17. ヤンキーくんの家

「……何じろじろ見てんだよ?」


 藤代環に会う事ができず、そのまま何の目的もなく二人で歩いてると、不意に颯空が口を開いた。


「ちょっと意外だったのよ。口の利き方はあれだったけど、随分と年上の女性と話し慣れてるなって」

「あー……別に大したことじゃねぇよ。中学の頃、よく年上の女と話してたってだけだ」

「なにそれ? 年上の彼女とかって事?」

「いや、婦警の姉ちゃん達」


 颯空をいじれる機会だと、問いかけた美琴のにやけ面が一気に引き攣る。


「街で喧嘩してたらすぐ飛んできたんだよなーあの姉ちゃん達。そのあとはがっつり説教&仕事の愚痴を延々と聞かされてたわ。……まぁ、姉ちゃん達が色々と手をまわしてくれたから少年院ねんしょうに入らなくて済んだって事もあるんだけどな」

「……そういえば、あんたヤンキーだったわね」

「バカ。ヤンキーじゃねぇよ。中学ん時は少しやんちゃだっただけだ」

「婦警さんにお世話になるのは少しじゃ済まないわよ」


 あっさりと告げられる衝撃の事実。まさに久我山颯空は札付きの悪。だが、今になっては恐怖心も湧き起らない。


「さて、本人に会えなかったってことで今日はもう終わりだな。つーことで俺は帰るぞ」

「え? 何言ってるの? これから作戦会議をするに決まってるじゃない」

「は?」


 藤代環の件で今日出来る事は何もないので、早々に家に帰ろうとした颯空だったが、さも当然とばかりに美琴に言われ、目をぱちくりと瞬かせる。


「相手は一年近くも学校に来ていないのよ? 何の策もなしに会いに行っても、今日みたいに追い返されるのが落ちよ。これだからヤンキーは……無策で突っ込みたがる」

「いや、今日無策で突っ込んだのはお前だろ」

「そうよ! そして、私は学んだの! 私は同じ過ちを二度繰り返す女じゃないわ! さぁ! 環さんが学校に来るための作戦を立てるのよ!」


 どことなく劇団員じみた口調で言うと、美琴はビシッと颯空を指差した。


「あなたの家で!」

「…………あ?」


 全く聞いた事のない言語で話しかけられた時、人はこういう顔をするだろう。そんなアホ面を見せている颯空を置いて、美琴は元気よく歩いて行く。そして、途中である事に気が付き、颯空の方へ振り返った。


「そういえば、私はあなたの家を知らないんだったわ。早く案内しなさいよ」

「……いやいやいやいや」


 あまりにもあり得ない事態に見舞われると、上手く言葉を発せなくなる。丁度颯空はその状態に陥っていた。


「もう、面倒くさいわねぇ……」


 美琴が眉をしかめながら生徒手帳を取り出す。その意味が分からない颯空ではない。だが、いつものようにすぐに折れる事もない。それほどまでに、美琴を自分の家に連れて行きたくなかった。

 頭の中で必死に天秤にかける。美琴に秘密をばらされる事、美琴を家に連れていく事、どちらも甲乙つけがたい地獄だ。だが、前者に関しては地獄の度合いが分からない。対する後者はというと無間地獄も真っ青なレベルだ。


「こればっかりは脅されたって教えねぇ。お前をうちに連れてったら何を言われるか」

「何をブツブツ言ってるのよ? ……あっ、あったあった。一応あなたの家の住所控えてきてよかったわ」

「…………」


 どうやら脅すために生徒手帳を取り出したわけではないらしい。そして、美琴が家に来ることがほぼ確定してしまった。


「……おい。作戦会議なんてその辺のマックとかでやればいいだろうが」

「駄目に決まってるでしょ。私達は制服を着ているのよ? 下校途中でお店に寄る事は校則で禁じられています」

「いや、だからって俺の家に来ることは……」

「本当に近いわね。もう見えてるじゃない」


 早足で家に向かう美琴を見て、颯空は諦めの境地に至る。ここから先はいかにましな地獄にするか、だ。短い付き合いだが、彼女が駄々をこねてどうこうできる相手じゃない事は分かっている。行くと決めたら何があっても行く女だ。


「わかった。作戦会議は俺の部屋でやろう。それでいいな?」

「構わないわ。それじゃ早速……」


 インターホンに伸ばしかけた美琴の手を、光の速さで颯空が掴む。


「なによ?」


 怪訝な表情を向ける美琴に、颯空は小さく首を左右に振った。


「残念ながらうちのピンポンは壊れているんだ。押したら爆発する」

「いや、そんなわけないでしょ」

「ほら、上に窓が見えるだろ? あれが俺の部屋だ。屋根から侵入するぞ」

「はぁ!? なんで屋根から行くのよ!」

「それがうちのしきたりだ」


 自分でも何を言っているのかわからないが、そんな事は関係ない。とにもかくにもバカ正直に玄関から入って、美琴が来た事を知られるわけにはいかなった。


「何を企んでいるかは知らないけど、私は普通に入らせてもらうわ」

「いや、それは無理だ」

「第一、屋根になんて登れっこないわ」

「まかせろ。俺が連れて行ってやる」

「え?」


 颯空の言葉を理解する前に、美琴は体を掴まれ颯空の肩に担がれる。


「え? え?」

「しっかり掴まっておけよ」


 軽くパニック状態の美琴を無視して、颯空は右肩に彼女を担いだまま片手で塀に上がり、そのまま屋根へと飛び移った。驚くべき身体能力。その一連の動作によどみなど一切ない。

 屋根から自分の部屋の窓へ近づき、静かにその窓を開ける。一応、中の様子を探り、誰もいない事を確認してから部屋の中へと入った。


「いやー、鍵開けっぱにしといてよかったわ」

「ふんぎゃ!」


 窓の横にあるベッドに着地した颯空はその上に美琴を投げ捨てる。ゆっくりと起き上がり、靴を脱ぎながらぼーっと部屋の中を見回していた美琴だったが、その表情が徐々に怒りのものへと変化していった。


「ちょっと! 何してくれてんのよ!?」

「ば、ばか! 声がでけぇよ!」


 怒鳴り声を上げる美琴に対して、颯空はシーッシーッと人差し指を口に当てて必死に静かにするように訴えるが効果はなし。


「信じられない! いきなり女の子の体を持ちあげるなんて!」

「お前が屋根に登れないなんて言うからだろ」

「それにしても一言断ってからするのがマナーでしょ!? それに運び方よ! なにあの米俵みたいな扱い!? お姫様抱っことか他にも選択肢あったでしょ!?」

「あぁ? そんな持ち方したら両手がふさがって屋根に登れねぇだろうが」

「そもそも屋根から自分の家に入るのが間違っているのよ!!」

「だから、それがうちのしきたりなんだって」

「どういうしきたりよ!? 意味わからないわっ!! 大体あなたはいつも……!!」


 がちゃ。


 美琴が溜まっている不満をぶちまけようとした時、颯空の部屋のドアが開いた。二人が同時にドアの方へと視線を向ける。


「おにい、帰ってんの? うるさくて勉強に集中できな……」


 部屋に入ってきたのは二つ三つ年下の可愛らしい少女だった。適当に切りそろえた前髪から見える目が颯空とそっくりなので恐らく妹なのであろう。ドアノブに手をかけたままベッドの上で向かい合っている自分達を見て見事に固まっている。

 少しだけ対応に迷った美琴だったが、とりあえず笑顔で話しかけてみる事にした。


「初めまして。私は久我山君の」

「お母さぁぁぁぁぁぁん!! お兄が海香うみかさん以外の女性を部屋に連れ込んでるよぉぉぉぉぉぉ!!」


 そう叫びながら脱兎のごとく走って行った少女に、美琴はヒクヒクと頬を引きつらせる。一方、颯空の方は瞬時に頭を切り替えていた。


「急用が出来た。今すぐ帰れ。屋根から」

「はぁ? ちょ、ちょっと……!! 一体どういう……?」

「いいから。さっさと出てけ」

「いやよ! 登れないんだから降りるのも無理に決まってるでしょ!」


 颯空に肩を掴まれ、窓の外に押し出されようとするのを必死に堪える美琴。その抵抗の反動か、バランスを崩し二人まとめてベッドの上に倒れこんだ。


「颯空。涼音すずねが騒がしいんだけど、帰って来てるなら一声かけ……」


 それと同じタイミングで糸目の美しい女性が颯空の部屋に入ってくる。さきほど大声を上げながらどこかへ行った少女も、その後ろにぴったりくっ付いてきていた。そして、その部屋の中の光景を見た少女が慌てて自分の目を手で覆う。


 制服を着た男女が二人、ベッドの上で絡み合っている。否、実際は美琴が転んだせいでもみくちゃになっているだけなのだが、今やって来た二人には知る由もない。


「あらあら……」


 誰もが固まっている中、糸目の女性が自分の頬に手を当て、困ったように首を傾げた。そして、指の隙間からばっちり観察している少女の首根っこを掴んで、そそくさと部屋を後にする。


「……ちゃんとゴムはつけなさいよ?」


 そんな言葉を残して。

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