18. ヤンキーくんの家族

 久我山家のリビングにて。


「なぁんだ、誤解だったのね。それならそうと早く言ってちょうだいな」


 狐のように細い目をした美人、颯空の母親である久我山あおいがニコニコと笑いながら自分の淹れた紅茶に口をつけた。そして、自分の前に座ってぶすっ面を浮かべている息子を無視して、その隣にいる美琴に話しかける。


「ごめんなさいね、美琴ちゃん。この子って不愛想だから友達を家に連れてくる事なんて滅多になくて。それで、あなたを見て涼音が驚いちゃったのね」

「……ごめんなさい」


 葵が隣に座っている颯空の妹、久我山涼音の頭を撫でながら言うと、涼音が申し訳なさそうに頭を下げた。そんな彼女に、美琴が優しく微笑みかける。


「気にしないで。元々は私がちゃんと挨拶をしなかったのがいけないんだから。……もっとも、挨拶が出来なかったのはどっかの誰かさんのせいなんだけど」

「……ふん」


 ちらりと視線を向けると、不機嫌さを前面に出しながら頬杖をついている颯空が鼻を鳴らして顔を背けた。これこそ颯空が最も回避したかった状況。こうなってしまった以上、彼に出来る事は機嫌を悪くすることだけだった。


「まったく……せっかく友達を連れて来たのにこそこそ隠れるような真似して」

「……友達じゃねぇよ」


 母親の言葉に颯空が蚊の鳴くような声で答える。それを聞いた葵が不思議そうな顔をした。


「友達じゃない? 友達じゃない人を自分の部屋に入れたの? あなたが?」

「いやいや。お兄が友達以外を部屋に入れるわけないじゃん。何か隠してるでしょ?」


 涼音がいぶかしげな視線を向けるも、颯空はムスッとしたまま答える様子はない。かくいう美琴も、弱みを握って生徒会の仕事を手伝わさせている、などと言えるわけもなく、ほとほと困ってしまった。


「……うるせぇな。こいつは俺の上司みたいなもんだよ」


 そんな美琴を見かねてか、颯空が椅子から立ち上がりながら親指で美琴を指差す。


「この優等生様は生徒会の役員で、ご丁寧に俺が生徒会に入れるよう指導してくれてんだ。その都合で今日は俺んちに寄っただけなんだよ」

「お兄が……生徒会……?」


 あまりに信じられない事実を前にあんぐりと口を開けたまま涼音が視線を横へとずらすと、美琴が曖昧な笑みを浮かべた。確かに、嘘は言っていない。だが、ニコニコと笑ったままの葵には何か勘付かれているような気がする。


「お前、今日はもう帰れ。話し合いは明日だ」

「え? あ、ちょっと!」

「お兄!」


 そんな母親の視線から逃げるように早口でそうまくし立てると、颯空はリビングから早足で出て行った。追いかけようと立ち上がりかけていた美琴だったが、今は何を言っても意味がなさそうだと思い、ため息を吐きながら椅子に腰かける。そんな美琴を、葵は微笑を浮かべながら見ていた。


「カモミールティーよ。よかったら召し上がって」

「あ……ありがとうございます。いただきます」


 葵に促され、目の前に置いてあるティーカップに手を伸ばす。黄色味がかったその紅茶の香りは、心が安らかになるものだった。


「生徒会の役員、か……あの子には一番縁遠い人ね」


 頬に手を添えて美琴を見つめていた葵が小さな声で言った。静かにティーカップをソーサーに戻した美琴が、彼女の方へ顔を向ける。


「そうですか?」

「えぇ。だって、あの子はルールや規則に縛られるのが嫌いでしょ? ルールや規則を重んじる生徒会とは相反するような気がしたから」

「それは……そうですね」


 葵に言われ、パッと頭に浮かんだのが颯空と生徒会長である誠であった。殆ど接した事がないというのに、あんなにも颯空が毛嫌いしているところを見るとその通りなのかもしれない。


「でも、これで一つ謎が解けたわ」

「謎ですか?」

「えぇ。どうしてあの子が急にピアスをやめたのかと不思議だったのだけれど……あなたのおかげよね?」


 ティーカップを両手で持ちながら葵が微笑みかけた。対する美琴は何とも言えない表情を浮かべる。


「えーっと……それは」

「いいのよ。どんな手を使ったとしても、あの子が少し変わったのは美琴ちゃんのおかげに違いないんだから」


 そう言ってウインクする葵。颯空は頑固者だ。それは母親の自分が一番よく分かっている。そんな彼にいう事を聞かせるためには、多少強引なやり方が必要だ。例えば……弱みを握るとか。困ったように笑う美琴を見れば、その推測が正しい事が分かった。


「あのぉ……」


 それまであまり口を開いていなかった涼音が遠慮がちに美琴へ声をかける。


「なに? 涼音ちゃん」

「お兄が生徒会なんて……本当なんですか?」

「そうね……うん。本当よ。久我山君は生徒会に入ろうとしているわ」


 美琴が落ち着いた口調で答えると、涼音は衝撃を受けた顔をした。そして、顔をぶんぶんと左右に振り、机に両手をつき、少し前に乗り出す。


「て、ててて事は……!! み、美琴さんが生徒会役員っていうのも本当ですかっ!?」

「えぇ、本当よ」


 なぜか少し興奮している涼音に、美琴は堂々と答えた。これに関しては嘘偽り、その他やましい事など一切ない事実だ。

 美琴の答えを聞いた涼音の顔にぱぁっと笑みが広がり、向られている視線からは尊敬の念がひしひしと伝わってきた。


「この子は颯空と真逆。規律を重んじる生徒会に憧れを抱いてるの。特に清新学園の生徒会にね」

「それは……なんだか照れくさいですね」

「だから、今必死に勉強しているのよ? 涼音は今年中学三年生の受験生だから」

「高校でもトップクラスの名門校で倍率が半端ないけど、めっちゃ頑張ってるところです!」


 ぐっと力ぐよく握りこぶしを作り、頼りがいのある笑みを向けてくる涼音の姿がとても微笑ましかった。だが、その表情が一瞬にして曇っていく。


「そんな清新学園にどうしてうちのバカお兄は入れたんだ……未だに信じられない」

「そういえばそうね。久我山君の学力とやる気じゃ、絶対に入れないと思うけど」

「随分とはっきり言うのね」

「あ! ご、ごめんなさい!」

「ふふっ、いいのよ」


 思わずいつもの調子で言ってしまい慌てる美琴を見て、葵が楽しげに笑う。


「あの子はねぇ、何か目標があると強いのよ。脇目も振らずに一直線に突っ走る子だから。まぁ、その目標が何だったのかは知らないけどね……清新学園に憧れる人でもいたのかしら?」

「あっ……」


 憧れる人、颯空の生徒手帳にある写真。生徒会役員生徒会長補佐、杠葉ゆずりは静流しずる


「その反応、心当たりあるのね」

「え? あ、あははは……」


 細い目をきらりと光らせた葵に対し、美琴は笑ってごまかす。颯空が生徒会に入ろうとしてくれている以上、こちらも約束を破るわけにはいかない。


「あんなダメなお兄でも入れたのに……私が入れなかったらどうしよう……」


 涼音が暗い顔でぽつりと呟いた。中学三年生とは言え、色々とプレッシャーを感じているのだろう。美琴は鞄からメモ帳を取り出し、手早く何かを書いていく。そして、書き終えるとそのメモをちぎって涼音に渡した。


「え? これは?」

「私の連絡先よ。勉強に行き詰った時、受験が不安になった時、どんな事でもいいわ。私に相談して?」


 美琴の言葉を聞いて一瞬嬉しそうな顔をした彼女だったが、すぐに微妙な表情を見せる。


「で、でも……生徒会役員だから忙しいと思うし……そんな迷惑かけられないです……」

「何言ってるの? 生徒会役員だからこそ、未来の清新学園生は放っておけないのよ。だから遠慮せずに、ね?」

「美琴さん……!」


 うるうると瞳を潤ませながら涼音が美琴に尊敬の視線を向ける。


「あ、あのぉ……美琴お姉ちゃんって呼んでもいいですか?」

「もちろん!」


 美琴がにっこりと笑いかけると、涼音は満面の笑みを浮かべた。そして、大事なものを扱うように、連絡先が書かれたメモをギュッ、と両手で握りしめる。


「……なるほど。颯空がつるむわけね」

「え?」

「ううん。なんでもないわ」


 振り向いた美琴に、葵が微笑で返した。そのあまりに大人な笑みに、思わず美琴の紅潮する。


「涼音の力になってくれてありがとうね。その代わりと言っては何だけど、美琴ちゃんに何かあったら私が力になってあげるからね」

「あ、ありがとうございます。とても心強いです」

「何でも言ってね。特にうちのバカ息子に関する事は」

「はい。すぐに相談させていただきます」


 短気でぶっきらぼうな颯空と温和でおっとりしている葵。本当に親子なのか、と問いただしたくなるほどに正反対の性格をしている二人なのだが、こうやって面と向かって話していると、なぜだか美琴には颯空と葵がとても似ているように感じた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る