第2話 海中の巨体

「……よし、ブルゥ、そのままウリアの口を開けてろよ」

「分かった」

「――ひたいひたい! ふちをほんなにひふぉれないで!」


 口をそんなに広げないで、と訴えるウリアの言い分は、もちろん却下された。

 毒や雑菌だの色々と言っていたが、さすがに死に間際になってそんなわがままを使い遠慮するウリアではないと思っていたので、不思議ではあったのだ。

 戦闘で痛みをがまんできる者が今更……、

 なので本当はどうしてなのか、問い詰めたところ、


 生の魚が苦手という真実がはっきりとした。


 好き嫌いの問題だった。


 これだって死の間際になっても言い訳として使っていたらおかしいが、しかし毒や雑菌よりも、確実に苦痛が分かっているので躊躇ってしまうのも分かる。

 毒や雑菌はあくまで可能性である。中身にはないかもしれない。


 ただ、嫌いな食べ物は違う。本人からすれば食べれば確実に苦痛を感じるものであるのだ。

 死に間際になればウリアだってさすがに食べるとは思うが、今はまだ少し余裕がある。

 手を出さないでいられるのならばそれを優先させるに決まっている。


 たかが好き嫌いで苛立ちの捌け口にされても困る。

 なのでギンは強行手段に出た。


 ギンが直接やればウリアは凶暴化するだろう。

 だが相手がブルゥだったら? ウリアもおとなしく言うことを聞くだろう。


 しかもブルゥには『ママ』と呼ばれている。母親、という意味でブルゥは呼んでいるのだ。

 ウリアにだって自覚はあるはず……、ブルゥの面倒を見ている彼女自身が好き嫌いをしていたら、ブルゥの保護者である立場がない。


 役割分担。


 ブルゥがウリアの口を広げて、そこにギンが魚を入れる。


 ウリアのことを考えて最低限、内臓を取り、ないが一応、毒抜きもする。水で洗い、雑菌もできるだけ取る。ここまでしたのだから無理やり食べさせても虐待にはならないはずだ。


「んーっ! んーっっ!!」

「ママ、がまん、がまんっ」


「うお!? 蹴りが飛んできたぞ!?」


 足をばたばたさせたウリアは、近づいたギンの顔面にめがけて蹴りを放つ。近づくな、という威圧を放っていた。しかし、ギンは気にせず再度挑戦。

 彼からすれば遅過ぎるウリアの蹴りを手の平で受け止め、準備完了。


 ウリアの口の中に魚の身を取り出し、放り込む。


「絵面的には、魚の頭から丸ごと入れたかったけどなあ」

「ん!?」


 ギンとブルゥは普通にしていることでも、人間代表のウリアは滅多にしない豪快な食べ方だ。

 死んだ魚の目を見つめ、食べるなどできそうにない。

 ギンが気を遣って身だけにしてくれたのが救いだった。


「……まだ口の中に入れていないのに、涙目になるなよ」

「な、なって、ないわよぉ……っ」


 口を広げるブルゥの中に、罪悪感が芽生えてくる。

 あまり時間をかけると、二対一でギンが悪者になりそうだった。

 早いところ、ウリアに食べさせなければ。


 魚を丸ごとならばまだしも、取り出した身である。おかしなものではないし、絵面的にもごく普通のものだろう。食材も食べ方も、都市でよく見る光景ではある。


 強制的に食べさせているという点に目を瞑れば、に限るが。


「ママ、がんばって」

「うぅ……」


 ブルゥにそう言われて、ギブアップはできない。ウリアは覚悟を決めた。

 ブルゥの手を借りずに口を開けて、雛鳥のように待つ。当然のようにギンから食べさせて貰うことを了承しているウリアだ。覚悟を決めたのなら自分で食べろとギンは思う。


(ま、言って拗ねられても困るし……)


 繊細なウリアの心の動きは、ギンには捉えられない。追いかけるのも逃げるのも得意なギンだが、物理的なものに限る。心などの実体がないものは大の苦手だった。


 経験がないから。

 知らないものは分からないのだ。


 未知なるものは、起こさないでいるべきだ、と考えたギンは、ウリアの口へ魚の身を投げ入れた。咀嚼したウリアは、味わう暇なくごくりと飲み込む。

 はぁ、はぁ、と息を荒くした彼女はほっとしたような表情。

 数滴レベルの身で満足するとは、おかしくて腹が痛くなる。


 まだ終わりではない。


 魚、一匹分、食べて貰わなければギンもブルゥも納得しない。


「覚悟はできたんだろ? ウリアー?」

「ママ、あとちょっとっ!」

「……もう、もう許してよ……」


 後々、羞恥に顔を真っ赤に染めるだろうウリアにとって、黒歴史となる情けない悲鳴がこれから数十分もの間、続くことになる。


 ―― ――


 とりあえず満腹になった。

 追加で新しく獲ってきた魚を食べて、ギンとブルゥが全て平らげた。


 ウリアは一匹の身を食べただけで、横になってダウンしている。やはり嫌いなものは嫌いだった。もしかしたら、苦手だったけどいま食べたら思ったよりもいけるかも、と言った可能性があると思っていたが、そのまま嫌いは嫌いで固定された。


 これから先、ウリアの前に魚を出すのはやめようと思ったブルゥとギンである。



「……ん」


 ウリアを見ていたら眠くなったので、三人、海の上の小船の中で、川の字になって横になる。

 しばらくしてからブルゥがむくりと上半身だけ起こした。

 なにかに気づいた。本来の力を失っても野生の勘というものは鈍らない。


「どうした?」

「なにか、聞こえる……」


 ギンもしばらく前から気づいていたが、バケモノのような生き物としての息遣いではないため放っておいた。危険はなさそうだと判断したので、ブルゥの感知もあまり意味はない。


「いいよ、大丈夫だよ。眠いから寝ようぜ、ブルゥ。

 バケモノじゃないからこの船が丸ごと喰われるってことはないだろ」


「そういう危険じゃないけど。ギン、危ないかも」

「なんでだよ」


「どんどん近づいてきてる。この船の真下。

 わたしたちを押し上げるように、巨大なバケモノではないなにかが、もうすぐそこまで」


 今から動いてももう遅い。ギンたちが感じたのは視覚ではない、第六感と呼べるものとも言えるが、聴覚である範囲も多い。

 ウリアがもしも万全だったとしても、視覚に頼り切っている彼女は、巨大ななにかの接近に気づけなかっただろう。


 海の底から上がってきているのならば、小船の真下の海がどんどんと黒く見えてくるはずだ。

 しかし視覚的は変化はなかった。海は黒く見えてはいない。


 ギンたちが以前から見ていた海から、変化はしていない。


 その時点で、小船の下に巨大ななにかがいれば気づきようもない穴が存在する。


 元々、海が黒く見えていれば。

 しかも広範囲に、青と黒の違いが明確でなければ。


 小船と一緒に移動していたことも気づけない。


「船は、仕方ねえな。捨てるしかない」

「ママはどうしよう……」


「しがみついとけ。俺がお前ら二人を抱えて泳ぐよ」


 そして、小船の周りの海が、まるで滝のように離れた方向へ流れていく。

 ギンたちが乗る小船が流され、いつ滝壺に落ちてもおかしくない。


 ギンは二人を抱えて跳躍する。小船は乗船者を失い、舵が波に飲まれる。

 ゆっくりと回転しながら見えないところまで落下していった。


 ギンは着地する。

 丸みを帯びたボディ……、海から上がってきたので滑りやすい。

 案の定、滑って転び、鉄のようなボディの上に寝転ぶ。


 抱えていたブルゥは四つん這いで辺りを徘徊。

 未だに本調子ではないウリアはぐったりとしていた。ギンの腕を枕にして動きがない。


「偉そうなやつだな」


「……こっちは調子が悪いんだからいいじゃないの……」


 何気なく振り向いたウリアは、近過ぎるギンとの距離に目を丸くした。恐らく、腕を枕にしていたのもいま気づいたのだろう。口を引き結んで、顔を赤く染めた彼女がギンのお腹を力強く蹴る。鈍い音と共にギンが鉄のボディを勢い良く滑った。


「お、お前っ、俺を殺す気か!?」


「そんなことで死ぬわけないでしょうが」


 その通りなので、まあそうかと呟いてギンが立ち上がる。


 バランスが取りづらいのか、四つん這いで歩くブルゥへ近寄った。


「端までいくと落ちるぞ」


「ギン……これ、生き物じゃないよ」


 鉄製のボディ、というだけでは、バケモノではないと言い切ることはできないが、息遣いが聞こえず、心音もない。生物にある気配すらないところを見ると、生物でもバケモノでもない。

 ――この巨大な物体は、数万と人を収容できる船、と見るべきか。



「【アクア】……何番台なんだろ?」

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