第6話 引っ越し、秘密を覗く

 三月末。



 新生活の足音が自室の前で止まった時、宮村柚香の初めてが訪れる。

 移り住む家はもう他人が住んでいてそのどちらも男で、今年高校生になる自分にとっては中々に厳しい現実だろうが幸いヒステリックにはならなかった。

 それを見越して母の決断も早急なものになったのかもしれない。


 荷造りも粗方終わり段ボールが積み重なった空虚な部屋を見回してみる。

 物心ついた時からこの部屋で一日を過ごし春夏秋冬苦楽を共にした故郷みたいな空間。

 今はがらんとしてしまっていて虚しさだけが胸中に染み渡った。


「柚香ー、そろそろトラック来るからー」

「わかったー」

 動きやすい運動着の首元をパタパタはためかせ正中線に垂れ溜まった汗を乾かす。

 今朝は一段と陽射しが強くまるで初夏のような暑さが広がっていた。


「業者さんとは別で透さんの家に行くから、手荷物は少なめにね」

「だいじょうぶ」


 大きなボストンバッグには大切な物だけを詰めて寂しさはこの部屋に置いていこう。


 ♦♦♦♦


「・・・」

「緊張してる?」

 タクシーの中、窓の外を無言で眺める娘の手を握る母。

 この子には悪いことをしたと罪悪感があるのは事実で、母親として失格なのではと忸怩たる思いがあった。

 ポッカリ空いた隙間を身勝手な理由で埋めようとしたのに、娘には感謝しかない。

 不幸中の幸いというか慰謝料と養育費は受け取れている。

 元旦那も別の若い女(わたしよりも娘に近い年齢、信じられない)にゾッコンだから勝手にしやがれという感じだ。

 わたしは娘が大好きだが本音を言えば男の子を産みたかった。

 葵はその点で言えば及第点どころか満点を通り越している。

 これから仲良くなれればいいが、今のところ娘と彼の関係は良好そうだ。

 彼らも成長し巣立つことがあれば透との子供を考えてもいいかもしれない。


 四十代、まだまだ始まったばかりなのだから。


 そんな母の深慮遠謀なんて知ったこっちゃない娘。

 心音の高鳴りは階段を昇るように仄暗い水底から一歩、また一歩と脚を上げ飛び出ようとしている。

 ソワソワした態度を悟られないよう無心を貫くが、母に握られた手に自然と力がこもった。

 


 高遠家がもう目と鼻の先にきていたから。



 ♦♦♦♦


「やぁやぁお疲れさん」


 閑静な住宅街に停まったタクシーと2tトラック。

 インターホンを押すと透が出迎えてくれた。

 自転車のブレーキ音が響く路地に荷物を降ろし声掛けし合う引っ越し業者達。

 透は玄関扉にドアストッパーを差し込み柚香を二階に上がらせた。


「指示はこっちでやっておくから、呼ぶまで休んでて」

「ありがとうございます」

 透と亜妃乃が荷物の確認を始めたので邪魔にならないよう家に入る。

 カバンに仕舞っていたシャツをすぐ取り出せるようにしておくのを忘れない。


 榛摺色の段差を上がりきるとまずキッチンが目に入った。

 次に音のする方を覗くと大型のテレビにドラマの映像が流れている。

 が、肝心の人物がおらず肩透かしを食らう柚香。

 時間を潰そうとテレビ前のソファーに向かうと、


「あっ」


 スースー寝息を立てて昼寝をしている葵がいるじゃないか。


「寝てんじゃん」


 油断しきった呑気な寝顔。

 仰向けに寝転んで片足はだらしなく下ろされくーすか幸せそうにして、きっといい夢でも見ているんだろうな。

 

「私が引っ越してきたんだよ~」


 柚香はソファー横にボストンバッグを置いて彼の寝顔を間近で観察することにした。


「むむむ、やっぱいい顔してるよなー」


 暑いのかちょっぴり紅い線が入った目の下。

 小顔なのに柔らかそうなほっぺたは思わず触れてしまいたいほど。

 伸びたサラサラの黒髪は絹糸の如くに生え揃っていて、一本一本別々に乱れている。


「・・・」


 気が付けば正座をしながらまじまじ見ていた女子顔負けの素顔に嫉妬してしまう。


「んんっ」


 私の鼻息が当たったのか眉を顰める葵。

 握られていたスマホの画面は開きっぱなしになっていた。


「・・・駄目とわかってても気になる」


 呟いても起きる気配はなくそっとスマホを抜き取る。


(最新機種じゃん)


 流石お金持ちでこだわりがあるボーイ。

 つい先日発売されたばかりのモデルをもう所持しているとは。


 その画面に表示されていたのは誰かとのメッセージの遣り取りのようで、


『高校でもまた一緒だね』


 とか、


『早く会って話したい。こないだの映画のこととか』


 などの会話文が。


 更には画像も貼られていた。

 首から下を映した女子の自撮り、新しい高校の制服を着こなしている。

 首元に見える毛先は育ちや容姿のよさを予感させるし、驚くべきはその胸元。

 シャツの上にリボン、ブレザーで阻まれているのに私よりも豊満。

 先輩か年上かと睨むが文脈からして同じ中学の同級生だろう。

 短めのスカートから伸びる太ももに厭らしい気配はなく寧ろ理知的で清楚なイメージを抱かせる。


(彼女かな?)


 あれだけ異性は苦手だと言っていたのにそれは嘘で、本当は付き合っている人がいるのだろうか?

 それかこの人だけがお友達と呼べる間柄だとか?

 そうだとしたらお似合いな感じはする。



 ギリッ・・・



 しかしどうしてかショックを受けて奥歯を噛み締めてしまった。

 どちらにしても私が心配するほど交遊関係も酷くなさそうじゃないか。


 スマホの画面を消しまた手の中に戻しておく。


(見なかったことにしよう)


 もしかしたら葵にも何か事情がありこの子のことは言えなかったのかもしれない。

 彼からちゃんとした事実を聞くまでは知らないフリを貫くことにしよう。


「このモテ男め」


 プニッと頬を指先で突く。

 同級生からあんな内容のメッセージを送られてるんだから相当なものだろう。

 私なんて未だ初恋を引きずってこないだまで自己嫌悪に陥っていたのに羨ましい限りだ。


「えいっ、えいっ!」


 柔らかなほっぺを弄んでいると階下から物を運ぶような重い音が聞こえてくる。

 私は手を引っ込めスッと立ち上がると、一歩遅れて亜妃乃が姿を見せた。


「何してるの?」

「いや寛いでた」

「そう?今から柚香の荷物部屋に運んでもらうからついてきて」

「はぁ~い」

 若干うわずった声で返事をし向かおうとすると、



 ジー



 真下から視線を感じる。


「うっ」


 見ると葵が恥ずかしそうに眉を八の字に曲げ薄眼でこちらを睨んでいた。



「おっ、おはよ~」



 それを無視して足早に三階に向かう。



 一体いつから目を覚まして、どこから気付かれていたんだろうか?



 私は逃げるように自分の部屋に走った。

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