第2話 伊吹おろし

 冬の尾張の風は強い。

日本海の雪風が関ヶ原を超える頃には乾いた伊吹おろしとなり

尾州の平野を駆け巡る。

 視界を遮るものは何もなく、

仙千代が進む遥か向こうに、白銀の伊吹山、霊峰御岳山、

木曽の山々、赤石の峰々が陽を浴びて輝いている。


 大晦日まであと三日という朝、仙千代は儀長城に向かっていた。

儀長の城は織田信長の鉄砲師範を務めた橋本一巴いっぱの嫡男で

やはり砲術家の橋本伊賀守いがのかみ道一が主だった。

 今日は儀長城で、新年に向け、盛大な餅つきが行われる。

明日つけば「苦の餅をつく」、大晦日では「一夜餅」といって、

尾張ではおよそこのあたりの日に餅をつくことが多かった。


 「仙千代、万見仙千代!遅いぞ」

 

 後ろから追う仙千代に、

南へ三里の鯏浦うぐいうらから共にやってきた彦七郎が叱咤する。


 「頑張れ」


 その弟、彦八郎も声をかけてくる。

 三人は父親が全員織田家の家臣で、家も近く、

彦七郎、彦八郎は兄弟だった。

 二人は十二才の仙千代より年嵩だった。

仙千代は遅れをとるまいと、ところどころ小走りになる。


 「今年の餅つき、橋本様はとりわけ大きな規模でなさるらしい。

岐阜の殿のぶなが様が比叡山を制圧され、特別めでたいということで」


 と彦七郎。彦八郎も続ける。


 「殿様の御威光もいっそうじゃ。一人残らず成敗されて」


 「成敗されて?一人残らず?」


 彦八郎の言葉を受けて仙千代が訊く。

 この秋、織田軍が、

比叡山延暦寺に勝利したという以外の委細は初めて耳にした。

 

 「知らんのか。五欲に狂った似非坊主どもをとことん打ち負かし、

殿様の積年の御苦労がようやく報われた」


 彦八郎がさも、自分の手柄のように言った。


 「悪僧はもちろんのこと、一切をお許しにならず焼き討ちにし、

長年の鬱憤を晴らされたのじゃ」


 一切をお許しにならず焼き討ち……


 スッと寒気が走った。

 二人に追い付こうと必死に歩き、

汗ばんだ背に風が吹いたのだと仙千代は思った。


 この道を北へ上がって川を三本越せば美濃の地で、

そこに岐阜城がある。

 噂に聞けば、唐や伴天連趣味の装飾が施された天守があって、

素晴らしく華やかなのだということだった。

 美しいものを愛でる心を持った殿様と、

老若男女問わず殲滅させた殿様が同一であるということが、

仙千代にはどうにも結び付けられなかった。

 

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