第5話 悪友同士

 ぬっと、マルクの視界に突然、姿を見せたのはユキノだった。

 彼女は勢い良くマルクの後ろに隠れた。

 誰かから逃げている最中にマルクに話しかけたらしい。

 マルクを脅した言葉は、ほんのついでだったのだ。


「きゃー、助けてー。ウリアが襲ってくるのーっ」


「待ちなさいよ! なんで私があんたたちの任務を手伝わなきゃいけないわけ!?」


「勘違いしないでよっ。あんたじゃなくて、あんたたちよ!」


 どっちも変わらないわ! というウリアの大声が響いた。

 マルクを挟んで、女の子二人が睨み合い、動くか動かないかの境界線上で、視線をばちばちとぶつけ合っている。


 マルクは両手を挙げた、降参のポーズのまま動けなかった。

 ぎりぎりと、ユキノがマルクの二の腕をがっちりと掴んでいる。

 爪が食い込み、僅かに痛い。彼女はそんなマルクの様子に気づいていなかった。


 気づいていても変わらず彼女は続けるだろうが。


「おっとと」


 旧友同士である三人が睨み合っている(……マルクを除く)と、エスカレーターが上階へ辿り着く。慣れていないギンとブルゥが、つまづいてこけそうになった。


 ギンは咄嗟にウリアの肩を掴む。自然と引っ張り、彼女の背中がギンの胸に倒れる。ギンの顎が彼女の頭頂部に置かれ、空いていた手が彼女のお腹に回る。

 大事に大事に、彼女を囲い込むような体勢になってしまった。


 人が多く通る道でする体勢ではもちろんない。


 現状をいち早く理解したウリアが、遅れて叫ぶ。


「なな、なに!? ――いきなりなんなのよ!?」


「落ち着けって」


 今の落ち着けは、『バランスを崩しそうになった時に咄嗟に支えとして使ってしまった、ということに怒っているウリアをなだめるため』に言ったのであって、ウリアが勘違いした、『ギンたちを自分の依頼に巻き込んだユキノへ文句を言う』ことではない。


「まあ、いいじゃんか。ちょっと手伝うくらい。どうせ目的地まで、まだまだかかるんだろ? 

 観光でもしながら、手伝えるところは手伝って暇を潰す感じで過ごせばいい」


 次のギンの言葉がこれなので、ウリアの勘違いの方の解釈がスムーズになる。


 ウリアは、自分だけならまだしも、ギンたちを巻き込んだことに怒りを覚えたのだが、ギン本人がこう言っているのならば、怒る理由もなくなる。溜まったフラストレーションは、真上にいたギンの顎を、自分の頭頂部をがんっ、とぶつけることで晴らしておく。


 その代償は、鈍く地味に長く続く痛みだった。


 受けたギンはしかしけろりとしており、ウリアだけが色々な意味で被害を受けただけだった。


「ふうん、なかなか、物分かりが良い男じゃないの」


「ユキノ、ギンはたぶん、なにをするか分かっていないし、面倒さも知らないだけだよ」


「嫉妬? 嫉妬しちゃったの、マルク? 

 くすくす、私があの男の子を見てるから、かしらねー?」


 ぷくく、と手をお上品に口元に添えて、含み笑う。

 ユキノの見た目と性格が、やはりイメージ通りとはいかず、かけ離れている。


 マルクを盾にして、ウリアから逃げている最中のままだったので、背中に密着している形だ。

 彼は気にした様子もなく、


「くだらないことを言っていないで、早くいくよ。もうすぐそこが船長室なんだから」


 優しく自分の二の腕を掴むユキノの手を解く。

 ただの地面を歩いて、様々な人とすれ違いながら目的地を目指した。


「つまんなーいのー」


 呟くユキノは、マルクが必死に感情を押し殺して距離を取ったことに、気づいていない。


 ―― ――


 そして、ギンと一緒につまづき、転びそうになったブルゥは、と言うと。


 多くの人の流れに流され、そこから必死に戻ってきた時……、


 既にもう、そこにギンたちはおらず――、


「ここ……、どこなんだろう?」


 これは、もしかして、迷子なのでは?

 認めたくない彼女は、逆なんだと決めつけた。


「もうっ! ギンたち、勝手に迷子になってさっ!」


 彼女自身が納得しているのならばそれでいい。


 自分が迷子だとして人に頼った方がいいのだが、彼女は認めず自力で探す。

 初めての一人旅だった。



「……? そう言えば、ブルゥは?」


 後ろからついてきている気配がないことに気づいて、ギンがウリアに訊ねる。

 彼女もすぐに理解し、首を左右に振った。

 今、この場にブルゥがいない。いつの間にかはぐれてしまったようだ。


「あら、迷子? なら、迷子の放送を入れれば、すぐに見つかると思うけど」

「それって、俺らじゃない誰かがブルゥを追いかけるってことか?」


 言い方は少し、追いかけてくれる側の人に失礼だが……、手伝ってくれる者の善悪関係なく、島から出たばかりのブルゥは、人に追いかけられること自体に慣れていないし、常識の欠如が見られる彼女の場合、間違って撃退してしまう可能性がある。


 力を失ってはいるが、子供の手加減などない全力の攻撃は、充分、大人に怪我をさせる力がある。ブルゥと追いかける者……、どちらにとっても良い状況とは言えない。


「しゃあねえなあ。俺がぱっと追いかけて、ぱしっと取ってくるよ」


「そんな物みたいに……って、あんただって船長室、分からないでしょうが」


「んなもんは、そのへんにいるやつに聞けばいいだろうが。

 話しかけて無視する、薄情なやつばっかりってわけじゃねえんだろ?」


 ギンは既に動き出していた。

 ウリアの、そうだけどー! という声は、最後まで無事にギンまで届いたのか。


 見えなくなったギンの姿。

 上を見つめるウリアは、溜息をついて進行方向へ視線を戻す。


「……まあ、ブルゥはともかく、ギンはどんな状況だろうと大丈夫でしょ。ユキノ、一応ブルゥの方は、放送を入れておいてもらえる? 

 見つけても確保はしないで、居場所を教えてくれることに留める範囲で」


「人使いが荒いわねえー。まあ、いいけど」


 ポケットから取り出した、タッチ画面が大半を占める手の平サイズの端末をいじって、放送室にいる者と連絡を取る。仕事が早く、連絡をしてから数秒でオーダー通りの放送が流れた。


 一応、ちらりと周りを見るが、ブルゥはおらず、放送を聞いた人々も見つけたような反応はなかった。そもそもで放送をきちんと全文、聞いているのかも怪しいものだが。


 聞いていたとしても希望通りに探してくれるとは限らない。

 たまたま目的の少女を見つけても、見て見ぬ振りをする者が多いのだ。


「これで見つかる可能性が上がったと思うわ。でも期待なんてしない方がいいわよ。

 この施設に住んでいる人たちにだって、精神的な余裕があるわけじゃないんだから」


「そうだね、いつバケモノが襲撃してくるか分からない恐怖があるわけだしね。どれだけバケモノには壊せない装甲で保護されているとは言え、実際、78隻も沈められているわけだし」


「消息不明よ。沈められたとは報告されていないわ」

 と、すかさずウリアが訂正した。


「どっちも一緒でしょ。

 あーあ、やだやだ! 細かい女だね、エリートの中のエリートさんは!」


「……なによ、あんただってエリートじゃないの。努力で頑張って【レベル・レッド】まで登り詰めてきたじゃない。私となにも変わらないわよ」


「自分から進もうと思ってした努力なんて一つもないわよ。家族から叩き込まれた技術と、私という存在の貴重さが階級を上げただけよ。

 ……なに? 知っていながら私が聞いてイラッとすることを言ったの?」


 ばちばちと、互いの視線がぶつかり合う。いつもの冗談を交えた喧嘩ではなく、今の言い合いは本気の意思が入っていた。

 傍観を決め込もうとしていたマルクは、判断をあらためすぐに止める。


 互いの育ち方や家系の話が絡むとすぐに一触即発の空気になる。

 何度も何度も同じ状況になっているのに、どちらもまったく反省しない。

 禁句の話題なのに、互いに切り札として手元に忍ばせている。


 できれば使わないでおきたいカードが、しょっちゅう切られているとマルクは記憶している。

 一線を越えないような話題への踏み込みの調整をかけられるなら、そもそも話題を出さないで欲しいと願うが。


 二人は直す気がなさそうだった。


「あと言っておくけどね、ここに住んでいる一般人が船長室の場所なんて知っているわけないでしょ。関係者に聞けばすぐにでも位置だけなら分かるけど、ハンターでもなく、身分証明を持ってもいないあの彼と少女が、船長室に自分で辿り着けるかどうかは気になるわね」


「――ちょ、なんでそれを先に言わないのよ!? 

 じゃあ、ギンとブルゥと合流できないってことじゃない!」


「できないってことはないと思うよ。放送だってあるし。

 ウリアが直接、放送で声をかければ二人も安心できるんじゃないかな」


「答えを出すのが早過ぎるのよ、ウリアは。もっとちゃんと考えて喋りなさいって」


 舌を出して馬鹿にした笑みを作るユキノを、勢いで殴ってやろうかと思ったウリアは、歯を食いしばり、拳を収める。

 ユキノとの喧嘩では、手を出した方が負けだ。

 口で言い負かすことが己の快感に繋がるし、相手への精神的ダメージはでかい。


 ユキノは、相手をからかうことを生きがいとしているところがあるので、彼女自身が、逆にされたりすると、一番腹が立つ。

 悪友であり幼馴染のウリアは、屈辱に顔を染めるユキノの顔が好きだったりするのだ。


 性格が悪いわけではなく、なんだか彼女の素の顔のような気がするからだ。

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