昼に少し話そうぜ

「じゃ、もう一回勧誘してみるってことか?」

「はい」


 昨夜、姉さんに相談することでどうにか出した結論を無為にしないために、朝早い職員室にやって来ていた。


 別に出た結論を倉橋先生に話したわけじゃないが、大まかなことは察したのだろう。迷いのない返事をした俺に、倉橋先生が面白い物を見たとでも言うように口の端を歪めた。


「ずいぶんと早く答えを出したな。正直、もっとかかると思ってたわ」

「俺も正直、昨日中に答えなんて出ないと思ってたんすけどね。ただ、姉にバレたんすよ」

「……なるほどな」


 倉橋先生は合点が行ったというように頷いた。


「進歩、だなあ。いやあ、あたしは嬉しいよ日向ァ!」

「うわッ、ちょッ!」


 興奮気味に肩を組もうとして来る倉橋先生をどうにか躱そうとするが、結局捕まってそのままがっしりと肩をホールドされた。


 つーか、赤月も大概だがこの人も胸でけーよ。何? 胸デカいとパーソナルスペース狭くなる法則でもあるの?

 あと誰でもいいから助けてくれ! 無視しないでくれ! この人のこれ、いつものテンションじゃないから!


「おうおう、どうした。もっと喜べよ。アキラ先生のありがたい抱擁だぞ? お?」

「苦しいっす……」


 酒でも飲んでんじゃねーのかってぐらいのテンションで、絡んでくる先生のことは諦めることにした。

 もう何言っても満足するまで離してはくれないだろうことは、想像に難くない。


「答え、見つかってよかったじゃねえか」

「まあ、はい。でも、自分だけで解決したわけじゃないんで、進歩したかどうかは正直わかんないですけど」


 というか、ほとんど姉さんに答えを出してもらったようなものだし。

 少しだけ、倉橋先生に申し訳なさを感じていると、それを見透かしたように先生は俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。


「人に協力して貰うってのも、大事なことだよ。この間までのお前なら、絶対にやろうとしなかっただろ?」

「それは、まあ……」


 はぐらかして、誤魔化して、逃げていたと思う。


「よかったな赤月に出会えて」

「……まあ」


 そう言いながらも、それはどうだろうかと考える。

 別に、これといって出会う必要はなかったはずだ。関わることがなければ、今までの日々が平然と続いていたと思うし、それはそれでよかったし、そもそもその方が良かったのだ。

 だから、別に彼女との出会いそのものは良いものではなかった。


「お? そうは思わないって顔だな」

「……なんでわかるんすか」


 そんな露骨に表情に出ていただろうか。


「あたしは先生だからな」

「理由になってないっす……」


 姉さんといい、立場や身分を理由にするのが流行っているのだろうか。


「まあ、すぐにでもわかるだろうよ。お前は赤月と出会ったことで、確かに一つ成長したんだから」

「……ただ無駄に悩んだだけのような気がするんですけど」

「それなんだよ、大切なのは」


 ニッと笑って、先生は俺から離れる。


「悩み無くして成長はないんだ。だから、大いに悩みたまえ若人よ」

「……はい」


 やはり、この人は良い先生だ。性格とか、色々と物申したくなることはあるが、それでもこの人が、文芸部の顧問で良かったと心の底から思う。

 赤月と出会えたから、成長したとこの人は言ったが、それを促してくれたのは他でもない、倉橋アキラ先生なのだから。

 だから、俺はこの人を母の次に尊敬している。


「……で、それを肴にあたしは酒を飲む!」


 ……やっぱり、今のなしで。



 ▽



 内心で倉橋先生に中指を立てながら、職員室を出て、その辺に放ったカバンを手に取る。


 アレがあの人なりの照れ隠しで、実は柄にもなく真面目な話をしてしまったことに恥ずかしさを感じていたのは、理解しているのだが、それにしたって、もうちょいマシなやり方があったのではないかと思う。


 ありがたく思っていることは変わらないが、一瞬でも格好いいと思ってしまった自分を責めたくなってしまった。


 ほんと、ああいうところが無ければ、もっと人気も出るだろうに、あの人はどうしてああなのだろうか。


 個性というにはあまりにも強烈で、なんなら野蛮だ。


 まあ、清楚な倉橋先生とか想像出来ないし、したくもないのであれでいいとは思う。むしろ、急に路線変更されたら困る。


 そんな何にもならないことを考えながら、教室までの道程を歩く。


 道程というには些か短いか。いや、でも階段多いしなあ……。

 そもそもなんで五階建てなんだよ。一年の頃なんて、毎朝五階分も階段を上らされていたんだぞ。二年になってから教室が四階になったとはいえ、教室に行くだけで疲れるし、寝なきゃやってらんねえよ。


 あれか? 体育館を校舎の中に作ったからそうなったんか? ふざけんな。グラウンドを作る土地すらない街中に学校を建てるから、そういうことになるんだよ。


「あっ」


 校舎に対する不平不満を頭の中で並べながら、えっちらおっちらと階段を上り切った先で、そんな声が聞こえた。

 声のした方に視線を向けると、そこには今二番目に会いたくない人物。図書館の守り人が居た。


「……日向ァ!」

「ひッ……」


 凄まじい形相で、一ノ瀬、いや鬼が、どこかの教師と同じ勢いで俺の名前を呼んで向かって来る。


「日向、あんたねッ!」

「ち、ちょっと一ノ瀬さん。待って、待ってください!」


 思わず敬語になりながら、そう言うが一ノ瀬は止まらない。


「待つかぁッ!」


 朝の静まり返った校舎の中に、一ノ瀬の絶叫が響き、肩をがしりと掴まれる。


「あんたね! 逃げるなんてどういうつもりなのよッ!」

「あ、あれには事情があってですね」

「そんなことはわかってるわよッ!」


 わかってるなら別にいいじゃん……。とはならんのだろうな。

 ただ、それでも俺は話さないというスタンスを変える気はない。


「……なら、話せないってのもわかるだろ」

「それもわかってる! わかってるけど……」


 そう言って、力無く一ノ瀬は俺から手を放す。


「知りたいって、思うのよ」


 不安に揺れる一ノ瀬の瞳が、こちらを捉える。

 その顔に呆気にとられて黙っていると、彼女は言ったことを後悔するように顔を伏せた。


 しばらくそうしてお互いに黙っていると、声を聞いて気になったらしい幾人かの生徒が、教室からこちらの様子を伺っていることに気がついた。


「……なんでそんなに知りたいんだよ」


 一先ず、この状況をどうにかしなければならないと、精一杯考えて出した言葉は力のないもので、けれども目の前で未だに俯いている彼女の核心に迫るものでもあった


「……あんたのことだから、よ」


 それに対して、なんで、と問い返すほど鈍くはない。

 それが特別な想いに由来するものかどうかはわからない。いや、それはないと思っていいはずだ。

 常々、彼女には迷惑をかけている俺だ。だから、それは有り得ないだろ。多分。


 だとして、その言葉はどこから来たものなのか。


 きっとそれは俺が出した答えに近くて、遠野が赤月に対して抱く思いと同じだ。


「お前ってそういうタイプだったか?」

「うるさいわね。その口、縫い付けるわよ」


 バイオレンス過ぎませんかね? 怒ってるから?


「……昼でいいか」

「え?」


 驚いた顔の一ノ瀬。自分で聞いておきながら、こういう展開は予想していなかったらしい。


「昼に図書館に行く。そこで、少し話そうぜ」

「い、いいの?」

「よくはない。が、まあ、流石に全部は無理だ」


 そう伝えると、一ノ瀬は何度も目をぱちくりとさせる。


「で、どうなんだ」

「わ、わかったけど、その……」


 何かを続けようとする一ノ瀬に、「じゃあ、昼に」とだけ言ってその場を去ることにした。


 別に続きを聞く意味はなかったし、それにあれ以上あの場所に居たら人目に曝され続けて、精神衛生的によろしくないのは目に見えていることだ。


 まだ何も話してはいないが、少しだけ達成感を覚えながら自分の教室へと向かいながら、今日は授業を寝ずに受けてもいいかもしれないな、とそんなことを思った。

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