鈴音退魔譚 ~ コミュ障陰キャなのに中華少女に弟子入りされました。~

雪雛透

第1話

 陰陽師。かつて政府公認の公務員職であったが、文明開化の流れにより、近代科学導入の反対勢力になる畏れがあるとして、廃止された職業。

 しかし、それは史実上の表向きの話であり、公務員としての資格は失ったが、陰陽師という名を捨て、払い屋として現代社会の裏で活躍し、健全な日本社会を支える役目を担っている。が、それも少子化の影響や古臭い胡散臭いと元々少ない後継者が年々更に減少。

 数少ない優れた才能を持つ俺を、この人達が手放す訳がないのだ。

 鬱屈とする。一生豪遊できる石油王の家とか、このキツい狐目が霞むくらいの美人家系に生まれたかったとか、今更そこまでのことは言わないがせめて普通の一般的な家庭に生まれたかったと思う。

「これより、滝野広晴たきのひろはるの当主昇格試験を開始する」

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。そして俺の思いは無情に流れ行く......。

 朱色の柱、褪せた畳の匂い、厚畳に座る当主代行である叔父の冷徹な声での宣言。

 そしてその叔父の隣にちょこんと座る、この和テイスト全開の空間から完全に浮いている碧眼の金髪ロリがニコニコしながら俺に言った。

「試験内容は大学在学中の四年間の内に、妖魔鬼怪ようまきかいを百体以上退治すること!

 ちなみにそれぞれ百体じゃなくて、全部の合計百体でいいからね」

「後継者不足については、君も知っての通りだ。此方も苦悩の末、このような生易しい内容での試験にしたのだ。」

 叔父の声に、瞳に、威圧の色が掛かる。ウチの家系はどう足掻いてもその悪人面に見える鋭い目付きの遺伝からは逃れられないのだが、叔父に関しては拍車が掛かりすぎている。

「失敗は許されないからな」

 ここが八寒地獄か、と誤認しそうな程に自分の肝が冷える。カタカタと小刻みに震えそうになるのを堪えながら、鬱屈とした気分で「いっそ試験放棄しようかな」という言葉を脳裏に浮かべていると、水色の生地に紅く小さい梅の咲いた着物を着たロリが、そのカナリア色の髪をフワフワと揺らしながら、コチラへと近付いて来た。そして眩い程の純粋無垢スマイルで

「がんばってね!」

 と俺にトドメの一撃を刺した。

 もう卑屈に笑うしかなかった。


 ***


 大学が始まって早一週間。試験開始宣言を受けてから二週間。

 若々しい十代の中に紛れ込む二十歳。

 苦しい、この春うららかの爽やかな青春溢れ出す空気感の中にいるのが

 苦しい......。

 一限目と二限目はなんとか耐えきったが、午後の授業を耐えきれる気がしない。

 授業開始前の三日間、学部のレクリエーションがあり多くの学生がここで友人を作ったが、俺は自前の根暗とコミュ障発揮して、声はかけられない、かけてもらっても話は続かない、しまいにはこの狐目のせいで特に女子から遠ざかられた。

 いいのだ、20年間生きてきたがいつも大体こんな感じなのだ。慣れているんだからねっ。別に泣いてなんかいないんだからねっ。

 そんな悲しき四年間になりそうな予感、というかほぼ確定であろう未来を思い浮かべなら、空き教室に誰もいないことを確認し、そろそろとひとりで入ろうとしていると

「広くん、ひとりでご飯食べるの?」

 と幼女の声が耳を突き刺した。

「なっ、なななん」

「あはは、驚かせちゃった?ごめんね、なんだか心配で着いてきちゃった!」

 そう言って無邪気に俺を驚かせたのは、試験開始の宣言を受けた時に叔父の隣にいた金髪碧眼の少女、毘比野沙羅ひびのさらだ。

「な、なんで。警備員さんに止められなかったのかよ」

「私を誰だと思ってるの?沙羅ちゃんには、その程度問題ナッシング!モーマンタイだよ!」

 二週間前とは違うフリルとリボンが沢山ついたピンクのロリータを着た彼女は、グッと小さな親指の腹をこちらに見せてくれる。

「それより広くん、もう二週間だけど一体も退治できてないんでしょ?大丈夫?」

 空き教室に入る俺の後ろを、ちょこちょこと140センチ前後の女の子がついてくる。大丈夫だろうか、これ犯罪になってないよね?

「広くん、人の話聞いてる?」

「き、聞いてるよ。大学生活に慣れてからと思ってたんだよ」

 訝しげな顔で見られ、慌てて1番後ろの窓際の席付き、弁当の風呂敷を広げる。

 すると沙羅は、いたずらっ子な妖精みたいな顔で茶化してくる。

「そんなこと言ってると、あっという間に四年間すぎるよ〜。当主になれないよ〜?」

「なれないなら、なれない方が......いい」

 箸をカチカチと合わせる。何から順番に食べようかと弁当の中をじっくり見る。

 すると俺の前の席に座った沙羅が、一番大きい唐揚げをヒョイと小さな指で摘み上げ、口の中へと放り込んだ。

「あ!」

「ふふん、広くんお手製の唐揚げ美味しい。ますます料理上手さんになっていくね」

 幸せそうな顔でハムスターのように頬を動かす沙羅を見ると、文句のひとつ言う気も失せてしまう。唐揚げがあった横に置いたほうれん草のおひたしを口に入れると、

 鰹節の風味醤油と出汁の染みたほうれん草の味が広がる。

「ねえ、広晴。君自身がどうしたいかを、常に考えるんだよ」

 そこに君の未来への答えがある。そう言った彼女は、席を立つと俺にメモ用紙を渡してきた。

「これ、たまたま情報手に入れたから広くんにあーげる!」

「......それ、試験的にアウトじゃないの?というか、沙羅がやればいいだろ」

「もう、こうでもしないと広くん動かないでしょ? 正くんには黙っといてあげるしさ!」

 プウと頬を可愛らしく膨らませ、腰に手を当て仁王立ちをされる。沙羅は「それにさ」と言葉を続けながらスカートとリボンを揺らした。

「私は妖魔退治はできないよ。私の使命はこの地球のために、ブレインとしての役割を果たすことだからね」

 彼女はそう言って、得意げに笑みを作った。

「という訳で、私はちょっと人に会ってきます!二、三週間留守にするから、正くんに伝えておいて〜」

 お返事は?と爛々とした瞳で見詰められながら、首をかしげられる。

「はい......」

 よろしい!と満足気に笑うと、彼女は一生懸命大きく手を振りながら、とたとたと足を立てて教室を出て行った。

 毘比野沙羅について俺が知っていることは少ない。ブレイン、そう言った彼女は、俺の物心つく前からこの幼女の姿であり、更にいえば平安より続く陰陽師が存在した時代から存在しているらしい。そんな世の常識から外れた、規格外の生物である彼女の正体がなんなのか、そして彼女自身の目的が何かすら俺は知らないのだ。

 ただひとつ彼女の存在について知っていることとすれば、彼女は自身をブレインと称すると同時に、''アシュタール''の一部であると語っていることだ。

 ''アシュタール''とは何かとか、そういう話はまた別の機会にするとして。

「妖魔退治か」

 今は試験についてだ。正直、考えただけで憂鬱になる。気が重い、気が重すぎて胃まで重くなってきた。

「やりたくない。やりたくないけど」

 自分には、それしかない。それしかない自分が嫌だ。それから逃げられない自分も、逃げられないと思っている自分も。こんな馬鹿みたいな力を持った自分自身、全部が嫌だ。俺にこんな才能も能力もなければ、あんな悲惨なことにはならなかっただろう。

 空になった弁当箱の蓋を閉じて、沙羅から貰ったメモ用紙に目を通す。

「10代前半の少女を狙った怪奇事件。これまたテンプレだな」

 弁当を鞄の中にしまい、俺はひとりぼっちの教室を出て、三限目の授業のある講義室へと向かうこととした。


 ***


 日が傾き始めた午後五時前。

 膝を出したわんぱく小学生たちが、大きく手を振りながら別れを告げ合い、公園からそれぞれの帰路へと走って行く。

 沙羅から貰った情報によると、<日が大きく傾いた夕と夜との境目に、少女を拐かす''怪''が現れる>と言う。


「こういうのは人間より案外、人ならざるモノが固執してるケースが多いらしいんだよなぁ。でもまあ、妖よりはマシか」


 公園内の通り道を歩きながら貰ったメモに目をやると、ハッキリとした文字で''怪''の文字が書かれている。

 ''怪''とは、即ち''死んだ人ならざるモノ''。いくら退治対象とはいえ、生きているモノと対峙するのは心苦しいものがある。


「死んでいるなら、退治するだけでいい」


 日の入りが大体午後六時。暗くなればなるほど、公園内にあるこの通り道は人通りが少なくなり、更に街灯が少なく妖魔鬼怪、特に妖と怪が近寄りやすくなる。出現時刻であるこの一時間のうちに、片付けてしまいたいところだが......。


「まず女子がいないと現れないよな、ウン!」


 今更ながらに盲点。相手は少女を好んで拐かす。出現条件である十代の少女がいないことには対象が現れることは無いだろう。沙羅のメモには<助かった人の証言では、「通り道沿いに咲いた花に話しかけられた」とのこと>という記述があったので辺りをザッと見渡したが、ここら一体に花壇は無いし、通りを沿って歩けば雑草花くらい幾らでもある訳だが、今のところそれらしいモノは見つからなかった。

 正直、俺は妖と怪の変化を見破るのが苦手なのだ。だからいつも、目の良いアイツに手伝ってもらって───。



 歩いていた足を止め、頭を強く横に振る。グッと唇に歯を立てると、じわと滲み血の味が口内に入り込む。それから小さく息を吸い込んで


「大丈夫、大丈夫、俺はもう大丈夫。もう絶対あんなことにはならない。あんなことはしない。落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け......」


 下を向いて再び唇に強く歯を立てる。犬歯が深く沈むと痛みと同時に滲んだ血がポタと地面に落ちる。同じ言葉を頭の中で延々と繰り返しながら瞼を固く閉じる。

 大丈夫、大丈夫、落ち着け、俺は、俺は───!



「喂......你,没事吧?」


 目を開けると、右側から此方の顔を不思議そうに覗くセーラー服の少女がいた。突然の事に目を丸くして呆然とする俺を見て、彼女は頭についたお団子をふたつ揺らして慌て始めた。


「你!嘴唇出血了!怎么了!?」

「え、えっと......?」


 更に情けない事に、俺は女の子話した経験が殆ど無い。母と沙羅とくらい女性という生き物と接したことがないのに、中学生くらいの女子、しかもあからさまに外国人!どう接したらいいのかどころか、おそらく中国であろう言語を理解するだけの知識を残念ながら俺は持ち合わせていなかった。

 少女はオドオドする俺に対し、一瞬不審そうな顔をしたがすぐに何かを察したのか、右手の人差し指で軽く自分の唇の端を叩いた。


「嗯,确实......だいじょーぶ、ですか?」


 こてん、と小さく首を傾げ真っ直ぐ此方の目を見てくる。たどたどしい不慣れな日本語に不安を感じているのか


「はなせない、にほんご、嗯〜、你知道我在说什么吗?わかるますか?」


 と眉を下げ、腕を上下に落ち着きなく動かしていた。


「あ、えっと、分かります。OK。大丈夫です」


 ノープロブレム、モーマンタイ、と昼間の沙羅の真似をして親指の腹を彼女に見せる。すると彼女も理解したのか、安堵と共に笑顔を此方に向けた。ああ、まさか言語の違う少女と心を通わすことが出来るとは......。感無量、父さん、俺はやりました。一歩成長しました。陰キャコミュ障卒業への道、第一歩です。



 傍目から見たら謎な状況で感極まっている俺をよそに、少女は自分の持つスクールバッグのポケットから絆創膏を一枚取り出すと剥離紙を剥がし、唇の端、血が滲んだ部分にペタと貼り付けた。少女の柔らかく丸い指が唇に触れ、頬を春風にように掠める。


「嘿嘿、给你!」


 まるで太陽のような笑顔を咲かせると、彼女は「バイバイ、です!」と言って駆け足で去って行ってしまった。

 外に出ることを、ましてや他人と話すことを、この二年間買い物以外で避けてきた自分にとって彼女の笑顔と声は、それこそ春の太陽のように心に温度を与えてくれたようだった。


「なんだ、やっぱ俺、案外大丈夫じゃん」


 そう思って、三秒後。絆創膏に触れた右手、につけた腕時計を見て俺は思わず失念の声を漏らした。時刻、午後五時半を回る。日没まで後三十分。



 <日が大きく傾いた夕と夜との境目に、少女を拐かす''怪''が現れる>




「出現時刻と出現条件ッ!!」


 俺は勢いよく顔を上げ、すっかり遠く小さくなった彼女の背を追いかけた。


 ***


 寂しいな、寂しいな。

 ねえ、そこの可愛いお嬢さん。お団子ふたつ、頭に乗っけたお嬢さん。

 お話していかないかい?


 とてもとても寂しくて、とてもとても悲しいんだ。


 君は寂しさの果てに死んでしまったら、どうする?どうする?


 あれだけ笑顔を見せてくれた人々も、いつの間にか、ただ横を通り過ぎるだけ。

 恋焦がれたあの娘ですら、遠い記憶、そのまた奥へと消えていった......。


 そうして、寂しくて、淋しくて、寂しさに溺れた、その中で息が途絶えた。

 ねえ、可哀想でしょ?可哀想でしょ?

 とても悲しいんだ。あの子に会いたい。あの子に会いたい。


 そう、ちょうどお嬢さんくらいの、愛らしい女の子。

 ねえ、お嬢さん。あの子の代わりにお話しよう?


 黙っていないで、こっちへおいで。君の好きなお菓子もお花も用意したよ。

 早くおいで、コッチへおいで。



「......难道你在和我说话吗?」


 ......。

 君は異国の子なのかな?


 なんだ、なんだ。全く違う。あの子の代わりになれない。あの子じゃない。あの子じゃ、アノ子、あの、あのこ、アノ、ああの、あの、子子、娘子アの娘、子、アノアノあ、の子、あノノアノ、アノ子、子子子子子子子子子子子ああああああアア、のののノノノノノ、子、娘、子、子子ア娘、ノアノあの、あノノアノアアノ子子娘アノ娘アアアア娘ノ娘ノ子アアアアアアアアアアアアアノノノアノああああああああノノノノノアノ娘子娘娘子娘娘娘アノアノ娘子子子子子子アアアノノノノノ子子娘娘娘アノあ子娘ノのア子子子子子ああああああアア、のののノノノノノ、子、娘、子、子子ア娘、ノアノあの、あノノアノアアノ子子娘アノ娘アアアア娘ノ娘ノ子アアアアアアアアアアアアアノノノアノああああああああノノノノノアノ娘子娘娘子娘娘娘アノアノ娘子子子子子子アアアノノノノノ子子娘娘娘アノあ子娘ノのア子子子子子ああああああアア、のののノノノノノ、子、娘、子、子子ア娘、ノアノあの、あノノアノアアノ子子娘アノ娘アアアア娘ノ娘ノ子アアアアアアアアアアアアアノノノアノああああああああノノノノノアノ娘子娘娘子娘娘娘アノアノ娘子子子子子子アアアノノノノノ子子娘娘娘アノあ子娘ノのア子子子子子ああああああアア、のののノノノノノ、子、娘、子、子子ア娘、ノアノあの、あノノアノアアノ子子娘アノ娘アアアア娘ノ娘ノ子アアアアアアアアアアアアアノノノアノああああああああノノノノノアノ娘子娘娘子娘娘娘アノアノ娘子子子子子子アアアノノノノノ子子娘娘娘アノあ子娘ノのアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア




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「可哀想」


 そう一言だけ呟いた。

 もうそろそろこの''怪''も限界だろう。好いた女子の死を受け止めきれぬまま死んだ妖。

 未練を残して、乱雑に食い散らかそうとしたが、逃げられ、腐植していたのを、暇潰しに知恵と言葉を貸して遊んでみたが、案外つまらなかった。

 ''怪''が選ぶ人間は皆まだ幼い少女ばかり。どれこれも似通った、特に面白くもなさそうな奴ばかり。良い人間がいたら連れ帰ろうと思ったが、どうも自分の目に適う者は居ないようだ。

 大量に襲わせてきたが、いい加減飽きたし、陰陽師の奴らにも勘づかれてしまった。ここらが潮時だろう。特別に、最期くらいは食わせてやろう。

 しかし、最初で最期の食餌が、異国の地の少女とは。異界の地へと行ったあの娘が知ったら、どう思うのだろうか。自分には関係の無い事だ。興味も無い。


 小さな雑草花は、寂しさの果てに死んでいった。そうしてその身に残った未練と大きな悲しみに呑み込まれる。

 細く執拗な根を大樹のように何処までも伸ばし、小鳥を閉じ込めて逃がさない籠のように少女の周りに花粉を撒き散らす。恋焦がれたあの子の影を求めて、掴めず、悲しみの果てに、食い散らかす。


「俺は、ただ誘っただけ。あの時と同じように、『お話していかないかい?』......ってね」



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「あの子ッ、足速ッ......!」


 赤みを帯びた橙色が走る道と彼女の背を照らす。自分から伸びる影が、彼女に追いつきそうなのに追いつけない。そして自分は影よりも更に追いつけない位置にいる。

 ......いや待て、ここで追いついて自分は彼女になんと声をかけるつもりか。「この辺りに怪がいるので危ないですよ」と言うのか?それじゃあ傍目から見なくても不審者じゃないか!警察に通報されてお縄につくのがオチだ。

 走るスピードを落とし、俺はどんどん遠くなる少女から目を逸らして、地面を視界に映す。ココは彼女が無事公園を出るまで、後ろから見守るのがせきだろう。薄暗い道、うら若い中学生女子を付け狙う、目つきの悪い犯罪者面をした陰湿なストーカーみたいな姿が思い浮かんでしまった。やっぱり俺が不審者になるじゃないか!

 不審者になった等と言うことがを叔父の耳に入れば、試験どころじゃない。社会的に抹殺されたら、それこそ俺は家から一歩も出られなくなる。叔父の事だ、下手したら勘当されるかもしれない......。


「試験は、受からなくてもいいけど。勘当は嫌だな」


 俺は自分の家系に生まれてきたことを不幸に思うが、家族は大好きだ。怖いし厳しい人だが叔父も含め、俺の家族があの人達で良かったと心から思っている。俺が高校卒業して二年間。何とか外に出て大学に通えるようになったのは、家族がいたからだ。

 叔父の冷たい声がよぎる。「失敗は許されない」と言った辺り、試験をクリア出来なければ、それこそ勘当なのだろう。あの人に二言は無い。

 強く目を瞑った。大丈夫、普通に歩いていくだけでいい。後をつけるのでは無く、あの子と同じようにこの道を辿って公園の外に出ればいい。


「俺は不審者じゃない......俺は不審者じゃないッ.....!」


 そう二回唱えて、再び顔を前へと向けると

「あの子何してるんだ?」

 少女は立ち止まっていた。道沿いにある何かを凝視していた。そして、口を動かした。

 時刻は午後五時五十分。日暮れまで残り十分。



 大量のくすんだ黄色い花粉と茶黒い根が、一気に少女に襲いかかった。

 大気はどこを見渡しても花粉。根は彼女の手足、首を縛り、体の自由奪う。

 その中で、彼女は苦しもがきながら力の限りに叫んだ。


「救命啊(たすけて)ッ......!」


 その声を聞いた瞬間、身体が前に出た。距離二十メートル。少女が完全に''何か''に引き摺り込まれるまで約一分弱。

 斜めがけのショルダーバッグから鈴ひとつ取り出し、紐を親指に引っ掛ける。

 俺は自分のことばかりだった。何も変わっちゃいない、あの時から......。俺はこの家系に生まれてきたことを不幸に思っている。退魔の力も才能も無ければ良かったと思っている。俺は俺が嫌いだ。未熟なクセに能力だけは一丁前にある自分が嫌いだッ.....!でも一番何より嫌いで嫌なのは


「俺が弱いせいで、誰かが傷つく事だッ!!!」


 大学を進学すると、立ち直って外に出ると決めた時にアイツと約束をした。

 試験を受けるのも、払い屋を継ぐのも嫌だけど、せめてこれ以上誰も傷つけない人間になると───。

 少女の背を追った時よりも速く、自分の影が伸びるよりも速く、前に走りながら。一足飛びに音が最大限の威力で届く範囲内に入る。距離五メートル。



 キン──────────────────────────────

 鈴を持った手を一度振ると、音波が流れた。花粉根の動きが止まる。

 次の瞬間、ドッという破裂音と共に大気中に穴が空く。少女を取り囲むように固まっていた花粉は散り、根は刃物に裂かれたよう幾つにも切り分けられ地面に落ちる。少女を掴んでいた根も例外なく。

 急に根から落とされ解放された少女は、地面に履いながら息苦しそうに咳き込んだ。


「立てるか?歩けるか?大丈夫なら向こうの木の影に隠れてろ」


 震える左手で少女の肩を掴み、鈴を持った右手で退治対象がいる真逆を指差す。少女も指した方向を見て、一度だけ深く頷くと立ち上がり薄暗い木々の中へと走っていった。


「悪いけど、俺はアニメの主人公じゃないから、ここでカッコイイ決め台詞なんて言えねんだわ」


 彼女が視界から隠れるのを確認すると、彼女を引き込もうとしていた退治対象である雑草花の姿をした''怪''と対峙する。真正面から''怪''を観察する。水分も養分も失い、すっかり枯れ切ったソレは、不気味に根を動かしながら、怒るように花粉を吹き出す。動きや花粉の量から、人は食っていないと判断し、ほんの少しだけ胸を撫で下ろす。メモには被害者数は不明と書いてあり、どれだけの被害者がいたか分からず不安だったが、どうやら大丈夫だったようだ。

 俺は目までかかる程伸びた前髪をかき上げながら、''怪''を両目でしっかりと見つめる。


「俺は正直、妖魔退治なんて嫌いだ。元々陰陽師なのに''妖''に''怪''って専門外のモノまで扱いだしたり。後継者少ないからって、妙に期待されちゃったりさ」


 俺の話もお構い無しに、''怪''は先程同じように大量の花粉を撒き散らし、鋭く尖った根を此方へ突き伸ばす。

 人を食っていればもっと力はあるはずだが、この様子だと存在しているだけでも不思議なくらい、出現しているのに限界があるように見えた。それほどになっても、強い未練があるのだろう......。怒り、と云うより悲しみ。どうしようもない寂しさ。


「けど、やらなきゃいけないし。俺には結局それしかない。だから...... さっさと退治されてくれ。俺が、見送ってやるから」


 ''怪''に鈴を向け、キン、と祈るよう、手向けの音を一度鳴らす。 鈴を自分の左側まで持っていき、そのまま空を左から右に、上から下にと順に切っていく。


「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前。急急如律令!」


 九字を切り終え、両手の二本指を十字に重ね、印を結ぶ。

 さっきより強く勢いよく花粉は霧散し、根はバラバラに切られ、爆発にも似た破裂音と共に大気中に穴が空く。あまりの威力に''怪''は残った根を自分の身へと縮こませる。

 怯んだその隙を見逃さず、右手は印を作ったままに''怪''へと突きつけると、勢いでキンッと鈴の音が響く。


「五行に並びし白虎の力よ。鋭き剣の如き銀の音を響かせ、相剋せよ!」


 鈴を胸元へと持っていき、今度は力強く''怪''の体内に響くように、前へと振り打ち鳴らす。 キン──────────────────────!

 響いた音が波紋となり、''怪''へと収束される。全ての波紋が''怪''の中へと入ると、内側から切り裂かれるように根も葉も花弁もバラバラ破裂する。カラカラに枯れ、汚泥に浸かったような色をしたそれは、地面に落ちると共に粉塵になって消滅した。


「た、退治できた......はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」


 どこにそんな肺活量があったのかと思うほど、安堵のため息を深く吐く。カッコつけたが、退治なんてあの日以来の二年ぶり。超が三回以上のついていい程に久しぶりだったのだ。

 ただでさえ未練者のくせに、これで退治すら出来なかったら本当にいよいよ存在価値が無い......。勘当どころか死ぬしかない......。

 ひと安心したところで、既に塵となった''怪''に近付き、掌を合わせる。''怪''は永遠に続いていた孤独から解放されただろうか。やれる事は決まっている。俺がするのは退治のみ。後はせめて安らかに眠ることを祈ることしかない。


「本当、楽なもんだよな」


 あまりの身勝手さに、思わず自嘲するしか無かった。

 ''怪''は''死んだ人ならざるモノ''。強い想いだけで現世に留まってしまった。言葉も交わせず、自分の意思も失い、その未練だけに突き動かされ───。


「ちょっと待て、おかしい」


 沙羅から貰ったメモを急いで確認する。<日が大きく傾いた夕と夜との境目に、少女を拐かす''怪''が現れる>と確かに書いてある。しかし''怪''は既に死んでおり、意思も失く言葉を発することなんて不可能。なのにメモには<拐かす>と書かれ、更には<証言では、「通り道沿いに咲いた花に話しかけられた」>とも書かれている。お団子頭の彼女も''怪''のいる方を見つめながら、何か喋っていた。

 意思も失く、会話も不可能な''怪''が人に話し掛ける方法なんて、思いつくのは限られている。


「第三者の''''''''......?」


 人間である''魔''が''怪''に協力するのはまず有り得ない。''魔''は基本、他の人間に執着するものだ。それも無意識であるケースが殆ど。無意識で出現した''魔''が意識的に''怪''に力を貸すことはまず無い。

 しかし知恵と意思のある、''人ならざるモノ''である''妖''が''怪''に言葉を貸し、少女達を拐かしていたのなら。そんなことが出来る''妖''なんてそれこそ限られている。並の''妖''では下手したら、''怪''の未練に呑み込まれてしまう。それが出来るとすれば、人類史や伝説、神話などで名前を残すレベルの存在である可能性が高い。


「これは、厄介なことに気付いちまったッ」


 左手で頭を掻き毟り、鈴を握る右手に力が入る。そんな''妖''がいるかもしれないと分かった以上、放っておく訳にはいかない。家に帰ったら叔父さんと沙羅に報告しなければならない。

 口元に手を当て考え込んでいると、背後から草地を踏む音が聞こえる。

 あっ、と思い後ろを振り向くと、お団子頭の少女が木の後ろから困惑と動揺の表情で此方を覗いていた。


 ***


 結論から言おう。俺は今、とてつもなく困惑し動揺している。人生で一番困っている。こういう時どうしたらいいのか、学校で教えておいてほしかった......。


 二週間前。午後六時の日がほぼ沈みきった公園内。

 お団子頭の少女は、困惑と動揺の表情で此方を見ていた。いきなりワケの分からないモノに襲われ、それを退治する様子を見ていたのだ。困惑も動揺も、そして怖いと思うのも当然だ。しかも彼女は日本人ではない。不慣れな地でこんな目に遭ったら、トラウマになってしまうだろう。確か沙羅が昔、中国に居た経験があると言っていたのを聞いた覚えがある。電話で沙羅呼び出して、彼女のメンタルケアを......


「ってアイツ、三週間くらい留守にするって言ってたな」


 肝心なところで役に立たない。何がブレインだよ。

 心の中で悪態を吐いていると、少女は恐る恐る此方へと近づいて来た。


「あ〜、えっと、その、怖がらせてごめんなさい。って、日本語分かんないか。どうしよう、ケータイに翻訳機能でもついてりゃなぁ」


 2007年現在、少なくとも俺の携帯電話にそんな機能は搭載されていない。どうしたものかと思いながら、ショルダーバッグに鈴を終い、なんとかコミュニケーションを取る手段を思案していると、少女がいきなり俺の手をガッと音がしそうな程強く握ってきた。


「エッッ!?!?」


 あまりに唐突なその出来事に、女の子に手を握られるという初体験にドキドキを通り越して、ドックンドックンになっていると、彼女は興奮冷めやらぬといった感じでキラキラと目を見開いた。


「你是日本的仙师吗!?」

「エッ????」

「还是阴阳师?魔法使?」


 早口で怒涛に攻められ狼狽えることしか出来ない俺に対し、少女はヒーローでも見た小学生みたいなキラキラとした尊敬の眼差しを向けて


「很帅......!」


 と言った。無論、なんと言ったかは分からない。

 そして少女は何かを決意したような顔をして、俺を真っ直ぐ見てこう言った。


「请把我当你的徒弟!」

「えっと」


 俺は彼女のその言葉に、眉を下げた。


「......なんて?」


 結局少女とコニュニケーションを取る方法は思いつかないまま、その日はメモに二週間の土曜日、午前十一時、同じ公園に来るようにと書き、無理やりメモを手渡し逃げるように走って少女と別れた。

 今思えば、日暮れ後に女の子を独りで帰らせるには危ないのだが、女の子に手を握られた上に、中国語で話しかけまくられ、既にパンク状態だったのだ。身内以外の女子に免疫無しのコミュ障陰キャは、そこまで頭が回らなかったのである。しかし、そこは素直に反省したいと思う。

 そして約束の二週間後。土曜日。午前十一時前。俺はあの日と同じ公園にいた。


「ねえねえ広くん。確かに前と同じ公園っていうのは分かり易いけどさ、怖い目に遭った女の子をココに呼び出すのはちょ〜っと配慮に欠けるんじゃない?」


 通訳アンド少女のメンタルケア要員に連れてきた沙羅が、苦笑の色を顔に滲ませながら俺に言った。


「ハッ!確かに!」

「確かに!じゃないよ!君は優しい子なのに、どっか肝心なトコ抜けてるよね」


 沙羅は「もうっ」とお茶をこぼした子どもに向けるような、しょうがないなぁといった顔をして、左右の腰に手を当てた。沙羅の今日の格好はストライプ柄の水色ワンピースだった。個人的な意見だが、やっぱり沙羅は和服より洋服の方が似合う。

 するとちょうど前方から、お団子頭の少女が此方に走ってくるのが見えた。学校は休みのようで、黄色の半袖ブラウスに、紺色のスキニーパンツ、靴は赤色のスニーカーとスポーティな格好だった。


「こんにちわ!」


 少女は俺たちの前で立ち止まり、点数をつけるなら百点満点といった笑顔で元気よく挨拶をしてくれた。沙羅は「わっ、可愛い子〜」とトタトタと音を立てながら少女に近付いた。


「你好!我叫沙罗!(はじめまして!私は沙羅って言います!)」

「哇,你会说中文吗?(わっ、中国語話せるの?)」

「对啊。可以的话可以告诉我你的名字吗?(そうだよ〜。良かったら君の名前も教えてくれないかな?)」


 ウン、何を言っているのか全く分からないが、こういうのを微笑ましい光景というのだろうな。などと思っていると、少女が「はい!」と手を挙げ、俺と沙羅を交互に見てから喋り始めた。


「中国からきた、ワタシは郑思丽ヂャン・スーリィです!日本語だと、てい・しれいって言います!かんたんに丽丽リィリィて、よんでくれるとよろこぶます!」


 本当に不慣れなのだろう。おそらくだが「かんたんに」じゃなくて「気軽に」だろうし「よろこぶます」ではなく「嬉しいです」なのだろう。しかし彼女は自信満々に覚え立てであろう日本語を使って自己紹介をしてくれた。健気だし微笑ましすぎる......。


「えっと、俺は滝野広晴っていいます。ええっと、よろしく」


 中学生相手にワタワタとごまついた自己紹介をする俺に対し、彼女は「たきの、ひろ、はるさん」と俺の名前を繰り返す。そして再び中国語で沙羅に何か話しかけると「たきのひろはるさん!」此方を見つめながらフルネームで俺を呼んだ。


「请把我当你的徒弟!」


 なんだか、二週間前にも似たような感じの事を言っていたような?と首を傾げといると、沙羅が面白いものを見つけたような、楽しげな声で通訳をした。


「私をあなたの弟子にしてください!......だって」


 五月間近、花は青々とした葉へと変わっていく。初夏の始まりを告げる薫風が俺たちの間をすり抜け、太陽と新緑の香りを運ぶ。


「エッ?」


 当主昇格試験、そして四年間の大学生活。新生活、間抜けな俺の声とともに早速新たな展開が舞い込んでしまった。

 こうして俺は、コミュ障陰キャなのに中華少女に弟子入りされました。

 此処から、俺と思丽を中心に様々な人、そして妖魔鬼怪の物語は大きく動き出したのだ───。

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鈴音退魔譚 ~ コミュ障陰キャなのに中華少女に弟子入りされました。~ 雪雛透 @xNewHeartx

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