうだとサムズアップ。


「お兄さん、ベッドは枕が北側になるよう置いてあげてください」

「ちょっと!私はこーいう向きがいいの!」

「でも風水的には―――」

「ママの言う通りに置くと物が置けなくなる!」

 娘の部屋の配置に口出しする母を追い出し理想通りに運んでもらう。

 風水に頼って自分の満足度が下がれば本末転倒だろう。



 慌ただしく人で賑わう高遠家も数時間後にはいつもの静けさに戻っていった。

 透はトントンと腰を叩き亜妃乃は草臥れたようにソファーに腰を下ろし休んでいる。


「いや~終わったねー」

「そうね、夜は家で食べます?」

「亜妃乃さん疲れてるでしょ?ちょっと外出てもいいし宅配でもいいよ」

 だらんとしながら話し合っているが傍目から見れば新居に越してきた夫婦のようで、今日から本当にここで暮らすんだなと身をもって実感し始める。


 リビングから三階の自室に戻るとほとんど完成形に近い空間が現れ、何だかホテルに訪れたような疎外感と高揚感が肌にまとわりついてくる。



 すると背後から葵がやってきて、肩越しから私の部屋を覗いた。



「女の子の部屋って初めて見るかも」

「そのうち幻滅すると思うから、覚悟しておいて」

 年季の入った勉強机の隣には化粧机があり、頭頂から胸元までを映せるくらいの鏡がある。

 もちろんクローゼットの隣には姿見も。

 嗅いだことのない他人のニオイが沁み付いた家具だが彼女と同じニオイを放っているのがわかる。

 けれど日付が変わればウチのニオイと同化されてしまうのかなという寂寥感がパッと脳裏に明滅した。



「私達、これから一緒に暮らすんだね」



 前に立つ彼女は憂いを帯びた声で呟く。


「不安?」

「んっ、今になってね」

「ママと透さんの負担とかが」

「そーいう不安?」



「あとは―――葵とこれからずっと一緒にいる不安だとか」



「え?それ、嫌ってこと?」

 柚香の本音の一部を知った葵は複雑な心境に陥る。



 が、彼女は首だけ後ろに向けて目を伏せる葵に続ける。



「違うよ、葵が思ってるようなことじゃないから心配しないで?」

「・・・」

「私達もう子供じゃないじゃん?だからお互いにさ、変な気を起こさないよう気を付けないとね・・・うん、ほどほどに」

「だってお姉ちゃんになるんだから」

 柚香は葵に言いながらも自分に言い聞かせているようで、ニブチンな葵は彼女の真意に気付いていなかった。


「葵のことは友達として―――家族として好きになって、色々協力とかしてあげるから、お互い高校生活楽しもうね」

 虫に食われた葉っぱみたいに大事なところが抜け落ちている。

 いや、正確には隠している。


 葵は義姉で同級生のハニカミに唯々微笑み返すことしかできないでいた。


 ♦♦♦♦


「ピザなんて久々に頼んだよ」


 夕食は大人二人の体力を鑑みて出前をとることに。

 届けられたアツアツのカロリー爆弾はこれでもかと様々な具材が散りばめられておりちょっとしたお祭り気分。

 しかもそれが二枚もあるんだから堪らない。


「それじゃあ引っ越し祝い&再婚祝いで!」


「「「「乾杯!!」」」」


 透と亜妃乃はワインを、柚香と葵はウーロン茶でグラスを鳴らす。

 柚香はお腹が空いたのか真っ先にピザを切り分けて一番好きな照り焼きチキンマヨとプルコギ風カルビの部分を皿に乗せた。

 葵は明太もちベーコンにサッパリとしたシーフード、父母はワインに合うペパロニ、それぞれ嗜好が出ていて面白い。


「明日はまた買い物行こうか?収納とかいるだろ?」

「お願いできます?」

「構わないよ。それより今日から一緒に住むんだ、もっとフランクに生意気になってほしいな」

「ははっ、生意気になっていいのなら」

 チラリと亜妃乃を見る。


「透さん、柚香にそれ言うと後々面倒になりますからね」

「楽しみだな!でもまだまだ慣れないことだらけだろうしゆっくり家族になっていこう」

「なんせお前達ももう高校生なんだから」

「ほんっと大きくなったわよねぇ、今年十五歳って・・・その時わたし何してたかしら?」

 アルコールも入った二人は学生時代の思い出に花咲かせ盛り上がる。

 子供達は生暖かい眼差しで見守ることしかできなかった。


 ♦♦♦♦


 事件はいつの時代も夜に起こるものだ。


「先に風呂入っていいぞ~」


 ソファーに凭れ掛かる透は酒臭い息を振りまく。

 聞いた柚香は風呂場に向かうのだが、



(・・・これ、このあと僕が入るってことだよね)



 テーブルで何気なくスマホを弄っていた少年は気づいてしまう。

 普段は一番風呂を父に譲り自分はゆっくり入る派だったのだが、人数の変動で入浴の順番も乱れていた。

 これからは少なくとも柚香が最優先になるに違いない。

 その後は父か亜妃乃になるだろうが今日は二人共遅くまで入りそうになかった。



 ゴクリッ・・・



 生唾を飲み込んだ音が二人の耳に入らないか心配になる。

 暑くもないのに額や首筋からぬるりと噴き出す汗、心臓の鼓動も急速に跳ね上がる。


「柚香さん!」

「ん?」

「僕、部屋いるから出たら教えて」

「あぁいいよ、ちょっと長いかもしれないけど許してね」

「それは―――大丈夫」

 その足で階段を下りる柚香と階段を駆け上る葵。

 逃げるように自室に滑り込むとすぐさま義理の姉、接し方などをググる。

 が、ほとんどが夫婦の話ばかりで子供同士の話はなく、質問サイトにもそのままでいいと書き込まれていてこの昂ぶりを鎮める材料にはならなかった。


(柚香さんが、入ったお風呂)


 意識しないように意識をすると意識してしまう。

 控えめに言っても彼女は可愛く、もし葵が中学で仲良くなってああいう風に遠慮なく話しかけられていたら密かな想いを寄せていたかもしれない。



(こういうことか~~~ッッッ///!!!)



 ここにきて先程の柚香の発言の真意に気付く。

 と同時に自分が嫌われているわけではないとほっとした。


「うぅ~」


 彼女の抱いていた共同生活の不安が伝播してくる。


(浴室掃除してたっけ?変な・・・毛とか落ちてないよね?気になってきた)


 葵に覗くなんて選択肢は端からない。

 しかしこんなナリでも男なんだ、どこにでもいる健全な青少年はモヤモヤしてしまう。


「あーもう!」


 ベッドに飛び込み枕に顔を埋める。

 一刻も早く邪念を取り払いたいとジタバタ藻掻くが妄想は膨らむばかり。

 ならいっそ寝てしまえばいいのではと逆転の発想が浮かぶも寝付けそうにない血流の騒めき。



 結局まんじりともせず柚香の呼びかけを待つ葵なのであった。


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