何か悩んでない?

 やる気を復活させた遠野に付き合って、さして興味もなかった音ゲーがちょっと興味の対象になる程度まで教え込まれた俺は、何時もよりだいぶ遅い、夜九時頃になって、ようやく家に辿り着くことが出来た。


 思い悩んでいたことをスッキリと解消できたあいつは、それで良かったのかもしれないが、こちらとしては全く良くなかった。


 憂さ晴らしをしようとして、どうして悩みが二倍になるんだよ。おかしいだろ、絶対。


 真っ直ぐ帰ってりゃ良かったと、今更しても遅い後悔をしながら、玄関の扉を開いた。


「あ、優斗。帰り今だったんだ。おかえり」

「……」


 扉を開いた先には俺よりも一足先に、帰って来ていたらしい姉がいた。本当についさっき帰ったばかりなのだろう。その証拠に、背中をこちらに向けて、振り返るように俺を見ている。


「ただいま」

「うん、おかえり」

「何故二度言った」

「へへッ、なんか久しぶりだからさ、優斗におかえりっていうの」


 そういえば、そうだったろうか。


「高校に入ってからは初めてかもな」

「優斗、最近いつも早く帰って来てるしね~。いやー、家事とかいつもすまんねえ」

「それは言わない約束ですよ、おじいさん」

「誰がおじいさんじゃいッ」


 ペシッと弱い力で頭を叩かれた。何というか、こういうやり取りも久しぶりな気がする。


「ジャージ、出しとけよ」

「それぐらい自分で出来らあ! 結子さんは家事が出来るタイプの姉なのです!」

どうだかな。

「この間の休日、珍しく家に居ると思ったら、昼飯を自分で作り出して、目玉焼き焦がしていたのはどこの誰だったっけ?」

「り、料理と洗濯は違うじゃん。洗濯機にポイで、ボタンをポチッで出来るじゃん。あとは干すだけじゃん!」

「姉さんが干した洗濯物って、皴が出来やすいって、この前、母さんに怒られてたの、俺の部屋まで聞こえて来たけど」

「……いじわる」


 姉さんが頬を膨らませて、拗ねてそっぽを向く。

 流石に虐めすぎたかもしれない。久しぶりに、まともに会話をしたものだから、加減がいまいちわからんな。


「悪かった。でも、明日も気持ちよく部活したいだろ? 汗も流したいだろうし、俺がやっとくから、先に風呂に入って来いよ」

「……わかった。そうする」


 頷いた姉さんは、そそくさと玄関を離れて自分の部屋に向かって行く。

 相変わらず慌ただしいなと、それを見送りながら、靴を脱いで、俺も自室に荷物を放って、制服から部屋着に着替えた。

 それから部屋を出て、洗面所まで行くと風呂場から機嫌の良さそうな鼻歌が聞こえてくる。


「……なんか良いことでもあったのかね」


 そう独り言ちて、自分の分の洗濯物を洗濯機に入れる。続けて、目分量で洗剤と柔軟剤を入れるとボタンを押して、一先ず作業を終えた。


 飯を作ってもいいのだが、流石に帰って来たばかりでそこまでのやる気は起きず、コーヒーメーカーをセットして、部屋から漫画を持ってくると、それを読んでコーヒーが出来上がるのをリビングで待つことにした。


 この時間にリビングでくつろぐのも久しぶりだ。


 平日は一人で飯を食った後は入らないし、休日なんかは大抵昼まで寝ていて、家に誰かが居る時は出掛けたりしているから、リビングでくつろぐことはそれほどしない。


 避けていたわけではないのだが、なんとなく、そうしていた。


 漫画の一冊を半分まで読んだ頃、コーヒーが出来上がった。それとほぼ同じタイミングで、風呂場から寝巻に着替えた姉さんが出て来た。


「スッキリした~。優斗、ありがとうね」

「どういたしまて。コーヒー飲むか?」

「飲む! 牛乳入れて!」

「はいはい」


 自分の分と姉さんの分のコーヒーをカップに注いでから、台所まで行って姉さんの分にだけ牛乳を注いで、姉さんに手渡した。


「やー、気が利きますなあ」


 そう言って、嬉しそうにコーヒーを啜る姉さん。子供っぽいその所作を見ていると、妙に安心する。それから黙って、コーヒーを飲みながら、漫画の続きを読んでいると、姉さんがふとこちらを見ていることに気がついた。


「……なに?」

「いや、やっぱり、優斗の淹れるコーヒーは美味しいなと思って」


 何言ってんだ。


「コーヒーメーカーで淹れたんだから、そりゃ美味いだろ」


 機械を使って淹れてるのに、味に差が出るわけがないと思ってそう言うと、姉さんは首を横に振った。


「ううん、そうじゃなくて、さ」

「どういうことだよ……」


 訳が分からず、少し不機嫌にそう言うと姉さんは、それに嫌な顔一つせずに、優しく微笑んだ。


「なんだろうな、安心するって言うのかな。心がぽかぽかして、あー、優斗がちゃんと目の前に居てくれるんだなって、そう思うの」

「さっぱりわからん」

「わかんなくてもいいよ。お姉ちゃんがわかればそれでいいの」

「なんだそれ」


 呆れて漫画へと視線を移そうとすると、今度ははっきりと姉さんがこちらに向けて、話しかけて来る。


「……ね、優斗。何か悩んでない?」

「……は?」


 咄嗟のことで、ぶっきらぼうにそう返すのがやっとだった。

 それに姉さんは慌てたのか、手をわたわたと動かして説明を始める。


「や、だって、いつもとなんか違うじゃん。いつもなら、すぐに部屋に行っちゃうのに、今日はずっとここに居てくれてるし」

「……たまたまだ」

「そ、そう?」

「ああ」


 そうどうにか口にするが、内心、かなり動揺していた。


 なんでわかったんだ? 


 未だに心配そうにこちらを見る姉さんに、そう思う。


 確かに、いつもと行動は違ったかもしれない。ただ、それは別に悩んでいたからとかそういう理由じゃない。洗濯物だって干さなければいけないし、それが終われば飯を作って、食べる予定だった。


 だから、それをするぐらいならリビングに居た方が効率的だって話で……。


――いや、違うか。

 

 そう考えを改める。


 別に洗濯機までの距離は、リビングからと自室からでそれほど差はないし、飯を作るなら、干し終わってすぐにやればいい。


 いつもの俺なら、間違いなく部屋に入っていたはずだ。


 わかりやすく、俺はいつもと違う行動を無意識にしていたのだろう。


 きっと、それは……。

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