第二章 無名の神官【ネームレス・プリースト】

王国の懐刀



 声が響いていた。

 歳をとっても張りのある男性の声が熟々つらつらと誰かに何かを説明している。

 時には思考をするように悩み、提案するような口調に変わる。

 そして驚くように声を上げ、納得するような優しい声にもなった。



「…………。……」


「……。……」


「………………」



 大きな両開きの扉の向こう側から聞こえるその声に、門兵は耳を傾けていた。


「なぁ……」と右に立っていた男が聞いた。喉が渇いた時のような掠れた声だ。


 声を受けた左の門兵は静止したまま前を見つめている。


 男は唸った。

 前にはつまらない光景が広がっているだけなのに、どうして飽きもせずに前を見ていられるのかが不思議でたまらなかったのだ。


 就任当時は確かに綺麗だと思っていたが、今ではもう見飽きた光景だ。

 

 白い大理石で作られたようなその廊下は、ただただ真っすぐに伸びていて、空間全体を覆わないように光を取り込めるように空間が一定間隔に空いている。

 それが、白い床に仄かに光る爪痕のように伸び、日照時間によって場所を手前から奥へと変えていく。


 夜になると、壁に着けられている燭台に灯りがともされ、幻惑な空間に様変わりする。

 これがまたいいのだ。

 安全な薄暗い森の中を闊歩しているようで、横から吹き付けてくる風が心地が良い。


 ――が、それはそれ。これはこれだ!

 

 話し相手はこの空間に一人しかいない。

 大きな門を挟んで向こう側に立っている、つっけんどんな様子の同僚だけなのだ。




「――なぁ!」今度は腹から声を出してみた。


 どれだけ大きな声を門の前で出してみても、後ろの大きな扉がしっかりと中への侵入を阻んでくれると知っている。


「……」


 大きな進歩だ、目だけを向けてくれた。


「なんだ、職務に全うしろ」


「俺らの仕事は前を向いたままアホみたいに突っ立ってることです――ってか?」


「そうだ」


「そりゃあいい。いい仕事だ」


 右の門兵は頭に被っているヘルムを揺らして鼻先で笑った。


「なぁ――今、中で何が話し合われてると思う?」


「……」


「いいだろ? 話そうぜ。暇なんだよ。どうせ誰も来やしないさ」


「どの道、広報紙によって知らされることだ」


「だからお預けってか? そりゃあないぜ、オイ。俺は、今、知りたいんだよっ!」


 この場所は王城の深奥に位置する王座の間の手前。この扉の向こう側には国王が玉座に座っている。

 つまるところ、今は誰かと対談中ということだ。

 その門兵の彼らは当然知っていた。だからこそ、どんな話し合いがされているのか気になるのだ。


ってことは……そういうことだよな?」


 その声には期待や、これから起こり得るであろう事柄に対してワクワク感が抑えきれない様子だった。


「ガキみたいな声を出すな」


「へーへー」


 これ以上絡んでも取り合ってくれないと分かったのか、右の門兵は冷めた男との会話を打ち切って大きな扉に耳を――ヘルム越しに――近づけた。

 それでも重厚な扉は中と外の音を阻んでいる。声は聞こえるんだけど――というものだ。


 壁の薄い場所を探すように上下に移動して音を聞き、見えるわけでもないのにヘルム内の目を凝らした。



「みっともない真似は止せ。ほんとうにガキみたいだぞ」

 


 今度は右の門兵の方が無反応を返した。

 扉と扉の間にはかなりの距離があるから、強引に止めさせようとしても無駄だ。

 左の門兵が、小さな声で「オイ――オイ!」と静止を促しても「へへ」と言ってばかりで止める気配はない。

 扉が今開けば、右の門兵はお咎めを受けるだろう。それに、廊下の向こう側から関係者でも来たらだ。


「止めとけって」


「ガキみたいだろ――って?」


 右の門兵はまた鼻で笑った。

 何を言っているんだお前は、とでも言いたげな表情で再び両開きの扉にヘルムを押し当てた。


「ガキにもなる。そりゃあそうだ。……だって――」


 右の門兵はヘルム内で、緩み切った口角でこういった。


「俺はあの人らに憧れて、王国兵に志願したんだから。だって、そうだろ? あの紫蘭の大隊メルポメネが動くんだ」


 どんな話をしているんだろう。

 あの紫蘭の大隊も跪いているのだろうか――どんな表情で――どんな声色で話をしているのか。

 男は、門に縋りつくようにしながら色んな妄想を頭の中で回し続けた。




     ◆◇◆




 門兵が扉の前で盗み聞きしている時、国王は玉座から立って話を進めていた。


 軍服のようにタイトな紺色服を着こみ、その襟には金色の模様が波打つように描かれている――それでも久しぶりに着たおかげか、国王の隆々とした胸板の存在感を隠しきれていない。


 その上から稲穂のような金銀色の飾り紐が右肩から左脇へと二本伸びているが――それも胸板によって立体的な曲線を描かされている。


 いつものゆったりとした服とは一風違った威圧感が感じられる。老衰してもなお現役なのではないかと夢想するような立ち姿は、戦争で指揮を執っていた頃の貫禄を損ねてはいない。

 


「――――では、その通りによろしく頼む」



「承知いたしました。国王陛下」 



 国王の前で、立ったまま言葉を返したのは――仮面を被った小柄な人物だった。


 その者が着ているのは軍服ではなく、魔導学院の上級生らが着ている学生服を軍事用に作り替えたような見た目の服だ。


 脛上まであるゆったりとしたサイズ感のある服は黒と紺色と緑色が混ざったような色合いで、デザインもあまり目立たぬように仕上げられていた。

 その服の下からすらりと伸びる双脚は真っ黒で足の細さを隠さずにそのまま外に出している。

 武器を握るには適していないその服装は、機能美など度外視している御伽噺の魔法使いのようで。


 そしてその者の一番目立つのは、目元を外へと干渉させていない――全体的に白く、流れるような紋章が刻まれている仮面だ。


 その仮面は、結婚式場で新婦が着けているヴェールのような雰囲気を見る者に感じさせる。といっても、透明度は決して高くなく、ましてや風に靡くこともない硬質なもので作られているのだが。


 その穢れのない雰囲気を増長させているのは――仮面の後ろには白銀色の髪だ。


 淀みなく伸びていて、白亜な空間に輝きを足している頭髪は腰当たりまで伸びた長髪であり、黒い服の上で一本一本が際立って見える髪質は誰もが羨む『上のエルフ』のようだった。

 


 

「――で、いつまでその固い声色を出してるの? 記憶があってたら……今は国王なんでしょう?」


 仮面の奥から綺麗な声が聞こえた。

 空間に木霊し、溶け、心の内側にすんなりと入ってくる。素直な、穢れを知らぬような声――だが、不思議と圧が感じられる。


「これ以上崩せと? これでも努力をして――しているのだがね」


「ボクもあまり敬語を使いたくないんだ。下手でね。どうもぎこちなくなってしまう」


「私も同じようなものさ。丁寧な言葉遣いでいたから、あまり崩すことが出来なくて」


「あーーでも、そんな感じでいい。それでいい。――で、次いでなんだけど。なぁに、その恰好」


 仮面の者に指摘され、国王は自分の服を確認するように撫でおろした。

 何か問題があるだろうか――と確認すると、白髭を蓄えた顔をゆっくりと少しだけ傾けた。


「あぁ、いや……国王らしくない服だと思って。だって、それ将官が着ける奴じゃないの? それかもしくは、肖像画とかの」


 仮面の者は目を凝らし、両手で簡易的な額縁を作り出して額縁内に国王を収めた。


「一応、礼装なのだよ。……お気に召さなかったかな?」


「いいや、かっこいいよ、とても。似合ってる」


「ならよかった。紫蘭の大隊メルポメネに失礼があったら、先代にきつく怒られてしまうのでね」


「はは。あの人は確かに怖かった。特に、若い時の国王――あ、いや、王子サマ? にはきつかったね。聞いてるこっちが申し訳なくなったほどだよ、アレは」


「はっはっは。そうだな、確かに、そうだ」と同調する国王は、全神経を使って気を遣っている様子に見えた。


 それを仮面の者に悟られず、場を穏便に済まそうとしている。

 まるで、触れたら体の隅々まで黒焦げになってしまう危険物を取り扱うようにその者と接していた。

 時には敬い、ご機嫌を取り、それがバレそうになったら態度を戻し、再びご機嫌を取って。


 幼い頃から培った「目上の者との接し方」をふんだんに用いり、この場が終わることを国王は望んでいた。

 


 この――王国に、とうの昔から存在する懐刀は、できれば触れたくはなかった。


 

 懐刀が錆びていたら、どれだけよかったか。

 何年前からいるか分からないのに、なぜ、その力は衰えていないのか。

 その仮面の下にある表情は、同じ紫蘭の大隊の一部の者しか知らない――と言われている。もちろん国王も知らない。

 王国のことを最も知っている人物であり、その者の素性はごく一部の人物しか知らない。


 そんな者を使わざるを得ない状況になったのは、国王も予想外だった。


 

「では、私はこれで。――申し訳ない。面倒ごとを押し付けてしまって」


「いや、いいよ。久々の仕事だ。天井のシミを数えるのも飽きてしまっていたんだ。何しろ、この王城は綺麗でね。全部を把握しようとしても次の日にはなくなっているんだから。良い掃除係だよ、給金を上げてやるといい」


 真っ白な天井を見上げ、口元を緩ませた。

 

「じゃあ、行こうか。――話は聞いてたね?」


「は?」


 国王は自分のことかと思って聞き返したが、次の瞬間には仮面の者の両隣には同じ程の体躯の――異なる仮面の者が佇んでいた。

 どこから現れたのか。

 魔法か――武術ではあるまい――もしや最初からいたのだろうか――垂れ幕をかける小さなの上、二階からか。

 考えれど、国王には分かるわけもない。



「じゃあ、行こうか。――久しぶりだ――腕は訛ってはないだろうね――ならよしだ。久々の外の空気だ――しっかりと堪能しようじゃないか」



 仮面の者たちは踵を返して、真っ赤な絨毯の上を歩いていった。

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