【警告】―地下世界から出ないでください―【2】その13

「……?」


 ティカが目を覚ますまでの小休憩。

 翼を手櫛で梳いていた先輩が、びくんと体を跳ねさせながら――俺も、感じた違和に反応して首を伸ばす。……聞こえたのは音だ。

 地中に繋がる筒から聞こえる、衣擦れの音、のような……、


「振動もあるね……」


 先輩が立ち上がって、地面に手を触れ確かめるが、成果は芳しくない。

 周囲を歩きながらふと触れた壁に、先輩の表情がはっとする。


「……地中かと思ったけど、壁の向こう側から……?」


 そして。


 音はやがて大きくなり、隠す気がないように思える。


「――先輩!」


 先輩のすぐ近く、壁が膨らみ、山の頂点から人と思える指先が見えた。

 第一関節を曲げた指のフックは、真下に落ち水をかくように硬い壁をものともしない。


 壁を掘り進め、薙ぎ払い、砕いた末に出てきたのは、見慣れたグレイモアだった。


 先輩は薙ぎ払われた壁の破片に押されて、地面に倒れたが、間接的な衝撃だったためにダメージは少ない。もしも数センチ、立ち位置がずれていたらと思うと、背筋が凍る。


 先輩こそが一番、それを危惧したはずなのだ。


 現れたそいつは、A、では、ない気がする……。もしもAであれば、視界が使えるのだから俺たちを見つければ無差別に襲ってくるはずなのだ。

 ……しかし音を立てていないから、かもしれないが、このグレイモアも、数多く存在するグレイモアとは違う気がする。


 視覚でも音でもなく、俺たちだと判断するべき機能が存在しないような……。


 現れたグレイモアは、軸がないのか、各部位を揺らしながら不安定な歩みを進め、目の前の壁まで到達する。そして指先を壁に触れさせ、ずっっ、と、根元まで差し込んで、掘り進める。


 硬い壁のはずなのに、食パンを毟るような軽さで、人一人分の穴を空けながら進んでいく。


 俺たちに顔も向けずに。


「……なに、なんなの、あれ!?」


 先輩が戸惑い、大きな声を上げるが、その音にも反応せずに去ったグレイモアは、作業をやめない。……グレイモアに意思があるのか曖昧だが、しかし個体としての意思がないように思えた。嫌々やっているわけでもなく、考える力を失くしているような――。


 自我の喪失。


 いや、自我への、侵食……?


「でも、穴が開通したね。もしかしてこれ、外に繋がっていたり?」


「先輩っ、ダメだ! 中に入ったら!」

「え?」


 顔を覗き込んだ先輩の首に、老木のような手の平が迫り、先輩の体を浮かせる。


 伸びた腕は対面の壁に先輩を叩きつけ、首を絞め上げた。その振動により、穴を掘り進めていた最初のグレイモアの頭上から、崩れた瓦礫が降り注ぎ、体を圧迫させていたが、それでもなお、掘り進める手を休めない。


 体の破損も関係ないらしい。

 ひたすら、一つの行動に固執している。


 グレイモアの中の、そういう種なのだろうか?


 種で言えば、先輩の首を絞めるグレイモアは、俺たちが苦汁をめさせられた、よく見る種だ。珍しくもなんともないが、一番脅威だと感じている天敵——。


 拘束されている先輩を助けようと動き出して、先輩に止められる。


 見れば、開通した穴の奥から、ぞろぞろとグレイモアが溢れ出してきており……、


 まるで巣をつついてしまったかのような、大渋滞を起こしている。


「ティカっ、起きろ起きてくれっ!」

「アル! 喋らないで、音を発しないように!」


「せん――」

「あたしからの一方的な会話なんだから、声を出さずに頷いていればいいのよ、後輩」


 先輩、まさか……。


 音に反応するグレイモアの目の前で、先輩は大きな声で自分はここにいると主張する。


 溢れ出しているグレイモアは拘束されている先輩の元へ集まることになり、脇に置いていかれた俺とティカは、当然、逃げられるようにはなるが……、


 じゃあ、先輩はどうなる。


 決まっている。グレイモアに取り囲まれ、確実に死ぬ。


 先輩の身勝手に付き合っていられないと、俺もグレイモアを引きつけようと叫ぼうとしたが、それよりも早く、さらに大きな声量で叫ばれた。


「守るべき大切な人が手元にいるのに、アルは全滅を選びたいの?」


 先輩を助けようとすれば、目を覚まさないティカを守ることは難しい。


 先輩は言葉で、選択を俺に突きつける。


「あたしとティカ、どっちを守りたいの?」

「…………ッ」


 どっちも守りたいに決まっている。

 でも、強がって二人とも助けるとも言えない状況だと、俺も理解している。

 現実を見れば、片方を犠牲にするしかないのだ。


「いいんだよ、だって過ごした時間が違うもの。

 ティカを選んで当然。ここであたしって答えていたら、軽蔑していたんだから」


 先輩は首を絞めるグレイモアの腕を掴んで、力勝負をしようとしたが、握った手を別のグレイモアによって離される。

 壁にはりつけにされている先輩の下へ、数体のグレイモアが辿り着いた。


「いっ――」


 細い腕に噛みつかれ、翼を乱暴に毟り取られ、

 白い羽根が紙吹雪のように彼女の足下に散らばっていく。


 寄ってきたグレイモアによって埋もれていく先輩は、それでも怯えた顔をしなかった。


「ちょっと憧れていたんだ、先輩として後輩を守り、ここはあたしに任せて先にいけ――みたいな状況。いざやってみると、うん、やっぱりあたしはこの世界にいたんだなって、そんな自信が持てる。なんでもなかった人だ、なんて、思われない……。

 二人に出会えて良かった。あたしを見ててくれてありがとう。……あたしは先輩だから、格好良い死に様を残さなくちゃ……、アルたちが見た、あの二人みたいに……っ」


 心残りは、チームメイトとの和解だったけど、

 死んじゃったなら、どうしようもないよね――。


 でも、終わりじゃない。

 すぐに、あたしもそこにいくから。



 そして。


 先輩の姿は、完全に埋もれて見えなくなり、


 グレイモアの塊が散る頃には、先輩の姿は跡形もなく。


 骨でさえも、その場には残っていなかった。



「んっ――はぅ」


 目を覚ましたティカの口を慌てて塞いで、身動きが取れないように、抱きかかえる。


 ゆっくり、ゆっくりだ……。

 開通させようとしている穴に入っていくグレイモアを見ながら後退し、ヤツらの聴覚範囲から逃れる。いや、逃れられるとは思っていないが、距離を取りたかった。


「んーッ! んん!?」


「暴れるな、静かにしろ!」


 小さな声で耳元で叫ぶ。

 グレイモアを目にして焦っていたティカは、俺の声に現状を理解して、落ち着きを取り戻す。


 もう大丈夫、と俺の腕をとんとんと叩くので、ティカを地面に下ろした後、


 ティカは開口一番、こう聞いてきた。


「……先輩、は?」


 きっと、ティカもなんとなく分かってはいるのだろう……、それでも聞いた。

 最悪の結果を、それでも事実として受け止めたかっただろうから。


「……死んだよ」

「そっか」


 二人を助けることはできなかった……、先輩かティカのどちらかを助けるとしたら、やっぱりティカだったんだ……。


 選択に後悔はしていない。いつだって、きっと俺はティカを優先したのだから。


 でも、だったら――。


「……アル?」


 考えて、ゾッとして。

 顔を青くした俺の表情を見て、ティカが心配そうに覗き込んでくる。


 もしも、


 先輩とティカの選択肢が、ペタルダとティカだったら……?


 俺は、僕は。


 どっちを犠牲にし、どっちを救う?



 ―― To be continued ――

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化物世界:水上都市・アクア99の残骸 渡貫とゐち @josho

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