ハチコイ 第二話『後編』

三毛猫マヤ

『後編』

 カーテンの隙間から差し込む微かな光と小鳥の鳴く声に目を覚ました。

 横を向くと枕のすぐ脇にあるスマホが視界に映り、布団から手のひらを出してつかむと顔の前に引き寄せた。

 指先で画面ロックを解除すると、昨日彼女とやり取りをしたメールの画面が表示される。

『明日のデート、楽しみにしてるね』

 と私が送信して、

「うん、私も楽しみ」

 と返信があり、

『大好きだよ♪』

 と送り返し……彼女から来た、返信の画面だった。

「ありがと、私も大好きだよ❤️」

 ハート…だった。

 綾音から、初めて貰ったはーと。

 はぁと、ハァト♪

 赤いハートは心臓のようで、見ているだけで、今にも動き出しそうだった。

 いや、実際に動いていた。

 画面の焦点が合わないと思っていたら、自分の指先がふるふると震えていた。

「……も、もう、もう~、も~うっ!!」

 指先から首筋にかけて電流が走るように得も言われぬ感情が駆け抜ける。

 う~、う~、うぅ~~~~っ!!

 いても立ってもいられなくなって、布団から起き上がり、目をぎゅっとつぶって布団をぼふぼふと叩いた。

 やがて額と脇の下から汗が浮き上がって来て、目尻からはわずかに涙がこぼれてくる。

 更には二の腕が痛み始めて来たけど、なかなか気持ちは収まってくれなかった。


 洗顔をした時お兄ちゃんに、朝食の手伝いをした時お母さんに、朝食を食べている時お父さんに。

「今日はなんか良いことでもあるのか?」

「今日はなんだかご機嫌ね」

「友達と遊ぶのかい? 楽しんで来なさい」

 なにも伝えていないのに、そんな事を言われた。

 そんなに私って、分かりやすいの…かな。


 自室に戻ると、昨日悩んだ末に決めた衣類に身を包み姿見の前でくるりと回った。

 うん、うん。自分でいうのもなんだけど、今日の私は、普段より、女子力とかいうのが、高めな気がする。

 よく意味は分からないから、多分、だけど。

 もちろん、いつも登校する時だって、彼女と再開してからは、それなりに気合いは入れているつもりだ。

 でも、通学中なので、服装は制服に限られ、更に校則による様々な注意事項に該当しないようになる為、限定的なものになっていた。

 私はブラウスのえりまみ鼻を寄せる。

 服につけた香水の香りがふわ、と鼻をかすめる。

 制汗スプレーとかは普段から利用しているけれど、香水を使うのは初めてだった。

 スマホでいくつかのサイトをチェックしてみるも、どのサイトもオススメがバラけていて、調べれば調べる程、迷うばかりだった。

 結果、直接店に行って優しそうな女性店員を探し、女友達と出掛けるのにどんな香水をしたら良いのかと訊ねた。

 店員は親切丁寧に、終始笑顔で接客をしてくれた。

 ただ、今思うとさりげなく、本当に女友達なのかどうか、彼氏とのデートなのでは? と探りを入れられていた気もするけれど…ま、それは置いておこう。

 主張が強くなく、それでいて好みが別れにくい、無難な物を選んで貰ったとはいえ、実際に彼女とデートをしてみるまでは不安が付きまとう。

 鏡の前で両手をにぎり込み、大丈夫、大丈夫、と口の中でつぶやいた。

 それでも両の拳と声音はやっぱりふるふると震えていた。

 全然大丈夫じゃなかった、カラ元気だった。


 靴をき行ってきますと告げる。

 ドアに手をかけたところで呼び止められて振り向いた。

「お兄ちゃん…」

「よ、楽しんで来いよ」

「うん……」

 応えながら、僅かに目線が下を向く。

 お兄ちゃんはそんな些細ささいな態度も見逃さずに訊ねてくる。

「なんだ、さっきまでの元気はどーした?」

「…その、ちょっと心配な事があって…」

 香水の香りがやはり引っかかっていた。

 お兄ちゃんは腕を組み、黙って私の頭から爪先までをじっと見詰めると一つ頷き言った。

「うん、自信持って行けよ。今日のお前はいつもより五割増しで可愛いぞ」

「そ、それは…わ、分からない…けど。あ、ありがとお兄ちゃん」

「大丈夫だ」

「え?」

 その言葉は、ついさっき自室の姿見の前で鼓舞こぶする為に呟いた言葉だった。

 偶然、だろうか…。

「…………」

 確かめておくべきか、止めておくべきか。

 悩んでいると、私の視線に気付いたお兄ちゃんが、襟足えりあしさすりながら白状した。

「いやな、お前の部屋の前を通過しようとした時に、ドアからぶつぶつと念仏みたいに呟く声が聞こえたからさぁ…なんだろうとしばらくその場に居たら……今の言葉が聞こえて来た訳よ」

「え、ええ、うえええ…き、聞こえ…てたの?」

「ああ、段々声が大きくなって来て、最後はバッチリな」

 お兄ちゃんが親指を立て、こちらに向ける。

 頭を抱える。そのままうずくまりたかった。

 お兄ちゃんがうはははっと笑って言った。

「お前が自分に自信が持てないなら、俺が何度でも言ってやる。大丈夫だ、楽しんで行って来いよ」

「う、うん…あり…がと……おにぃ…ちゃん……」

 最後の方はゴニョゴニョと呪文みたいになっていた。


 駅のホームに到着すると電車に乗り込む。

 車内はがらんとしていたが、座席に座ることなく窓外の景色を眺める。

 沿線上に建ち並ぶ家々はすぐに田んぼや空き地等の景色にとって変わる。

 田んぼでは、稲が青々として、等間隔にピンと小さな体を伸ばしていた。

 特色のない、緑や田畑の間に建て売り住宅が複数並ぶ。買い物をする場所は必然的に限定されていて、図書館の本は少なくて、リクエストをしないと読めない本が沢山ある。

 私の好きな美術館は一館もない。

 退屈なつまらない町だと思っていた。

 でも、私と綾音はこの町で育ち、出会い、そして私の彼女になった。

 彼女となってからの日々は、私の退屈な日常に彩りを与えてくれる。

 この巡り合わせを生み出してくれたこの町に、今は感謝の気持ちが一杯だった。

「…ありがと……なんて、ね」

 内緒に一人呟いて、ちょっと照れた。


 改札を抜けて数歩進んだところで声をかけられる。

 振り向かなくとも分かる。

 三日ぶりに直接聞く彼女の声音が嬉しくて、自然に笑みが生まれていた。

「綾音、おはよう」

 先程までの抱えていた不安や緊張は一瞬で溶けて消え、胸が弾むのが分かる。

 そこに私の大好きな彼女が居る。

 それだけでもう気持ちは一杯だった。



          *


 階段を登りきると、ちょうど彼女が改札を抜けたところだった。

 声を掛けようとして、その姿に目を奪われた。

 白いブラウスに涼しげな水色のフレアースカート。

 初めて見る、蓮花の私服……清楚なお嬢さんという蓮花のイメージにぴったりだった。

 か、可愛い…。

 そんな呟きが漏れそうになり、誤魔化すように慌てて声をかけた。

「蓮花、お、おはよう」

 蓮花が笑みを浮かべてこちらへ歩いてくる。

 歩く度に、柔らかなスカートがヒラヒラと揺れ、白く長い足にドキドキした。

 普段の蓮花の制服姿は校則が厳しい為か、膝下までスカートで隠れている。

 膝上まで露になった姿は私には新鮮でかつ刺激が強かった。

「おはよ、綾音。その、大丈夫?」 

「え?」

「なんか、ぼうっとしてるみたいだから…」

「いや、そんなこと…」

「頬が少し赤いけど、本当に大丈夫?」

 蓮花が手を伸ばし、私の頬に触れてくる。

 ひやりとした手のひらに包まれ、つい反射的にのけ反ってしまった。

「あ、ごめん。嫌…だった?」

 彼女が気遣わしげな視線を向けてくる。

「ああ、いや、そうじゃ…なくて…」

 なにか言わないと、肯定したことになってしまうのにうまく言葉が見つからない。

「…………」

「…………」

 微妙に空気が重くなってくる。


 しっかりしろ、私。

 蓮花にちゃんと自分の事を知って貰うと決めたんだ。

 なら、恥ずかしがっている場合じゃない。

 深く息を吐き、目をぎゅっとつぶって、覚悟を決めた。

「蓮花、ごめん。その、蓮花の私服姿が、か、か、可愛い…くて…ちょ、ちょっと、緊張……してる…」

 …って、な、なにを言ってるんだ、私は。

 もっとスマートな言い回しがあるだろう。

 ストレートにも程があった。

 そろりと、蓮花の様子をうかがう。

 蓮花は頬をピンク色に染めて、口をパクパクとさせてから、俯きながら口を開いた。

「…あ、あう……そ、その…あ、あり…がと…。……あ、綾音に、可愛いって、言われたくて…が、頑張って、服装とか、選んできたから…す、すごく……う、嬉しい」

 真正面から私の言葉を受け止めて、赤面し、つっかえつっかえしながらも、なんとか応えてくれた。

 そっか。そう、だよね。

 蓮花は、いつだって、好きなことに全力なんだから…。

「その、ありがとう」

「あ、綾音?」

 綾音が不思議そうに見詰める。

「私の為に、頑張って可愛い姿を見せてくれて。その気持ちが嬉しかったから、もう一度、お礼を言いました」

 へへへ、と照れ笑いを浮かべながら告げた。

 ありがとうと返す蓮花の瞳に、微かな雫の光を視た気がした。


 好きなことに一生懸命な蓮花の隣に居られて嬉しい。

 その一生懸命を私の為に向けてくれる蓮花がいとおしく感じて……。



 また少し、蓮花が好きになった。



 階段を下りるとロータリーにはショッピングモール行きのバスが既にスタンバイしていた。

 車内の座席は他の利用客で埋まっていて、私たちはつり革をつかんだ。

 それとなく客を見ると、中学生や高校生のグループやカップルがほとんどで、おばさんやおじさん、老夫婦などは少なく、大人はほとんど居なかった。

 駐車場がたくさん確保されているためか、家族連れ等は見当たらなかった。

 学生の中に、女子の二人組を発見し、あの二人は友達かな、カップルかなと想像する。

 蓮花と付き合わなければ、思いもしなかった事だ。

 私は男子生徒の中にも、いいなと思う人が居るけど、蓮花以外の女子に気になる子は居ない。

 蓮花は、どうなのだろう。

 もし、聞いてみて、私には綾音しか居ないよ、と言われたら……その、嬉しいけれど、少し蓮花の将来が心配になりそうだった。

「ねぇ、綾音」

「ん、なに?」

「これから行くモールには、普段誰と出掛ける?」

「…家族も多いけど、友達かなぁ」

 本庄と深谷のことを思い出す。

 ただ、大抵は二人のやり取りを眺め、同調したり突っ込みを入れるような聞き役に徹している気がする。

 私が二人と知り合ったのは高校からで、二人は産まれた病院まで一緒で、近所ということもあり、家族ぐるみの付き合いだと聞いた。

「腐れ縁ってやつだよ」

 そういってうんざりする本庄の頬は、心なしか少し弛んでいるように感じた。

「蓮花は?」

「私も学校の友達が多いかな。美波みなみちゃんとしおりちゃんて言って、美波ちゃんは運動が得意でいつも明るくて、栞ちゃんは小説とか児童文学とかの物語を読むのが大好きなんだ」

 嬉々として話す蓮花の横顔を見詰めながら、蓮花が学校生活を楽しめているようで少しホッとした。


 ショッピングモールにバスが到着すると、他の利用客に次いで降りてゆく。

 蓮花に先をゆずり、Suica《スイカ》でタッチして階段を降りていると、不意に後ろから来た客が割り込むように押してきて、階段でバランスを崩してしまう。

「うわっ」

「綾音っ!」

 咄嗟とっさに蓮花が駆け寄り、私を抱き止める形になる。



 蓮花の襟元えりもとと髪が視界に映る。

 服を通して、蓮花の温もりが伝わってくる。

 付き合い始めてから変わったシャンプーの微かな匂い、そして、甘い柔らかな花を想わせる香水の香りが鼻孔びこうを抜けてゆく。

 時間が、一瞬止まったような気がした。

 このまま、蓮花と、ずっと……。



「大丈夫?」

 蓮花が私の肩をつかんで、体を引き離した。

 私は未だ、ぼうっとした意識の中でコクンと頷く。

 頷きながら、失われつつある先程までの温もりをしんでいた……。


 にぎやかなBGMや館内放送に行き交う人々、シュークリームやたい焼き、果実のスムージー等の店頭に並ぶ行列。

 そんなお馴染みの光景が私を現実に引き戻していった。

「よし、まずは蓮花の行きたがっていた限定のショップに行こう」

「うん、行きたい行きたい!」

 先に立ち、嬉しそうに歩き始めた蓮花の手に、そっと触れる。

 蓮花の指先が微弱な電流を流されたようにぴくんと反応する。

 抵抗はなく、私に背を向けたままの彼女の形の良い耳が朱色に染まり始めていた。

「ねぇ、いい…かな?」

 こくんと、彼女が頷いた。


 彼女のひやりとした指先から、お互いの体温が交わり、熱を帯び始めていた……。


 エレベーターで三階に上がると、すぐに限定ショップを見付ける。

 今回はミッフィーの限定ショップということもあり、ほとんどは女性客だった。

 ミッフィーは現地オランダではナインチェと呼ばれ、信号機の形までミッフィーのシルエットにしているところがあるという。

 有名なキャラクターだけあって、ぬいぐるみやハンドタオル、エコバッグ等の一般的な物以外にも、他のキャラクターとコラボしていたり、工芸品のだるま型をした物まである。

 この空間は一種のミッフィーワールドと化していた。

「あ、ゾウのコインケースだ。ライオンのライトスタンド可愛い、キリンのぬいぐるみ三種類部屋に並べてみたい」

 大好きな空間に包まれて子供みたいにはしゃぐ彼女を見詰め、胸に暖かなものが生まれてゆくのを感じた。



          *


 限定ショップで買い物を終えると、昼食を食べる為にレストランエリアを歩く。

 一周りしてから、ランチを頼むと色々なパンの食べ放題がついてくる洋食レストランを選んだ。

 お昼時ということもあり、私たちは店の入り口にあるイスに座って順番が来るのを待つことになった。

 綾音は椅子いすに座ると、一つ息を吐き、ぼんやりと正面を見据えていた。

 彼女の初めて見る私服姿を横目で眺める。

 ペールピンクのTシャツに薄手のグレーパーカーを羽織り、膝丈ひざたけの青地のデニムスカートからはほっそりとした健康的な足が伸びている。

 黒のスニーカーからは縁がオレンジのアンクルソックスがちらりと覗いていた。

 髪はいつも通りのポニーテールで、今日は青のシュシュをしていた。

 私の私服とは全然違う、シンプルで動きやすそうな服で、綾音のイメージにすごく合っていた。

 ボーイッシュでラフな格好に控えめなトーンで抑えた服装をしているけど、ふとした時に見せる仕草や柔らかな雰囲気は、やっぱりちゃんと女の子していて、そのギャップに私は時折ドキりとしていた。

「…? 蓮花?」

 綾音が私の視線に気付き、小首を傾げる。

「綾音の服、似合ってるなって、思って」

「うん、ありがと」

 むぅ…私はすごく恥ずかしかったのに、なんか普通な反応で悔しいなぁ。

 なにか綾音を恥ずかしがらせる事、できないかな。

 そんないじわるな考えが浮かんだ。

 正面を見詰めると、向かい側のレストランも混んでいるのか、大学生くらいのカップルが並んで座っていた。

 その光景にピンと来て、私は綾音との昼食の楽しみを一つ多く見付けたのだった。


 指定された座席は、片方が外の景色に向いていて、もう一方は店内側に向いていた。

 綾音が窓を背にした席に座ろうとする。  

 外の景色が見える席を譲ろうとしていた。

 そんなさりげない優しさにちょっと感動する。

 私は昔から、好きなものに夢中になると、それだけに意識が集中していしまい、他がおろそかになる事がよくあった。

 さっきだって、限定ショップに行くことに頭がいっぱいで、綾音のことを放って先に行こうとしていた。

 綾音ともっと仲良くなりたいのに、綾音と居られるだけで満足してしまって、具体的な方法が全然考えられない。

 そう思うと少しへこみそうそうになる…けど、今はそれどころじゃない。


 綾音の手首を掴んで向かい側の席に移動するのを止めさせる。

 驚いて綾音が振り返った。

「ねぇ綾音、こっちに座って」

 私は外の景色が見える席をすすめる。

「え、でも…」

「いいからいいから」

 私は綾音に座るように席を手のひらで促すと僅かな逡巡しゅんじゅんの後、ありがとうと言って席に座った。

 そして私もその隣に座る。

 うん、計画通り♪

「え? 蓮花、なんで隣?」

「一緒に、同じ景色を見たいなって、思いまして」

「でも、二人なのに隣同士って、変じゃない? 誰かと待ち合わせしてる訳でもないのに」

「綾音の近くに居られるなら、変でもいいよ」

 ふふ…と、綾音に笑いかける。

 綾音は目を丸くして、それから俯いてぼそぼそ呟いた。

「ま、まあ、れ、蓮花がいいなら、私も別に……構わない…けど」

 水を運びに来た同年代くらいの店員が少し驚いた様子で去って行った。

 周囲のお客さんは、自分達の女子会やママ友会等に忙しいらしく、誰も気にしていないようだった。

 綾音はふっと、息を吐くと気を取り直したように、メニュー表を取り、一緒に眺める。

 綾音はカルボナーラを注文し、私はオムライスを注文した。

 綾音の耳元に手をえてささやく。

「ねぇ、なんで隣同士にしたか、本当の理由知りたい?」

 綾音がきょとんとして見詰めてくる。

 その油断した顔は、年齢よりも幼く見えた。

「え? さっき同じ景色を見たいって……」

「もちろんそれもあるけど。本当の理由、それはね……」

 私はテーブルの下にある綾音の人差し指を右手で包み込んだ。

 綾音の指がぴくんと小さく跳ねる。

「あ……」

 綾音が私の意図を察して、頬をきれいな桜色に染める。

 そしてすぐにふいっとそっぽを向いてしまう。

 うーん、もっと見たかったなぁ。

 触れた指先に抵抗はない。

 私は目を閉じて、彼女の指先に意識を集中すると、微かに脈動しているような感覚を覚えた。

 私はそのまま親指と人差し指で、彼女の第二関節から指先にかけてゆっくり、ゆっくりとさするように動かす。

 綾音が窮屈きゅうくつそうに身動みじろぎして抗議こうぎしてくる。

「ちょ…れ、蓮花……その、手、手汗……出てくるから……そろそろ……」

「本当? じゃあ、出るまで待とう、ホトトギス」

 綾音が一瞬固まり、なにそれ? と苦笑して一言。

「蓮花って、情緒じょうちょないね」

「えぇっ! 綾音、そ、それはちょっと、失礼じゃない…かな?」

「いや、多分みんなそう思うんじゃないかな」

 みんなって誰? と聞いても綾音はみんなはみんなだよ、としか言わなかった。

 だから誰なのさ。



           *


 食事を終えるとモール内を二人で散策した。

 花屋にあるハオルチアという多肉植物を指先で確かめながら綾音が唸っていたので訊ねたら、母親の実家の猫の肉球と比較していた。

 変なの。


 雑貨屋で蓮花が大きなゾウのぬいぐるみを買おうか悩んで腕に抱いたままウロウロしていた。

 写メを撮ったら、頬を赤らめながら注意してきたので、その顔も併せて写メっておいた。

 プライスレス♪


 ペットショップで綾音と柴犬が五分位見詰めあった後、貯金をおろしてくると言い出したので、慌てて止めた。


 本屋で蓮花からおすすめ漫画の魅力を全力で教えてもらった。

 ので、購入することはないだろう。

 ※ネタバレし過ぎだよ蓮花さん。


 家電屋さんを通りかかった時、綾音に無線イヤホンは買わないのと聞いてみた。

 今のところ考えてないと言われた。

 そうなんだ、と嬉しそうに応える私に、綾音が不思議そうになんで嬉しそうなの、と聞いてきた。

 だって今のイヤホンをしていれば、綾音の隣に寄り添うことができるでしょ、と思ったけど、そんなの言える訳がないじゃん。


 蓮花の隣に居る……

 綾音と一緒に居る……




 こんな時間がいつまでも続いたらいいなと、思った。



           *


 フードコートの椅子に座ると、テーブルの上に両手を突き出して伸びをするように座った。

 その様子を見て蓮花がくすくすと笑う。

「あはは、お疲れさま~」

「モールでこんなに遊び倒したの初めてだよ」

「私も。い、一緒…だね」

 蓮花は、一緒という言葉を時々使う。

 好きな言葉なのかも知れない。

 私は先程購入したレモンソーダを一口だけすすった。

 爽やかなレモンの風味と、強めの炭酸が舌の上で弾けて少し疲れが軽くなった気がした。

 蓮花は桃のスムージーを小さな口で飲んで、あまーと嬉しそうに呟いていた。

 窓の外はそろそろ夕暮れの気配を宿し始めていた。

「その…綾音」

「ん?」

 私が顔を上げると、蓮花は肩掛け鞄を開け、紙の手提げ袋を取り出した。

 起き上がり、その袋を見詰め、なになに? と視線で問うと、蓮花は視線から逃れるようにふいっと横を向き、毛先を指先でいじりながら口を開いた。

「…その、き、今日一日、一緒に遊んだ記念ていうか……あ、遊ぶのは今までにも何度かあったけどっ、し、私服でのデートとか、は、初めてだし…わ、私すごく嬉しくて…あ、プレゼントは、少し前に買ったんだけど……ほ、ほんとっ、勢いで買っちゃったから、き、気に入るかは分からないけど……で、でもなにか、形になる物が、お、送りたくて……そしたらこれが綺麗だったから…あ、綾音、喜ぶかなって……え、えーと、だから、なんか記念品的な? そ、そう記念碑けねんひな物だから、うん……うん? あれ? 記念碑?」

 なんか最後は完全に別物になっていた気がするけれど……しかし、プレゼントかぁ……て、あれ? もしかしてこれって。

「牛乳プリン」

「え? ああ、美味しいよね♪」

 違う。

「え、えーと、プレーンオムレツ」

「え? 食べたいの、オムレツ? さっきあーんしてあげたじゃん」

「い、いや、違うけど……ていうか、なにその説明っぽい口調?」

「そうだった?」

 蓮花が小首を傾げてしまう。

 て、意味がわからないのは私か。

 どうも脊髄せきずい反射的に頭に浮かんだ言葉を呟いている時点で、やっぱり疲れて思考がうまく働かないみたいだ。

 レモンソーダを一口飲み、まばたきをすると、口を開いた。

「この前に電話で言いかけてたのって、この事?」

「え? あ、ああー。う、うん。大体合ってる…かな」

「大体?」

「え…と、ほ、本当は…プレゼント交換したいって伝えるつもりだったんだけど……なんか今日の綾音の私服が想像以上に可愛くて、遊び始めたら夢中になって、忘れてた」

「ええ? そんな大事なことを……それに、私だけなんて悪いよ…」

「ううん、気にしないで。私、本当に、綾音のか、彼女になれたのがう、嬉しくて……そ、それだけでもう、充分、き、気持ちが一杯で…だから、受け取って! …その、気に入らないかも…だけど、ね?」

 蓮花がこちらを見たり、でもすぐに視線を泳がせたり、頬や耳をピンクに染め、耳は時折ぴくんと動いて、指先は忙しなく髪をすくように、くしくしとしている。

 なんとも落ち着きのない様子に、彼女の頭の中を見せ付けられているようで、もう、なんというか、そのわちゃわちゃしたすべてが、いとおしかった。

「蓮花、ありがとね。早速だけど、中を見てもいいかな?」

「う、うん……き、気に入るか、分からないけど…」

「大丈夫だよ」

 蓮花が私の為に用意してくれたんだもの。その気持ちだけで、充分だよ。

 蓮花が不思議そうにこちらを見詰め、一緒だと、小さく呟いていた。

「ん? なにが?」

「う、ううん。な、なんでもない…えへへ」

 蓮花が嬉しそうに笑っている。

 なんだろうと思いつつ、私は手元の手提げ袋から箱を取り出した。

 手に取ると、ずっしりと重い。

 石? 化石? 金属? 

 箱を開くと、中から透明な石のような物が出てくる。

 石の中には大小様々な花が色鮮やかに咲き乱れていた。

「きれい……」

「これはね、ペーパーウェイトって言って、紙とかを抑えるのに使うんだ。この花は花手水はなちょうずを参考にしているんだって」

「花手水?」

「うん、神社とかにある手を洗ったりする手水舎ちょうずやにある手水鉢に花を浮かべることを言うの。インスタグラムとかに色々画像があるよ、ほら」

 蓮花がこちらにスマホの画面を見せてくる。

「うわ…すご……」

 中には手水鉢以外にも、池や花瓶、鉢植え等、水の上に花を浮かべることが広義な意味で花手水と言うみたいだった。

 石は手のひらで触れてみると磨かれたレンズのようにつるりとしていて、手のひらにしっくりと馴染んだ。

「蓮花、ありがとう。大事にするね」

「良かったあ」

 蓮花がホッとして胸を撫で下ろした。

 タイミングとしては、今だろう。

「ねぇ蓮花、目を瞑ってくれない?」

「え? う、うん」

 蓮花が目を瞑る。

 私はカバンの中からある物を出して、蓮花の右手を取る。

「あ、綾音?」

 蓮花が少し戸惑った声を出す。

 構わず蓮花の手のひらをテーブルの上に乗せ、彼女の手首にある物を通した。

「目、開けていいよ」

 蓮花がそろ、と目を開き、自分の左手を見た。

「…え? これ……」

 蓮花の手首には桜色のシュシュがあった。

「実は…私もプレゼントを用意してたんだ。この前母親の実家に帰った時に買ったんだ。その色、実は今私がしてるのと、色違いなんだ」

 そう言って、自分の髪に結んである青いシュシュを指差して、ポニーテールの毛先を摘まむ。

「その…お、お揃い…とか、どうかな……って、思って」

 蓮花の視線に耐えられず、顔を背ける。

 しばしの沈黙の後、彼女から綾音と呼ばれた。

 蓮花が私から貰ったシュシュでポニーテールにしていた。

 頬をシュシュと同じ桜に染め、僅かに俯きながら、ぼそぼそと話す。

「ど、どう……かな」

「…………」

「あ、綾音? お、おーい」

「…いい」

「え?」

「いい、すごく、似合ってる。可愛いよ、蓮花」

「ふぇ……あ、う、うん。あ、りが……と…」

 蓮花は視線を泳がせて前髪を指先でくるくるともてあそんでいた。

 その姿を見て、今更ながらに恥ずかしい事を口にしたことに気付き、痒くもないのに襟足をかく仕草をして、視線をらした。

 しばらくして落ち着く為に啜ったレモンソーダは炭酸が抜けていて、レモンの爽やかさよりも甘さが勝り、ほんのりと甘酸っぱかった。



          *


 最寄り駅のホームを二人で歩いた。

 綾音が私を家まで送ってくれるのは、二度目だった。

 一度は申し訳なくて断ったものの、もう少し一緒に居たいからと言われ、その言葉に申し訳なさよりも、嬉しさが勝る辺り、私は甘えん坊なのだろう。


「蓮花、今日は楽しかったよ、ありがとう」

 綾音が微笑みながらお礼の言葉を述べる。

 夕陽を背にした彼女の柔らかな声音……それだけで胸が少しドキドキした。

「ううん、こちらこそ、ありがとう…だよ」

 頬、赤くないかな? ちゃんと自然に微笑み返せてるかな? 

 応えながらそんな想いが頭を巡っていた。


 駅舎を出て数十メートル進むと、指先に柔らかな熱が触れてくる。

 ちらりと横目で見ると、こちらを見ていたのか、不自然な動きで綾音が明後日の方向を向く。

「綾音、どうかした?」

「い、いや…な、なんでも…なくは、ない……けど、その……」

 手の甲を口元に添え、綾音が歯切れの悪い言葉をぼそぼそと紡ぐ《つむ》。

 か、可愛い。

 そんな彼女を見ていると意地悪したい気持ちになってくる。

 ……うん、たまにはいいよね。

「なくは、ないけど?」

「…うぅ、だ、からその……」

「うん」

「……たい…な……」

「ごめん、よく聞こえないよ」

「え…と、だ…から。繋ぎ…たくて……」

「繋ぐ?」

「その…手を……ね…」

 そこまで言ったところで、ハッとして綾音が私を見詰めた。

 私は満面の笑みでニコリと頷いた。

「れ、蓮花ぁ~っ!!」

「なぁに?」

「その…き、気付いてた…よね」

「はい?」

 口元に人差し指を添え、首を傾げた。

「も、もう!」

 綾音がねるようにそっぽを向いてしまう。

 私はその背中に笑いかけた。

「えへへ、ごめんね。綾音の反応が可愛くてつい…」

「か、可愛くないし…」

「いやいや、可愛いよ綾音可愛いよー」

 私は髪をくように彼女の頭を撫でた。

「こ、子供じゃないんだけど」

「ごめん。じゃあ、止めるね」

「いや、せっかくだから、もっとして…欲しい……かも」

 なにがせっかくなんだろうと思い、笑い出しそうになるのを堪えて私は彼女の熱を帯びた頭とさらさらの髪を撫で続けるのだった……。




 空を見上げる。

 黄昏時の雲は、紫陽花色に染まった綿菓子のようにたなびいていて、私たちの世界を優しい光で彩っていた…………。










ーーーーーーーーーー完ーーーーーーーーーー

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