第3話 アクア99

 呟いたのはウリアだ。

 島から数十年も出たことがなく、常識が欠けているギンと、生まれたばかりで、今まさに知識を吸収し続けているブルゥには、なんのことだか分からなかった。


 疑問符を浮かべる二人に、ウリアが簡単な説明をする。


「【アクア】っていうのは潜水艦のことよ。バケモノに襲われないように人間が作った、ゴッドタウンとは違う住む場所……つまり、移動居住区」


 ウリア、ギン、ブルゥが今いる場所が、そのアクアの真上になるボディ。


 巨大過ぎて、三人の視界には収まり切らず、どんな外見なのか、デザインなのか、知っているウリアは別としても、残りの二人には想像もつかなかった。


 飛行船のような見た目をしている潜水艦・【アクア】。

 膨らんだ鉄製の楕円形の中に、多くの人々が現在、生活をしているのだろう。

 ボディの真上にいるギンたちは豆粒ほどに小さいだろう。

 それほど、潜水艦・アクアが巨大だった。


 画面を引いて見る場合、ギンたちの姿など豆粒としても映らない。

 粗過ぎるため、背景と区別がつかなくなってしまう。


「潜水艦かあ……初めて見たぞ」

「おっきい……っ!」


 目を輝かせてわくわくしているブルゥを放っておくと、端までいって滑って落ちそうだ。

 首根っこを掴んで近くに置いておく。ブルゥは手足を振って空を切っていた。


「潜水艦なのに海上に出るのか?」


「あのね、移動居住区なのよ? 体験ツアーや旅行のための数時間単位での移動じゃないんだから、ずっと海に潜っているのは無理よ。

 点検だってあるし、空気の換気だってしないといけないし。空気の入れ替えは水中でもできるけど、外の光を浴びることが住居者の気持ちを沈ませないようにする意味もあるのよ」


 もちろんだが、潜水艦アクアのボディは丈夫であり、移動区間内で発見されているバケモノの攻撃ではびくともしない。倒すことはできないが引かせるくらいの武装力もある。


 バケモノに襲われず、身を守るために潜水艦アクアに住むことを決めた人々が多いが、それでもたまには日の光を浴びたいものなのだ。


 ずっと室内に閉じこもっていたら精神がおかしくなる。


 人工的に作られた日光では、やはりがまんできない。

 偽物だと分かってしまっていると、いくら浴びても気持ちはどこか冷めてしまうものなのだ。


「じゃあ中から、誰かがここに出てくるかもしれないのか?」


「いや、んー、どうだろ。そもそもここは本来、人が出入りするような場所じゃないし。

 ほら見て。ボディの側面に、ちょこんと飛び出している長方形みたいな空間があるでしょ?」


 ウリアが指差した方向を目で追うギン。

 長方形の足場と周りを囲む柵。

 内部の収容人数に比べれば明らかに分かる小ささだが、あまり外に出られても困るのだろう。


 世界は【バケモノ】に支配されている、【バケモノ・セカイ】なのだから。


 どういうシステムか分からないが、中の人は順番に外に出ているらしい。


「こうしてアクアが海上に出たら、大体、ああいった、いくつかあるスポットから希望者が外の空気を吸うために出てくるわ。……ほら、あんな感じに」


 空気を吸いに出てきたのは、黒い着物を着た少女と、最低限のものだけを備えるために不用を削った騎士服を纏う少年だった。

 距離があるため、そこまでの詳細は今の段階ではギンもウリアも分からない。


 たとえ分かっても、服装からどんな人物か、なんて、ギンは分からなかったが。


「……あいつら、外の空気を吸いにきたって感じじゃねえだろ」


 潜水艦アクアの側面を、ぺたぺたと足跡をつけ、鳴らすように、墨の字が書かれた長方形のお札が、数十枚と貼りつけられ、段々と上まで登ってくる。


 空気を吸うためのスペースから、ここまでの軌道の線が繋がった。一本線になったお札の並びから、水が勢い良く噴き出してくる。蒸気機関車の煙のように、辺りを青色に染める。視界が遮られ、海と空と噴き出る水と、保護色が集まり、景色の判別がつきにくくなった。


 欺くための一手。


 ウリアはこの技を知っているようで、だからこそ咄嗟にギンに叫ぶ。


「――大丈夫! 味方だから!」


 ギンが殺意を収めたのと、

 騎士服を纏った少年がギンの喉元で剣の刃を寸止めしたのは、同時だった。


「……久しぶり、ウリア」

「うん。何日ぶりなのかな。そっちも元気そうね、マルク」


 濡れた金髪を持つ少年である。彼は、左目が前髪で隠れているまま、


「こっちはほぼ待機の任務だからね。ああ、そうだ……下にユキノもいるよ」


「ここにいるっつーの」


 強めの手刀が、マルクの脳天に直撃した。

 煙を上げて、熱が水で冷やされたような音だった。

 袖を捲った着物を着た少女が、いつの間にかマルクの隣にいた。


「やっほー、ウリア! 男なんて連れて、悪い子だねー」


「……本当にあんたは、見た目と中身が予想をはずすわね」


 腰に手を当て、胸を張る彼女の見た目は、物静かで落ち着いた雰囲気を周りに伝播させるような効力を持っていた。


 切り揃えられた、眉毛の位置に合わせた前髪と、うなじが見えるくらいの後ろ髪の短さ。

 着物が似合う彼女の口調は、ウリアよりも女の子らしく、乱暴な時もある。


 女の子らしくとは言っても、清純とは程遠いものだったが。


 ギンの傍にいたブルゥは、マルクとユキノが現れた場所から見えないように、ギンの背中に隠れている。

 ブルゥにとっては父親と母親以外の人間に出会うのは初めてなので、人見知りをしていた。


 直前に出発した島の島民は人間ではないので平気だったらしい。


 隠れていながらもギンの肩からちらりと覗いているので、問答無用で二人が嫌いというわけではないのだろう。第一印象がよろしくないだけで、話していればきっと打ち解けるはず――。


「勘違いしないでほしいんだけど、別に私の男じゃないわよ」


「別に、そんな期待はしてねーわよ。興味もないし。

 私が気になるのは……あれあれ? 確か、ウリアはこの海の座標とは別の場所に任務でいったはずなのに、なんでここにいるのかな、っていうことだけよ」


「それは……」


 任務中に少しのミスで海を流され、島に辿り着き、そこで出会ったギンとブルゥと共に、任務を途中で中断させて、ゴッドタウンに戻っている最中、とは言えなかった。

 言ったらユキノは必ず馬鹿にしてくるし、後々までいじられることになる。


 今でも充分、いじられているのだが。予想と確信の違いは、いじり方の気分の乗りが違う。

 できることなら今のまま、飽きるまでいじってほしいものだった。


「そう言えば、ウリアは依頼ってやつ、どうすんだ? 

 やめるならやめるでもいいけど、やるなら俺も手伝うぞ?」


「嬉しい提案ね。ただし、今この場で言わなければね!」


 親切心で言ったつもりなのに、ウリアの地雷を踏んでしまったらしい。まったくもー、と口調は優しいが、落ちてきた拳骨は思ったよりも勢いが強い。

 痛みはないが、頭蓋の音がちょっと欠けていそうな感じで怖かった。


 後ろにいるブルゥが、それを聞いておろおろしている。

 いつもはすかさず気づいてフォローをするウリアも、今日は視線がユキノに向いている。

 久しぶりにあった旧友に、心が平穏ではないらしい。


 どんなやつなのか、ギンは気になった。

 ユキノに視線を向けたら、殺意が一直線にこちらに向いてくる。


 ユキノの後ろで静かに立っている少年のものだ。誰も近づけさせない。それがただの視線だろうとも、という感情が伝わってくる。


(なるほど、向こうはあの女が上なのか)


 ギンの予想は間違いではないが、正解でもなかった。

 彼、彼女らの階級は同じなので、どちらが上も下もない。


 あるのは幼馴染として、互いを思いやるケースバイケースの、瞬間的な序列だけだ。

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