<5.歴史が語る>

 俺は陽介に、堤防建造を提案して作り方を伝授した。聞きかじっただけの知識で正確に伝えるのは難しかったが、小町の講義をわかりやすくまとめた早坂のノートのおかげで、どうにか誤りなく説明できたと思う。

 問題があるとすれば、陽介がどれだけ理解しているのか不明なところ。間接的に説明を受けた、知恵袋のエルフが頼りだろう。


 参考にした信玄堤は、複合的な要素を組み合わせて川を制御する治水システムだ。完成までには多くの人員と長い年月が必要な大工事で、勇者一行が関わっていられる時間はかぎられている。


 そこで、同時進行で行う橋作りのサポートを優先することにした。橋が完成しないことには、身動きできないのだから当然の選択だ。

 やることは一つ、川の流れの調節――大雨で増水しても、ある程度は水流を抑えられる仕組みを構築する。


 単純な話だが、遮蔽物があれば水の勢いを削ぐことができた。川のなかに大岩を配置して、流れを弱める方法だ。

 もちろん、ただ置けばいいというわけではない。置く場所が重要になってくる。信玄堤の工法として伝えられる甲州流川除法を学習した小町と検討して、上流の二つの川が合流する付近に設置するのがいいという結論になった。


 実際の川を見ていないので、この仕様がはたして正しいのかわからないが、そこは現地に任せるしかない。具体的な配置場所は、異世界側でなければ確認できないのだから。


 他にも、各種堤防作りの指針は伝えておいた。陽介が直接たずさわることはないだろうが、これで治水事業をつづけることはできるはずだ。


「まあ、こんなとこかな。実際にどうなるかは、完成しないとわからない」


 陽介と交信した翌日、俺は図書室で報告会を開いた。参加した早坂と小町は、なんとも言えない微妙な顔つきをしている。

 気持ちは理解できた。俺だって、たぶん似たような顔をしていたことだろう。


 結果が見えない――結果があらわれるのが、いつになるのか不鮮明な案件だけに、反応のしようがなかった。場合によっては、俺達が学生でいる間に結末を見届けられない可能性すらある。


「きっと、大丈夫ですよ……」と、早坂がズレてもいないメガネを直しながら言った。尻すぼみに小さくなる声から、裏腹な気持ちが透けて見える。


 小町はというと、今日はどういうわけか、やけに大人しい。普段が普段だけに、静かすぎて不気味なほどだ。


「わたし、ちゃんと役に立ったのかな?」


 いつもなら跳ね上がる声のトーンが、抑えた弱々しいものとなっていた。心なしか表情も冴えない気がする。

 俺と早坂は顔を見合わせて、この異常事態に戸惑う。


「役に立ったと思うぞ。陽介も感謝してた!」

「そうですよ。小町さんがいなかったら、わたし達だけでは手も足も出なかった。充分です!」


 元気づけようと無理に声を張り上げたので、俺も早坂も声が裏返りそうになっていた。自在にテンションを上げられることは、すごい能力なんだと妙なところで感心する。

 小町は伏せ気味だった顔を上げて、ようやく笑みを浮かべた。まんじゅう顔のほっぺに、じんわりと赤みが差していく。


「役に立ったのならよかった。無駄骨だったんじゃないかって、ちょっと心配だったんだ。いい感じにができたってことで、いいんだよね」


「ん?」と、疑念が喉を震わせた。

 思いもよらない言葉が飛び出し、理解に時間がかかる。俺と小町の間に、何か重大な認識違いがある気がした。


「……貸しって、どういうことだ?」

「そりゃあ助けてやったんだから、貸しは貸しでしょ。まさか、善意で協力してると思ってたの」

「当たり前だ。そっちから首を突っ込んできたんだろ!」


 結果的に助けられる形となったが、元々小町に救援を頼んだわけじゃない。勝手に押しかけてきて、勝手に恩を着せる――なんとも不条理だ。


「こんなことに無償で協力するの、ミチルちゃんくらいだよ。わたしはミチルちゃんみたいなお人好しじゃないから、もらうもんはもらうよ」

「お前、ムチャクチャだな。いったい、目的はなんだ?」

「安心しなって、啓介には何も期待してない。啓介の尻をひっぱたいても、小銭しか出てこないだろうからね」


 小町はニヤッと笑って、もったいぶるようにゆっくりと視線を横に振った。

 その先にいたのは、早坂だ。標的が自分とは思ってもいなかった彼女は、ビクッと肩を震わせてオロオロする。わずかにメガネがズレる。


「啓介の代わりに、ミチルちゃんに貸しを返してもらおうかな。ミチルちゃんは連帯保証人みたいなもんだもんね」


 須間に入れ知恵されたのか、らしくない追い詰め方をしてくる。


「おい、早坂に迷惑かけるな。見返りがほしいなら、俺の言えよ」

「みみっちい啓介に言っても、どうせ無理。ミチルちゃんじゃないと、叶えられないことなんだ」


 いったい何を求めているのか、小町は意味深に含み笑いをもらす。プルプルと雪だるまが揺れて、苛つくほどにうっとうしい。


「ど、どうすればいいんですか?」と、早坂が不安げにたずねた。

 小町は待ってましたとばかり、グイッと身を乗り出す。見開いた目が、期待でらんらんと輝いていた。


「ミチルちゃんの権限で、例の本を図書室に取り寄せてよ!!」

「えっ、ええっ?!」


 例の本とは、小町がほしがっていた雑賀衆の研究書のことだろう。

 これが目的だったのかとヒザを打つ。しかし、希少本で相応に値段もお高いことを考慮すると、図書委員の権限でどうにかなる問題なのだろうか。


「そ、それは、わたしの一存ではなんとも……」

「為せば成る、だよ。神風吹かせて、バチッと決めてよ!」


 図書室に、騒がしい声が響く。はたして小町の願いが叶うときがくるのか――これもまた、いつ結果があらわれるのかわからない、不鮮明な案件になることだろう。


※※※


 赤く色づいた葉っぱが、ひらひらと目の前に降ってきた。ふと見上げると、黄と赤で混成された紅葉が家屋の庭で手を広げている。

 先日の雨以降、一気に寒さが増していた。移り変わろうとする季節の流れを、葉の色が暦よりも明確に体現している。


 俺は身震いして、疲労の溜まった息を吐く。リハビリで汗をかいた日は、よけいに寒さが体の芯に沁みる。


「早く帰ろう――」と、独りごちて、理学療法士が経過は順調と太鼓判を押してくれた右足を踏み出す。


 まだ痛みはあるが、しっかりと地面を蹴る。生活のなかで苦労する場面はあっても、歩行に関してはだいぶ楽になってきた。病院にいた頃は毎日が不安でいっぱいだったが、思いのほか良好に治癒している。人体の回復力はたいしたものだ。


 おかげで、いま俺が抱える不安は、足よりも別の場所。

「……きたか」


 ポケットをまさぐり、震えるスマホを取り出す。通知画面には、いつもの文字化けした記号が並んでいる。

 不安の素――異世界からの通信だ。


「もしもし、陽介か」

『ああ、兄貴、元気してたか。連絡が遅れて悪いな、いろいろ手間取って時間がかかっちまった』


 前回の通話から、一週間ぶりだ。時間の流れが違う異世界では、いったいどれくらい月日がたったことか。


「どうした、何か問題でもあったのか?」

『そういうわけじゃないんだ、単純に治水工事でバタバタしてただけ。なんせ、はじめてのことだからさ、試行錯誤の連続でなかなか作業が進まなかった。こっちの工事責任者と、ちょっともめたりもしたし』


 苦労もあったようだが、声の調子は前向きで明るい。うまくいかなかったわけではないとわかり、ひとまず安堵する。

 俺は強張った肩を、リハビリするようにじっくりとほぐした。


「その様子だと、治水工事も軌道に乗ったようだな」

『さあ、それはどうだろ。よくわかんねえや』と、陽介はあっけらかんと言った。『とりあえず治水工事の第一段階はすませて、その間に橋が完成したから、先に抜けさせてもらった。これでも勇者だからな、いつまでも立ち止まってるわけにはいかない』


 あの後、天候も回復して橋の建設は滞りなく完遂したという話だ。結果的に、あれこれ悩んでいたのがマヌケに思えるほど、橋に関して問題はなかったことになる。

 ただ増水する川の対策に取り組まないことには、本当の意味で解決とはならない。治水対策に言明して、重い腰を上げるきっかけを作ってくれたことを、領主夫人は感謝しているらしい。


「じゃあ、治水はまだ半端な感じなんだ。信玄堤もどきの首尾はわかりそうにないな」

『みんな、一生懸命やってんだぞ。半端って言うなよ、継続中。まだ途中ってだけ!』


 陽介の声に義憤が混じる。異世界の勇者としては、許せない発言だったようだ。

 悪気はないのだが、意地悪く聞こえたのかもしれない。思慮に欠けた言い回しを少し反省した。


「堤防作りがうまくいくか、心配なんだ」弁明のために、取ってつけた言い訳を足しておく。「ほら、お前が方針を決めた以上、少なからず責任を負う立場にいる。勇者の評判にも関わることだろ」

『なんだ、そんなことか。別にどうだっていいんじゃないか』

「いやいや、いいことないだろ。もし大失敗だったら、どうするんだよ!」


 王宮のマナーでもめたときは、あんなにも気にかけていたというのに、今回はやけにあっさりしてる。すでにお姫様の後ろ盾をえている事実が、心に余裕をもたせているのだろうか。


『堤防の完成は、だいぶ先だ。結果が出るのは、もっともっと先ってこともありうる。いま心配してもしょうがないだろ』と、そういうことらしい。


 いまいち納得できない考えだ。俺は眉間にしわを寄せて、わき上がった不満を口にする。


「俺は気になるけどなぁ。関わった以上、どうなるか見届けたい」

『そんなこと言われても、時間を早送りすることはできないんだぞ。オレ達が見届ける必要はないんじゃないかな。堤防の正否は――知らないところで、歴史が語ってくれるだろう』


 ノーテンキと言えばいいのか、懐が深いと言えばいいのか。どちらにしろ、大物然とした風格を感じる。

 弟相手に悔しいが、ちょっぴりかっこいいと思った。


 だが、見直したのは一瞬、すぐに気持ちのシーソーは元に戻ることとなる。いや、もしかしたらダメなほうに一層かたむいているかもしれない。


『そんなことより、兄貴、他に聞きたいことがあるだろ。もっと重要な問題』

 まるで小町を思わせる声の跳ね上がった口調からして、というよりに置き換えたほうがよさそうな雰囲気だった。


 きっと、異世界ではしゃいだ顔をしている。転生して別人となった陽介だが、かつての血を分けた兄弟だった頃のにやけ顔が目に浮かぶ。


「なんだよ、もったいぶらないで言えよ」

『オレが狙ってた領主夫人のことだよ。あれからどうなったか、気になってないか? 気になってるだろ!』


 あきれて言葉もない。でも、気にならないと言えばウソになる。

 俺も男だ。その手の話は嫌いじゃなかった。


「……どうなった?」

『まあ、工事を通していろいろあってさ。グッと二人の距離は近くなって、ついにある夜――』


 俺は寒空の下、息を飲んで真剣に聞き入る。

 それは、歴史では絶対に語られないであろう、勇者の夜の武勇伝だった。

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