<4.火を吹く生き物>

 ドラゴン対策について一晩中考えたが何も浮かばず、寝不足のまま受けた授業はほとんど寝てすごした。

 注意らしい注意がなかったのは、ケガ人だからだろうか。そういう点では痛む足も役に立ってくれた。


 放課後が訪れると、俺はまっすぐ図書室に向かう。しかし、そこで待っていたのは、昨日とは違う図書委員の姿だった。メガネはかけていたが、性別からして違う。

 それとなく話を聞くと、今日は早坂の当番ではないらしい。しばらく待ってみたが、あらわれる気配がないので、しかたなく家に帰った。


 さらに翌日――やはり何も浮かばぬまま学校に行き、授業を受けて、放課後となる。

 一応図書室によってみようと、足を引きずり教室を出たところで早坂と出くわした。心なしか顔つきが強張って見えるのは、学年の違う不慣れな教室棟で待っていたからだろうか。


「センパイ、こんにちは」


 少し照れくさそうに早坂はお辞儀する。メガネがズレたのか、頭を上げるときに手で支えていた。


「よお、早坂、今日は大丈夫なのか?」

「あ、はい、大丈夫です」早坂はどこか申し訳なさそうな表情で、上目遣いに俺を見る。「センパイ、昨日も図書室に来てくれたんですよね。わたしも行こうと思ってたんですけど、友達に頼み事されて、行くの遅れちゃったんです。すみません」

「早坂が謝ることじゃない。気にすんな」


 俺は苦笑しながら、廊下の端によって壁に身を預ける。突っ立ているだけでも、右足に負担はあった。

 その動きで事情を察したらしく、早坂は俺からカバンを奪い取る。これまでにない大胆な行動に、ちょっぴり驚いた。


「ここだと落ち着いて話せないので、図書室に行きませんか」

「……まあ、そうだな」


 早坂は俺の右側に回って、一切ためらいなく体をくっつけて歩行の補助を買って出る。小柄な分、よりかかるにはちょうどいい高さだ。

 介助はありがたいのだが、ただ――まだ廊下には、同学年の生徒が無数にいる。下級生の肩を借りて歩く姿は、無駄に注目を集めて恥ずかしかった。頬が熱くなっていくのを感じる。


 ちらりとのぞき込んだ早坂の顔も、うっすら赤らんでいたが、彼女に離れる意思はないようだ。あきれるほどにボランティア精神が強い。

 そうして早坂のサポートを受けたまま、図書室に到着。扉を開けて、なかに入ったところでようやく早坂は離れた。


 本日の当番である受付所の女生徒が、無遠慮な視線を俺達に投げかけてくる。

 その顔には見覚えがあった。だけど、同学年の生徒であることは間違いないのに、どうしても名前が思い出せない。自分の記憶力のなさに情けなくなる。これでは陽介のことをとやかく言えない。


 早坂は当番の図書委員と二言三言交わして、軽く頭を下げていた。女生徒は受付所から抜け出して、まっすぐ俺のほうに向かってくる――わけではなかった。俺の横を通りすぎ、図書室を出て行ってしまう。すれ違う瞬間、俺の顔を見てニヤニヤしているように感じたのは気のせいだろうか。


「今日の当番を代わってもらいました。これで、図書室を自由に使えますよ」


 図書委員の仕事は、週一の当番制だと聞いた。陽介が持ってきたバカげたドラゴン対策のせいで、早坂はよけいな仕事を増やしたわけだ。


「ごめんな、こんなことに付き合わせちまって。それもこれも陽介のバカのせいだ」

「いえ、気になさらないでください。迷惑と思ってませんから」


 その言葉どおり、早坂は穏やかに笑う。陽介の役に立てて、うれしいのかもしれない。


「それにしても、あの図書委員も驚いただろうな。損しかない当番を代わってくれって言われたこと」

「そ、そうでもないですよ……」


 早坂は返事とも独り言とも取れる小声でつぶやき、もじもじとしている。俺の知らないところで、何やらいけない取引でも行われたのだろうか、早坂の頬がやけに赤い。


 助けてもらっている立場で、裏事情をつっつくのはマナー違反だ。俺は見て見ぬふりをして、テーブル席につく。

 スカートのしわを気にしながら、早坂は隣の席に腰を下ろした。


「あれから倉本くんから連絡ありましたか?」

「まだないな。時間のズレがあるから、いつ連絡がくるかまったく読めない」


 ドラゴン対策が整っていない状況なので、連絡がないことはかまわないのだが、締め切り不明のまま課題をつづけるのは精神的に疲れるものだ。俺はため息といっしょに、不満をまき散らす。


 いつまで、こんなことをつづけなくてはいけないのか?――それは、いつまで、こんなことに従っているのか?という自分自身への問いかけにもなる。

 俺は一旦くすぶった気持ちを抑え込み、この不条理な境遇から目をそらした。


「一応さ、ドラゴン対策になると思って、防火服について調べてみたんだ。製造法とか素材とか、そういうのもろもろ」


 早坂は何度もうなずき、興味深げに俺を見つめてくる。

 その期待に沿うような内容でないことは確かで、発表を少しためらった。


「えっと……結論から言うと、異世界で防火服を作るのはきわめて難しい。防火服に使われる化学繊維を用意することができないだろうし、それを編み込む技術もないと思う。よしんば奇跡的に防火服を作れたとしても、それがドラゴンの火にどこまで耐えられるかわからない。防火服と言っても、長時間炎に耐えられるわけじゃないんだ。空を飛んで火の玉を降らすドラゴンに、防火服一つでは対抗するのは到底無理だろうな」


 他にも、防火がダメなら消火という単純きわまりない連想でいろいろと考えてみたが、こちらもうまくいきそうになかった。

 消火器でドラゴンの火を消せるとは思えないし、たとえ消防車が転生してもドラゴンにかなうイメージがわかない。結局どれだけ知恵を絞っても、ドラゴンに対抗できる手段は思い浮かぶことがなかった。


「打つ手なしだ。もう、どうすりゃいいのか俺にはわからない」

「センパイ……」


 がっくりとうなだれた俺の肩に、早坂がおずおずと手を添える。重さを感じないので、本当に添えているだけ。

 不憫に思ってなぐさめようという気持ちになるが、まだしっかりとつかめるほど距離は近くない――といった感じか。ありったけの同情心をよせ集めたような表情の奥に、踏み込めないもどかしさがひそんでいた。


「わ、わたしも、あれからずっと考えてました。どうにか理解しようと、ドラゴンの生態を自分なりに解釈してみたんです。ある程度は納得したんですけど、どうしても腑に落ちない点があって……」

「へえ、それは?」

「火を吹く生き物って、本当に存在すると思いますか?」


 考えもしなかった切り口に、俺は目が点になる。

 ドラゴンが吹く火の対策という前提条件を、否定するような疑問だ。


「いや、陽介がドラゴンの火について言ってただろ。そこを疑ったら、どうしようもなくなる」

「そ、そうなんですけど、どんなに考えても納得のできる理由がみつからないんですよ。わたしの知るかぎり、火を克服した生き物はいない。倉本くんが言っていたように、火はとても厄介です。そんなものを体内で生成するって、ありえると思いますか?」


 そう言われると、返す言葉もない。論理立てた反論は、俺の頭では不可能だ。

 無理やり理由付けするとしたら、「ファンタジー世界の生き物は、そういうの平気なのかもしれないだろ」


 早坂はわずかに眉を吊り上げて、不満そうに俺を見た。意外と強情な部分もあるようだ。


「そういうことも、ありえると思います。でも、仮定としてドラゴンが火を生み出せない生き物だった場合のことも考えてみませんか」

「陽介の言ってたドラゴンの火は、どう判断するんだ?」

「それは、結果として。本来は別の物質だとしたら、どうでしょう」


 俺は理解が追いつかず、困惑を顔に染める。言っている意味が、まるでわからない。


「ごめん、もうちょっとわかりやすく説明して」

「体内で火を生成する生き物はいませんが、毒を作り出す生き物はいますよね。ヘビとかカエルとか、あとコモドドラゴンなんかも。そんなふうに火そのものではなく、ドラゴンは可燃性物質を溜め込んでるんじゃないかと思ったんです。それなら人間も溜め込んでるわけですし……」


 一瞬何を指しているのかわからなかったが、恥ずかしそうな早坂の顔を見て察した。オナラだ。

 中学の頃、オナラに火をつける隠し芸を持つお調子者のクラスメイトがいた。教室で披露して、教師にこっぴどく怒られていたことを思い出す。


「牛のゲップには、メタンガスが含まれているって聞きますし……」

「火はドラゴンのゲップってこと?」

「気体では、火の玉にはならないと思うんですよ。可燃性の性質を持つ、固体か液体なんじゃないでしょうか。それなら球体の形状を保つことができる」


 早坂の考察は、なるほどと思える説得力があった。ドラゴンにあるという火袋も、可燃性物質を溜め込む器官だとすれば説明がつく。

 ただ一点、さけては通れない謎が残る。


「早坂の言うとおり火の正体が可燃性物質だとするなら、吐き出した後にどこかで着火しないと火の玉にはならないよな」

「そこなんです!」ふいに早坂の声のトーンが一段跳ね上がった。「わたしも、そこがずっと引っかかっていた」


 早坂は持論を展開していくなかで、無意識に興奮状態となっていたようだ。口調は熱を帯びて、身振り手振りが多くなる。

 俺は圧倒されて、口をはさむこともできず聞き役に徹するしかなかった。


「可燃性物質が火の玉に変質するには、どこかで着火の工程があるはずなんですよ。でも、倉本くんの話にはそれらしき描写はなかった。ただドラゴンが火の玉を吐き出しているということは間違いない――口から可燃性物質を吐き出した直後に、火がついていると推察できます。だったら、何が着火の要素になっているというのか。考えに考えて考え抜いた末に、あることを思い出したんです。倉本くんが言っていた、異世界にある特殊な元素――魔力マナのことを」


 息継ぎで一旦区切ったあと、早坂は高まったままの同じテンションで再開する。

 懸命になりすぎて周りが見えなくなっているらしく、微妙にメガネがズレていた。


「倉本くんが言ってましたよね、魔力マナは他の元素と結びついて形を変える。ドラゴンの体内で生成された可燃性物質には、魔力マナが含まれているのではないでしょうか。ドラゴンは膨大な魔力マナの持ち主だというから、充分にありえると思うんです。それが別の元素と結合して火の玉に変質する。考えられるのは、飛行の魔法として体表を覆っている魔力マナのフィールドですかね。さすがに空気中に含まれる元素が原因だと、呼吸で暴発しちゃいそうですし。火の玉は魔法ではないかもしれない、でも、魔力マナ結合がもたらした魔法的な要素がある――というのが、わたしの考えです」


 思わず拍手しそうなほどに見事な弁舌だ。図書委員なんてしてないで、弁論部に入部すべきだと思った。

 上気した早坂は少しやりすぎたと感じたのか、メガネのズレをなおす仕草で顔を隠す。うっすらと額を濡らす汗の粒が、手の隙間をぬって鼻先に転がっていった。


「よくわかったよ。陽介から連絡があったら、早坂の意見をそっくりそのまま伝えてみる」

「はい――」


 早坂のテンションは急激に下がっていた。さっきまでの熱はどこへ行ったのやら、肩を落としてすまなそうに俺を見上げている。

 あまりの落差に、意味がわからず混乱した。


「ど、どうした?」

「わたしが考えたことって、需要あるんでしょうか。正直なこと言うと、考察するのが楽しくなっちゃって、暴走気味にドラゴンの生態について考えましたが、これって倉本くんが求めていたドラゴンの火の対策に関係ないじゃないですか。役に立つとは思えない」

「早坂って……頭いいけど、バカだな」


 俺は笑って、ポンと彼女の頭に手を置いた。

 途端に――何度も妄想してきたドラゴンの火の玉を思わせる赤が、早坂の顔を染めていく。耳まで真っ赤だ。何もそこまで恥ずかしがらなくてもと、内心ちょっと引いた。


「確かに火の対策にはならないかもしれないけど、ドラゴンの生態がわかれば、本来の目的のドラゴン退治に絶対役立つ。あんまり俺の弟を舐めんなよ。きっと、やってみせるさ。なんてったって、あいつは勇者だからな」


 その日の夜、陽介から連絡があった。

 俺は早坂がまとめた火の球の考察を伝える。陽介は少し戸惑っていたが、「わかった」と告げて通話を終えた。

 こちらでできることは、もう何もないだろう。あとは結果を待つだけだ。

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