5章 殺人鬼③

見ず知らずの女から突然飛び出した【さえきなつこ】の言葉に口裂け女は動揺を覚えた。なぜだろう、自分にはその名前に心当りがなく、自らが動揺する理由さえ思いつかない。

「そんなことより・・・あたし、あなた口をあたしと同じように大きく広げてみたくなっちゃった」

目の前の女に自らの動揺を悟られたくない、口裂け女は新たな行動に出始めた。

「ええっ!」

「戸惑うのも無理ないわ、あたしも切り裂かれる時はとても不安で恐怖を覚えたわ。だけどねぇ、これは痛みや苦しみ,身を犠牲にしてでも手に入れるだけの価値がある代物よ。あなたはこの前少女が通り魔に襲われ、頬が切り裂かれたって事件を知っているかしら」

【さえきなつこ】の言葉が引き金になったようで、少しずつではあるが少女の記憶と共有を始めた。

「・・・『それって佐伯さんの事件では』」

事件自体はニュース等で報道されているため知らない人の方が少ないはず。しかし頬に関しては家族や捜査関係者,一部の病院職員しか知らないはずで現在の所外部に漏れ出た形跡もなかった。

「事件には続きがあって後日、少女の前に再び通り魔が現れたの。通り魔ったら閉じられた口を再び広げるだけでは飽き足らなかったみたいで、今度は少女の身体に手を伸ばすと全身を口元に相応しい姿へと変えさったらしいわ。その後新たな姿に魅了されていった少女は名前や身分,優しかった心までも捨て去り、今では通り魔の命令に従うただの操り人形へと成り下がったとのこと。おそらくだけど今日のようにいいお天気の夜だと河川敷辺りで手頃な獲物を探して彷徨っているんじゃないかしら」

後日談を知っている人物となると事件の犯人,もしくは被害者の少女しか考えづらく、更には話す内容まで考慮するなら人影の正体は少女本人以外に当てはまらなかった。

「やはりあなたって佐伯奈津子さんだったのね。それにしても・・・なんて姿をしているの。ご両親やお姉さんが今のあなたを見たらとても悲しまれるわ『口裂け女を具現化したらそのまんまな感じね、醜い姿だわ』」

少女は大人びた風貌に殺気立った雰囲気を醸し出して病室で見た時の面影がまるでなかった。もしかすると普段は本性を隠し、これこそが本来の彼女なのではないかと思えるほどに恐怖を感じる姿であった。

「あはははははは、何を言い出すかと思えば・・・いいこと、もはや人ですらなくなったこのあたしに両親や姉なんていないの。それにどう思われようと構わないわ、あたしはあたし自身がやりたいことをあたし自身のやりたいようにやっていくんだから」

そう言うと何を思ったのか刃鎌に付着した血を自らの指につけ、その指を綾夜の左の頬につけた。指はゆっくりと口唇に向かって塗り進み、口角から上唇を通過して反対の口角へそして右の頬まで塗り進んだ。下唇も同様に塗り進められて、左の頬まで一周すると綾夜の顔にも大きな口が姿を表した。

「なかなか似合うじゃない、あたしには到底及ばないけど。それじゃー、無駄話にも飽きてきたからそろそろ始めましょうか」

「佐伯さん、酷いことは止めて一緒に病院まで帰りましょう。今ならまだやり直せるわ」

「余計なお世話よ。こんな姿になってはもうやり直せない、それにやり直す気なんてサラサラないわ」

「いや~、誰か助けて~、殺される!!!」

現実に引き戻された綾夜は力の限り大声を上げて助けを求めた。

「・・・!!!『アレ、以前・・・ドコかで・・・同じような光景を!!!』そうよ、思い出したわ。あたしは佐伯・奈・津・子」

綾夜の叫び声は口裂け女の心の奥底に封印されていた佐伯奈津子としての記憶を呼び覚ませた。

「・・・『嘘でしょう。私、なんで他人を傷つけるこんな酷いことをやっているの。これじゃあの女がやってきたことと何ら変わらないじゃない』」

この苦しみを最も分かってはずの自分が今度は他人に同じことを繰り返している。自分と言う存在が恐ろしく思えてきた少女は頭を抱え込んで苦悩し始めた。


口裂け女は急に視点の定まらない虚ろな表情を浮かべ、動きが止まったかと思うと突然薬の効果が切れた薬物中毒者のように苦しみだした。そして暫くすると今度は何かに怯えるかのように周囲を見回し始め、手にしていた刃物が視界に入ると全身を震えださせた。刃物をじっと見続けた口裂け女は立ち上がると刃物を放り投げてその場から走り去っていった。危険と緊張から開放され、ホッとした綾夜は多量の出血が要因となって倒れ込むとそのまま意識を失ってしまった。

「コツ・・・コツ・・・コツ・・・コツ・・・」

草むらに潜み一部始終を眺めていた別の人影が姿を表した。人影は放置された刃鎌を手にすると綾夜の側まで近づき刃鎌を高々と振り上げた。

「うーん、止~めた。この娘には生き証人としての利用価値がありそうだから生かしといてあげるわ。その代わりに覚えておきなさい、あの女はあなたの想像通りに佐伯奈津子が生まれ変わった成れの果てだから」

「・・・」

綾夜は何も答えない・・・と言うより何も答えられなかった。人影は地面に転がっていた綾夜のカバンから何かを抜き取ると足早にその場を後にするのであった。

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