第6話 押し上げられた船長
ショッピングモール、最上階。
飲食店が立ち並ぶフロアを抜けて、御手洗いの近く、『誰もが視界に入るけどなんだか分からない場所へ続く道』――、
あるいは、『どうせ関係者が使っているのだろうな』と思うだろう部屋の入口。
ごく自然に、それが当たり前であるかのように、三人は軽い扉を開く。
重厚そうに見えても体重を乗せるだけで動く軽さだった。
開く、というよりは、通った際になにかを引っ掛けた、という感覚に近い。
これだけセキュリティが軽いのだから、まさかここに潜水艦の核の一つとなる船長室があるとは誰も思わない。あえて意識をさせないために見張りも置いていない……、知っているのは雇われハンターや、一部の船員だけである。
「いつも出入りに気を遣うのは鬱陶しいわね。いいじゃない、別に住民に知られたって。
というか、船長室の位置くらい知っておくべきだと思うけど?」
「授業を聞いていなかったの? 信頼し合って同じ屋根の下に過ごしていても、人間は裏切るものなのよ。テロや、乗っ取られることを防ぐためだし。溜まった生活の不満を言うために、船長室にこられても困るでしょう。
船長への要望は、書類にまとめて送っているって言うし……、それでもてんやわんやなんだから、船長室が解禁となったら、手が追いつかないわ。いくら敷地が広くても、潜水艦内じゃあ一方に人口が偏っちゃって、天災並のパニックになるわよ」
「そういう意味だと、バケモノ並に恐ろしい内側の敵ね……」
専門的な機械や部品が多くなってきた。
素人が下手に触れば、それだけでどこかが不調になるような繊細なパーツの数々。
足場は平坦だが、頭の位置を通る多種類のパイプなどのせいで、移動するのが多少困難だ。
任務中、毎回のように通っているユキノとマルクは慣れたもので、二人の後ろをついていくウリアも、彼女たちの動きに合わせることで難なく通り過ぎる。
辺りの明かりが、段々と薄暗くなってくる。人工灯ではなく、エネルギーを生み出すための作業中に出る光が、体を照らす明かりの代わりだ。
進むと、機械的な扉があった。カード認証タイプの扉で、ユキノが事前に渡されていたカードを認証センサーに合わせると、扉が音と共に開いた。
部屋の中は、白過ぎるくらいの壁面で囲まれ、しかし操縦部分だけがごちゃごちゃとしていて、必要なものが密集している。
そこ以外はなにもなく、空間ばかり。断捨離が過ぎる部屋だ。
ごちゃごちゃとした操縦部分にはスイッチがたくさんあり、緑色のランプが数多くついている。中にいる船員が淡々と作業しているところを見ると、特に問題なく運行しているらしい。
ギンたちが真上にいた、という問題がないイレギュラーがあっただけで、いつもと同じ平穏な船長室だった。
「【レッド・ハンター】のユキノですけど、ちょっと紹介したい人がいまして」
ユキノが砕けた、しかし彼女の普段から比べれば丁寧な口調でウリアを指差す。
……もっとこう、手で示すとか……、指を差すのはどうなのかと思ったが、言う前に船員に注目されたので、黙って前に出る。
「あ、他に二人いたんですけど、はぐれたのでもういいです」
ギンたちが切り捨てられた。ウリアとしては依頼を手伝わせる気は最後までなかったので、紹介しなくともいいと思っている。
「ああ、ハンターさんか。今、ちょっと船長が……」
「なにか問題でもあったのですか……? そんな風には見えませんが」
声をかけてくれた、バンダナを頭に巻き、上半身が鍛えられている筋肉隆々の若い男。
マルクよりは全然年上だが、ハンターというだけで、年下という関係性は上下関係から切り捨てられる。
「まあ、すぐに対応をすれば大丈夫な問題ではあるから、それには安心してくれていい。
ただなあ……、
船長が問題の一つに、精神的なダメージを負ってしまって、あそこで塞ぎ込んでんだ」
船員が指を差す。
部屋の隅っこ、寝袋の中に埋まって、横にごろんと転がっている船長の姿。
中は見えないが、膨らんだ寝袋の輪郭で体格がよく分かる。
ぶつぶつとなにかを呟く声が聞こえるが、声が中にこもっているので聞き取れない。
「またなのね……」
頭痛を訴えるように、こめかみを指で押すユキノが寝袋に近づき、どんっ! と蹴る。
そして、足裏を押し付け、ぐりぐりと踏んづけた。
「情けないわね、ぐちぐちぐちぐちっ!
船長なんだから、もっと、どん! と構えていなさいよ!」
「む、無理無理っ、あたしに船長なんて無理なんだってば――っ!」
今度はしっかりと、声と言葉が聞き取れる。
それだけ思い切り叫んだということだろう。
本音で、心の底からの叫びだったのなら、内容が物凄く気になるが。
「……なに、あの頼りない船長」
「まあ、ちょっと事情があってね……」
ただのわがままでもあり、仕方のないことなのかもしれない、という思いもあり、マルクは船長かユキノ、どっちの味方をすればいいのか、まだ答えを出せていなかった。
「あの船長ね……、船長の役職を押し付けられて、技術が不十分のまま、今あそこに立っているんだ。覚悟もなにもないまま、強制的にやらされて、しかも大勢の人間の命を背負っている……そのプレッシャーは、おれたちには想像がつかないものだよ」
それは確かに。
ウリアも、今の状況でどちらの味方をすればいいのか、すぐには答えを出せなかった。
「そんな甘えたこと、言ってんじゃないわよ! 先代船長から直々に任されたんでしょ!? それに、あんたはうんとかはいとか言って、了承してこの地位についたんだったら、いつまでもうじうじと文句なんか言っていないでいいからさっさと任務を全うしろっ!」
がんっ、がんっ! と、船長が中にいる寝袋を蹴って、踏み続けるユキノ。
足を上げる度に裾がめくれ、日に焼かれたことがない真っ白な細い足が見えてしまう。
マルクの目がそれに止まるかと思ったが、さすがに見える暴力性がまず船長への同情を誘った。精神的に弱っている人間をあそこまで一方的に痛めつけられるだろうか……?
「あ、あたしは了承なんてしていない! あたしは嫌だって言ったんだ! 何回も! 目の前で! なのにあのクソ親父は、任せたとか勝手なことを言って……っ、あたしがやらなきゃいけない挨拶回りを全部一人でやり切ってっ、残りの仕事は全部あたしに丸投げ! 船長の覚悟も決まっていないのに、実際にできるわけないだろッ!!」
「うっさいッ!!」
理不尽な言葉と共に、ユキノが踏みつける。まったく手加減がない。
無意識にかけるはずの心の加減がかかっていない。
お淑やかはどうした――まったくの真逆を突き抜けている。
「あたしはっ! ここから絶対に出ないからな!」
「よし、海中に放り出そう」
ユキノが寝袋を抱えて持ち上げた。ばたばたと暴れる寝袋は、ユキノの拘束を振り解けない。
彼女は、細い腕ながらも船長を一人、人間一人の重さを軽々と持っている。
もしも成人男性……、たとえば体格の良い船員だろうとも、軽々と持てるだろう。
か弱そうな体をしていて、女の子でも、ハンターである。
バケモノと戦うための体ができあがっている以上、その腕っぷしは、鍛えた成人男性の力よりも普通に強い。
「――ちょっ、ユキノっ、待って!」
あの発言はさすがに冗談だろうと思ったが、彼女の目が本気だったので、慌ててウリアが止める。……あ? と見下し、睨み付けられたウリアは、一気に熱して彼女を睨み返す。
収まったはずの喧嘩が再び燃え上がり、一気にヒートアップする。
「またお得意の真面目な説教ですかぁ? いい加減にしてよね、ウリア。自分が一番、正しいと思ってんじゃないわよ。こいつが嫌だ嫌だと駄々をこねて仕事をしなかったら、困るのはこのアクアに住む住人なのよ。多少の荒療治でも、やる気を出させるのが最優先事項よ」
「だからって、やり方が一か八かなのよ! 海中に放り出したら生きるか死ぬかの二択じゃない! もしかして、一度でも死ねば価値観が変わるとか期待してるの? 迷信やオカルト、奇跡に縋っているのはあんたらしいけど、デメリットの方が多い案は受け入れられないわね」
――がつんッ! と、その音だけが響き渡るように、二人の少女の額がぶつかり合う。
いつもなら止める役割のマルクが、動けずに固まっていた……、
周りの船員も、彼女たちの喧嘩に目を奪われる。
空気が凍る。張り詰めた緊張感——、物音を一つでも立てれば、矛先が自分に向くだろうという確信があり、まったく体を動かせない。
ばたばたともがいていた船長さえも、外の状況が分からなくとも緊迫感を感じ取り、じっとしている……。
数秒。
たったの数秒が、何時間にも感じられた。
沈黙を破ったのは、船長室に響き渡る、着信音。
『――こちらB棟、雑貨エリア担当の者です。さきほど連絡しました船体の穴について、修繕をこれから開始しようと人材を集めたのですが……、肝心の資材が届いておらず、担当の者との連絡も取れていません。どなたか連絡を取れるでしょうか?
それか、可能ならば今から資材を持ち込んでいただければと思います。こちらからも向かうので、互いが合流する地点までで構いませんので』
「……船体に、穴……?」
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