5章 殺人鬼①

「カツン・・・・・カツン・・・・・カツン・・・・・カツン・・・・・」

非常階段は非常灯だけが辺りを照らす薄暗い闇に覆われ、澄み切った空気の中をハイヒールの踵を踏み鳴らす足音だけが響きわたっていた。

「・・・『ああん、もう!なんて歩きづらい靴なのかしら・・・だけどあたしに掛かればこんなハイヒールごとき直ぐにでも履きこなしてみせるんだから』」

女は背筋が前のめり,膝を屈曲させた,おぼつかない足取りになりながらもなんとか1階までたどり着いた。扉から覗き込むようにして周囲を確認すると非常扉から通用口付近に掛けて人の姿や通る気配がなかった。

「・・・『誰もいないみたいね、良かったわ』」

ホッと一安心した女はお散歩へと出かけて行くのであった。


女が社宅で床に就いていると携帯電話が鳴りだした、それは勤め先から呼び出しを伝える電話であった。彼女の名前は東綾夜、市内で1番のベッド数を誇る総合病院に勤める看護師である。綾夜は手術室を担当しているために昼夜問わず呼び出しを受けることが多く、数日前も帰宅後すぐに顔面に大怪我を負った少女の緊急手術に呼び出されたばかりあった。気の休まらない日々を過ごしている綾夜であるが『これが私の選んだ仕事』と気持ちを切り替えると素早く身支度を済ませた。社宅から病院までは徒歩で約20分の距離、日頃から自転車で通勤している綾夜は駐輪スペースへと向かった。駐輪スペースに着いて驚いた、停めておいた自転車が姿を消しているのであった。今は周辺の捜索や盗難届を出している時間がなく、『後のことは帰ってから』と割り切った綾夜は徒歩で向かうことにした。


民家の大半は灯りが消え、多くの人は床に就いている。例え起きている人が居たとしても吐く息が白く変わるほどに冷え込んだ空気が外出を妨げ、道路には自転車や歩行者の姿は見られなかった。そんな状況下で女が1人歩み続けていると視界が一気に開けて河川敷へと辿り着いた。河川敷から続く歩道には夜間でも歩行者が支障をきたさないために街頭が点在していて、その周囲に落葉広葉樹が植えられている。この歩道にはジョギングや散歩コースとしての利用者が多く、夜でも他の歩行者とすれ違うことも多いのだが流石にこんな時間に通っている人は居なかった。暗闇が広がる河川敷に歩道だけが煌々と照らし出されているシチュエーションは女の目にファッションショーのステージが永遠に続いているかのように見え、秋風に揺れる広葉樹は自らの美しさに歓声を送る観客のように思えてきた。そのステージへと上がった女には自らがファッションモデルとして観客の注目を浴びているような高揚感に包まれ、歩み出すと「コツン、コツン」と響き渡る足音に心地良さを感じ始めた。また歩んでいるうちに歩く姿までもが様になりだし、気分は完全にスーパーモデルの境地にまで達してきた。

「・・・『皆、あたしをもっと、もーっと見てちょうだい。そしてあたしの美しさに平伏し、賞賛の声を上げなさい』」

暫く進んでいると前方からこちらに向かって歩み進む人の姿が見えてきた。2人の距離は見る見るうちに縮まり、その人物が女性であると分かるにつれて女にはいいようのない不安感を覚えるのであった。自分には人の影に対してトラウマがあるのではと感じ、更に距離が縮まると不安感は恐怖心へと変わり始めた。怖くなった女が内ポケットに忍ばせていた刃鎌を強く握りしめると心にフツフツと好奇心が沸き上がりだして、なぜか不安感や恐怖心は瞬く間に消え失せてしまった。

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