ではお聞きください

 人の心はやはり、一筋縄ではいかないのだと赤月の話を聞いてそう思った。


「わたし、さ。寂しいの嫌いなんだ」


 だから、人に好かれる素振りを取っているんだと彼女は語った。

幼い頃から人に好かれた赤月は、自然と人に好かれる素振りを理解し、他者のイメージ通りに自分を取り繕ったらしい。

 しかし、それが窮屈なのかと聞けば彼女は首を横に振った。


「慣れちゃったし、わたしにとってはそれが当たり前のことなんだよ」

「慣れちゃった、か」


 まあそうかと思う。

 人はあらゆることに順応する生き物だ。勉強然り、運動然り、諸々ある趣味だってそうだが、時として孤独すらも毎日同じことが続ければ、いつの間にかそれが日常になり、当たり前のことになっていく。


 だから、彼女のように人の望むキャラクターを演じることもまた同じなのだ。

 それが悲しいことかどうかはわからない。ただ、そういった部分も赤月花蓮の一部であるのだろうと、そう思った。


「だからかな」


 そんな赤月の声に思考を打ち切って、話を聞く態勢を整える。

 俺を見つめる彼女の瞳は、不安気に揺れていた。


「始業式の日に日向くんに挨拶した時、無視されてすごく驚いたし、寂しかった」

「……そうか」


 それはきっと無視したわけじゃなくて、自分に挨拶されたものだと理解していなかっただけだと思う。


「初めてだったんだよ? 誰かに挨拶して、見向きもされないの。けどそれから、少し日向くんが気になって、それでこうなってるから良いのか悪いのかわからないけど」

「それ、普通なら気になるどころか嫌うやつだろ」

「わたしもそう思う。でも、初めてだったから気になったんだ。どんな人なんだろーって、それがきっかけ」


 そう言えば、遠野がそんなことを言っていた気がする。


 曰く、マウンテンゴリラと同じぐらいの希少さだったか。


 いや、別に揶揄されるほど筋骨隆々ではないし、どちらかと言えば痩せ型だし、そこまで繊細な性格ではない。誰が絶滅危惧種か、と正直少し腹は立った。


 終いには優しくもなければ、ハンサムでもないと言われてしまっているわけだが、あながちその例えも間違いではなかったらしい。


「だから、ずっと話してみたかったんだ。わたしも、日向くんのことが知りたかったから。今だってそうだよ」


 関わり方はちょっと強引になっちゃったけど、と言って赤月は照れたように笑う。

 強引どころの話じゃないだろ、あれ。


「それでもさ、それぐらい気になっちゃったんだ。どうして、日向くんは一人でも平気なんだろうって」


 そう言った赤月は、熱のこもった瞳で答えを求めるように俺を見る。


「別に一人ってのはそんなに辛くないんだよ」

「……そうかな?」

「ああ」

「なんで、平気なの?」

「何でって言われてもな」


 頭の中で思うぐらいならなんてことはないのだが、改めて言葉にするのは、少しはばかられる。

 どうしてって、そりゃ恥ずかしいし、あまりそういう素直なのには慣れてないからだ。

 しかし、そんな俺に赤月は強い口調で言う。


「聞かせてほしい」


 どうしても知りたいのだ、とそう赤月の瞳が雄弁に語る。

 それに俺はため息を吐いた。

 向こうも話をしてくれたのだから、こちらが話さないのは道理に反するだろう。そう思えば、いくらか恥ずかしさは紛れる気がした。


「……俺が一人でも平気なのは、木津とか一ノ瀬とかあとは顧問の倉橋先生とか、少数でも関りがあって、自分のことを多少でも理解してくれる人がいるからだ」

「え?」


 小首を傾げる赤月を無視して、俺は話を続ける。


「一人は一人でも、俺は孤独じゃない。お前なんかと比べると小規模過ぎて、笑っちまうぐらいでも、確かな繋がりがある。心配してくれる人がいる」


 だから、寂しいとは感じない。

 俺の日常の中に、彼らがいることは何よりも得難い幸福であるとそう確信している。


「……そうなんだ」


 小さく呟かれた相槌には力がなく、彼女はそのまま俯いて黙ってしまう。


「赤月?」


 どうかしたのだろうか、と彼女の名前を呼ぶとぽつりぽつりと話し始める。


「わたしは、さ。さっき慣れちゃったって言ったけど、今はそれが少しわからなくて……」


 それから「どうしちゃったんだろうね、わたし」と言って笑った彼女の顔に、いつもの溌剌さはなく、どこまでも弱々しかった。


「わたしね、日向くんのことを知ってからさ。君が一人でも楽しそうなのを見て、ずっとわたしって、本当に今楽しいのかなとか、ちゃんと出来てるのかなとか考えちゃって」


 赤月にしては珍しく、一つ一つ考え込むようにして繋がれていく言葉は切実で、それは彼女が心の内の隠していた部分なのだとすぐにわかった。


「日向くんを見てるとさ、わたしの目の前から急にみんながいなくなるような気がして、それが怖くて、それでわたしは日向くんが知りたくて、日向くんなら何か知ってるかもって思って、それで放課後、日向くんが寝てるところに近づいたの。そしたら、さ、なんか落ち着いちゃったの。変だよね、全然話したことなんてなかったのに」


 ああ、そうかと思う。

 俺は何故、俺だけが彼女に日常を変えられた、だなんて、勘違いしていたのだろうか。


「だから、君に抱き着いちゃったんだ」


 それから、と彼女は続ける。


「日向くんと過ごすようになって、話すようになって、それでわたし、君みたいになれたらって思っちゃった……」


 言い切って、赤月は俺を見つめる。

 俺は、そんな彼女の不安げに揺れる瞳を見つめ返した。


 今にも泣きだしてしまいそうなその顔に、責められているような気がするのは、きっと俺の思い込みじゃない。


 全てのことには良かれ悪しかれ理由があって、それはつまり赤月にも赤月なりの理由があるのはわかっていた。けれども、どうせ大した理由ではないと思っていた。


 そしてそれは、確かに普通なら誰が知る余地もないほどに、どうでもいい理由なのだろう。


 けれども、それは俺と彼女の間では違う。


 景色を変えられた。日常を乱された。そんな馬鹿なことをどの口が言えるのだろうか。



 先に彼女の日常を変えたのは、俺の方だったというのに。



 ああ、まさかのまさかだ。出会っただけで、見ているだけで価値観を揺らがせてしまうなんて誰が考える。誰が予想する。


 ましてや、こんな冴えない人間がそんなことで誰かの何かを変えられるほど、大層なわけがない。


 そうだ。それが正しく、正常な認識だ。


「ははっ、そうか」


 思わず笑った。何と馬鹿な現実逃避か。浅ましいにもほどがある。


 だが、悲観している場合ではない。自罰的な思考は後でいい。なんとなく、彼女のことが少しわかった気がした。


 俺を相変わらず不安そうに見つめる赤月に向かって、口を開く。

 伝えるべきことはもうわかっていた。


「なあ、赤月。正直に言っていいか」

「な、なに」


 怯えたようにそう言った赤月に、俺は笑う。自分でも底意地が悪いと思うほどに、いやらしい笑みを浮かべる。


「ドン引きだ」

「ひどい!」


 せっかく勇気出したのに! とそれだけでいつもの調子に戻った赤月は、やはり単純なのだろう。

 そんな彼女の様子がおかしくて、俺はまた笑った。すごく個人的な感覚の話だが、彼女に湿っぽいのはあまり似合わないように思う。


「そ、そんなに笑わなくていいじゃん! ていうか、笑う話じゃないし! 真面目な話だよ!」

「無理だ。だって、お前すげえ面倒臭いし」


 言うと、赤月がまた怒る。


 面倒臭いものは面倒臭い。人気者も、一皮むけば俺と大して変わらないのだと思うと面白いな。


 周囲が何事かとこちらを見ているが、今だけは周囲の迷惑も知ったものかと思った。


「まあ、まだ話半分もいってねえし、怒らないで聞けよ」

「……なに」


 ブスッとした顔で、赤月はこちらを睨む。

 そんな彼女に、俺は一つの問いを投げかけることにした。


「なあ、赤月。お前は自分が好きか?」

「……え?」

「俺はな、こういう自分が好きだ。素直じゃなくて、面倒臭くて、適当な自分が大好きなんだ」


 自分でもどうしようもない性格をしていると思う時はある。

 昔はこうじゃなかったし、昔のままだった方が人生きっと楽しかったんだろうとは何度も思った。今でも思うことはある。あるいは、もっと違う人生を歩めたのなら、人並みに真っ直ぐになれたのかもしれないなんて、あり得ないⅠFを空想することだってな。


 もしもそうなら、もっと人生は楽しかったのだろう。もしもそうなら、友達はたくさんいたかもしれない。もしもそうなら、もっと赤月との関係だってスムーズだったはずだ。抱き着かれたりなんてことは起こらなかったし、彼女にいらん悩みを抱かせることもなかった。


 けれども、そんな空想に意味はない。人生にはリセットボタンなんてないし、セーブとロードも存在しない。


 それに、もしもがあったのなら、俺は自分の日常という小さな世界で、幸せを見つけることが出来たのだろうかと思う。

 それに木津や倉橋先生と出会うことや、一ノ瀬と再会出来たかもわからない。

 今、目の前にいる彼女だってそうだ。そもそも出会わない可能性だってある。


 バタフライエフェクトという言葉があるように、何か一つを掛け違えれば今はなかったのかもしれない。


 そう思うと、『もしも』に価値がないように思えるから不思議だ。


 俺は人生のやり直しはいらない。違う自分などいらない。


 そんなものは俺じゃない。


 俺はこの自分が一等好きだ。目の前の日常が一等好きだ。


 だから、赤月にもそうであって欲しいと傲慢にも思う。

 いや、違う確信しているんだ。あんな言い方をしていたが、彼女だって本当は自分が大好きなはずなのだ。

 俺みたいになんてそんなこと、本心では思っていないのだろう。


 そして、その気持ちを邪魔しているものは他でもない。俺だ。


「さっきも言ったが、お前はお前なんだよ。俺にはなれないし、なる必要もないんだ」

「で、でも日向くんみたいになれば一人でも寂しくないじゃん。そうなりたいって、思うのはいけないことじゃないでしょ……」

「でもよ、お前は一人じゃないだろ」


 言うと、赤月はハッとした顔でこちらを見て、それから苦虫を嚙み潰したような顔をして顔をそらした。


「一人だよ。だって、日向くんにとっての木津っちとか一ノ瀬さんみたいに、わたしをわかってくれる人なんていないもん……」


 意固地になっているのだろう。ずいぶんと素っ気ないことを言う赤月を少し意外だと思う。そういう一面もまた、彼女なのだろう。

 しかし思ってもないくせに、よく言うものだ。


「お前がクラスメイトとどこまで親密なのかは知らねえし、そんなことはどうでもいい。けどな、少なくとも遠野はずっとお前と一緒にいて、お前のことをわかろうとしてる」

「……ユカリちゃんが?」

「あいつな、昨日たまたま会っただけなのに、落ち込んでたお前のことが心配でよく知りもしない俺に突っかかって来たんだぞ」


 面食らって黙る彼女に、俺は続ける。


「他の奴らだって、少なくともお前のことを心配はしてる。今日の教室の様子、知らないわけじゃないだろ」


 ほとんど会話をしたことがない俺でも、空気だけでなんとなく察せてしまうほどだ。

 知らないなんて答えは許さない。


「それでも一人だって言うのか、お前は」


 そこまで言うと、赤月は黙り込んでしまう。


「一人で寂しいのは悪いことじゃないだろ。それだけ人に囲まれて来たってことだし、誰かに好かれてたってことだ。俺は一人でいることに、それこそ慣れてるだけなんだよ」


 独りでいるのには、慣れてないけども。それはちょっち寂しい。


「改めて聞く。お前は自分が好きか?」

「……嫌い」

「嘘だな」


 少し間を置いて出された、赤月の答えを一刀両断する。


「う、嘘なんかじゃッ!」

「お前が嫌いなのは自分じゃないだろ」


 赤月の言葉をさえぎって言うと、彼女は「どうして」とでも言うように、驚き目を見開いている。


 ああ、そうだろう。なんか嫌だよな、見透かされるのって。わかる。


 けれども、俺にはわかる。たまたま、同じ境遇だから。


 らしくねえよ。本当に、俺らしくない。こんな諭すような役回りは俺じゃなくて、遠野とか倉橋先生とか一ノ瀬とかの役回りだろ。あれ、案外多いな。


 まあ、ともかく、だ。そんならしくないことをせざるを得ないのは、やっぱり俺の自業自得だ。だから今回ばかりは、はっきりと言ってやる。いつまでも見て見ぬふりを続けたがる彼女に、本当のことを。


 それが俺の責任の取り方だ。


 ではお聞きください。彼女が、赤月花蓮が本当に嫌いなのは――。


「お前が嫌いなのは俺だろ、赤月」


 ま、そういうことだ。

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