第8話 大接近(物理)

【海賀side】



 俺はとてつもなく気を落としていた……。


 昨日はあんなに良い雰囲気で話していたのに、寝て起きただけでまた避けられるとは、これいかに。

 俺は死んだ魚の目が発酵はっこうしたような目で、フラフラとバス停に向かう。


 何がいけなかったんだ。

 朝、カーテンを開けて視線が合った瞬間から避けられてたんだが……俺にどうしろと?

 暮葉の夢の中で俺が大失態をおかしたとか、そんな理由しか思い付かないが。もしそうだとしても不可抗力だ。


 悶々もんもんとしたまま登校していると、気づいたら教室に到着していた。


「おは、やで。海賀はん」

「その呼び方は関西弁じゃなくて京都弁だぞ」

「どちらにしろ関西やから、ええやん。てか、海賀テンション低くない? ウォウウォウ?」

「帰ろうかな……刀矢うざいし」

「あー、すまんすまん! なんか罪悪感が芽生めばえるからその捨てぜりふは止めてくれや!」


 肩に腕を回されて、引き留められる。暑苦しいな。

 いつもなら許せるが、今日はこのノリがちょいキツい。


「でも、どうしたんや海賀。何かあったんか?」

「実はかくかくしかじかでさ……」

「はっはっは! いつも通りやないか!」

「次に笑ったらマジでぶっ飛ばす」

「そうカッカすんなや」


 俺の気持ちが充分に伝わっていないと見た。

 本当にぶっ飛ばすつもりはないが、今のところ100回以上はぶっ飛ばすシュミレーションを脳内で行っている。

 無意識で行動に移さないように、気を付けなければ。


「別にあおってるわけじゃないんやで。ただ僕は、もっと楽観的にとらえて欲しいんや」

「……どういうことだ?」

「せやから、『あともう一押し』ってゆーとんねん。クヨクヨしてる暇があればどんどんアタックした方がええと思うんよ」

「根拠は」

「僕のモテテクに……根拠なんてものは必要ない(ドヤ顔)」

「お前、凄いな」


 もちろん凄いというのは、褒めているわけではない。呆れているのだ。

 しかしこのポジティブ男は髪をかきあげて「どうも☆」と返してきた。

 ……ほんとに凄いな、こいつ。


 やっぱり刀矢の言うことなど真に受けてはいけない。

 ──いつもならそう思ったはずなのだが。


 精神的に疲れていたとはいえ、どうやら俺も血迷ってしまったらしい。

 たまにはパリピの妄言もうげんを信じてみようと思ってしまったのだ。


 ちょうどそのタイミングで、暮葉が教室へと入ってきた。

 俺は意を決して彼女の元に向かい、声を掛けた。


「おはよう、暮葉」

「おおおおおおおおおお、おはよう……っ!」


 「お」の数がバグってる気がしたが、気のせいだ。ポジティブにいこう。


「昨日はよく眠れた?」

「う、う~ん。ちょっとだけ怖い夢を見ちゃった、かな?」


 暮葉は伏目ふせめがちにそう言った。

 怖い夢を見て、起きてからもまだ不安なのだろうか。


「そっか……それは辛かったな」


 そっと暮葉を抱きしめ、頭を撫でてやる。

 つややかな黒髪からは、女の子特有の甘い香りが漂ってくる。

 きっと、シャンプーの香りだ。ほのかな柑橘系の匂いもする。


「んっ……? んんん????」


 クラスがシンと静まる中、暮葉から疑問符ぎもんふがどんどんとあふれ出てきて。

 ──そして。


「にゅううううううううううううううううっっっっっ──────!?」

『きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!』


 腕の中と、俺の周りから、同時に叫び声が聞こえてきた。

 周囲から発せられたそれは、黄色い歓声。

 しかし、暮葉のは……悲鳴?

 ……いやいや、そんなことはない。ポジティブ、ポジティブ。


「どうした? 呼吸が荒いみたいだけど」

「にゅ、にゅう……」


 暮葉は息も絶え絶えという感じだ。

 これは……あれだな。俺のイケメン具合にドキドキしすぎたってことだな。

 そうに違いない。

 そうに違いないんだよッッッッ!!

 ──なんとか自分に言い聞かせていると、今度は暮葉の方から口を開いた。


「なんか……久しぶり、だね。こうやってぎゅーするの」

「!?!?」

「いや、あの、かい君は覚えてないかもだけど、昔もこうやってぎゅーしたことあったなぁって……えへへ」


 暮葉はほほを赤らめ、にへらと笑って見せて。

 その表情には1億の破壊力が宿っていた。

 いや、なんか、この場合の1億がどれくらい強いのかは分からないが、とにかく物凄ものすごく俺がドキッとしたということだけは確かだ。

 心臓が早鐘はやがねを打ち、血管がどくどくと震えている。

 ……これ、抱きしめてたら暮葉に伝わっちゃうんじゃないか?

 早めに気付いて良かった。俺の心を悟られる前に、さりげなく離れ──


「だめっ……今度は私がぎゅってする番だから、ね?」


 そう耳元でささやかれて、俺の体は暮葉の細い腕にとらわれる。


 ──ここで俺の脳はショートして、その後の記憶は覚えていない。

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