記憶のない少女 #4


「ところで、サラ殿は、これからどうするおつもりなのですかな?」


 サラがテーブルの上に並んだ料理を余す事なく綺麗に平らげて、大きな木のジョッキに注がれた水をゴクゴク飲んでいると、村長が待ちかまえたように尋ねてきた。


「うん? これからどうするのかって?……えっとー……」

 サラは、空になったジョッキを宙で止めて考えていたが、すぐにニコッと明るく笑って答えた。


「強くなりたい! もっともっと、もーっと、強くなりたいなぁ!」

「……え、今以上に?」

「ダメ?」

「あ、いえいえ、そんな事はありません。しかし、サラ殿はもう充分お強いように、私には思えますが。」

「うん、まあ、そうなんだけどー。……私ってば、超強いよねー、やっぱり! 世界一強いよねー! うんうん!」


 サラは、村長に「強い」と褒められて嬉しそうにうなずいた後、いきなり、ドン! とテーブルを叩いた。

 木で出来た長テーブルは、サラの「軽く叩いただけ」の衝撃で、メキメキッと嫌な音を立て、村長をはじめ居合わせた村人達はみな真っ青な顔になったが、サラ本人は何も気づいていなかった。


「でも! 今のままじゃ、ダメなの! 私は、もっともっと強くならなくちゃいけないのー!」

「な、なぜ、そこまで強くなる事にこだわるのです?」

「え? なんでって……なんでだろう?」


 サラの小さな子供のようなキョトンとした表情に、逆に村長の方が呆然とした顔になっていた。


「理由もなくひたすら強くなりたいとは。やはり、本物の強者の考える事は違いますな。飽くなき武の道の追求ですかな。」

「うーんと、違う、そうじゃなくってねー……」


 サラは珍しく少し迷い、眉を寄せ腕組みをして考え込んだ。

 少しの間目を閉じて、自分の心の奥底に沈んでいる「強くなりたい!」という渇望の理由を探していた。


「……だって、強くないと、助けられないでしょう?……私は、困ってる人をちゃんと助けられるように、世界で一番強くなりたいんだー!」


 「困っている人を助けたいから、強くなりたい。」その考えは、驚く程スルリとサラの心の奥から湧き出してきた。

 サラは、答えを見つけてスッキリした気持ちになり、ニコニコと無邪気な笑顔に戻っていた。



「なるほど、サラ殿の素晴らしい志は良く分かりました。」


 村長はサラの考えに感心した様子で頷いた後で、また、さり気なく切り出してきた。


「しかし、当面の、もっと具体的な予定は何か考えておられますかな? これからどこに行って何をするおつもりなのか、と思いまして。」

「これからの予定?……んー、特にないなぁ。あ、でも、この村の事気に入ったから、しばらくここに居ようかなぁ。また魔獣が出たら心配だしー。」

「そ、それはいけません!!」


 村長が前のめりになって口の端から泡を飛ばす勢いで叫んだので、サラは驚いて目を丸くした。


「……な、なんでいけないの?」

「そ、それはですね、あの……サラ殿は、先程『困っている人を助けたい』そう言われましたな。我々はまさに、魔獣の被害に遭い困っている所をサラ殿に助けられました。……しかし、困っているのは我々だけはありません! そう、この広い世界には、サラ殿の助けを必要とする人々が、まだまだたくさん居るのです!」

「う、うん。」

「サラ殿は、とてもお強い! きっと将来は、世界に名を馳せる剣士となられるお方でしょう!……そんな立派な方を、我々のようなごく僅かな者達が独占してしまうのは、非常に心苦しいのですよ。サラ殿が我々を気にかけて下さるのはとても嬉しい事ではありますが、もうこの村の問題は、サラ殿のおかげで無事解決いたしました。これ以上サラ殿を我が村に引き止めるなど、恐れ多くてとても出来ません。」

「う、うーん?」

「さあ、サラ殿! これからは、もっと広く、世界に目を向けるべきですぞ! 世界中の困っている人々を、そのお力で救うため、今すぐにでもこの村を出るのです! 新たな旅立ちの時です!」

「そう、かなぁ。もっと他の場所に、いろいろ行った方がいいのかなぁ。」

「もちろんですとも! 一刻も早く旅立たれた方が良いでしょう!」


 村長の熱弁を後押しするように、周囲の村人達も、もげそうな程必死にうんうん頭を縦に振っていた。



「分かった! じゃあ、私、また旅を続ける事にするよ!」


 サラが明るく笑ってそう言ったので、村長をはじめ村人達は、ホッと胸を撫で下していた。


「でもー、どこに行ったらいいのか、分かんないんだよねー。この辺の事、全然知らないしー。」

「それでは、王都に行ってみてはいかがでしょう?」


 困った顔で首をかしげるサラに、村一番の年寄りで博識でもある村長がすかさず提案してきた。


「王都?」

「はい。我がナザール王国は、実は現在半年以上内戦状態が続いています。つまり国の中で戦が起こっているのです。」

「へー、戦争してたんだ。知らなかったー。」

「ええ。まだ内戦の影響は王都周辺だけのようですが、このまま戦が長引けば、いずれはこの辺境の村にも影響が及ぶかもしれません。」

「戦争は、早く終わりにした方が絶対いいよね。」

「その通りです。そこで、サラ殿には王都に行って、傭兵となり、その絶大な武力をもって、この内戦を早急に収めてもらえたらと思ったのです。」

「傭兵……聞いた頃はあるけどー、どんなものか知らないなぁ。」

「国の正規の兵士ではなく、戦のためにあちこちから集められた腕に自信のある猛者達の事です。今、王都では、長引く内戦により兵士が不足しているようなのです。そのため、王城で傭兵を広く募集していると聞きました。サラ殿程の剣の腕があれば、間違いなく傭兵として活躍される事でしょう。」

「うんっと、要するに、戦争のために強い人を集めてるって事だよね?……それ、いいかも!」


 サラは、村長の熱心な説得により、傭兵募集の話に強い興味を示し、その宝石のような水色の瞳をキラリと輝かせた。


「強い人がいっぱい居そうだしー、そしたら私ももっと強くなれるかもだしー、戦争を早く終わらせられるかもだしー。……凄い! いい事ずくめだねー!」


 サラは、腕を振りながらパチンと指を鳴らして言った。


「決めた! 私、王都に行って傭兵になるよー! いい事教えてくれてありがとうね、村長さん!」

「いえいえ。サラ殿のお役に立てて何よりですよ。」


 サラが上機嫌でニコニコ笑っている一方で、村長はいつの間にかビッシリと額に掻いていた冷や汗を懐から取り出した布で拭い、ホウッと大きな安堵のため息を吐いていた。



 サラは、さっそく翌日には王都に向けて村を出発する事になった。

 その前日は、魔獣の被害の後かたづけを村人に混じって手伝った。

 畑の真ん中に飛んでいた大きな岩を運んだり、折れた木を斧で小さく切って薪にしたり、崩れた家や納屋の廃材をまとめたりと、大人十人分以上の働きを見せていた。

 サラが村を出立する日の朝には、村人達が総出で村外れでサラを見送ってくれた。

「魔獣を倒してくれてありがとう!」「本当に助かりました!」「あなたはこの村の恩人です!」村人は口々にサラに感謝の言葉を発したが、どこかその表情が緊張してこわばっている事に、サラ本人は気づかなかった。



「サラちゃん。本当にいろいろありがとうね。おかげでまた安心して暮らせるわ。」


 本心から深く感謝し、心配そうに話しかけてくれたのは、サラを家に泊めてくれていた老婆だけだった。


「どうか体に気をつけて、元気でね。」

「うん! お婆さんも元気でね! それから、この服ありがとう! 本当に私が貰っちゃって良かったの?」


 サラは、身につけた新しい服をもう一度堪能するかのように、クルリとその場で腕を広げて回って見せた。

 魔獣を倒す時に着ていた服は、あちこち血がつき臭いが染み込んでしまったので、それを不憫に思った老婆が、家に取ってあった服を譲ってくれたのだった。


 決して上等な品ではなかったが、老婆なりに精一杯良い布を選んで丁寧に縫った服だった。

 白いシャツに白いキュロットスカートは、活発に動き回るサラにピッタリだった。

 上に羽織っているフードつきのコートは、明るいオレンジ色で、胸元に赤いリボンがついているのが可愛らしくて、すっかりサラのお気に入りになっていた。


 そこに、二振りの剣を提げたベルトを腰に巻いた他は、荷物の入った袋を一つ肩に担ぐだけという、至って身軽な旅支度だった。


「いいのよ。町に住む孫娘に送ろうと思っていたんだけどね、作っている内に、娘が大きくなって着れなくなっちゃったのよ。捨てられずにずっと取っておいたものだったらか、サラちゃんが着てくれて嬉しいわ。」

「そうなんだー。じゃあ、この服を作った時の孫娘さんって、今の私と同じぐらいの歳だったんだねー。」

「そうそう。あの頃はまだ小さくって、サラちゃんと同じ十二、三歳だったわね。」

「え?」


 クルクル回って新しい服が広がるのを楽しんでいたサラだったが、老婆の言葉に一瞬ピタッと止まっていた。


(……私、十七歳なんだけど?……)


 実は子供扱いされるのが大嫌いなサラは、思わずギリッと奥歯を噛み締めたが、相手がことの外親切にしてくれた老婆だったので、その不満をグッとこらえる事にした。


「サラちゃんにピッタリな大きさで、本当に良かったわ。」

「……あ、ありがとう、お婆さん。この服、大事にするね。」


 穏やかな笑みを浮かべる老婆の前で、ピクピク頰を引きつらせながらも必死に笑顔を保つサラだった。



「サラ殿、この道を辿っていけば、日が沈む頃にはふもとの町に着きます。そこから、王都への馬車が週に一度出ていて、ちょうど明日が馬車の通る日になりますので、王都に向かうにはその馬車に乗られるといいでしょう。」

「いろいろ親切に教えてくれてありがとう、村長さん。」


 山間の村からは、細いがしっかりとした道が山の中に伸びていた。長い年月、村人達に使われてきた小さな街道だった。

 これなら迷う事なくふもとの町に辿りつけそうだとサラは思った。


「サラ殿、これは僅かではありますが、今回魔獣を倒して下さったお礼です。」

「え?」


 うやうやしい手つきで村長から皮袋を手渡され、中に入っている銅貨を見て、サラは目を丸くした。

 ザッと百枚近くはあったろうか。サラにも、それがこの貧しい村ではかなりの大金だとすぐに判断がついた。

 どうやら、村長を中心として、村人達で少ない蓄えの中から出し合った金のようだった。


「こ、こんなたくさんのお金、貰えないよ! 悪いよ! お礼なら、美味しいご飯をいっぱい食べさせてもらったから、もう充分だよ!」

「いえいえ、どうかお納め下さい! サラ殿に受け取ってもらえねば、我々の気がすみません! 少なくて申し訳ないのですが、これが今は精一杯でして!」

「だから要らないってばー。魔獣の被害の後で、いろいろお金が必要なんじゃないのー?」

「お願いですから貰って下さい! どうかこの通りです! サラ殿!……いや、サラ様!!」


 村長は二、三歩後ずさったかと思うと、バッと痩せこけた体を折り曲げ、額を地面に擦りつける勢いで土下座してきた。

 後ろに並んでいた村人達もそれに習い、一斉にババッと皆揃って土下座する。

 「サラ様!」「お願いします!」「どうかこれで勘弁して下さい!」「もう二度とこの村には来ないで下さい!」と、口々に必死に訴えてきた。

 その中には、サラには訳の分からない内容も混じっていたが。


「……じゃあ、ありがたく貰っておくね。村長さん、みんなも、ありがとう。」


 どうにも断れる雰囲気ではなくなったのを悟って、サラは受け取った金の入った皮袋を自分の荷物の中に突っ込んだ。


「サラ様、万歳! 万歳! バンザーイ!」


 人々の大合唱に送られて、サラは苦笑しながらもその山間の小さな村を後にした。

 皆一様に何かから解放されたような顔をしており、中には感極まって泣いている者まで居た。

 サラを送る声は、サラが山の中の道を歩き出し、すっかり姿が見えなくなっても、まだしばらく辺りに響き渡っていた。



 こうして、サラは村を旅立った。

 が、その後、町に向かう一本道の山道で迷いに迷い、ふもとの町に辿りついたのは、なんと五日後の事だった。

 そして、予定より一週間遅れの馬車に乗って王都に向かう事になったのだった。

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