6. 片桐 寧々

 会長室を出てからずっと早足で歩いていた美琴がその歩調を段々と緩めていく。腕を引っ張られていた颯空もそれに合わせる形でその場に立ち止まった。


「…………ふぅ」


 美琴が自分の胸に手を当て、ゆっくりと息を吐き出す。心臓はまだドキドキしていた。いつもこうだ。誠の前に立つと、憧憬しょうけいの念が強すぎて自分を制御できなくなってしまう。


「……おい。そろそろ離せ」

「え? あ、ご、ごめんなさい!」


 颯空に言われ、腕を掴んでいる事を思い出した美琴が、慌ててその腕を離した。颯空は自分の腕をさすりながら、僅かに赤みがかった美琴の顔を覗き込む。昨日とはまるで違う態度。先ほどの会長室での様子を見るに、答えは明白だった。


「お前、あの傲慢ごうまん男に惚れてんのか?」

「はぁ!? そ、そ、そ、そんなわけないでしょ!? って、傲慢男って誰の事よ!? まさか神宮寺会長の事を言ってるんじゃないでしょうね!?」


 颯空の問いに目を白黒させた美琴だったが、一転聞き捨てならない言葉に眉を吊り上げる。


「あの人は一年生で生徒会長に就任したカリスマなのよ!? そんな人、長い清新学園の歴史をたどってもいないんだから!! その辺分かってんの!?」

「わかってる、わかってる」

「その反応、全っ然わかってないわね!!」


 なんだか面倒くさそうだ、と思った颯空が適当に返事をしたら、まるで逆効果になってしまった。


「いい!? 彼は校内試験や校外模試で一位の座を奪われた事がないほどに頭脳明晰なのよ!? それだけじゃないわっ!! 運動部から頼まれて彼が助っ人として出れば、どんな競技でも大抵優勝してしまうの!! まさに文武両道!! 完璧が具現化した存在!! 彼以上の人間などこの世に存在しないわっ!!」

「へー、そいつはすげぇや」

「にもかかわらず、さっきのあんたの態度は何っ!? 失礼にもほどがあるわっ!! あんたのせいで私の評価まで下がったらどうしてくれるのよ!?」

「そんなのは俺の知ったこっちゃねぇな」


 キッと睨みつけてくる美琴に颯空が肩をすくめて答える。


「つーか、やっぱ惚れてんじゃねぇか」

「ほ、惚れ……!!」

「そんなに褒めちぎって、評価まで気にしてたらそれ以外あり得ねぇだろ」


 顔を真っ赤にして金魚のように口をパクパクさせていた美琴だったが、自分を落ち着かせるように咳ばらいを挟むと、颯空の方に向き直った。


「そういうのじゃないわ。私は神宮司会長に憧れているの。好きと聞かれれば自信をもって好きと答えるけど、それは恋愛感情ではないわ」

「憧れ、ねぇ……」


 きっぱりと言い放った美琴の言葉を聞いて、颯空は何かを噛み締めるように呟く。異性に興味を抱く経験が圧倒的に少ない颯空には「憧れ」と「恋愛」の違いがよくわからなかった。


「まぁ、俺から言い出したけど、お前が誰に惚れてるとか誰に憧れてるとか、正直どうでもいいんだけどな。それよりあいつが出した条件だよ。明日までって事はそんなに時間ねぇだろ?」

「ぐっ……なんか異様に腹が立つけど、確かにそのとおりね。こんな所で無駄話している暇なんてないわ」

「生徒会らしい仕事、だっけか? 具体的には何をすればいいんだ?」

「生徒会っていったらあれしかないでしょ? 取り締まりよ!!」


 ピンッと指を立てながらどや顔を浮かべる美琴。いまいち要領を得ない颯空は怪訝けげんな顔で首を傾げた。


「取り締まり?」

「校則を破っている生徒がいたらとっ捕まえればいいのよ! それであんたは晴れて生徒会の一員になれるわ!」

「そう簡単に校則違反の生徒なんて捕まえられるのかよ?」

「安心なさい! 私は毎日取り締まりをしているベテランなんだから! 大船に乗ったつもりでいればいいわ! さぁ、行くわよ!!」


 意気揚々と歩き出した美琴の背中を見ながら、颯空は言いようのない不安に駆られる。清新学園は名門校、つまりお行儀のいい子ばかりが通う学校なのだ。自分のようにわかりやすく校則を破っている者など、果たしているのだろうか?


「…………泥船じゃなきゃいいけど」


 そんな言葉をポツリとこぼしながら、颯空は美琴の後について校内を見回り始めた。


 一時間後……。


「もぉぉぉぉ!! どうなってんのよ、この学校はっ!?」


 案の定と言うべきか、荒れに荒れまくっている美琴の姿がそこにはあった。悔しそうに地団太を踏んでいる彼女を尻目に、颯空は階段に腰を下ろし、退屈そうに大きな欠伸あくびをしている。


「校則破りなんて全然いないじゃないっ!! なんでこうやって毎日毎日見回っているのに、いつもいつも校則破っている人が見つからないのよ!?」

「毎日毎日見回ってるから、校則破る奴がいなくなってんじゃねぇの?」

「そこ! 黙りなさい!」


 怖い顔で睨まれた颯空は口を閉ざした。これ以上余計な事を言えば藪蛇やぶへびになること間違いない。


「せっかく……せっかく神宮寺会長がチャンスをくださったのにぃ……!!」


 美琴の目に光る物が浮かんだ。まさか、これだけの事で泣いたりしないよな? 颯空は横目でチラチラと美琴の様子を窺いながら、内心気が気ではなかった。こんな状況、誰かに見られでもしたら確実に自分が美琴を泣かせたと思われる。それはあまりよろしくない。


「お、おい。大丈夫」

「男だったら全裸で校舎を走るくらいの破天荒はてんこうぶりを見せなさいよ!!」

「幼稚園児かっ! そんな高校生、清新学園じゃなくてもいねぇだろ!」

「ちょっとあんた! 下半身出して走りなさいよ! それを私が捕まえてやるわ!」

「するかっ!!」


 どうやら美琴は相当テンパっている様子だ。なんとかしなければ自分は校則破りどころか法律破りの犯罪者になってしまう。


「──これはこれは、渚美琴さんではございませんか?」


 どことなく小ばかにしたような声が二人の耳に届く。颯空と美琴が同時に声のした方へ振り返ると、そこにはふわふわの髪をハーフアップにまとめた美少女が数人の男子生徒を引き連れ立っていた。その表情は美琴に負けず劣らずの自信に満ち満ちている。だが、美琴とはある部分が大きく違っていた。それははちきれんばかりに膨らんだブラウスが物語っている。


片桐かたぎり寧々ねね……!!」


 ぎりり、と奥歯を噛み締めながら美琴が名前を呼んだ。その声音を聞く限り、あまり仲の良い相手ではなさそうだ。


「今日も優雅に校内をお散歩なさっているのかしら?」

「お、お散歩って何よ!? 私は生徒会役員として校則破りの生徒を捕まえるために見回りをしているのよ!!」

「あらそうだったのですか? それはごめんあそばせ。そういう生徒を捕まえた、という報告をからっきし聞かないもので、てっきりわたくしはあなたが何も考えずに校内をうろついているだけかと思っていましたわ」

「そっちだって生徒を捕まえたって話、聞かないわよ!!」

「それはあなたの情報収集能力の低さが原因ではなくて? 現にわたくしは本日、三名もの生徒を会長様に報告いたしましたわよ?」

「ぐぬぬぬ……!!」


 悔しさと羞恥で美琴の顔が真っ赤に染まっていく。こういう女の口喧嘩が苦手な颯空としては首を突っ込みたくはないが、行動を共にしている以上そういうわけにもいかない。


「あんまりこいつを刺激すんなよ。被害をこうむるのは俺だろうが」

「え? あなた、どこかで……」


 美琴につれがいるなどと思ってなかった寧々は、近づいてきた颯空を見て少しだけ意外そうな表情を見せると、眉を寄せて彼の顔を凝視する。そして、十秒間じっくり観察したところで突然、その目を大きく見開いた。


「ま、まさかあなた……久我山颯空っ!?」

「なんだ、俺の事知ってんのかよ。ちなみに、俺はあんたの事全然知らねぇけどな」


 あまりの変わりように言葉を失う寧々。ポカンとした表情をうかべる彼女の耳に颯空の言葉は入っていかなかった。だが、後ろに控えている連中はそうではない。


「貴様! 寧々様を知らないというのか!!」

「この無礼者!!」

「図が高いぞ!! その場にひれ伏せ!!」


 ぎゃーぎゃーと喚き始めた男子生徒達を前に、颯空はポリポリと頭を掻く。まさか知らないってだけでこんなに文句を言われるとは思わなかった。この女はそんなに有名人なのだろうか。


「……なるほど。学校一の問題児を手懐けたってわけですか」


 値踏みをするように颯空の体を眺めた寧々が冷たい笑みを浮かべる。


「よかったではありませんの? 生徒会のお荷物には学園のお荷物がお似合いですわ!」

「お、お荷物ですって!?」

「生徒会に何も貢献できない劣等生に、他人に迷惑しかかけない不良……少し身なりを変えたくらいじゃ、その性根は変わりません事よ?」


 中世ヨーロッパの貴族婦人のように高らかに笑う寧々。それに乗る形で寧々と一緒にいる男子生徒達が二人をあざ笑う。美琴はそんな仕打ちを受けて我慢できる女ではない。

 ちらっと横目で颯空を見ると、どうでも良さそうに窓から外の景色を見ていた。それすらも美琴の苛立ちに拍車をかける。不良ならばここで感情を爆発させるべきではないだろうか。

 咳払いを一つ挟み颯空の気を引くと、顎をくいっと動かし寧々達を示した。最初はその意図を正しく読み取る事が出来ずに眉をひそめる颯空であったが、彼女の怒りに燃える目を見ていたらなんとなく伝わってきた。正直、気が乗らない颯空であったが美琴から指示されたのであれば選択肢はない。内心ため息をつきつつ、俯き加減で少し前に出ると、そのままゆっくりと顔を上げる。


「……あぁ?」


 そして、ありったけのドスを利かせた声で目の前にいる連中を睨みつけた。それだけで馬鹿にしたように笑っていた男子生徒達は一瞬にして全員が口を閉ざす。まさに蛇に睨まれたカエル。その視線を受けると、喉元にナイフをあてがわれているように錯覚してしまう。それは男子生徒の中心にいる寧々も同様だった。

 この場でただ一人、それに耐性のある美琴が神妙な面持ちで颯空の肩を叩く。


「やめなさい、久我山君。怖がってるでしょ?」

「ん? あぁ、すまん。そういうつもりじゃなかったんだ」


 あっけらかんと言いながら颯空は連中から視線を外した。それにより動くことができるようになった寧々達がホッと安堵の息を漏らす。


「ごめんなさいね、うちのが。でも、こういう男なのよ。噛みつかれないうちにどこかへ行った方が身のためだわ」

「くぅぅぅ……!!」


 優越感を隠そうともしない顔で美琴が言うと、寧々はハンカチでも噛みそうな勢いで悔しがりながら、美琴の事を睨みつけた。


「……覚えてらっしゃい。この借りは必ず返させていただきますわ。さぁ、行きましょう」


 そう言うと、肩を怒らせながら男子生徒達を引き連れ廊下を歩いて行く。その様を上機嫌で見ていた美琴が颯空の横っ腹を小突いた。


「流石はヤンキーね。やるじゃない」

「ヤンキーじゃねぇし、本音を言えばがん飛ばしなんてやりたくなかったわ」

「あら、そうなの? でも、昨日は私にやってきたじゃない?」

「……まぁな。今日から止めることにしたんだよ」

「どうしてよ?」


 自分の顔を覗き込んでくる美琴から颯空は視線を逸らす。止めた理由を美琴だけには死んでも言いたくない。


「そんな事より、校則破りを探すんだろ? こんなとこでちんたらやってていいのかよ?」

「はっ! そうだったわ! 急いで探さないと下校時刻になっちゃう!」


 寧々登場のせいで頭から飛んでいた目的を思い出し、美琴は早足で廊下を歩いて行く。


「あっ、おい! どこ行くんだよ!?」

「ここからは手分けして探すわよ! そっちの方が断然効率がいいわ!! 私は北校舎から回るから、あんたは南校舎から回りなさい!! 一時間後、ここで落ち合うわよ!!」

「……りょーかい」


 何とも言えない表情を浮かべながら美琴を見送った颯空は、小さくため息を吐いた。


「……校則知らねぇ奴がどうやって校則破りを取り締まればいいのかわからねぇけど、まぁいっか」


 とりあえずド派手な髪色してる奴でも探すか。そんな事を考えながら、颯空は美琴に指示された南校舎へとダラダラ歩いて行った。

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